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5. 妹の実力

 洞窟を抜けた瞬間、足元に淡い魔方陣の光が浮かび上がり、全身がやさしく輝き始める。

 次の瞬間、着ていた衣服が霧のように消え去り、代わりにダンジョン用の戦闘装備が自然と装着されていく。


 この装備転送現象は、すべてのダンジョンで共通するシステムだ。

 装備は一度更新すれば他のダンジョンにも自動で引き継がれるため、攻略者にとっては非常にありがたい。


「相変わらず、すごい装備だな」


 俺が感心して言うと、雪は少し肩をすくめながらも満足げに微笑んだ。


「まぁ、ね。でもお兄ちゃんも全身を装備更新したみたいだね」


 たしかに、俺の装備も最近更新したばかりだ。

 だが、色味は茶や灰色を基調とした落ち着いたもので、見た目だけで言えば地味な部類だ。


 それに対し、雪の装備は青と白を基調とした流麗なデザインで、まるで戦場を舞う精霊のような印象を与える。

 一見、薄くて防御力に不安がありそうだが、その実、素材も魔力も高水準の逸品であり、耐久力は俺の装備を軽く凌駕しているに違いない。


「何か足りないものはありそう?」


 拠点を守る門へと向かいながら、雪が尋ねてくる。

 大学最寄りの拠点と違い、ここは街や村よりも“拠点”という言葉がより相応しい場所だ。

 それでも拠点内には小規模ながら露店が点在しており、体力や魔力の回復薬、自身の能力を一時的に高めるバフポーションなど、冒険者には欠かせない必需品がずらりと並んでいる。


