薔薇の断罪、その後に咲く王冠
第一章 悪役令嬢、断罪される
「レティシア・フォン・ローゼンクロイツ! 貴様との婚約をここに破棄する!」
王立学院卒業記念舞踏会。
シャンデリアの輝く大広間で、第一王子アルフレッドの声が高らかに響いた。
音楽が止まる。
貴族たちの視線が一斉に向けられる。
向けられた先にいるのは、公爵令嬢レティシア。
白銀の髪と紅い瞳を持つ、王国随一の才女として知られる女性だった。
だが今、その肩には「悪役令嬢」という不名誉な名が乗せられている。
「どういうことでございましょう、殿下」
レティシアは静かに問い返した。
その態度が気に入らなかったのか、アルフレッドはさらに声を荒げる。
「まだ惚けるか! お前は聖女候補クラリスに嫌がらせを繰り返していたではないか!」
王子の隣には、一人の少女が立っていた。
栗色の髪。
大きな瞳。
儚げな美貌。
平民出身ながら聖女の力に目覚めた少女クラリスである。
クラリスは涙ぐみながら首を振った。
「アルフレッド様……もうよろしいのです……」
「よくない!」
王子が叫ぶ。
「君は優しすぎる!」
周囲の貴族令嬢たちも頷いている。
すでに空気は出来上がっていた。
レティシアが悪。
クラリスが善。
そう結論付けるための舞台だ。
レティシアは内心でため息をついた。
愚かだ。
あまりにも愚かだった。
クラリスが学院へ来たその日から、彼女は違和感に気付いていた。
偶然にしては出来過ぎた出来事。
都合良く現れる目撃者。
都合良く流れる噂。
誰かが裏で糸を引いている。
そう考える方が自然だった。
だがアルフレッドは違った。
完全にクラリスへ夢中だった。
「証拠もあります!」
一人の男爵令嬢が出てくる。
「私は見ました! レティシア様がクラリス様の教科書を池へ投げ捨てるところを!」
続いて別の令嬢。
「私も見ました!」
さらに別の生徒。
「私も!」
次々と上がる証言。
だがレティシアには分かっていた。
その全員が最近になって急に羽振りが良くなっていることを。
買収されている。
しかし今さら言ったところで意味はない。
民衆は真実よりも物語を好む。
悪役令嬢が聖女をいじめる。
それは実に分かりやすい。
だから信じられる。
「何か言い訳はあるか?」
アルフレッドが勝ち誇った顔で問う。
レティシアは少しだけ考えた。
そして答える。
「ございません」
会場がざわめく。
認めた。
そう受け取られた。
だが違う。
説明する価値がないのだ。
「そうか。ならば決まりだ」
アルフレッドは高らかに宣言した。
「レティシア・フォン・ローゼンクロイツを国外追放とする!」
歓声が上がる。
クラリスは涙を流していた。
しかしその口元が、ごく僅かに笑ったことに気付いた者はいない。
レティシア以外は。
(なるほど)
そこで彼女はようやく全てを理解した。
これは恋愛劇ではない。
政争だ。
クラリスはただの駒。
本当の黒幕は別にいる。
そしてそれは王家の中にいる。
レティシアはゆっくり頭を下げた。
「承知いたしました」
誰もが敗北者を見る目を向ける。
しかし彼女だけは違った。
静かだった。
落ち着いていた。
まるで何も失っていないかのように。
その理由を、王都の誰も知らない。
王国経済の六割。
主要交易路の整備。
穀物供給網。
魔導具生産。
それらの実務を担っていたのは、実はレティシアだったのである。
貴族たちは知らない。
王子も知らない。
彼女を追放した瞬間、自分たちの首に縄を掛けたことを。
レティシアは最後に王子を見た。
アルフレッドは満足そうだった。
クラリスも満足そうだった。
だから彼女は微笑む。
ほんの少しだけ。
その笑みに、アルフレッドは寒気を覚えた。
だが気のせいだと考えた。
その時はまだ。
自らが地獄の入口へ立ったことを知らなかったのである。
第二章 追放令嬢は辺境へ向かう
王都を去る馬車の中。
窓の外には灰色の空が広がっていた。
公爵令嬢だったレティシアは今や罪人扱いである。
