6. スライム
10分ほどかけて目的のポイントへ到着すると、まずは少し離れた場所から周囲の偵察を行うことにした。
雪のスピードに合わせてここまで駆け抜けたせいで、息が切れかけていた俺には、ちょうどいい小休止になる。
このエリアはただでさえ人の少ない攻略拠点の外れに位置する場所。
道らしい道も整備されておらず、草に覆われた獣道のようなルートを進んできた分、体力の消耗も激しい。
「上位種は……居ないように見えるけど」
雪がぽつりと呟いた。
さっきより少しだけ顔色が戻っている。
俺も見た限りでは、強敵の気配は感じられなかった。
声のトーンが明るくなっているところを見ると、どうやら厄介な仕事が避けられそうなことに安堵しているらしい。
いつもクールに見られがちな雪だが、実際には表情豊かで、気分が顔に出やすいタイプだと俺は思っている。
世間では滅多に感情を出さない“氷の能力者”なんて言われているが、それを聞くたびに「誰のことだ?」と首を傾げたくなる。
両親ですらそう思っているのだから、不思議な話だ。
「俺も同意見。ただ、数は多いな。戦い方を考えないと厄介かも」
「……うん。そうだね」
視界に入るだけでも、ざっと100体以上のスライムがうごめいている。
その中には、通常よりもふた回りは大きい、明らかに上位個体と見られるスライムの姿もある。
雪が言葉を濁したのは、本気を出せばこの程度の数、あっという間に片づけられるからだろう。
だが俺たちは、いつだって「協力して倒す」ことを前提にダンジョンに挑んでいる。
普段はソロ攻略が多い俺にとって、雪との連携は貴重な経験であり、雪にとっても、名前の知られた能力者という立場上、気楽にパーティーを組める相手は限られている。
つまり、兄妹でのこの“時々の攻略”は、実に都合の良い関係の上に成り立っているわけだ。
……まぁ、今回はそのスライムの多さに、雪もちょっとだけげんなりしているようだけれど。
さて、そろそろ始めようか。
俺は一度しまった剣を手に取り直し、雪も新たに杖を構える。
魔法を使うのに杖は必須ではないが、媒介を使うことで魔力の効率や威力が大きく変わるのだ。
――アイスレイン。
まずは挨拶代わりの一撃。
雪が静かに手をかざすと、次の瞬間、空間が凍てつく音を立てて変化した。
氷の雨が、半径10メートルの範囲に無数の鋭い矢となって降り注ぐ。
不思議なことに、俺と雪の立っているこの一点だけが、まるで見えない傘に守られているかのように無傷のままだった。
氷の一片すら触れさせない、精密で緻密な魔法制御。
誰にでもできる芸当ではない。
雨のように降り注ぐ氷は、地面にいたスライムたちに容赦なく突き刺さった。
断続的に続いた氷の乱舞により、視界にいたスライムはほとんどが消滅。
生き残ったものも、その身に大きな傷を負ってのたうち回っている。
その一撃によって、俺たちへの敵意が確定したのだろう。
スライムたちは呻くような音を発しながら這い寄り、あるいは飛び跳ね、次々と俺たちへ向かってくる。
「任せろ」
俺は剣を構え、一歩前に出た。
最前線に立ち、迫り来るスライムを一体、また一体と切り伏せていく。
もちろん、これは俺だけの力ではない。戦いやすい状況を作ってくれる雪の支援あってのことだ。
敵の動線を分断するように、タイミングよく現れる氷の壁。
それによって俺は、数の有利を潰されたスライムと少数ずつ戦うことができている。
(いい連携だ)
自然とそう思えるほど、雪の支援は的確だった。
上位個体のスライムは最初、自ら戦いに加わらず、下位個体を使って様子を見ていた。
だが、そんな時間稼ぎも無駄に終わる。
俺たちの連携は、数を頼みにした戦術を崩すには十分すぎた。
気付けば、上位個体の周囲には、すでに味方がほとんど残っていない。
雪はすぐに動き出し、上位個体を誘導するように進路を制限。
氷の罠と攻撃で、孤立させた上位個体を次々と狩っていく。
(よし。次が、最後だ)
おそらくは数百体はいたであろうスライムたちも、30分足らずで殲滅寸前。
今や残るは一体のみである。
