案内人
強い光に包まれた。
瞬間、俺は一本道に突っ立っていた。
周りは草原。膝丈ほどのイネ科の植物が地平線の果てまで続いている。
青い空には雲もなく、太陽が光り輝いている。しかし、暑さ…いや、暖かささえ感じられない。
一本道は草原を真っ二つに分断するように、ただまっすぐにひかれている。道といっても、草が生えていない、土の道である。道の先は、見えない。
それ以外は何もない。人もいなければ生き物の気配もない。ただ、空と草原と道があるだけである。
どちらに進めばいいのだろう?進む先に何かあるのか、そもそも進む必要があるのか…
ーーりんっ
鈴の音がした。
自然と顔がそちらに向く。目の前に、女性が立っていた。
「お迎えにあがりました。ヒロセ アキヒロさん」
りん
彼女が微笑むと鈴の音が響く。見ると、左の耳に鈴のイヤリングが付いていた。うるさくないのだろうか…いや、そんなことより
「あんた誰?さっきまで誰もいなかったのに…いったいどこから?ここはどこなんだ?なんで俺はここにいる?いったいなにがー
りん
彼女が微笑む。
「アキヒロさん、気持ちはわかりますが落ち着いて。そうですね…私は案内人ってところでしょうか。ミズホと申します。どうぞよろしく」
彼女ーミズホが手を差し出す。握手…ということだろうか。
「俺は広瀬明広…って、知ってるんだよな」
こちらも手を差し出す。握ったミズホの手は少しひんやりとしていた。
「案内人って、どういうことだ?」
また鈴が鳴る。
「ここはゲームの世界です。覚えていませんか?ゲームを体感できるバーチャルゲーム。アキヒロさんはそのゲームをプレイしているんです」
ゲーム…そういえば、新しく体感型のゲームが開発され、近所のゲームセンターに導入されたってあいつが言ってたっけ…
あいつ…俺の彼女であるあいつはゲームが好きな女の子だ。携帯のアプリから、据え置き型のゲーム、ゲーセンのゲームまで、なんでもありだ。
あいつのようなやつのことをオタクと言うんだろう。あいつとのデートは大抵ゲーセンだ。俺はあまりゲームをしないから、あいつがゲームをするのを見ていることが多い。たが俺はあいつの笑顔を見られればそれでいい…って大分話がずれたな。
「俺、ゲームなんかやってたっけ?」
そう。自らゲームをすることはない。たまにあいつに付き合ってするくらいである。小さい頃は携帯型のゲームで遊んでいたが、成長し他に夢中になるものができると、それらを押入れの隅に追いやってしまった。だから、ゲームと言われてもピンとこないのだ。
「よくいらっしゃいます、そういう方。ちょっとしたバグで、直前のことを忘れてしまうんですよ。でも大丈夫です!元の世界に戻ればすべて思い出します」
鈴が心地よい音を鳴らす。ミズホの笑顔を見ると、なんだかそんな気がしてきた。それくらい、彼女の笑顔は綺麗で安心させられる。
不意にミズホが鈴の付いている方の耳に手を当てた。耳をすましているようだ。
「…一緒にプレイされてる方は、もう先に行ってしまったようですね……ひょっとして彼女さんですか?」
「あいつもいるのか!まぁそうだよな。俺がゲームをするのはあいつに付き合う時くらいだし…」
全く記憶にないのだが、このゲームを終えれば思い出すのなら心配ないのだろう。
「仲がよろしいのですね」
「まあな」
「では、彼女さんを追いかけ合流しましょう。こちらですアキヒロさん」
ミズホに導かれるまま、俺たちは道を歩き始めた。
行けども、行けども草原が広がるだけである。
「ゲームって感じがしないな。こういうのって敵とかがでてくるんじゃないのか?」
前を歩くミズホが、こちらに少し顔を向ける。
「設定レベルが低いですから。初心者でもクリアできるようになっているんです。でも油断してるとて出てきますから注意してくださいね」
「でも俺、なんの武器ももってないぜ?」
シャツにジーパン、スニーカーといったごく普通の格好で歩いている俺は、今ここで敵に襲われたらひとたまりもないと思う。
「大丈夫です!私が剣にもなりますし、盾にもなります。そういうシステムなんです」
女の子に守られ、戦わせるのはいかがなものかと思ったが、そういうシステムならそういうもんなんだろう。
「誰もいないな。ここにいるのは俺とあいつだけなのか?」
「そうですね…。今回のプレイヤーはお二人だけです。多い時は10人ほどでチームを組んだりということもありますね。協力することでクリアも楽になりますし、なにより楽しいですから」
また鈴が鳴った。前を歩くミズホの顔は見えないが、もう音で表情がわかる。
あいつの笑顔も綺麗だった。ふわりと、周りを温かにする笑顔。俺はそんなあいつの笑顔が好きだ。
早くあいつに会いたいな
視界の端に動く物を見た気がした。
ふと、顔をそちらに向ける。草原の中にひらひらと漂うものがいた。小さな黄色い蝶だった。少し距離がある。あれが敵だろうか?
