私の運命の人には、もう運命の人がいる
好奇心には勝てなかった。
父が集めたとある魔道具を一目見たくて、保管部屋に忍び込んだ。普段は危ないからと入室は禁止されている。こんなことがバレたらきっと怒られてしまうけれど、バレなければいい。
足早に進むと、微かに埃っぽいような、古めかしい匂いが鼻の奥をくすぐった。
さっと見渡すと、目的のものはすぐに見つけられる。
——これね。
部屋の奥、大事なものを隠すように、ひっそりと置かれたそれは、真っ黒な分厚い布を被せられ、ずり落ちないようにロープでぐるりと縛ってある。
運命の相手が映るという鏡だ。若かりし頃の父が手に入れて、この鏡に映ったのが母だったらしい。
二人の子の私から見ても、仲睦まじい夫婦だ。私も結婚するなら、運命の人がいい。
気合いと共に解いたロープはぽとと床に落ち、期待を胸に黒い布を持ち上げた。
縁は黄金の花で装飾され、埃一つない鏡面には少し頬の赤らんだ私の顔が映る。見慣れた翠の瞳が見えて、瞬きを数えること三度。鏡面が歪んだように見えたのは、それからすぐのことだった。
黒い渦を巻き、自分の顔が見えなくなった後、ぼんやりと微かに浮かび上がってきたのは人影のようなもの。
齧り付くように見つめた先に現れたのは、向かい合う男女の姿だ。
(え、男性と……女性? でもきっとこの男性が、私の運命の人なのね)
美しい金の髪を持ち、熟れた葡萄のような紫色の瞳。鏡の中、微笑みを浮かべる姿に惚れ惚れした。
こんなに格好良くて素敵な人。好きにならないわけがない。
彼の姿を目に焼き付けて、急いで鏡に布を被せた。元のようにロープでぐるぐる巻きにして、保管部屋を後にする。
やり切った達成感に思い切り息を吸い込むと、いつもより清らかな空気の味がした。
自室までは見咎められないよう、緩む頬を本で隠して歩いていたが、たどり着くや否や、本をテーブルの上に置く。小さく何度も飛び跳ねた。
「ふわあ……格好良い……! すっごく!」
早く彼を探さなくちゃ。それで、父と母のように、運命の恋をするんだから。
毎朝支度に使う鏡台に私の姿が映る。いつもより締まりのない顔、これがきっと恋する乙女の顔なのだと思う。
◆
運命の男性は、いくつかのティーパーティーと何度かの夜会に出席すると、すぐに見つけられた。
ハーバー家の伯爵令息ミロスラフ様というらしい。豪奢なパーティー会場でも見劣りすることのない、鏡で見たままの美しい姿に胸がときめいた。
ひとまず挨拶に伺おうと近づけば、彼は人気者らしく、たくさんの令嬢に囲まれている。
少しムッとしたものの、評判が良いことは決して悪いことではないはずだ。
そう言い聞かせて、令嬢の囲いを割って進む。
グラスを片手に談笑する姿さえ、彼の長身が映えて、惚れ惚れした。
「初めまして、ミロスラフ様。ハイリーデ家のサシャと申しますわ」
「ああ、あのハイリーデ伯爵の。お父上にはよくお世話になっているよ。初めまして」
もしかして、ミロスラフ様も私に運命を感じてくださったりするのかしら。
向けられた笑顔は紳士らしく、完璧で美しい。
にこやかな対応に心を躍らせながら、ちらりと、彼の隣へ視線をやった。
「あの、こちらの方は……?」
見目麗しい令嬢がすぐそばで微笑んでいる。たくさんの令嬢たちと比べて、一際距離が近くて、実はずっと気になっていた。
嫌な予感は的中した。
「ああ、僕の婚約者のアンジェラ嬢だ。どうか仲良くしてもらえると嬉しい」
そう紹介された彼女は、滑らかな桃色の髪を靡かせてはにかむように会釈した。
(どういうこと!? 私の運命の人なのに! すでに婚約者がいるですって!?)
