【第三話】
「ぎゃあああ……なんやのさっきから……ん?」
自分の叫び声で目を開けた瞬間、リサは自分がどこにいるのか分からなかった。
「地面……じゃない……」
天井と壁は見慣れた白、ほこりと体に馴染んだ劇場の匂い。
「あれぇ? ここ……楽屋?」
どうやら自分は床に大の字になっているらしい。
のろのろと体を起こす。床に無造作に置かれた白いトートーバッグが目に飛び込んできた。丸めた台本とペットボトル、スマホがはみ出ている。
間違いない。さっきまで立っていた劇場の楽屋だ。
「夢? それとも……あたし、ドラゴンにやられて死んだとか!?」
ついさっきまで、火を噴くドラゴンの前で剣を振り回していたはず。ドラゴンを追い払いはしたけど、駆逐するには至らなかった。ひょっとしたら、業火に焼かれてしまったのかもしれない。
「おー、リサ、起きたか」
間の抜けた声に振り向くと、ソファに寝転んだ相方がいた。
「リュージ」
思わずじろじろ見てしまう。
甲冑でもローブでもなく、いつものよれたグレーのパーカーに穴の開いたデニム姿でスマホをいじっている。
「……ちょっと待って。あたし、夢見てた? 何か叫んだ?」
「ちゃうちゃう。ちゃーんと異世界行って、びしーっとドラゴン追い払って、俺と一緒にこっち戻ってきた」
「なんでそんなサラッとまとめてんの!」
リサが言うと、リュージはゆっくり体を起こして肩をすくめた。
「帰還ポイントがここなんや。行き来するのに便利やろ」
「便利ちゃうわ!」
思わずツッコんだ瞬間、胸の奥がひくりと震えた。久しぶりに、手応えのあるツッコミだった。
リュージが顔を上げ、目を細めてにっと笑った。
「今のツッコミ、ええ感じやんか」
リサは思わず大笑いしてしまう。
「リュージ、なんでそこで盛大なドヤ顔してんの」
「決まってたか?」
「うん」
涙が出るほどに笑いながらリサは気づいてしまった。
さっきまでの不安や疑念が、ほんの少しだけ薄れていることに。
この相方となら、まだまだ一緒にやっていける――と思ったのだが!
「ちょっと待って?」
思わずリサは、片手をあげて真顔になった。
「ん?」
「……今、しれっと変なこと言ったよね? 行き来するのに便利って」
「おう」
「行き来、ってなに!? というか、リュージはあのへんな世界のことよく知ってるわけ?」
思わず本来の標準語で叫ぶリサにむかって、よー知っとんで、とリュージは何でもないことのように頷く。
「なんで!? あの世界はなに?」
「ナニ……異世界?」
「は!?」
「俺は、とある条件を満たすと、異世界にスルッと転移できるんや。そこでまぁ、なんやらかんやらばーんと稼いで、ほいで、こっちへサッと戻ってくる。簡単やろ」
「さっぱりわからんわーっ!」
べちん。リュージの左側頭部を思わずどついてしまった。
「リサ、今日はツッコミ絶好調やな」
「……板の上ならもっとよかったけどねぇ……」
「安心せぇ、今日の出番はこれからや」
はい!? とリサは目と口をまん丸にして今度こそ動きを止めてしまう。そんなリサを見ながらけらけら笑うリュージは、スマホの時計を見せてきた。
確かにそこには『今日一度経験したはずの時間』が表示されている。
「……てことは? あたしたちこれから、舞台に立つの?」
うん、とリュージが頷く。
「それでな、バグがどこまで解消されたかわからんから――。俺が、異世界っちゅー単語を出したあとは、念のため、なんでやねん! は禁止や。なんでやねん、が、諸々を引き起こすトリガーなんや」
なんでやねん、と叫びかけたリサの口を、リュージが慌てたように塞いだ。
「違う! また飛ばされたいんか!」
「んぐーっ!」
「ええか、今からもう一度ドラゴン退治はしんどいで」
「……たしかに剣振るより、声張る方がずっと楽だった」
まぁ俺は前衛ちゃうからいつでも行けるんやけどな、とリュージは笑う。
「あれか、あたしの異世界でのジョブが騎士ってことなのか」
お姫さまや聖女が良かったな、と内心ちょっとだけ思うリサである。
「せやから落ち着いて……今からやることは、ネタの練習や。異世界ネタのな」
リサは必死の形相で首を横に振った。なんでやねん、という単語で諸々引き起こされると聞いてしまったからには迂闊にツッコめない。
そもそも、異世界行きたい、などという妙なネタは打合せした覚えがない。
ふんがー、むんがー! と暴れるリサをリュージが取り押さえる。
「出番までまだ一時間くらいあるから、俺らなら、なんとかなるやろ」
な? と、耳元でささやかれ、思わずリサの動きが止まる。さらり、ポニーテールの黒髪が揺れる。
「……しょーがないなぁ……やりますか。オーソドックスなツッコミを封じた漫才……か……」
リュージに拘束されたまま、リサが、うーん、と唸りながら腕を組んで天井を睨む。
「その顔や。その顔で標準語のリサは……本気モードや」
嬉しそうにリュージが呟いたことに、リサは気付かなかった。
そして今日二度目の「夜の部」。
鼻息荒く舞台に立ったリサは――なぜか、舞台上でドラゴンとの大立ち回りを演じていた。
客席は大受け、笑い声が絶えることがない。
「ドラゴンがな、あたしに向かってぐあーっ! 炎を吐くから、思わず叫んだわ。リュージ、あたし異世界におるんやけど助けてぇ! て!」
「な、なんでやねん! そこで俺を呼ぶ必要あるか?」
瞬間、リュージとリサの「あーっ!」 という声が重なった。
前回同様、足元が消える。
スポットライトも、客席も、全部が全部、遠ざかっていく。
ただ、前回と違ったのは――。
「リサ!」
ばたばた暴れるリサの手を、リュージがしっかり握ってくれた。
「大丈夫、あっちでちょっとバイトするだけや!」
何が大丈夫なんだろう、とツッコむ気力すらわかないリサであった。