「蝶なんているんだな」
ちりっ
鈴が今までとは違った音を鳴らした。
ミズホは歩みを続けながら言う。「蝶?そんなものいませんよ。見間違えではないですか?」
ただ真っ直ぐ前を見つめて。
「そう…か」
確かに蝶は消えていた。ミズホの言うように見間違えだったのかもしれない。
かなり歩いたはずだ。しかし疲れを感じないのは、やはりゲームだからか。しかし、いくら歩いてもあいつの姿が見えないことに不安を感じた。
「なあ、どこまで歩いたら会えるんだ?」
「もうすぐです。ほら、あそこに分かれ道が見えると思いますが…あれが見えたらあと少しです」
ミズホが指を差す方には、確かに分かれ道らしきものが見えた。
T字に分かれる道。突き当たりの、奥に生える草は今まで見てきた草とは種類が異なるのか、自分の背と同じくらいの長さだった。入り込めばすぐに姿が見えなくなるだろう。
逆に手前に生える草に長さはなく、そのために遠くからでも道が分かれていることが確認できたのだろう。
「どっちに進むんだ?」
分かれ道の先は、やはり何も見えない。ただ道が真っ直ぐ続くだけである。
「少々お待ちください…」
ミズホがまた耳に手をあてる。と、ミズホの見つめる先で何かが動いた。
「あっ…」
思わず声をあげる。先ほどの蝶だった。
「どうかしましたか?」
ミズホがこちらに顔を向ける。
「え?蝶が…見てないのか?」
「蝶?私には何も見えませんでしたが…」
蝶は確かにミズホの前を飛んでいた。見えないはずはない。
…俺にしか見えないのか?
それとも、これもバグの一種か…
「ッ⁉」
突然頭に強い痛みが走った。たまらず頭をおさえ、しゃがみ込む。
「アキヒロさんっ⁉」
思い出した。
「光に…強い光に包まれたんだ。ここにいる前…強い光に包まれて、気付いたらここにいた」
頭痛は治まっていた。ミズホに支えられ、ゆっくりと立ち上がる。
「…おそらく、ゲームに入り込む直前の光景を思い出したのでしょう。ゲームに入り込む際は強い光を感じるので」
ちりっ
鈴が鳴る。ミズホは笑っていなかった。
どこか遠くを見つめるような表情。たが俺の視線に気付き、あの笑顔が戻る。
「よかった。少しずつバグが解消されているのかもしれないです。また、何か思い出すかもしれませんね」
りんっと鈴が鳴る。なぜか、始めに感じた心地よさはなかった。
「少しここで待っていただいてもよろしいですか?様子を見てきます。アキヒロさんの言う、蝶も気になりますし…」
「えっ?敵が出てきたらどうすればいいんだ?」
彼女がいなくなると、完全に丸腰である。
「大丈夫!何かあればすぐに飛んで来ますから」
俺の手を握りながら彼女は微笑んだ。やはり、彼女の手は少しひんやりとしている。
「まぁ、そういうことなら…」
「すぐに戻って来ますから!」
さっ、と彼女の手が離れる。待っててくださいと言いながら、彼女は奥の草むらの中に飛び込んだ。すぐに姿が見えなくなる。
一人になると、途端に静かになった。
何もすることがないので、その場に座りこんだ。
なんの音もしない。寒さも、暖かさ疲れも、なにも感じない。
あいつはどこにいるのだろう?あいつも案内人と一緒に、どこかを歩いているのか。
一緒にエアーホッケーをしたことがある。あいつはゲームは好きだが、実はそんなに上手くない。ホッケーは俺の圧勝だった。まぁ男女差もあるのかもしれないが。
だが、負けてもあいつは笑顔である。純粋にゲームを楽しむのだ。
それがあいつの良いところであり、俺があいつを好きなところだ。
俺にはそんな事はできない。
勝ち負けを気にして突っ走ってしまう。だから、あいつとは度々衝突する。今日だって…
…今日?