そして気づく——あの鏡に映っていた女性と、同じ人物だと。
しかもだ。鏡で見たときにはミロスラフ様しか目に入っていなかったけれど、めちゃくちゃお似合いのカップルではないか。
お互いのことしか目に入っていない。
思いやるように見つめ合う二人の眼差しは、まるで自分の両親のように、理想的で。
二人の姿に思わず温かくなってしまった心を振り払うように扇子で口元を覆った。
(いいえ、もしかしたら騙されて、この女性に誑かされているのかもしれないわ……! だとすれば私をちゃんと見てもらって目を覚ましてもらわなきゃ。彼は、私の運命の人よ)
それからはもう、ミロスラフ様がいるところに私あり。
事あるごとに二人の間に入り込み、話しかけ、付け入る隙がないかと陰から覗く。
しかし見れば見るほど政略とは言い難く、二人は健全に愛し合っているように見えるのだ。
「な、何よ……どういうことなの。ミロスラフ様の運命の人は私なのに」
と、ブツブツと木の影から呟く。広い公園でのデートを見守っている、いや監視の真っ最中だ。こんなことも日常になってしまったが、無理やり別れさせることもできず、もうどうすればいいのかわからない。
そんな時だ。
「アンジェラ嬢に相応しいのはこの俺だ。誰だその男は……!」
すぐ隣から見知らぬ男の声が聞こえたものだから、あやうく声を上げそうになる。私がいるのは、ベンチに座るミロスラフ様を見守るためだけに陣取った大きな木の後ろだ。こんなところに人がいるとは思わなかった。
引き攣った喉を、口を押さえて耐え切った。
「え、あなた、誰なの!?」
そう詰め寄ると、その男も驚いたようだった。
赤い髪がのけ反っている。
「いや、お前こそ誰だ!?」
もちろん、どちらの声も極小である。
「わ、私は、サシャ・ハイリーデ。ミロスラフ様の……ええと、未来の妻よ!」
「なんだと!? じゃああの男は何なんだ! 俺のアンジェラ嬢を誑かして……!」
「なんですって!? あなたのアンジェラ嬢が、私のミロスラフ様を誘惑してるんでしょう!?」
吊り上げた眉は、どちらも譲らなかった。
埒があかないと、くいっと親指を立てて近くのベンチを指す。木の陰からのそのそと移動した二人は隣同士で座った。
ここからでも、ミロスラフ様とアンジェラ嬢の姿はちゃんと確認可能である。
仲睦まじい二人の様子を視界に入れながら、口を開いた。人目のつかない木の後ろ、そこで吐かれる悔しさ滲み出る言葉。心当たりがありすぎる行動は、立場は違えども、目的は似ているのだろうと簡単に推測できてしまう。共に簡単な自己紹介をすると、納得したように大きく頷き合う。
「あー、なんだ? つまり、サシャは魔導具に運命の相手だと言われたんだな? あの男を」
「ええ、そうよ。ヴィートはアンジェラ嬢に一目惚れだと」
「……悪いか!? 一目で運命だと感じたんだ! 言ってはなんだが君の魔導具の話も俺の一目惚れとそう変わらんからな!」
「ハア、何も言ってないではありませんか……けれど、目的は、一緒ですよね?」
にこりと笑って手を差し出す。
一瞬戸惑ったようなヴィートも、結局同じような笑みを浮かべてがっちりと握手を交わした。
私はミロスラフ様のために、ヴィートはアンジェラ嬢のために。
優秀な仲間ができたことで、一人では少々難しかったことも、容易にできるようになった。
ミロスラフ様とアンジェラ嬢を監視する時も、女一人でベンチに座っていれば声を掛けられたが、隣に男性の影があることで邪魔してくるものもいなくなった。
カフェにも入りやすく、極々自然にミロスラフ様の近くに行ける。同志の存在って、なんて素晴らしいの。
