23. マスターの隠し事
カケルさんの話は続く。
「我々『ダンジョンゲーマーズ』に所属する能力者は5人。もともと6人いたんだけど、半年前に一人脱退してしまってね。それで戦力がやや足りていない状態なんだ。だから陽向くんには期待してるよ」
マスターは喫茶店のマスターでもあるから、新エリアの本格的な攻略は深夜や店の休みに行われることが多いらしい。
喫茶店には定休日がなく、たまに臨時で閉まっているのを見かけたが、こうした事情があったのだと納得する。
(そんな時間帯にも活動してたなんて……マスター、本当にいつ休んでるんだ?)
「ちなみに、サポートメンバーも含めると組織の人数は10人くらいになるかな」と、カケルさんに代わってセイラさんが補足する。
「私たちサポートの主な仕事は、ダンジョン協会との調整や、攻略本の更新の手伝い。あと、任務の伝達なんかも担当しているわ」
「そうだね。よほど緊急の事態じゃなければ、協会からの任務はサポートメンバーを通して僕たちに伝えられることになる。ちょうど最近、組織として一つ任務を終えたばかりだから、しばらくは落ち着くはずだよ」
緊急時には、フリーの能力者に、個人宛てで任務の指名依頼が届くこともあるらしい。
とはいえ、基本的には組織単位で任務が依頼され、それをメンバー全員で分担してこなしていくことで、年間のノルマが達成されていく仕組みのようだ。
任務のほとんどは、魔物の間引きが遅れてしまったエリアの制圧。
前回の任務でも、地方のある攻略拠点周辺の魔物を、数日かけて間引いたらしい。
話は現在の予定へと移る。
「任務と攻略の説明はざっとこんな感じかな。で、直近の予定だけど……今週は長期攻略の帰還直後だから、各自休養と装備の調整に充てる。でも再来週の月曜日からは、第20階層の攻略に再び動き始める予定だよ」
「テスト攻略は明日から、でしたよね」
「その通り。加入するなら、本格始動までの10日間で連携を確認する必要があるし、陽向くんも能力の調整をしたいだろうからね」
(第20階層……しかもボスラッシュ型のダンジョンか。遠距離や範囲攻撃を使うボスも多いはず。足手まといにならないようにしておかないと……)
ふと、疑問が浮かぶ。
「すみません、素朴な疑問なんですけど。遺跡型ダンジョンって、上層の魔物を間引くだけで氾濫は防げるって聞きました。じゃあ、なんでわざわざ下層の攻略を?」
「いい質問だね」と、カケルさんが頷く。
「確かに個人運営の拠点の中には、そうやって上層だけ管理して下層は放置するところもある。でも企業が運営する拠点は違う。基本的に新エリアの解放や深層への挑戦を続けてる。これはダンジョンの謎に迫る、という大義もあるけど……一番の理由は“企業間の競争”だよ」
つまり、倒した魔物が強ければ強いほど、得られる報酬――スキル本や素材、装備の質が高くなる。
その素材を使って技術開発を進めれば、他の企業に差をつけられる。
装備こそ外には持ち出せないが、素材や技術は別だ。
この拠点を運営しているゲーム会社にも競合が複数あり、攻略進度を宣伝に活用しつつ、攻略本の充実によってブランド価値も高めたいという思惑がある。
「要するに、僕たち能力者は企業の要望に応えて“成果”を出すことで、他社との競争に貢献しているってわけさ。まぁ待遇は悪くないし、僕たちも攻略が好きだから続けられるんだけどね」
(ダンジョン運営の裏事情を、少し知った気がする……)
話は再び俺に戻る。
「それでね、今回陽向くんに加入してほしいって話も、実はその“企業の思惑”が背景にあるの」
「え、どういうことですか?」
セイラさんが少し真剣な表情になる。
「この前の事件、陽向くんも関わってたでしょう?死傷者が多かった件。協会が情報統制はしたけど、死者が出たことだけは外部に漏れたみたいで……その影響で、一般の攻略者が減ってきてる」
だからこそ企業はイメージ回復に動き、組織への予算を増やした。
攻略本の充実、遺跡型ダンジョン深層への挑戦、そして新メンバーの採用もその一環。
(確かに、利益を出さなきゃ意味がない。企業も必死なんだな)
能力者の活動も、予算管理のもとに動いている。
それがダンジョンの生命線となっているのだとすれば、素材の確保と技術開発が非常に重要になるのも当然だ。
話が一段落し、カケルさんが改めて俺に問いかける。
「基本的な説明はここまでかな。あとは明日、能力関連のことを詳しく話そう。……最後にひとつ」
カケルさんは真剣な表情で言葉を続けた。
「雪さんを見てきて分かると思うけど、能力者となった今、普通の生活は難しくなるよ。昼夜問わずダンジョンに行くし、長期の遠征もある。能力者として認知されたら、もう単独行動も制限されるようになる。……陽向くんは、それでもやっていける覚悟はあるかい?」
「もちろんです」
俺は迷わず答えた。
