【番外編】ミッション・オブ・ブラジャー(前編)
「ナカタ君……こんなの良くないよ。やっぱりやめようよ……」
「翔子……ここまで来てやめられる訳無いだろ。俺だって恥ずかしいんだ、覚悟を決めろ」
「そ、そんなこと言われても……やっぱり恥ずかしいよぉ……」
などと誤解されそうな会話をしながら、俺こと中田翔一は、もう1人の俺であるショートカットの小柄な少女――春川翔子と繁華街を歩いていた。
俺達はある日、ある事情により中田翔一と春川翔子という二人に分けられてしまったのだが、紆余曲折あって別々の人間として暮らして行く事になった。自分で言っておいて何だが、本当に意味不明な状況だなおい。
「ねぇナカタ君、私、変じゃないかな?」
「変じゃねぇって、安心しろ。はっきり言って美少女だ」
「ホントに?」
「ホントだ」
「……ホントのホントのホントにぃ?」
「しつけーな! 俺の好みはお前が一番分かってるだろうが!」
「そりゃそうだけど、自分で女物の服着てると良くわかんないんだよね」
翔子は身を隠すように背中を丸め、上目遣いで俺を見る。
今の翔子は、紺色を基調としたブレザーにスカートという、俺の通っていた中学の女子制服を着ている。
「あのなぁ、来週からお前も学校に行くんだぞ? そんなびびっててどうすんだ」
「分かってるよぉ……」
翔子は口を尖らせる。
こいつの中身は俺なんだから、俺が女装して街を歩いていると考えれば気持ちは分かる。
何故、俺たちがこんな事をしているのかというと、翔子は俺の従姉妹として同居していて、来週から中学二年生として転校する設定になっている。
だが、翔子は頑なに女物の服を着るのを嫌がり、制服も中々着たがらない。
家では常にフリーサイズの男物をだらけた格好で着ているのだ。
とはいえ、さすがにその格好で外出するわけにも行かないし、まして通学も出来ない。なので翔子を女の格好に慣らすため、街中で歩行訓練をしているのだ。
歩行訓練というとジジイや病人を連想してしまうが、こいつは女体のバランス感覚に慣れていないため、放っておくとすぐに転ぶ。
だから、身体感覚を掴むのと女の度胸試しという意味で、歩行訓練というのは間違ってない。
「なぁ翔子、もっと胸を張れよ。そりゃお前の胸は張るほど無いかもしんないけど、これからは女子を相手にしていかなきゃならねぇんだぞ?」
「胸に関してはこれから大きくなるからいいのっ! 言われなくても分かってるけど、スカートって何だか不安なんだよ。これ、ふとももちょっと出すぎじゃない?」
「俺は一向に構わん!」
「私は構うの!」
「大体お前だって、女子中学生の太ももを穴が開くほど見てただろうが。今更いい子ぶるんじゃない!」
「それとこれとはまた別っ!」
翔子はミニスカートに黒のニーソックスという、絶対領域を強化する兵装を纏っている。
地肌の眩しい白さとニーソの黒が化学反応を起こし、絶妙な破壊力をもたらすのだ……何を言ってるんだ俺は。
「ねぇ、やっぱりやめようよぉ……」
「何言ってんだ。まだ家を出て一時間も経ってないだろ。今日はこのまま駅前まで行って、デパートで買い物するぞ?」
「ええっ!? デパートぉ!? そんな人の多いところに行ったら死んじゃうよ!?」
「死にはしねぇだろ! いいか、こういうのは最初が肝心なんだよ。最初に人の多いところで慣れておけば、学校のクラスでも大分マシになるだろ?」
「うぅ……そうかもしんないけど」
泣きそうな顔をする翔子の手を取り、引き摺るように道を歩く。
翔子は物凄く嫌そうだが、納得はしているのか抵抗せずについて来る。
まぁ俺が女装して、後輩にそ知らぬ顔で混じれと言われたら同情もするが、実は、今日はもう一つ翔子には言っていない重大な計画があった。
それは翔子のブラジャーを買う事である。
翔子は未だにバンブラ――絆創膏をブラジャー代わりにしている。
これは初期装備みたいなもので、このままで女子中学生相手に戦っていくのはきつい。
春先の今ならブレザーで隠せるが、夏服になるとそうも行かない。
このままバンブラorノーブラでは、翔子は色々な意味で浮いてしまうだろう。
そう、浮いてしまうのだ。
色々と。