本来なら泣き崩れてもおかしくない状況だった。
だが彼女は書類を読んでいた。
「お嬢様……」
向かいに座る侍女エレナが不安そうに声をかける。
「なんでしょう」
「本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫ではありませんね」
即答だった。
「ですが困ることもありません」
「え?」
「もともと王都が好きではありませんでしたから」
エレナは目を丸くした。
レティシアは窓の外を見た。
学院。
王城。
社交界。
どれも面倒なものばかりだった。
むしろ問題は別にある。
(予想より早かったわね)
敵が動いたのだ。
まだ何年か先だと思っていた。
しかし王太子派は早急にローゼンクロイツ家を排除したかったらしい。
つまり。
それだけ追い詰められていた。
「面白くなってきたわ」
レティシアは小さく笑った。
辺境領ベルグラード。
王国最北の地。
雪と岩山に囲まれた貧しい土地だった。
だが領民たちは驚愕した。
追放された公爵令嬢が到着したその日から街が変わり始めたのである。
「まず道路を整備します」
「ですが予算が……」
「あります」
「どこに?」
「私が持っています」
誰も知らなかった。
レティシアが十六歳の頃から匿名で商会を運営していたことを。
国内最大級の商会。
ローザ商会。
実は彼女個人の資産だった。
その規模は王侯貴族すら超えていた。
資金は無限に近い。
人材もいる。
情報網もある。
つまり。
辺境開発を妨げるものは何も無かった。
半年後。
王国北部最大の街が完成した。
一年後。
鉄道に似た魔導輸送網が誕生した。
二年後。
ベルグラードは王都を超える交易都市になっていた。
そして王都では。
異変が始まる。
「何だと!?」
王太子アルフレッドは机を叩いた。
財務大臣が青ざめている。
「税収が二割減少しております」
「なぜだ!」
「主要商会が次々と北部へ移転を……」
アルフレッドは理解できなかった。
王都こそ繁栄の中心。
それが当然だった。
しかし現実は違う。
商人は利益を追う。
レティシアが築いた税制。
流通システム。
保険制度。
それらが圧倒的だった。
王都で商売する理由がなくなったのである。
「そんな馬鹿な」
さらに報告が続く。
食糧不足。
失業者増加。
職人流出。
工房撤退。
アルフレッドの顔色は青を通り越して白くなっていた。
その夜。
クラリスは一人でワインを飲んでいた。
聖女らしからぬ姿だった。
「使えないわね」
誰もいない部屋で呟く。
本来の彼女は清純でも優しくもない。
貧民街出身。
生きるために他人を利用し続けてきた女だった。
「せっかく追い出したのに」
予想外だった。
レティシアは没落するはずだった。
絶望するはずだった。
なのに。
さらに巨大になっている。
それどころか王国の経済まで握り始めていた。
「本当に邪魔」
クラリスの瞳から聖女らしい光は消えていた。
そこにあったのは欲望だけ。
権力。
金。
地位。
そして王妃の座。
そのためなら何人犠牲になろうが構わなかった。
しかし。
彼女は知らない。
既に一人の男が真実へ近付いていることを。
宮廷魔導師団長。
ユーリウス・フォン・シュタイン。
冷静沈着。
王国最強の魔導師。
そして学院時代からレティシアを高く評価していた人物。
彼は独自に調査を続けていた。
理由は単純だった。
不自然すぎたからだ。
レティシアが嫌がらせをする。
そんな姿を一度も見たことがない。
むしろ彼女は問題解決に追われていた。
だから調べた。
すると出てくる。
出てくる。
出てくる。
偽証。
賄賂。
脅迫。
証言捏造。
そして。
聖女候補クラリス名義の秘密口座。
「なるほど」
ユーリウスは冷たく笑った。
「随分と大物だ」
資料は膨大だった。
だがまだ足りない。
黒幕がいる。
彼は確信していた。
クラリス程度ではここまで出来ない。
もっと上。
王家に近い人間だ。
三年後。
王国は未曾有の危機を迎える。
大干ばつだった。
農地が枯れる。
