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3. 喫茶店にて

 店の中を軽く見渡すと、ちょうどカフェタイムとディナータイムの狭間ということもあり、店内は静かで客の姿はまばらだった。

 黒と深い木目を基調とした重厚感のある内装に、アンティーク調の照明が柔らかな光を灯している。

 静かに流れるジャズが、時間の流れをゆったりと感じさせる。

 料理にも定評があり、普段は混み合っている時間帯が多いため、こうして落ち着いた時間に来られるのは貴重だ。


 この喫茶店には、ダンジョン帰りにふと立ち寄ったのがきっかけで通うようになった。

 それ以来、この店の雰囲気に惚れ込んだ俺は気付けば常連となり、顔を出すたびにカウンター越しでマスターと会話を交わすのが、日課のようになっていたのだ。


「俺から誘ったんだ。まぁゆっくりとしていってくれ」


 カウンター席に腰を下ろした俺に、マスターが湯気の立つコーヒーをカウンター越しに手渡してくる。

 ミルクの香りがふわりと漂うそれは、ブラックが苦手な俺のために、最初からミルクが入った状態で出されたものだった。


「いつもすみません……」

「構わないさ。無理してブラック飲むより、好きな飲み方で楽しんでもらえた方が、こっちとしても嬉しいからね」


 最初は子ども扱いされているようで少し抵抗があったが、今となっては正式に常連になれたようで、その気遣いが素直に嬉しい。


 ミルクたっぷりのコーヒーを一口。

 ほのかな苦味の奥に、なんとなく感じられる奥行き。


「……今日のは?」


 そう尋ねると、マスターが待っていましたとばかりに、コーヒーの説明を始める。


「今朝は中米の豆で、ちょい深めに焙煎してみたんだ。」

「へぇ……確かにいつもより苦味を感じるような」

「感じられたなら、それで十分だよ。コーヒーってのは、舌より気分で味わうもんだからな」


 ミルク多めのせいで詳しいことは分からないけど、マスターがこだわって淹れてくれてるのは確かである。


「最近はどうだ?ダンジョン、忙しいのか?」

「まぁ、ゴブリンが多めで少し面倒ですけど、何とかこなしてます」


 俺の表情と、いつもより早い来店時間を見て、マスターはすぐに察したらしい。

 コーヒーミルを磨き、苦笑いを浮かべながら、ぽつりと声をかけてくる。


「――あまり無理をするなよ」

「……気をつけます」


 それ以上は何も聞かない。

 けれど、その一言に、マスターなりの心配と気遣いがしっかり込められているのがわかった。


「今日はラッキーだな。最後の一つだったよ」


 今度は、マスターがケーキの皿を目の前にそっと置く。

 今日は珍しく残っていたモンブラン。

 土日にはすぐ売り切れる人気商品だ。


「ケーキ、いつも人気ですよね」

「俺が作ってるわけじゃないけどな。知り合いに頼んでるんだ。スイーツまで手を出すと、厨房が爆発しそうになる」


 冗談めかして笑うマスターにつられて、俺もつい笑ってしまう。


「でも、このモンブランは本当に美味しいです。専門店にも負けてないくらい。」

「そう言ってもらえると、持ってきてもらう甲斐があるってもんだ」


 カウンター越しに交わされる、ゆったりとした会話。

 少しずつ積み重ねてきたこの距離感が、今では心地よい。


 そんな中、ふとカフェの窓越しに目をやると、向かいの建物に装備を整えた攻略者たちが、次々と吸い込まれていくのが見える。


「すごい勘だよなぁ、あのゲーム会社」

「それをマスターが言いますか?」


 マスターが肩をすくめて笑う。


「ああ見えて、目のつけどころは確かだよ。あそこの会社がダンジョンの入口を押さえたのは、俺がここに店を出した少し後だったかな」


 運営するのは、もともとゲーム開発を手がけていた企業。

 ダンジョン攻略が流行の兆しを見せた頃、いち早く方針転換していくつものダンジョン入口を買い取ったらしい。


 ダンジョンの管理者は、大きく分けて三つ。

 国の機関『ダンジョン協会』、民間企業、そして個人所有である。


「最初は国が全部管理しようとしてたらしいけど、維持費やらなんやらで無理だったみたいですね」

「だろうな。場所によっちゃ、維持するだけで破産だ」


 結局、法整備が進んでからは企業や個人の運営も認められるようになり、ダンジョンがビジネスとして成立する土台ができた。