以前、近所の量販店で下着を買おうとしたが色々あって失敗してしまった。
だが今回の俺は前と違い、下着を買う目的の元で行動している。
人間、覚悟の有無によって動きの機敏さがまるで変わるのだ。
気分を出すために『ミッション・オブ・ブラジャー』というコードネームも付けてみた。
特に意味は無い。
作戦としては翔子をデパートに連行し、ブラジャーを買わないと置いて帰ると宣言するのだ。
慣れない体と女子制服の翔子一人で帰還するのは困難だろうし、俺を頼らざるを得ない。
羞恥に塗れながら翔子は下着を買い、全身を仄かな桃色に染め、俺に『どうかな?』なんて見せるのだ。
いかん、少し興奮してきた。
「ナカタ君、もう疲れたよぉ……ちょっと休憩して行こうよ」
「おいおい、駅までまだ結構距離あるぞ。休むなら駅前にしようぜ?」
「しょうがないじゃない。女の子になっちゃった上に、私の力はナカタ君の半分以下なんだから」
翔子が愚痴る。
こいつの言うとおり、今の俺達は1人の力を2人に分散させているため、個々の能力が普通の人間より低いのだ。
俺のほうがベースになっている上に、女性化してしまった翔子はさらに輪をかけて体力が無い。
編入してからも、しばらくは体育などは出ない事になっている。
「しょうがねぇな……そんじゃ適当な牛丼屋にでも入るか」
「ちょーっと待った! 女の子とデートするのに牛丼屋を選ぶのはどうかと思うよ? インターネットでそう言ってた!」
「何がデートだ! つーかお前も俺だろうが!」
「いいからここは私に任せたまえ! いい場所を知ってるんだ」
こいつが休みたいって言ったくせに何で偉そうなんだ。
でも、ひまわりがぱっと咲くみたいに笑う翔子を見ていると、怒る気が失せてしまう。
中身は同じ筈なんだが、やっぱり見てくれって重要だよな。
「こっちこっち! ここに入ろう!」
「……喫茶店か?」
先ほどとは一転して、俺をぐいぐい引っ張りながら翔子が向かった先は、表通りから少し細い道に入った場所にある喫茶店だった。
木製の看板には「YAEGASHI」と書いてある。
赤レンガの壁に覆われた建物で、店自体はそれなりに年季が入っているようだが、丁寧に清掃されていて古臭さは感じない。
店の前の観葉植物にもきっちり手入れが行き届いていて、ちょっとアンティークな造りになっている。
「でもなぁ、こういう店って高いんだよな……」
「ふふふ、そう言うと思って準備しておいたのさ!」
翔子はスカートのポケットから折りたたんだ紙を取り出し、得意げに俺に突き付けた。
紙の上には地図らしき簡素な図がプリントアウトされていて、さらに丸っこい文字でこう書いてある。
「なになに……? 『ついに開幕! ドッキドキ! カップルキャンペーン! このチラシを持参して当店に来られると、な、な、なんとっ! コーヒー、紅茶、ケーキセットその他いろいろ半額になります! 2人であまーいラブラブタイムを楽しんじゃおっ♪』……だと?」
いかにも女の子が書くような丸文字が俺の平常心を掻き毟る。
何だこのクソみたいな文章に吐き気を催すキャンペーンは。
滅ぼされたいのか。
「なぁ翔子、この紙くず燃やして良いか?」
「燃やしちゃ駄目だよ! これ持ってないと半額にならないんだから」
「……つまり?」
「だから、私とナカタ君で入るんだよ。カップルって事にしてさ」
「はぁ!?」
俺は思わず叫んでしまう。
まだ彼女どころか異性と手を握った事も無いのに、何が悲しくて自分とカップルにならねばならんのか。
「フリだけだよ。ここ、ネットで密かに有名らしいんだよね。一度来たいと思ってたんだけど1人じゃなかなかね。ナカタ君も甘いもの好きでしょ? 私が言うんだから間違いない」
「そりゃ、お前と中身は同じなんだから、俺も甘いものは好きだけど」
「じゃあいいじゃん。さぁ、入った入った」
さっきまで疲れた疲れた言ってた癖に、急に元気になった翔子が俺の背中をどんどん押す。
確かに店の雰囲気は良い感じだし、半額なら割とお徳かもしれない。
そんな事を思いつつ、俺は木製のドアに手をかけた。
本編終了後の番外編です
帰ってきたドラえもん的な感覚で読んでもらえれば幸いです