 この前の大規模な攻略拠点に比べれば品数こそ少ないが、必要最低限はそろっている。

 これだけあれば、ダンジョンへ向かう前の準備としては十分だろう。


「いや、全部そろってるから俺は大丈夫かな」


 そう答えながら、俺は腰に下げたアイテムポーチを軽く叩いた。

 このポーチには空間拡張の魔術が施されており、見た目以上の収納力を誇る。

 ダンジョン内の宝箱からよく出る定番アイテムであり、容量や外観に差はあれど、攻略者なら誰もが一つは所持しているはずだ。


「OK。さぁ、行きましょう! さっき聞いたエリアまで素早く駆け抜けるよ!」


 雪が明るく声をかけ、軽やかに前方へと駆け出す。

 ちなみにさっき聞いたエリアとは、ちょこっと立ち寄った取引所で半ば強制的に調査のお願いをされたエリアのことである。


「おうっ、了解!」


 俺もその背を追って、ダンジョンへと足を踏み出した。


 いくら人が少ない攻略拠点とはいえ、誰もが通ることになる拠点周辺は比較的安全に保たれているらしく、目視できる範囲には魔物の姿は見当たらなかった。


 ――そう思った矢先。


 進行方向すぐの場所、木の根元に水色のスライムがぬるりと姿を現す。

 1匹だけで行動しているあたり、どうやら群れからはぐれた個体らしい。


「10メートル先にスライム!」


 俺はすぐに雪へ状況を伝える。

 前衛としての役割と同時に、斥候の役目も担っているのだ。


 戦闘に備えて剣を抜こうとしたその瞬間、背後から鋭い風切り音が走った。


 ヒュッという音とともに、氷の弾丸が空気を裂いてスライム目掛けて一直線に飛ぶ。

 次の瞬間、澄んだ破裂音が響き、スライムの体が氷の破片となって四散する。


「さ、さすがだね……」


 俺が思わず感嘆の声を漏らすと、雪は得意げに微笑みながら言った。


「ここは駆け抜けるって言ったでしょ?」


 雪が得意げに口元を緩め、俺のほうをちらりと見た。


 ――ここで、雪の魔法について少し触れておこつ。


 彼女が操るのは、「氷」の魔法。

 水属性の上位に位置づけられる特殊な属性で、攻撃・防御ともに応用の幅が広い。

 鋭く氷柱を飛ばしたかと思えば、瞬時に足場を凍らせて敵の動きを止めるなんて芸当も朝飯前だ。


 現時点で日本には彼女以外に氷属性の使い手はいない。

 その希少性と、氷が織りなす美しさもあって、能力者の中でも、とりわけ人気を集めている。


 雪という名で氷属性。

 できすぎた話である。


 その後も宣言通りに、敵の気配を察知すると、雪は間髪入れず氷魔法を放ち続けた。


 氷の矢が唸りを上げて飛び、スライムに命中するや否や、砕け散った氷片が宙を舞う――その一撃で、標的は動かなくなる。

 余計な動きも、無駄な魔力の消費もない、正確無比な魔法だ。


 時々すれ違う攻略者たちも、派手に魔法を使う雪の存在に気付いているのだろう。

 誰一人声をかけてくる者はいないが、こちらの方をちらりと見ながら通り過ぎていく。


 雪は、そんな視線など眼中にないとばかりに、まっすぐ進む。

 いつの間にか俺との距離も開き、もはや前衛も後衛もあったものではない。


 そんなこんなで、気がつけば、取引所で聞いたスライムの群生地帯にまで辿り着いていた。


 スライムといえば、基本は体当たりによる攻撃しか持たないため、魔法を使えば安全に倒せることが多い。

 だが――


「ふふっ、たまにはこういうのもいいよね」


 そう呟いた雪は、流れるように氷魔法で剣を形作る。


 彼女が剣を使うのは珍しい。

 けれど、その構えはまるで見慣れたもののように自然で、隙がない。

 流れるような動作で一番近くにいたスライムに接近し、氷でできた刃で一閃。


 ――すっ、と、軽い音とともに、スライムの体が割れる。


(……やっぱり、すごいな)


 能力者として魔力だけでなく、身体能力まで強化されている雪は、剣を手にしても隙がない。

 姿勢の良さとしなやかな身のこなしが、剣戟に独特の美しさを与えているのだ。


 俺も普段は剣で戦っているのに、あれを見ると自信を失ってしまいそうである。


 そして――


「行くよ、お兄ちゃん」


 雪は振り返ることなくそう言い残すと、群れの中へと迷いなく踏み込もうとする。


 スライムたちが集まっているのは、森の中にぽっかりと開けた場所だった。

 視界の端で、火、水、風、光、闇――各属性のスライムがそれぞれ2体ずつ、蠢いているのが見える。


 取引所では「危険度がやや高い」と言われたエリアだが、どうやら思っていたほどの緊迫感はない。

 所詮は初心者向けエリア。

 慎重さは大事だが、今のところ目立った異常はない。


 俺も剣を手に取り、雪の背中を追って一歩踏み出す。

 森の空気は冷たく澄んでいて、肺の奥まで吸い込むと、身体がようやく戦いに目覚めていくようだった。


「やっぱり、お兄ちゃんも久しぶりだし、準備運動ってことで……私、援護に回るね!」


 雪がそう言って体勢を反転させる。

 予想以上に弱そうな群れを見て、気が変わったらしい。

 少し驚いたが、もともと前衛と後衛で連携を取るのが、俺たちの基本スタイルだ。


「分かった。援護、頼む」


 剣の柄を握り直し、俺はスライムの群れと踏み出す。

 一番近くにいた、赤く輝く火属性スライムがぬるりと体を揺らした。


(数日くらいじゃ、なまらないな)


