8. 目的地に向かう
取引所に入ると、いつもの窓口にセイラさんの姿が見えた。
対応中のようだったが、ちょうど一組の攻略者とのやり取りを終えたところだったので、一応挨拶に向かうことにする。
外の店舗は混雑しているようで、賑やかな声が遠くから聞こえてくるが、帰り際の攻略者が寄る受付カウンターには、まだ数人しかいなかった。
「セイラさん、お疲れ様です。受付は……まだこの時間はそれほど混んでいないんですね」
俺が声をかけると、セイラさんは手元の書類をさっと片付け、こちらに明るい笑顔を向けた。
「あら、陽向くんにマスター。それに……雪ちゃんまでいるじゃない!この3人は、すごく久しぶりなんじゃない?」
「セイラさん、お久しぶりです!お会いできて嬉しいです!」
雪がぱっと笑顔を浮かべて、一歩前に出る。
セイラさんとは初対面のときから妙に気が合っていたようで、今でもメッセージアプリでたまにやり取りしていると聞いたことがある。
「私も雪ちゃんに直接会えて嬉しいわ。また少し身長が伸びたんじゃない?」
「そうなんです……もうこれ以上伸びなくていいんですけどね。服がすぐ合わなくなるし……」
苦笑しつつも、まんざらでもなさそうな雪。
二人の間に柔らかな空気が流れる。
そこへ、マスターが俺の耳元で小さく囁いた。
「……陽向君、俺は久しぶりだから備品がいろいろ足りてなくてね。よければ、一緒に行かないか?」
「確かに、それが良さそうですね。女子トークに割って入るのも気が引けますし」
見れば、すでに雪はセイラさんと楽しそうに話し込み始めていた。
新しい魔法装備の話だとか、最近の任務のことだとか、話題は尽きない様子だ。
どうやら、彼女が「取引所に行きたい」と言っていた本当の理由は、セイラさんと直接会って話すことだったらしい。
ちらほらと他の攻略者たちも雪の存在に気づき始めているが、セイラさんと談笑しているその姿に、声をかけに行こうという猛者は今のところいない。
(まぁ、あの空気じゃ近付くのも躊躇するよな……)
俺は苦笑しながら、マスターと並んで取引所のすぐ外にある店へと足を向けた。
さて、いきなり遺跡型ダンジョンに挑むことになった俺たちだが、パーティーには必須級といわれる回復役がいない。
そのため、回復系のポーションは全員が最低限持っておくべき装備品となる。
今回は俺、マスター、そして雪の3人編成。
いずれも攻撃寄りの構成で、バランスが良いとはとても言えない。
だが、逆に言えばそれが突破力の高さにつながることもあるのだが……。
ただ、この手の構成では、自然と消耗品にかかるコストが増していくのが厄介だ。
普段ソロで挑んでいる俺にとって、こんなことを考える機会はなくなって久しいが、人数が増えれば増えるほど得られる金額が少しずつ減ってしまうことになる。
人数が増えれば安全性は上がるが、そのぶん報酬は割れるのだ。
命を取るか、稼ぎを取るか――考え方は人それぞれである。
「……こんなもんでいいか」
取引所近くにある、何でも揃うが売りの大型店で、マスターが買い物かごにポーションを放り込んでいく。
中身は、下級回復ポーションが3本と、中級が1本。
わりと控えめな量だ。
「あれ?今日は最初から遺跡に挑むんですよね?それだけで大丈夫ですか?」
そう尋ねると、マスターはちらりと俺に視線を向け、口元を緩めた。
「今日は雪お嬢ちゃんがいるんだろ。あの子が同行者に怪我をさせるような立ち回りをするとは思えないからな」
「……まぁ、言われてみれば、確かにそうなんですけど」
俺が曖昧に返すと、マスターは笑いながら言葉を続けた。
「初めて一緒に潜ったとき、あの子が自然と魔法で敵を誘導してな。俺が攻撃に集中できるように位置取りを調整してくれていた。……十代の女の子が、あんな動きするか、普通?」
「そんなことも、ありましたね……」
「あぁ、あの子は“強い”だけじゃない。“戦い方を知ってる”んだよ」
マスターはそう言ってから、最後にポーションの棚から一本だけ小瓶を取って、かごに追加する。
「これは?」
「……保険だよ。お嬢ちゃんがどうこうじゃなくて、俺自身が年を取りつつあるからな。あまり無理はできん」
「そんなこと言って……動きだけなら今でも前線レベルじゃないですか」
「それはお前の目が鈍ってるだけだ」
「えっ、マジで?」
「冗談だよ。……半分な」
軽口を交わしながらも、俺たちはしっかりと準備を進めた。
「さぁ、俺は会計を済ませてくる。時間がかかりそうだから、陽向君は他の商品でも見といてくれ」