入ったカフェは新しくできたお店で、カップルに人気なのだという。女性が好みそうな白を基調にした店内に、華やかな花で彩られていた。提供されているケーキも可愛らしく飾られていて、聞けば味も良いのだとか。
「うーん。ここからが見えやすいかしら」
「そうだな。近すぎず離れすぎず良い距離だ」
そう言ってカフェのテーブル席に腰を下ろせば、ヴィートもまた席につく。向かいの席も空いているのに、なぜか隣の席だ。
「え! 隣じゃなくたって! あちら側に座ったらどう?」
「…………こちらからじゃなければ、アンジェラ様が見えないだろう?」
「……っ、でも四人テーブルで隣に座るのは少しおかしくはない?」
「いいや。アンジェラ嬢とミロスラフを見てみろ。平然と座っているだろう。全くおかしくない。それにこの位置の方が小声でも話しやすいだろう」
もっともだ。
冷静に周りを見ているヴィートに納得して頷くと、ケーキセットを注文しつつ再び仲良しカップルを見る。口の動きと表情をよくよく観察すれば、同志相手にどんなことを話しているのか妄想だって繰り広げられる。
「わあ、見て、ヴィート。絶対、今、ここのお店のケーキが美味しいって言ったのよ! 君のことを連れて来れて良かった、かしら。素敵な微笑み……!」
「サシャ、君はミロスラフのことにばかり気を取られすぎてる。よく見るんだ。アンジェラ嬢の方が美しいじゃないか。ミロスラフのことだけでなく周りのこともよく見たほうがいいと思うな」
小声でミロスラフ様を褒め称えれば、負けじとアンジェラ嬢を褒めてくる。
そのやりとりにも随分と慣れてしまった。
ふふ、と笑って、私のいちごタルトと紅茶に手をつけた。ヴィートのケーキは苦味のあるチョコレートケーキ。少しだけ羨ましく思いながら、優しい紅茶の香りと甘酸っぱいいちごを堪能していたから、一瞬、ミロスラフ様とアンジェラ嬢がこちらを見たことにも気づけなかった。
「ほら見てください、ミロスラフ様。あの二人……サシャ嬢と、ヴィート様ですわ。今日も仲が良くて微笑ましい」
「全くだ。互いに気を遣わない様子は、少し羨ましいと思ってしまうな」
「ふふ、最近はどこへ行っても彼らの姿を見かけますよね。よほどの愛がないと、相手のために時間を割くのは難しいでしょうに」
「ああ、その通りだ。僕たちのように、彼らも互いに愛し合っているんだろう。さあアンジェラ、次は僕のことも見てほしいな。今度はどこへ行こうか」
「まあ! 私が一番見ているのはミロスラフ様だとご存知でしょう?」
くすくすと笑い合う目線の先には、恋人のように隣に座る二人の姿があった。
◆
運命の人の邪魔をするのは、あまり上手く進んでいるとは言えなかったが、凹むことはなかった。
一緒に考えてくれて、行動してくれて、騒いでくれて、愚痴を言い合える同志がいた。
想い合う二人を引き離す悪人のようなことも、味方がいたから罪悪感も減っていたのだ。
同志となってから三ヶ月間、結構楽しい関係だったと思う。
だから、まさか、ヴィートがこんなことを言い出すとは思いもしなかったのだ。いや、少し考えれば、あり得ることだったのに。
「……もうこんなことは耐えられない」
神妙な顔でそう呟いたヴィートは、ミロスラフ様とアンジェラ嬢から目を逸らさずにそう言った。
今日の二人は、エスコートを楽しみながら、街歩きをしている。色々なお店を回る二人を真似して、私たちも怪しまれないように気をつけながら買い物を楽しむフリをしていた。
ヴィートの言葉にドキッとしたけれど、悲しいことに言いたいことはわかってしまう。