 心の中で呟きながら、俺は愛剣を構えて真っ直ぐに飛び込む。


 その瞬間――。


 雪の声が静かに響いた。

 詠唱の気配とともに、俺とスライムを取り囲むように氷の壁が形成されていく。

 透明で冷たい氷壁が、音もなく空間を閉じた。


 これは雪が俺のために開発した、限定的な隔離魔法だ。

 壁自体の耐久力は高くないが、壊れるまでの短い間に俺が一対一で敵を倒し切る――それが、俺たちのコンビネーションである。


 スライムもこちらに気付いたようで、体を膨らませながら体当たりの準備をしている。


 だが、俺の方が速い。

 わずかにできた隙を逃さず、その核――スライムの本体に向けて、剣を真っ直ぐに突き立てる。


 鈍い音とともにスライムの身体がぐにゃりと崩れ、核が砕ける。

 淡い火のエネルギーをまとった結晶のような素材が足元に残された。


 素材を拾う間もなく、次へ。


 風、水、光と、順に標的を変えながら、一撃必殺の剣を振るうたびに、雪の氷壁が空間を整えてくれる。

 俺は動きを止めることなく、戦場を縫うように駆け抜けていった。


 最後に残った闇属性のスライムは、他と違って少しだけ動きが鋭かったが、それでも所詮はスライムだ。

 暗紫色の核を正確に突いて、崩れ落ちていく。


「よしっ!」


 剣を振り払って粘液を払うと、氷壁が溶けて霧のように消えていく。


「お疲れさま、お兄ちゃん。さすがに手慣れてるね」

「そっちこそ、完璧な援護だったな」


 お互いに小さく笑って、軽く拳を合わせる。


「それにしても……また動きが鋭くなったんじゃない?」

「俺もずっとダンジョン通いしてたからな。やっぱり一人じゃないときのほうが戦いやすいよ」


 軽口を交わしながらも、互いの息は乱れていない。

 先ほどの戦闘は、連携確認を兼ねたものだったが、思った以上にスムーズに動けていた。


 普段はソロで戦っている俺にとって、複数の敵に囲まれないというだけでどれだけありがたいか、改めて痛感する。

 スライムが10体程度なら一人でも倒せるが、どうしても時間がかかる。

 しかし今は連携を試すにはちょうどいい相手、程度なのだ。


「じゃあ、次のポイントに移動しよっか」


 雪が背を向けると同時に、薄く霧がかった道を静かに歩き出す。

 彼女の歩幅に合わせるように、俺もその後を追った。


「そうだね。上位種がいるかもしれないって言ってたし……警戒しながら行くよ」


 “お願い”という名の、ほぼ強制依頼は複数。

 どうやら、近頃拠点を訪れる信頼できる中級以上の攻略者が少なかったらしい。


 ただ、これだけの数の依頼が一気に寄せられたのは、当然雪の影響だろう。

 雪は、ただの中級者ではない。

 上級者の中でも一握りの、“特別な存在”だ。


「上位種ねぇ……」


 雪がため息まじりにぼやいた。


 魔物の“格”は、討伐されずに生き延び続けたり、上位の攻略者を倒すことで段階的に上がっていく。

 それが“上位個体”と呼ばれる変異だ。

 たとえばスライムであれば、体表の弾力や物理耐性が増したり、簡易的な魔法を使えるようになったりもする。


 しかし、“上位種”は別格だ。

 単なる個体強化ではなく、種として進化を遂げた存在。

 外見からして違い、行動パターンも従来のスライムとはまるで異なる。言ってみれば、もはや“別の魔物”だ。


 だからこそ、上位種が確認された場合、ダンジョン協会は環境や出現条件の調査を始める。

 そして、それを担うのは協会に所属する上級攻略者。

 ――つまり、雪だ。


 雪が不機嫌そうに口をつぐんだ理由は察しがつく。

 もし上位種を討伐すれば、その瞬間から“報告者兼調査責任者”としての仕事が、文字通り山のように押し寄せてくる。


「遭遇した場合のパターンも整理しておこうか」

「うん。できれば避けたいけど、念のためね」


 歩きながら、俺たちは小声で作戦を交わす。

 雪が囮を引き受けるパターン。

 俺が先に周囲の状況を確認するパターン。

 互いの位置と役割を、戦闘中の動線と照らし合わせてすり合わせていく。


 しばらくして、前方の視界が開けてきた。

 目標のポイントは、すぐそこまで迫っている。



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