16. 協会本部へ
【10月第4週月曜――家】
週が明けて、月曜日。
火曜の夜に入院し、水曜の朝に目を覚まして、金曜には予定通り退院。
文字にすれば順調な回復だったが、元の生活に戻れたかというと、それはまた別の話だった。
「本当は、週末くらいダンジョン行きたかったんだけどなぁ……」
朝の支度をしながら小さく漏らした独り言は、当然のように隣の部屋まで届いていたらしい。
「それ、私が一番言いたいんだけど!」
ドアをバンッと開けて、雪が不満げに現れる。
「お兄ちゃんばっかり、ずるい。ずっと忙しく動き回ってたじゃん」
「いやいや、ずるいって何だよ。俺だって病み上がりで、しかも土日は協会とか関係各所に呼ばれて、いろいろ話聞かされたり説明させられたりで、こっちはこっちで大変だったんだぞ?」
そう俺が説明すると、雪は打って変わって申し訳なさそうな表情をする。
思わず飛び出したという感じの雪だが、その辺の面倒臭さは彼女が一番分かっているだろう。
「……まぁ、そうだよね。病院でもマスターとかセイラさんもずっと居たし、休まる時間なんてなかったでしょ?」
「うん。毎日誰かしら来てくれて、ありがたいんだけどさ……正直、ちょっと一人にしてほしかった瞬間もあったな」
思い返せば、病室は常に誰かが出入りしていた。
雪、両親、マスター、セイラさん。
どこかのタイミングで顔を出してくれていて、静かな時間はほとんどなかった。
ちなみに退院した日に、俺以外の四人も、一緒に病院を出ることを認められた。
ただ、やはりそのとき協会からの調査報告などは一切なかったのだが……。
「ねえ、あのときの入澤さん、めっちゃ気まずそうじゃなかった?」
「……まぁな。セイラさんもマスターも、あからさまに不満げだったし。何も説明されてないんだから、そりゃそうなんだけど」
もちろん、俺だって納得はしていない。
せめて「どこまで調査が進んでいるのか」くらいは聞きたかった。
「でも、私のところにも情報は来てないし……ほんとに、何も進展ないんだと思うよ」
雪がそう言うときの表情は、どこか無力さを滲ませていた。
「まあ、しばらくは警戒を続けるしかないか」
「うん。下手に動いてまた巻き込まれたら、洒落にならないしね」
……とはいえ、退院してからの週末、俺はダンジョンどころか、ただの外出すらも制限されるような状態だった。
「能力……試してみたいんだよな。ちょっとでいいから」
「うんうん、そうだよね!お兄ちゃんのやつ、めっちゃ気になるし!連携したら絶対強いと思う!」
ダンジョンに行けていないのだから、当然能力を試すこともできていない。
雪と二人して、もどかしさを抱えながら過ごした、土曜と日曜。
まるで空気を吸うのを忘れたまま耐えていたような、そんな週末だったのだ。
「そういえば、お兄ちゃん、もうすぐ時間だよ。迎えの人、もう着いてるみたい」
突然そんなことを言い出した雪に、思わず俺の声が裏返る。
「迎え!?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
悪びれる様子もなく首をかしげる雪。
完全にとぼけた顔だ。
現在、時刻は午前9時15分。
今日は平日だが大学に行くわけではない。
俺がダンジョンに行けない主たる理由――つまり能力の件――を解決するため、雪と一緒に10時までにダンジョン協会本部へ行く予定になっていた。
とはいえ、まさか“迎え”が来るとは聞いていない。
準備はそれなりに進めていたものの、今まさに服をどうするかで悩んでいたところだ。
「いや、さすがに今から準備して歩いて行くにはちょっとギリギリだな……」
そう思いながら、慌てて自室の窓を開けて外を覗くと、なるほど、それらしい車が家の前にきちんと停まっていた。
(……やっぱり確信犯だな、こいつ)
雪はとっくに身支度を終えて、玄関前で余裕の表情。
この状況を分かった上で俺に伝えてなかったとしか思えない。
思わず心の中で天を仰いだ。
とはいえ、荷物はすでにまとめてある。
問題は服だ――選ぶ余裕がない。
悩んでいる暇もなく、タンスの一番上にあった無難なシャツとパンツをつかんで、ものの数分で着替えを終えた。
「地味……」
玄関に出た瞬間、雪が無遠慮にぽつりとつぶやいた。
「うるさいな!時間がなかったんだから仕方ないだろ!」
「うん、まぁ確かに。そもそも迎えが来ること言ってなかった私も悪いしね。初対面の人をこれ以上待たせるのも悪いし……それで行こっか」
自分が悪い自覚はあるようだが、口調に反省の色はあまりない。
ファッションについて何か言われるのは今に始まったことじゃないが、朝から突き刺さる一言を食らうと地味にダメージがくる。
(……本当に、入院中に俺の枕元で寝ずに看病してくれてたって話、同一人物なんだよな?)