だって、彼らはいつだって、どんな時でもお互いのことを大事に思っている。常に行動で示してくる——私たちが付け入る隙など一切ないと、突きつけるように。
三ヶ月という時間は、やる気を削ぐには十分な期間だった。
「……ヴィートがいなきゃ、私も心折れてるかも。こんなに二人の仲を見せつけられて」
幸せそうな二人にずっと一人で立ち向かえるほど、私は強靭じゃなかった。
だからヴィートの存在は、心の支えにもなっていて。
感謝を伝えようとした私を遮るように、冷え切った低い声は、なおも続いた。
「君の運命の相手は、ミロスラフなんだろう?」
「ええ」
二人の姿を目に焼き付けるヴィートの顔は苦しげに歪んでいた。
自分は、そうではないと言いたげに。
「俺は、もう、やめる。二人を見守るのも、邪魔をするのも、君とここでこうして話すのも。……もうしんどいんだ。 ——君は、これからも続ければいい。俺の運命の相手は、アンジェラ嬢ではなかったんだ」
そう言って、ベンチの隣から立ち上がった。
「え、どうしたのよ急に。待ってったら」
伸ばした手も振り払われてしまえばもう、私に引き留める術はない。
私の相手は魔道具に導かれた運命だけれど、ヴィートの相手は、そうではないのだから。
遠ざかるヴィートの背中を、ただ見えなくなるまで見つめることしかできなかった。
それきり、ヴィートは来なかった。
ヴィートも良家の長男だ。外せない家の用事でもできたのだろうかと、一度、二度とヴィートが隣にいないまま二人の監視を続けたが、三度目の今日、とうとう認めることにした。
ヴィートは、アンジェラへの恋心を諦めることにしたのだと。
座った公園のベンチの隣は、いつまで経っても空席のままだった。
ヴィートの心はヴィートのものだ。心変わりを責めるつもりはないけれど、ただ、ずっと面白くない。張り合いもなくて、見せつけられる二人の甘さに充てられると惨めにもなる。
(最初に戻っただけよ。ヴィートがいてもいなくても、やることは変わらない)
幸せそうなミロスラフ様とアンジェラ嬢の間に入って、邪魔をして。
(……それで?)
ミロスラフ様と私が恋人になる。……本当に? あのアンジェラ嬢の代わりになって?
妙な胸騒ぎがずっと収まらない。
隣にヴィートがいない。それだけで不安になる。それが、私の不安を煽ってくる。
遠くでベンチに座るミロスラフ様とアンジェラ嬢は今日もまた仲睦まじい。
その様子を見ても、心は痛まないのに。
隣にいない同志には、心を掻き乱される。どうして?
私の運命の人は、絶対にミロスラフ様だった。
間違えない。私は絶対に間違えないの。幸せになるために。
気づけは、二人の監視を早々に切り上げて屋敷に戻り、魔道具の保管部屋を訪れていた。
迷うことなく真っ直ぐに足を進ませ、他の魔道具には目もくれず、黒い布で覆われた鏡に手を伸ばした。
ロープを解いて布を捲れば、また、鏡面がゆらりと揺れる。
現れたのは、前と同じ。公園で見つめ合う二人の姿だ。
「ミロスラフ様——と、アンジェラ嬢」
予想通りの結果には、フフッ、と乾いた笑いが口から漏れた。やっぱり見間違えじゃなかった。私の運命の人。
つ、と頬を何かが伝う。床に落ちたそれはぽたぽたと増えて、俯く私の顔が映った。醜く歪んだ眉と鼻筋は人に見せられるものではない。
私の運命の人には、もう運命の人がいる。
泣きたくなるような事実だけれど、心一つ動かされない。
何も思わなかった自分が悲しくて、運命の人が間違いじゃなかったことに胸を強く押し潰された。
——別に運命の人じゃない。ただのヴィートと話せないことがこんなにも苦しい。そんな私はきっと、どこかおかしい。
この日から私は部屋に閉じ篭もるようになった。