真剣な声に、カケルさんもセイラさんも満足げに頷く。
ふと目をやると、奥のソファーでミサキさんが気持ちよさそうに寝息を立てていた。
(自由だなぁ……でも、なぜか上手くやっていけそうな気がする)
こういう光景が見られるのも、組織内での人間関係が上手くいってるからこそ、なのだろう。
そして、話は締めくくられる。
「さて、夜も遅い。今日はここまでにしよう。明日は昼に集合だから、遅れないように」
「え、集合は喫茶店の方から入るんですか?」
「いや、僕たちは反対側の専用扉を使ってる。普段は鍵がかかってて、開けるには指紋と顔の認証が必要なんだ。だから今から登録してもらうよ」
この部屋――『ダンジョンゲーマーズ』のたまり場は、風呂もトイレも備わっており、寝泊まりも可能だという。
認証扉にはダンジョン素材が使われていて、他企業では再現できない最新技術が導入されている。
だからこそ、素材の確保が企業にとって重要なのだと、改めて実感する。
俺はセイラさんの案内で登録を終えた。
なぜか雪の分まで登録されていたけど、きっとセイラさんの気まぐれだろう。
そして俺は、雪にしばらく待っているようお願いし、先に出ていったマスターの待つ喫茶店へと向かった。
「……マスター」
喫茶店に入ると、マスターはいつもの定位置に立っていた。
どこか落ち着いた雰囲気で、いつも通りの空間なのに、今日はどこか空気が違う気がした。
俺がいつもの席に腰を下ろすと、間を置かずにマスターが淹れたてのコーヒーを差し出してくれる。
その動作に、いつも通りの静かなやさしさがにじんでいた。
湯気の立つカップを両手で包み込み、ひと口。
香ばしさと、ミルクの甘み、そして少しだけ苦い味わいが口の中に広がる。
――だが、いつもより少し早くコーヒーが減っていくのを、俺は自分で気付いていた。
「……俺は、マスターと一緒に働けることになるかもしれないと聞いて、嬉しかったです」
ふと、口をついて出た言葉。
「俺もだよ。陽向君が仲間になってくれるのは、心強いし……これからもっと強くなっていく君の姿を見られるのが楽しみだ」
会話のテンポが、どこかぎこちない。
たぶん、お互いに話したいことがありすぎて、うまく言葉がまとまらないんだろう。
沈黙が、少しだけ長く続いた。
「……雪お嬢ちゃんにも待ってもらってるし、本題に入ろうか」
マスターが、静かに口を開いた。
その表情はどこか決意を宿している。
「まずは、能力者であることを黙っていたことを謝りたい。さっき言った通り、守秘義務があるんだ。それは、俺の能力に関わることでもある。俺の能力は『聴力強化』。簡単に言えば、音を聞き取る力が大幅に上がっている」
単純に遠くの音が聞こえるだけでなく、ダンジョン内で魔物の声の反響や、罠が発するわずかな音の違和感すらも感じ取れるという。
音だけで位置や種類まで特定できるその能力は、まさに探索・偵察において無二の存在だった。
「……それと守秘義務がどう関係してるかというと、俺はもともと、ゲーム会社で働いていたんだ。そして能力を得たのは5年前。覚醒の後しばらくして、会社がダンジョン運営に乗り出すことを知った。俺はすぐに能力のことを報告したよ。そしたら――当時の社長が俺の能力を“利用しよう”と思いついたんだ」
その“利用”とは――。
「簡単に言えば、俺の役目は“聞くこと”だった。攻略を終えた冒険者たちの会話、他企業の調査チームの雑談……。ダンジョンビルの外なら気が緩む人も多い。企業秘密や、未公開の狩場、宝箱の位置――そういった情報が、意外と簡単に聞こえてくる」
まるで映画やスパイ小説のような話だ。
だが、聞く限りこれは現実にあったこと――そして、今も続いていることなのだろう。
「でも、誤解しないでほしい。陽向君に近づいたのは、そういう目的からじゃない。初めて話しかけた時、雪お嬢ちゃんの兄だなんて知らなかった。君が有望な攻略者だとも知らなかった。ただ、君の人柄が気に入って、一緒に戦ってみたいと思ったんだ」
マスターはまっすぐに俺の目を見て、言葉を重ねる。
その熱意に、俺は思わず視線をそらしてしまった。
「……疑ってませんよ、マスター。本当のことを話してくれて、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」
そう言って微笑むと、マスターの顔がわずかに赤くなる。
普段は冷静で大人びた印象があるだけに、その照れた表情が妙に新鮮だった。
しばらく無言のまま時間が流れ、そして俺たちは自然と立ち上がる。
次の瞬間――互いにしっかりと目を見て、大きく頷き、力強く握手を交わした。
もっと早く知りたかった、という思いが完全に消えたわけじゃない。
でも――それでも、マスターを信頼している自分は変わらない。
そしてそれは、マスターもきっと同じなのだろう。