雪も氷の壁を張るのをやめ、後方から俺の背中を見守るように立っていた。
最後に残ったのは、紫色に染まったスライム――闇属性の上位個体。
上位個体のスライムは魔法を操り、しばしば初心者の命を奪うことから「初心者キラー」とも呼ばれる厄介な魔物だ。
「来いよ、こっちだ」
俺の姿を捉えるや否や、スライムは闇色の球体――ダークボールを次々と飛ばしてくる。
俺は横に跳び、低く身をかがめ、時には地を蹴って大きく移動しながら、その攻撃を回避し続ける。
(まだ撃ち続けろ……もう少し……)
闇球が連射されるたび、敵の魔力は少しずつ削れていく。
そして――ついにその瞬間が来た。
魔力切れによるクールタイム。スライムの攻撃が、ぴたりと止まる。
俺は地を蹴り、一直線に距離を詰める。
敵は慌てて魔力を練ろうとするが、間に合わない。
剣を構え、狙うは中央にある「核」。
「終わりだっ!」
一閃。
鋭く突き出された剣が、スライムの核を正確に貫く。
呻き声すらあげることなく、スライムは素材を残して霧散した。
静寂が、訪れる。
「……ナイスフィニッシュ、お兄ちゃん」
後方で軽く手を振る雪の声に、俺は黙って親指を立てて応えた。
「良い感じだね。剣術の練度も上がってるんじゃないかな」
息を整える俺のもとへ、まるで散歩帰りのような落ち着きで妹が近づいてくる。
その顔には、疲れた様子など微塵もない。
確かに、今回は自分でも驚くほど、ほとんどのスライムを一撃で仕留めることができていた。
手応えのある戦いだったが、不思議と身体は軽い。
「この調子なら、もう少し先まで行けそうかな? 少し休憩してから、進もうか」
「ああ、すまない。ありがとう」
前衛で動き回った分の疲労もあるが、それ以上に能力者とそうでない者との間には、明確な“差”がある。
分かってはいるが、こうして並ぶと改めて思い知らされる。
結局その後、攻略拠点とは反対方向へと足を延ばしてみたものの、特に警戒すべき魔物と遭遇することもなく、探索はあっさりと終わりを迎えた。
マスターとの約束の時間は14時。
今は正午を少し回ったあたりで、まだ余裕はあった。
だが、汗もかいていたし、戦闘後の空腹もあって、自然と一度帰宅して昼食とシャワーを済ませる流れになった。
拠点に戻り、受付でこの数時間の成果――討伐した魔物から得た素材や装備をまとめて提出すると、応対した受付の女性は、書類の手を止めて目を見開いた。
「……こんな短時間でこれだけ?」
だが、すぐに俺の背後に立つ雪の姿に気づいた瞬間、その表情は納得へと変わった。
「……なるほど、雪様と一緒でしたか。それなら、これも当然ですね」
頷きながら素材の計量と記録を進めるその手つきは、もう慣れたものだ。
そうして手続きが済むと、俺たちは寄り道をせず、足早に拠点を後にし、帰路につく。
マスターとの約束に遅れるわけにはいかない。
「惜しかったなぁ。もう少し時間があれば、行ったことないエリアに踏み込めそうだったのに」
ダンジョンから出たばかりの俺が、少し未練を残すように呟く。
足取りは軽いものの、達成感とはまた違う、どこか物足りなさを感じていた。
「そうだね。また明日、リベンジしに行く?」
隣を歩く雪が、俺の表情を見てそう提案してくる。
その声は軽やかだったが、どこか期待を含んだ響きもあった。
「いや、せっかくだし明日は別のダンジョンにしよう」
上位個体が現れたにもかかわらず順調に戦えた。
それだけに、中途半端な形で引き上げるのは悔しさが残るが、再挑戦するかと言われると気が進まない。
この拠点はスライム系が主な相手で、ある意味で俺たちには物足りない。
初心者にはちょうどいい場所だが、俺たち兄妹が組んで挑むには少々刺激が足りなさすぎるのだ。
「ところで雪は、どのエリアまで攻略進んでるんだ?」
ふと気になって、聞いてみる。
雪は日本有数のトップパーティーに所属している実力者。
完全に興味本位だが、彼女がどこまで到達しているのかを知りたいと思ってしまったのだ。
「う~ん……それ、機密扱いになってるんだよね。他の人には言えないことになってるの」