近頃は楽しそうに外へ出かけていた私の急な変化に、父も母も心配しただろう。
初めの数日こそ様子見してくれていた両親だったが、日を追うごとに、どうにか部屋から連れ出そうとアクセサリー店や菓子店、はたまた演劇に誘ってくれる。それらが申し訳なくて、余計に辛くなって、自慢の父と母のようにはなれないと落ち込むから、結局、全部を白状することにした。
勝手に魔道具を使ったことから、私が運命を受け入れられないことまで。
両親が揃った歓談室には私の気持ちを和らげるために少し甘さのあるミルクティーやクッキーが準備されていた。二週間ぶりに顔を見た両親はやはり理想の夫婦で、自分が情けなく思えるけれど、それでも逃げずに話せたと思う。辿々しい話を聞き終えると、父と母は顔を見合わせた。
「ああ……あれ、使っちゃったんだ? 布で隠しておいたろう?」
父は照れくさそうに頬を掻いた。運命の恋をした二人だからこそ、顔を顰めるくらいはされると思っていたから、拍子抜けた。たったそれだけで張り詰めていた気持ちがふっと軽くなる。
「どういうことですか……私は、あの魔道具でお父様とお母様が運命的な出会いをしたって、そう聞いたから」
だから真似をした。
私も、父と母のように運命的な出会いを、恋をしたいと思ったから。
「騙したわけじゃないんだ。あれは、本当に運命の相手を映してくれる鏡なんだよ。ほんと、魔道具って不思議だよねえ。それが面白いところでもあるんだが」
「ですが!」
「そう、ただ困ったことにね、運命の相手だけを映してくれるわけじゃなくてねえ。私が使った時も、なんと五人もの女性を映し出してくれてさ」
と父は今度こそ顔を顰めた。その隣で母は呆れたような顔を隠そうと扇子を開いた。丸見えなので、隠すそぶりだけだ。
「この人、片っ端から声を掛けるんですよ。その女性五人全員に。サシャも、こんな男、ひどい女たらしだと思うでしょう?」
私は目を丸くした。
その五人の中の一人が母だったのだろう。素敵な出会いとは言い難い。
強張った私の顔を見て、父がわざとらしく咳払いをした。そんな父を母が扇子で小突いている。
「誰が運命の女性なのかわからなかったからさ。忘れもしない、みんな冷たい視線だったなあ。ははっ、そんな中、君だけが私を怒ってくれた。運命だと思ったねえ」
「まあ」
私が見た鏡の中には、ミロスラフ様とアンジェラ嬢。木々に囲まれた公園の中で見つめ合う姿だ。
その背景に——木々に隠れるように赤髪を揺らすヴィートの姿があったとしたら?
そう思い当たって、安堵とともに頬が緩んだ。絶対ある、これまで一緒にいたのだから間違いない。
希望が見えて力が抜けた私の手を、父と母がそっと握ってくれた。
「そんな中途半端な魔道具だからね、隠しておいたのさ。それに、私にとっては運命の人だったけれど、私が君にとっての運命かどうかわからないし、知りたくもなかったからね」
父は母を愛おしげに見つめていた。
「ふふ、私は見てみたいと言ったのだけれど、この人が見せてくれないのよ、酷いでしょう?」
非難するようなセリフも母の微笑みを見れば、惚気に見える。
仲が良い両親を見ながら、一つ心に決めた。
もう鏡に惑わされたくはないから、答えは見ない。ロープはもっと頑丈に縛っておこう。
明日は、二人を見守る木陰ではなく、ヴィートの元へ会いに行く。
◆
時は少し遡り、ヴィートがアンジェラ嬢とミロスラフの逢瀬に立ち会わなくなって、数日後。
ヴィートは、ぽっかりと胸に穴が開いた気分だった。そんな心を紛らわすかのように、部屋の窓から外を見るのが日課になってしまっている。
