第18話 思い出ですぅ
高校生になって。
一人暮らしをして。
新しい友達が出来て。
行ったことのない場所に遊びに行って。
そんな日々がいつしか当たり前になり、そしていつしか僕の日常となっていった。
様々な“初めて”を得た僕の日常。
それが今の僕である。
何かを得れば、何かを失う。
その失われたものは今から過去へと姿を変え、表舞台から降りるのだ。
人、物、風景、思い出。
そんな様々なものに対して懐かしさを感じてしまったら、それは既に過去なのだ。
つまり高校生の僕から見た中学生の僕。
まごうことなき過去の自分。
僕の――思い出したくない過去の思い出である。
まぁ、思い出したくないとは言っても、傍から見たら何が?って思われるかもしれない。
だからこそ思い出したくないのだ。
――普通だから。
これでもかってくらい普通だから。
何の特徴もない。
一般ピープル部門代表。
実にリーズナブルな人生。
それが僕だったから。
三年間全教科オール3。
テストの順位もほぼ真ん中とか、真ん中辺りとかそう言う曖昧な表現ではなく“ど真ん中”。
趣味特技など他人より何か誇れるものがあるのかと言われても特になし。
容姿、性格も別に良くもなく悪くもない。
文化祭などの行事となると、しっかりと役割を与えられるが重役と言うほどではない。
クラスの中でも人気者と言うわけではないが、そこそこみんなと交流があるレベル。
ハリーポッターで言うネビル・ロングボトム程度の位置。
正に中途半端の極み。
それが僕こと藤森祐介である。
そんな何の変哲もない思い出をほじくり返されると、正直僕は泣きたくなるもんだ。
ここ最近、快晴の日が続いていた。
雲一つない、水色の絵の具で隙間なく塗り潰したような空。強烈な眩しい光と熱を放ち、人々の視界と水分を奪う太陽。
正に快晴である。
こんな日に海に遊びに行く人も多いだろう。
“絶好の海日和だ!!”
こんな日にプールに遊びに行く人も多いだろう。
“絶好のプール日和だ!!”
しかし、僕は違う。
僕は高校生でありながらも――主夫だ。
結婚してないけど。
結婚できる歳じゃないけど。
況してや相手なんていませんけどぉー!!
つまりはだ。
家のことは自分でやらなくちゃいけないんだ。
窓から眺めるそんな空の景色。
なぁんて“絶好の洗濯日和”なんでしょうか!!
グォングォングォングォン…。
「桜井さーん、そんなに洗濯機眺めて何が面白いのー?」
玄関付近にある洗濯機が音を鳴らして回っている。
今は大体脱水してる辺りだろう。
グォングォングォングォン…。
それをジーーーーッと見つめてるストレートロングヘアーのロリっ子幽霊こと桜井奈緒さん。
…何か首吊ってる人みたいにガックリ頭を下げてるけど。
まるで――幽霊。
いや、幽霊ですごめんなさい。
「ふ、ふふふ…」
「!?」
さ、桜井さんが…。
洗濯機を見ながら笑ってる…!?
不気味だ。
『あっはっはー』とか『きゃはっ』じゃなくて。
『ふふふ』と笑っている。
怪しい…。
怖い…。
でも可愛い…。
「楽しそう…」
え?
何が?
何が楽しそうなの?
洗濯物が?
「あたしも…、これの中に入ろうかな…」
「ストォーーーーップ!!」
バターになっちゃうぜ桜井さんっ!!
「よし、洗濯が終わる前に洗濯物を畳もうか」
「はいですっ」
そう言って、僕と桜井さんはベランダに出た。
僕は洗濯物はベランダに干している。
別に特に理由はないけど、強いて言えば部屋に干すと邪魔になるからである。
ただでさえ七畳一間の狭い部屋なのに、況してや今では二人(一人は幽霊)で生活してるのだ。
極力物は置きたくない。
ちなみに、桜井さんの洗濯物もあります…。
い、いや、別にそれ見てどうこうしようなんて考えてないよ!?
しょうがないでしょ!!
二人で暮らしてるんだから!!
別々にやるの面倒くさいの!!
………………フッ。
「あ、洗濯物を入れるカゴ忘れた」
「そうですね。あたし取ってきますよ」
「ありがとう。カゴはクローゼットの中にあるから」
「はーい♪」
桜井さんはそう言ってパタパタと部屋の中に入っていった。
うーん。
別にカゴいらなかったかな?