雪はちょっと困ったように眉を下げるが、すぐに悪戯っぽい笑顔に変えて言った。
「でも……お兄ちゃんになら、こっそり教えてもいいかな~って」
まるで秘密を共有する恋人のような口ぶりに、思わずたじろぐ。
「そっ、そうだった。いや、やっぱりいい。秘密を抱えるのも気持ち悪いし、今のは聞かなかったことにしてくれ」
俺が慌ててそう返すと、雪はくすっと笑って意地悪そうに俺の顔を覗き込む。
「ふふっ。お兄ちゃんって、ほんと素直だよね」
まぁ、そうやってからかわれるのも、もう慣れっこだ。
ダンジョン攻略後の高揚感ですっかり忘れていたが、冷静に考えれば、雪が今どこを攻略しているかは、国家レベルでも秘匿される重要情報だ。
ニュースで報道されることもなければ、噂話に出ることもない。
知っているのは、限られた政府関係者と協会の上層部のみ。
俺のような身内ですら、聞こうとすれば「機密事項です」の一言で済まされる。
それも当然だ。
雪たちトップパーティーが挑んでいるのは、日本どころか世界でも最前線の未踏領域。
彼女の現在位置=日本の最高到達地点、という構図が成り立つ。
世界各国が、限られた情報の中で競い合うように最前線攻略に挑んでいる。
だが、どこまでダンジョンが続いているのか、その終わりは誰にも分からない。
なぜダンジョンが現れたのかという根本的な問いすら、未だ謎のままだ。
トップパーティーの現在の攻略エリアについては、ネットや街の噂で好き勝手に語られてはいるが、その実態を知る者はいない。
攻略拠点から離れて、奥に行けば行くほど魔物は強くなり、環境は過酷になり、生還率は下がる。
だからこそ、新たなエリアに挑む際には、事前に数週間から数ヶ月かけて徹底した調査が行われる。
魔物の分布、環境の危険度、生還の可能性――あらゆる要素を分析し、「確実に勝てる」と判断された時にのみ、トップパーティーが投入される。
命を懸けた探検において、必要なのは無謀ではなく、確実性。
そういうわけで、日本政府の慎重な姿勢には、一定の評価がされているのだ。
実際、かつて海外のある国では、未調査の新規エリアに強引に踏み込んだことで、強大な上位種を刺激し、攻略拠点そのものが壊滅寸前に追い込まれたという。
無知と過信の代償が、いかに大きいかを示す象徴的な事件だ。
「そういえば、昼食はどうするの?」
「少し早めに向かって、マスターの店で軽食を取ろうと思ってるけど。どうかな?」
「いいと思う。やった!ミツハルさんの料理、久しぶりだなぁ」
声を弾ませる雪の表情からは、素直な喜びがにじみ出ていた。
あの喫茶店は、味はもちろん雰囲気も落ち着いていて、雪のお気に入りだ。
とはいえ、今日はマスターの店は臨時休業のはずだ。
ただ、以前にも急な休みのときに仕入れだけは通常通り行われてしまい、余った食材を前に肩を落としていたマスターの姿を思い出す。
今回のダンジョン攻略はマスターからの個人的な頼みだったし、事前に連絡してお願いすれば、俺たち2人分くらいの食事は作ってくれるだろう。
スマホを取り出し、メッセージを送る。
陽向[マスター、少し早く行くので、昼食がてら2人分の軽食を作ってもらえませんか?]
マスター[それは構わないが。2人分?]
陽向[あ、言い忘れてました。妹の雪が東京に戻ってきてて、今日休みを取れたんです。だから一緒に行きます]
マスター[雪お嬢ちゃんも!?あぁ、分かった。ならば手を抜けないな]
そういえば、妹が同行することをまだ伝えていなかった。
今頃マスターは慌てているかもしれないが、以前にも似たようなことがあったし、準備には慣れているはずだ。
「マスターには連絡しておいたよ」
「ありがとう!準備ができたらすぐに向かおうよ!」
マスターの料理が食べられると聞いて、俄然妹のモチベーションが上がる。
そのテンションのまま、家に戻ってからはシャワーを浴び、短い休憩の後、すぐにまた出発することとなった。
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