「はい、分かりました」
時間がかかりそうだというのも無理はない。
今のご時世、コンビニやスーパーでもほとんどがセルフレジで処理されているが、この攻略拠点では逆行するように、ダンジョン内部の会計はすべて人力で行われているのだ。
とはいえ、これも完全に理由がないわけではなく、あくまで公にはされていないというだけの話だ。
レジ係が初心者の相談役も兼ねているとか、そもそもレジ機器を持ち込めないだとか、あるいは――あくまで噂だが、人の目を通すことで“妙なアイテム”の流通を防いでいるなんて話もある。
理由は一つではなく、どれも少しずつ当たっているのかもしれない。
ともあれ、マスターが向かったのは昔ながらのカウンター。
ポーションの瓶を丁寧に並べ、お会計担当の女性と軽く言葉を交わしている。
俺は言われた通り、剣が展示されたショーケースの並ぶ一角をぶらつくことにした。
この店は品揃えが豊富で、俺が今使っている剣も、アイテムポーチも、全部ここで手に入れたものだ。
ショーケースの中には、明らかに今の自分には扱いきれない高級品も並んでいる。
それでも、見るだけで十分楽しい。
こういう“手が届かない”ものに憧れを抱けるうちは、まだ成長の余地がある――そんな気がするのだ。
「いたいた。……あれ、お兄ちゃん、その剣が欲しいの?」
「おっと、雪か。……あぁ、まぁな。ただ、今の俺の実力には不相応だから眺めてるだけで良いんだ」
セイラさんとの話を終えたのだろう。
どこか上機嫌な様子の妹が、いつの間にか隣に立っていた。
話しかけられるまで気づかなかったのは、俺がそれだけ集中して見入っていたからだろう。
「へぇ……けっこう渋いデザインだね。でも似合うかも。お兄ちゃんの今の剣よりは、断然こっちのほうが見た目はいいよ?」
「見た目で選ぶなよ。まぁ、使いこなせれば、だけどな……」
買ってくれと頼めば、雪なら簡単に買ってくれるのかもしれない。だが、俺はそれを望んではいないし、妹もそれを分かっている。
だからこそ、そういう“余計なこと”は口にしない。
「あぁ、お待たせ。雪お嬢ちゃんも合流していたか」
袋に入れられたポーションを手に、マスターが戻ってきた。
「お兄ちゃん、さっきの剣の前でずーっと立ち止まってたの。案外物欲強いかも」
「……うるさい」
「ふふっ、冗談だよ」
軽口を交わす俺たちを、マスターはどこか微笑ましそうな表情で見守っている。
「……じゃあ、みんな準備はいいようだし、行きましょうか」
「うん。それとセイラさんから伝言!南ルートの方が、今日は早く着けるって」
「おぉっ、それはありがたい。さすがセイラさんだな」
セイラさんの言葉なら信頼できる、とマスターも頷く。
俺も異論はない。
迷わず南ルートを選ぶことにした。
この攻略拠点から見て南西に位置する遺跡型ダンジョンへは、西ルートと南ルートの二つの経路がある。
一見すると地図上では西のほうが近く見えるのだが、実際にはその分だけ他の攻略者たちとルートが被りやすく、渋滞のように混雑してしまう。
午前中よりは空いているとはいえ、道幅が狭く、魔物の警戒が必要なエリアで複数のパーティーが歩けば、進行は自然と遅くなる。
俺も一応、ゲーム会社が発行している公式地図や攻略本を持ってはきているが、この周辺はもうすっかり頭に叩き込まれている。
何しろ、ここは今の俺の“ホーム拠点”なのだ。
ルート上には戦闘を求めて寄り道するパーティーや、休憩がてら脇道にそれるグループもいるが、俺たちの目的はこの道中ではない。
ただ通過するだけでいい。
(この周辺の魔物は、これだけ人が出入りしていればほとんど狩られてるだろう。無駄な戦闘は避けて、最短で抜けたい)
俺の頭の中に入った地図とそして経験を頼りに、時には整備された道を外れて森の中をショートカットしながら、俺たちは一定のスピードで南ルートを進んでいく。
結果として、それが正解だった。
小走り程度の速さで一時間足らず。
遠くに黒ずんだ石造りの外壁が見えてくる。
木々の隙間から覗くその姿は、自然の中に突如として現れる人工物として、異様な存在感を放っている。
目的地――遺跡型ダンジョンの入口だ。
「ふぅ、思ったより早く着けたね。いいペースだった」
「ちょうど、前のパーティーが第1階層に入ったばかりみたいだね」
「列もできてないし、良きタイミング、だろう」
俺たちの目の前には、ダンジョンの入口がぽっかりと口を開けている。