顔を上げる。
ーーなんだ?
蝶が飛んでいた。
ーーなにがあった?
こちらに向かって
ーーなにか
飛んでくる。
ーー大切なことを
手を…
ーー忘れている
手を…
伸ばせっ!
ばっ、と蝶に向かって手を伸ばす。瞬間、蝶が光と共に消え、目の前にビデオを再生するように映像が流れ始めた。
(またそういうことを言う…明広の悪いくせだよ)
自宅近くの静かな道路で俺とあいつが話をしている。夕暮れで、近くの街灯に明かりが灯る。
俺もあいつもイラついている。
俺が声を荒げた。あいつが悲しそうな顔をした。
(いいよ…もう知らないっ!)
あいつが俺に背を向け、走り出す。
交差点に入り込むあいつ。信号もない交差点。左右が確認しづらく、注意を促す看板が立っていた。ーーと、
クラクションが鳴り響いた時には自分も走りだしていた。
あいつの肩を掴み、強く引く。交差点からあいつを押し出し、反対に俺が交差点に入り込む。
目が、あった。ああ、そんな悲しそうな顔をしないでくれ。
「瑞穂」
瞬間、光に包まれた。
ああ、なんでこんな大切なことを忘れていたんだろう。
「瑞穂はあいつの名前だ……お前は誰だ?」
こちらを見つめていたミズホが、くっと口元を歪めて笑った。
ちりっ
鈴が耳触りな音をたてる。
「あはっ…あはははははははははははははははははははははははは」
思わず鳥肌がたつ。なんだ?違和感?恐怖?空気が、痛い。
「はははっ、はっ……ふぅ」
すっ、と目線がこちらに向けられる。もうあの笑顔はない。凍りつくような視線だった。
「なーんだ、思い出しちゃったんだ。あーあ、もう少しだったのに。ふふふ」
「俺は…死んだんだな?あいつ…瑞穂をかばって」
彼女はなおも笑う。
「死んではいないわ。瀕死の状態だけど。最初にあんたが立っていたところ、あそこを反対方向に歩けば助かったのよ。でもここまで来たら…ねぇ」
りん
「お前はいったいなんなんだ?」
「私はあなたのような馬鹿で騙されやすい人間の魂を集めているの。そうすることで、私は満たされる。でもまさか、あんな嘘でついて来るなんて、思わなかったけど。あんたの記憶を読んでついた嘘なんだけどね」
あははと、また声をあげて笑う。
「この道に来る人間は本当に少ないわ。なぜ来るのか、どこから来るのか、条件とかそんなのはわからないけど、でも世の中そんなもんでしょ?わからないことだらけよ。私はただ私を満たすために動いている。ただ、それだけ」
彼女がこちらに近づく。
歩いて来た道を振り返る。とにかくここから逃げなくてはーー
「えっ⁉」
道が無い。周りは闇に包まれていた。
「ここまで来たら無理よ、逃げ出すことなんてできない。諦めなさい」
瑞穂を守れれば死んでもいいと思った。だが、あの悲しそうな顔。あんな顔を見てしまっては死んでも死に切れない。
「こんなことでっ」
「騙されるあんたが悪いのよ」
首を掴まれ絞められる。息ができない。目の前が暗くなる。歪む口元が見えた。ああ、俺は本当に死ぬのか。
最後の、本当に最後の抵抗だった。震える手で左耳をー鈴を掴んで、思い切り引きちぎった。
ちりっと音を立て、鈴が砕けた。
「⁉」
鈴から蝶が溢れ出た。
「がっ⁉」
蝶が俺を包み込む。
「このっ!待てっ!」
ーー明広
声が聞こえる。
ーー頑張って明広
「があああああ!!!!」
目の前が真っ白になった。
気付いたら病院のベッドの上だった。
瑞穂が涙目で俺を見つめている。
「明広……?」
「お前だったのか…俺を呼んでくれたのは…ありがとう」
近づいて来た瑞穂をベッドの上で抱きしめた。
瑞穂の左耳で、イヤリングの蝶が揺れていた。