「今日も、あいつは監視しに行ってるんだろうな。好みの男をこっそり眺めに行っているようなもんだが」
頭の中に浮かぶのはコロコロと表情が変わる、ヴィートの同志。同志だったサシャのことだ。
一目惚れしたアンジェラ嬢とどうにか親しくなりたくて、様子を窺っていた時に出会った彼女。
アンジェラ嬢とミロスラフが手を繋げば、羨ましいと力任せに肩を掴んできて。
次の約束を取り付けているのを見れば、半強制的に次回の監視に巻き込まれた。
気になっているアンジェラ嬢が他の男と仲睦まじく過ごしている様子を見せられても、落ち込まなかったのは、サシャのおかげだった。
今ではアンジェラ嬢の顔より、サシャの表情の方が鮮明に思い出せる。
残酷なものだ。自嘲気味に鼻を鳴らす。
「サシャの運命の男は、ミロスラフだからな」
いつだってサシャの視線の先にはミロスラフがいる。
立ち居振る舞いがどんなに素晴らしくて、アンジェラ嬢に向ける穏やかな視線がどんなに尊いか。そんな話を聞かされるたびに、憂鬱な気持ちになったのはいつ頃からだっただろうか。
カップルに人気のカフェで隣に座っても、ケーキを一口もらっても、サシャはヴィートを意識しない。男として。
『もうこんなことは耐えられない』
『……ヴィートがいなきゃ、私も心折れてるかも。いつだって二人はお互いのことを大事に思ってるの伝わってくるもの』
返ってきた答えに、違うと言ってしまいたくて、自分の手のひらに爪を立てた。
『君の運命の相手は、ミロスラフなんだろう?』
『ええ』
その答えがここまで深く心を抉るとは思っていなかった。
『俺は、もう、やめる。二人を見守るのも、邪魔をするのも、君とここでこうして話すのも。……もうしんどいんだ。 ——君は、これからも続ければいい。俺の運命の相手は、アンジェラ嬢ではなかったんだ』
心のままに吐き出した思いを、サシャは悲壮な顔で受け止めていた。
今、心の中を占めるのは君なのだとは告げられない。
同志のままでいられなくてすまないと、謝ることすらできない狭量な自分を許してほしい。
「君の運命を、壊したいわけじゃないんだ」
ヴィートは窓に映る顔を見る。
ミロスラフのような、温かさも、格好良さも、愛情深さも感じられない表情に舌打ちした。
「けど、羨ましいと思ってしまうから。サシャの目を俺に向けさせたいなんて。浅はかにも。……ハッ、本当に、俺は見る目がないな」
今、落ち込んだ自分を拾い上げてくれる彼女は、隣にいない。
それが悔しくて、辛くて。
こんな運命なら無くなってしまえばいいのに、と心の底から湧き出た思いを噛み潰した。
だから、目を輝かせたサシャが目の前に現れるなんて、思っていなかった。
サシャと会わなくなってから数週間後のことだ。
屋敷の前で、馬車から降りた時、声が聞こえた。幻聴にも思えた。聞きたくて焦がれた声だった。
「ヴィート!」
目に入る全てを見逃すまいと大きな瞳を見開いて、柔らかな頬を少し紅潮させて、サシャが他の誰でもないヴィートの名を呼ぶ。
あの顔は、ミロスラフを見つめる時の顔ではなかったか。
そのサシャの瞳に自分が映っている。
泣くものか、と熱くなった目頭を押さえてから両手を広げた。
胸に飛び込んできた温もりを、夢から醒めないように、ぎゅっと抱きしめた。
お読みいただきありがとうございます!
この後の妄想ですが。往来にもかかわらず思わず抱きしめてしまった二人は我に返って硬直しそう。
「あらまあ若いわねえ」と通行人の温かい眼差しを受け、慌てまくったり。
その横を、ミロスラフとアンジェラが乗った馬車が通り過ぎていったり……。アンジェラもたぶんにこやかに言ってますね「あらまあ」