深く、冷たい空気がその奥から漏れてくるのを感じながら、俺たちは一歩を踏み出す準備を整える。
「雪様、本当に……三人だけで挑まれるんでしょうか?」
そんな俺たちに、控えめながらも不安をにじませた声でそう問いかけてきたのは、遺跡型ダンジョンの入口で待機していたダンジョン協会の職員だった。
顔立ちは若く、真面目そうな青年だ。
制服の胸元にはまだ新しさの残る協会のバッジが光っている。
「そうだけど?何か問題でもあるの?」
雪の言葉には、少し強めの圧があった。
鋭さを帯びたその声音に、職員の肩がぴくりと動く。
思わず視線を逸らした彼は、それでも業務としての責務を果たそうと、懸命に食い下がる。
「い、いえ、問題というわけでは……ただ、このダンジョンの構造上、できれば――」
「今日は深く潜るつもりはないわ。心配いらないってば」
雪が淡々とそう言い切ると、職員は口を噤んだ。
まだ何か言いたげな様子だったが、雪の揺るがぬ眼差しに気圧されたのか、観念したように俺たち三人のカードを受け取って手続きを始めた。
(……気持ちはわかるよ、職員さん)
俺は思わず、心の中で彼に同情の意を送った。
ここのようなボスラッシュ型のダンジョンは、ある程度の広さを持つ広間に次々と強敵が現れるため、通常は複数パーティーによる"レイド形式"での攻略が推奨されているのだ。
小規模なこのダンジョンですら、最低でもニパーティー、計十人以上が適正とされている。
それを、俺たちはたった三人で挑もうとしている。
職員が心配するのも当然のことなのだ。
けれど――。
(雪の強さを知っているからこそ、俺たちは不安なんて感じてないんだ。)
俺は雪の背中を見つめながらそう思った。
彼女なら、何が起きても大丈夫。
そう信じられるだけの実績と覚悟が、あの小柄な背中には宿っている。
そして、おそらくマスターも同じ気持ちなのだろう。
沈黙のまま横に立っている彼の表情からは、口を挟むつもりなど微塵も感じられなかった。
――――――
少し時間が経ち、俺たちはすでに第3階層のボス部屋の前に到着していた。
石造りの広間に、厳かにそびえる黒光りの両開きの扉。
そこからは、圧力のような魔力の気配が微かに漏れている。
「……よし。ここからが本番だぞ。心の準備はできてるか?」
扉の前で立ち止まったマスターが、俺と雪に向かって静かに問いかける。
「はい。俺はいつでもいけます」
頷きながら答えると、自然と背筋が伸びる。
緊張ではない。
むしろ、心地よい集中が体の奥から沸き起こっていた。
第1階層のスライム上位個体、第2階層のゴブリン上位個体――どちらも今の三人にとっては軽い準備運動だった。
肩慣らしは十分。
マスターの言うように、ここからが本番だ。
「第3階層のボスって……『ゴブリンの軍勢』だったっけ?」
雪が確認するように口を開く。
「そうだ。中心にいるのは上位種。あれが自らの魔力で軍勢を召喚する。弓矢を使うアーチャーに、魔法を使うメイジ。配置も毎回ランダムみたいだから油断は禁物だ。」
「でも、過去にこのメンバーで討伐経験ある相手だよね?」
雪の問いに、俺は小さく頷いた。
「まぁな。ただ、油断はできない。今の俺なら……ソロでも、ポーションを山ほど消費すればギリギリで勝てるかどうか、ってところだ」
口に出してみて、自分の成長に少し驚く。
あの頃はやっとの思いで倒せた相手を、今は一人でも倒せるかもしれないと考えられている。
(気を付けるべきは遠距離攻撃、か……)
マスターは魔法剣士として、風の魔法で自らを強化しながら縦横無尽に敵陣をかき回すタイプ。
敵の注意を散らす役割を得意とする。
一方、俺はというと、魔法を一切使わず、純粋な身体能力と剣術だけで戦うタイプだ。
正面からの打ち合いには強いが、逆に遠距離からの魔法や弓による狙撃には非常に脆い。
特に、ゴブリンメイジの火球やアーチャーの連射には常に警戒しなければならないだろう。
「……いつものように、私が後方から援護するね」
雪がそう言いながら、スッと指を掲げる。
周囲の空気が一瞬ひんやりと変わる。彼女の氷魔法は、瞬間的な範囲制圧にも適しており、敵の初動を一気に潰すのに最適だ。
「ありがとう。先に乱戦に持ち込めれば、俺も動きやすくなる」
息を整え、俺は剣の柄に手をかけた。
ゆっくりと、両手で黒く重たい扉に力を込める。
ギィィィ──
重々しい音を立てて扉が開かれていく。
その先には、冷たい殺意を湛えた暗い空間と、複数の視線が俺たちを待ち構えていた。