川が干上がる。
食料価格は十倍。
各地で暴動。
そして。
唯一豊作だったのがベルグラード領だった。
レティシアが数年前から整備していた巨大灌漑設備が機能したのである。
王都。
緊急会議。
国王は疲れ果てていた。
「レティシア殿へ支援を求める」
沈黙。
誰も反対できない。
今や彼女は国家より豊かだった。
数週間後。
レティシアが王都へ戻ってきた。
断罪以来初めてである。
街の民衆は歓声を上げた。
「レティシア様だ!」
「救世主だ!」
「あの方が来てくださった!」
アルフレッドは顔を歪めた。
かつての婚約者が。
今や自分より圧倒的な支持を得ている。
その現実が耐え難かった。
謁見の間。
レティシアは国王の前に立つ。
誰一人彼女を見下していない。
むしろ恐れていた。
「条件があります」
静かな声。
しかし逆らえない圧力があった。
「申してみよ」
「第一王子アルフレッド殿下の継承権剥奪」
場が凍る。
「第二にクラリス・エヴァンスの拘束」
さらに沈黙。
「第三に王国監査権の付与」
国王は額を押さえた。
だが選択肢はない。
数百万人が飢えようとしている。
断れない。
「……受け入れよう」
その瞬間。
アルフレッドは立ち上がった。
「待て!」
叫ぶ。
「こんな女の要求を聞くのか!」
レティシアは初めて真っ直ぐ彼を見た。
昔は愛していた。
本気で。
だが今は違う。
何の感情も無い。
石ころを見るような目だった。
その視線が何より残酷だった。
アルフレッドは悟った。
自分は完全に終わったのだと。
その後行われた公開裁判で全ての真実が暴かれる。
クラリスの罪。
証言捏造。
賄賂。
反逆。
隣国との内通。
そして黒幕。
黒幕は国王の弟。
第二王弟ギルバートだった。
王位簒奪計画。
国家転覆。
全てが白日の下に晒された。
民衆は激怒した。
広場は怒号に包まれる。
クラリスは泣き叫んだ。
しかし誰も同情しない。
アルフレッドも必死に弁解した。
「私は騙されていただけだ!」
すると一人の老人が叫んだ。
「レティシア様は何度も訴えた!」
続いて別の声。
「聞かなかったのはお前だ!」
さらに。
「人を見る目が無かっただけだろう!」
無数の非難。
アルフレッドは膝から崩れ落ちた。
彼は被害者ではない。
愚かな加害者だ。
その事実を突きつけられたのである。
裁判後。
人気のない庭園。
アルフレッドは最後にレティシアを呼び出した。
夕日が沈む。
昔、二人で歩いた場所だった。
「レティシア」
「何でしょう」
「私は本当に愚かだった」
「そうですね」
否定しない。
「もし時間を戻せたら……」
「戻りません」
即答。
その言葉が刃のように刺さる。
「私はかつて殿下を愛していました」
アルフレッドの瞳が揺れる。
「ですが殿下は一度も私を信じませんでした」
沈黙。
「愛とは信頼です」
レティシアは穏やかに言った。
「それが無い時点で終わっていたのです」
アルフレッドは泣いた。
初めて泣いた。
権力を失ったからではない。
地位を失ったからでもない。
本当に大切なものを自分で壊したからだった。
数年後。
第二王子エドワードが新国王として即位する。
王国は急速に復興した。
中心にいたのはレティシアだった。
民衆は彼女をこう呼ぶ。
「薔薇の宰相」
王を支える存在。
王国最大の功労者。
そして伝説の女性。
ある日。
王城のバルコニーでエドワードが尋ねた。
「後悔していませんか?」
レティシアは空を見る。
青空だった。
「何をですか」
「断罪されたことを」
少し考え。
彼女は微笑んだ。
「いいえ」
もし断罪されなければ。
辺境へは行かなかった。
領民とも出会わなかった。
今の仲間たちもいない。
何より。
本当の自分の力を知ることはなかった。
「人生は面白いものですね」
風が吹く。
薔薇色の髪が揺れる。
かつて悪役令嬢と呼ばれた少女は。
誰よりも幸福な未来を手にしていた。
そして彼女を陥れた者たちは。
己の愚かさによって滅んだのである。
第一部 完