そんなに洗濯物多くないし。
僕はそう思いながらも、せっかく桜井さんがカゴを持ってきてくれるので、カゴが来るのを待つことにした。
いやぁ、しかし本当に良い天気だな。
夏ならではの快晴。
良いね!!
暑いけど。
「祐介さーん、これなんですかぁー?」
「これ?」
僕は振り向いて桜井さんが持ってるものを見る。
そして後悔する。
桜井さんをクローゼットへ向かわせたことに。
きっと僕の顔は、この澄み渡る青空と同じ真っ青になっているであろう。
僕の思い出が。
僕の過去が。
思い出したくない過去の思い出が。
今――桜井さんの手の中にあった。
ピー、ピー、ピー…。
洗濯機から発せられる洗濯完了を知らせるコールは、まるで僕からの救難信号のように部屋中に鳴り響いていた。
「卒業アルバム?」
とりあえず僕と桜井さんは洗濯物を畳んで仕舞った後、先ほど洗濯していた洗濯物を干し終えた。
その最中――と言うより、その終始、僕はきっと顔面蒼白だっただろう。
時折桜井さんに『大丈夫ですか?』と心配されていたし。
そして今、僕の卒業アルバムを挟んだ形で僕と桜井さんは向かい合っていた。
「これ、祐介さんの中学時代の卒アルですか?」
…そんなウキウキしながら僕を見ないで。
…そんな期待感全開で僕を見ないで。
「…うん」
「きゃーっ!!卒アルですぅ―!!しかも祐介さんの中学時代の卒アルですぅー!!きゃーっ!!きいやあああああ!!!」
“きいやあ?”
“きゃー”じゃないの?
「見て良いですかっ!?見ちゃって良いですかっ!?ねぇ祐介さんっ!!」
はぁ…。
僕の顔面が青空なら桜井さんの目は真っ赤な太陽だよ。
光りすぎ。
明るすぎ。
熱すぎ。
「嫌って言ったrrrrrrrrぁぁああああ!?ちょっと!!桜井さん!?何でもう見てるのぉおおおお!!!」
桜井さんは僕の返答に待ちきれず、表紙をめくっていた。
「ふふふ…、この先に、この先にぃ!!ショタ時代の祐介さんが写ってるんですね!?」
うひゃひゃひゃひゃと、桜井さん。
いや、それ去年撮ったやつだよ?
しかも写ってるやつのほとんどが中三の時のだし。
僕のショタ時代の思い出は闇に葬ったのだ。
「へぇー、学校の周りって結構木とかが多いんですね」
「僕の住んでた所『ド』が付くほど田舎だったんだ。だから周りに木とかしかない…じゃなくて!!」
じゃなくてだよ桜井さん!!
危ない危ない!!
桜井さんのペースに巻き込まれるとこだった。
「さ、桜井さん?僕さ、あんまり中学の卒アルを見られたくないんだよね…」
僕はうつ向き、苦笑いを浮かべながら言った。
「何でですか?恥ずかしいからですか?」
そんな僕を覗き込むように見る桜井さん。
見ないで桜井さん…。
僕は今作り笑いをするのに必死なんだから。
絶対変な顔してるんだから。
「う…ん、とにかく見られたくない…」
「祐介さん…」
あぁ…、桜井さんが哀れみの眼差しを向けている。
僕は、なんて情けないんだ。
チキンだ。
鳥だ。
藤“鳥”祐介だ。
「あたし、祐介さんのせいでSっ気が芽生えてきそうです…」
“きゃはっ”
「え?」
耳元で囁かれた桜井さんの言葉が、僕に恐ろしさを感じさせた。
「祐介さん、可愛いからついつい苛めたくなっちゃいますよ…」
そして僕は咄嗟に桜井さんを見た。
唇と唇が触れそうなほどの近い距離。
そんな近くにいる桜井さんは――。
笑っていた。
妖しく笑っていたのだ。
そして僕は悟った。
“死亡フラグが立った”
と。
「よぉーし、次のページいっちゃいますよぉー」
桜井さんは両手を上げて、意気揚々と言った。
「ははっ、は…」
もう僕は笑うしかできなかった。
もうどうにでもなれ…と。
ニコニコしてはしゃいでいる桜井さんを尻目に。
僕は軽い自暴自棄になっていました。
「祐介さんって中学の時から何も変わってないですね」
僕の卒アルを一通り見てご満悦な様子の桜井さん。