 一部の素材や資源は持ち出しが可能で、売買すればそれなりの収入になる。

 運よく自分の敷地にダンジョンが湧いた人なんかは、今じゃちょっとした成金扱いである。


「今じゃ、あの会社、VR使った講習会とか攻略支援ツールの開発で完全に業界トップですからね」


 俺がそう言うと、マスターが自分用に入れたコーヒーを一口飲みながら頷いた。


「参入が早かった分、いい場所も押さえ放題だったからな。後発組は辺鄙なダンジョン入口しか残ってなかったって話だ」


 マスターは肩をすくめながらも、どこか楽しげだった。

 業界トップを走る企業よりも早く、この場所を抑え、そして喫茶店を開業したマスター。

 表には出さないが、どこか誇らしさがあるのだろう。


「そうだ、陽向君。今度の土曜、空いてるか? 久しぶりにダンジョンに行きたくなってな」

「土曜ですか?特に予定は……でも、営業日じゃないんですか?」

「大丈夫だ。俺がオーナーだしな。働きたいときに働いて、休みたいときに休むんだよ」


 ドヤ顔で胸を張るマスター。

 その声がちょっと大きかったのか、近くのテーブルでくたびれたスーツ姿のサラリーマンがチラッとこちらを見た。


 俺は小さく咳払いしてごまかしつつ、苦笑いで返す。


「わかりました。何時集合にします?」

「14時。ここ集合で頼む」


 そのあとは、他愛のない世間話でひとしきり盛り上がる。

 ふと気がつくと、静かだった店内にも徐々に客が増え始めていた。


 頃合いを見て会計を済ませ、カウンター越しに「ごちそうさまでした」と頭を下げると、マスターは忙しげに手を振って応えてくれた。


 店を出た俺は、当初の目的どおりスーパーへ寄り、数日分の食材をまとめ買いしてからアパートへと帰宅した。


 築10年以内の2DKで家賃は月10万ちょっと。

 都内では悪くない物件だ。

 多少セキュリティには不安があるが、広さと駅からの距離を考えれば妥協できるレベルである。


 2DKにしたのにも勿論理由がある。

 ひと部屋は妹・雪の部屋で、家賃は折半。

 もっとも、任務でほとんど家にいないのが実情だが。


 もともと雪は、母親と一緒に、ここ東京にあるダンジョン協会本部近くに住んでいた。

 だけど、俺が上京してくるタイミングで母さんが地元・九州に戻り、代わりに雪が俺の新居に移ってきたのだ。


 そんな経緯もあって、今は兄妹二人暮らし。


 周りでは兄妹の不仲だの何だの聞くこともあるが……

 まぁ、それなりにうまくやれている。たぶん。


 椅子に腰を下ろし、ふとスマホを確認すると、タイミングよく雪からメッセージが届いていた。


雪[明日、家に戻るから。よろしくね!]

陽向[明日?急だね。]

雪[任務が早く終わったの。週末は休みももらえたから、久しぶりにダンジョンに行こうよ!]


 学業に任務、それにダンジョン攻略。

 雪には基本「休み」という概念がない。

 ようやく得た貴重なオフも、結局ダンジョンに行くあたり、本当に好きなんだなと思う。


 とはいえ、そういう若者は少なくない。

 今どきの高校生や大学生は、放課後に友達と遊ぶ感覚でダンジョンに潜っている。


(……って、待てよ)


 思い出す。今日、マスターと約束したばかりだ。


陽向[日曜日は問題ないけど、土曜は前に行った喫茶店のマスターとダンジョンに行く予定があるんだけど……]

雪[じゃあ、土曜は私も参加ということで!日曜は2人ね!]


 ……俺の週末の予定が、あっさりと埋まった。


 もちろん、雪と行くのが嫌なわけじゃない。

 けど、強敵に挑戦することの多い雪との攻略は、ソロとは比べ物にならないくらい体力を使う。

 俺は、週末に備えて明日から少しペースを落とすことを決めた。


(それにしても、“明日”っていつのことだ……)


 雪の「明日」は曖昧だ。

 前には0時ジャストに玄関の鍵を開けたことすらある。


 用意してあるのは一人分の食材。

 シャワーを浴びようとしていた足を止め、俺は慌てて再びスーパーへ行く準備を始めた。


(……その前に掃除もしないと)


 視線をリビングにやると、テーブルの上には空のマグカップ、散らかった攻略メモ、そしてソファには畳まれていない洗濯物がそのまま。


 嬉しさと、焦りと、少しの緊張感。

 俺は深く息をついてから、スーパーに向かって再び家を飛び出した。



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