それに比べて僕は、心の中が満身創痍になっていた。
体は冷や汗でびっちょびちょ。
また洗濯物が増えるなぁ。
僕はそんな的外れな心配をするほど、どうでも良くなっていた。
「そんなに見られたくなかったんですか…?」
「ははは…」
そりゃあ…、見られたくないさ。
個人写真ではみんな笑顔で何かしらポーズをとって自分をアピールしているのに、僕は真顔にピースだけ。
体育祭や文化祭などの学校行事別の写真では、集合写真でしか写っていない。
僕が個別で写っている写真ならまだしも、友達と写っている写真すらない。
唯一僕が写っている修学旅行の写真なんて、トランプしていると言う、正に普通の極みのような写真。
つまり個性がないことが卒アルだけで十分証明されているのだ。
思春期の頃の僕にとってはそれだけで“鳥になりたい”と言う現実逃避の動機に匹敵する。
ごめんね桜井さん。
そんな『やべっ、やり過ぎたかも…』みたいな顔しないで。
僕がチキンだから悪いんだ。
僕に個性がないから悪いんだ。
僕が普通すぎるから悪いんだ。
「…祐介さん」
「ははは…、何桜井さん…」
「カメラありますか?」
カメラ?
カメラなんて、いきなりどうしたの?
「ははは…」
僕は情緒不安定になりながらも、一応デジカメは持っていたのでそれをクローゼットの中から取り出した。
「…よし」
桜井さんは徐にデジカメを手に取り――僕の隣にやって来た。
そしてデジカメをこちらに向けて。
「行きますよぉー。ハイ、チーズ」
桜井さんの合図と共にデジカメのフラッシュが光った。
「はは…、え?」
え?
桜井さん、今何したの?
と言うかどこでデジカメの使い方覚えたの?
いやいや。
どうして二人で写真撮ったの?
「桜井さん?」
「ありゃ?ブレてますね」
もう一回!!と、桜井さんは再度デジカメをこちらに向けて、
「行きますよぉー、良い笑顔してくださいねぇー。ハイ、チーズ」
と、シャッターを切った。
「祐介さん、もっと良い顔しないとダメですよぅ」
デジカメのディスプレイを見ながら桜井さんは口を尖らかす。
「桜井さん?何してるの?何で写真なんか…」
僕は桜井さんの行動に混乱していた。
しかし、桜井さんはそんな僕にニコッと笑い、
「過去に良い思い出を作れなかったら、これから作っていけば良いじゃないですかっ♪」
と、言った。
「アルバムにもあるように、写真は思い出作りにはもってこいです。だからあたしとの思い出作りに写真撮りましょー」
嫌なら良いですけど…と、桜井さんは小さな声で付け加える。
…あぁ、そうか。
過去の思い出が思い出したくないほど嫌な思い出なら、これから良い思い出を作っていけば良いんだ。
桜井さんのように。
幽霊になりながらも現世に残り、いろんな世界を見てみたいと言っている桜井さんのように。
ははっ。
わかりきっていることじゃないか。
そんなこと。
今までが普通なら――根こそぎ変えれば良い。
「桜井さん」
「何ですか?」
「ありがとう」
そしてごめんなさい。
「それじゃあ行きますよぉー、祐介さん良い顔してくださいねー。ハイ、チーズ」
パシャッ。
「どう桜井さん、良い写真撮れた?」
「はい、良い写真が撮れましたよぉ♪」
「どれどれ…」
「あら、これは良い写真だね」
「格好良く写ってますよ祐介さん♪」
「桜井さんも可愛らしい笑顔だね」
「きゃーっ!!可愛らしい頂きましたっ!!可愛らしい頂きましたぁ!!」
「…て言うかこれ心霊写真だね」
「はい♪」
「はいって…」
「あたしが祐介さんと一緒に写真を撮りたいと強く願った呪いの写真ですよぉ…」
「ははっ、それだったらこんな嬉しい呪いはないね」
「じゃあもっとたくさん呪いの写真を撮っていきましょう♪」
そんなデジカメのディスプレイに写る写真。
それは満面の笑みを浮かべている桜井さんと、お世辞にも格好良いとは言えない僕のぎこちない笑顔が写っている写真だった。