そんな思いを抱きつつ、玄関を出て、鍵をかける。
ちょうどそのタイミングで、停まっていた車の運転席から降りてきた女性に、雪が笑顔で手を振った。
「美咲さん、おはようございます!」
「おはよう、雪ちゃん。……そして、お兄さん。はじめまして。ダンジョン協会で雪ちゃんの担当をしている遠山美咲です。雪ちゃんから、いつもお兄さんの話を聞いてます。今日はよろしくお願いしますね」
にこやかに挨拶してきたのは、落ち着いた雰囲気のお姉さんだった。
年齢は……二十代後半くらいだろうか。
いかにも“しっかり者”といった空気をまとっている。
「遠山さん、こちらこそよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げつつ、車に乗り込む。
後部座席にはすでに雪が先に乗り込んでおり、隣をぽんぽんと叩いてくる。
車内は、柔らかな香りと整理整頓された内装が印象的で、まさに“できる人の車”という感じだった。
「……雪って、普段から迎えに来てもらってるのか?」
「え?ううん、いつもは電車だよ。今日は特別。ね、美咲さん?」
「そうなんです。本当は毎日お迎えでも構わないんですけど、雪ちゃんが遠慮しちゃうんですよね」
そう言って美咲さんがルームミラー越しに苦笑いを浮かべる。
「遠慮じゃなくて、特別扱いは嫌だから……」
ぶつぶつ文句を言う雪に、俺は思わず吹き出しそうになる。
確かに妹は昔から、そういうのを嫌がるタイプだった。
「でも、電車ってバレたら結構騒ぎになるんじゃ……?」
「軽く変装もしてるから、ギリギリ大丈夫。今のところはね」
そう言って得意げに胸を張る雪だが、美咲さんのやれやれという表情を見る限り、それも怪しい。
「それにしても……お兄さんとは、今日が初対面のはずなのに、不思議とそんな気がしないんです。雪ちゃん、普段からお兄さんの話ばっかりなんですよ」
「みっ、美咲さんっ!そういうこと言わないでってば!」
突然、雪が真っ赤になって声を上げる。
普段の落ち着いた態度からは想像もつかない、慌てようだった。
(……おや? 珍しいな)
そんなに恥ずかしがることなのかと、思わず興味が湧く。
どんな話をしていたのか、詳しく聞いてみたい衝動に駆られるが――
横から刺さるような視線。
思わず喉まで出かけていた言葉を、そっと飲み込んだ。
(……今は、やめておくか)
そんなこんなで、車はゆっくりと都心を走っていく。
道はやや混み気味だったが、それでも予定の10時よりは少し早く着けそうなペースだった。
出発から15分ほど経ったころ、車窓の先に、特徴的なデザインの巨大な建物が見えてきた。
「……あれがダンジョン協会本部か」
敷地の奥まで連なる建物群。
その中心にそびえる本部棟を囲むように、能力者用の訓練施設やダンジョンの研究施設が併設されており、そのスケールに思わず息を呑む。
通りすがりで見かけたことはあるが、中に入るのはこれが初めてだ。
「もともとは、あそこに公園があったんですよ」
運転席から、美咲さんが静かに説明する。
「え、公園だったんですか?」
「はい。地域の方々が散歩されたり、お子さんが遊んだりしていた場所だったのですが……魔物の氾濫後、安全確保を最優先にすべきという世論の流れもありまして。結果的に、大規模な再開発が行われたんです」
「それで、ここに協会本部が」
「反対意見も一時は出ていたのですが……今となっては、受け入れられている方が多いですね」
警備ゲートで美咲さんが身分証を提示すると、警備員はすぐに通してくれた。
車は静かに敷地内へと入っていく。
「そういえば雪、今日は能力者登録だけなんだよな?」
「うん。でも、その前に能力検査があるよ。どんな能力か分からないと、登録もできないからね」
隣に座る雪が、こちらを振り向きながら答える。
能力が覚醒した者は、ダンジョン協会への登録が義務付けられている。
登録せずに能力を使えば、重い罰則が課されるのだ。
「……じゃあ、俺も今日から正式に能力者ってことになるのか?」
「そうだね!」
雪が誇らしげにニコリと笑う。
ちなみに、俺はつい最近まで“登録=協会所属”だと勘違いしていたのだが、実際には協会の専属として活動するか、フリーとしてやっていくかを自分で選べるらしい。
(雪が言ってた“能力者の世界は一枚岩じゃない”ってやつか)
その意味が、ようやく実感として理解できてきた。
「お二人とも、目的地に到着いたしました」
美咲さんが車を停めながら振り返る。
「第2訓練場にて、入澤さんと検査官の方がすでにお待ちです」
窓から外を覗くと、目の前には巨大な訓練施設が広がっていた。
無骨な石造りの外観に、最新技術が取り入れられたような洗練された構造。
その存在感に、思わず圧倒される。
「……ここ、全部訓練施設なんだな」
「はい。ダンジョン協会に登録された方であれば、どなたでも利用可能です。訓練場にトレーニング施設、プールなどが併設されておりまして、身体能力やスキルの向上に役立てていただける環境になっております」
「すごい……」
「訓練場については、魔法や特殊能力にも耐えられるように、ダンジョン内で採取された特殊素材を使用して建設されております。安心してお使いください」
そんな丁寧な説明に、どこか観光地に案内されたような気分になりつつ、俺と雪は美咲さんにお礼を言って、車を降りた。
「行こう、お兄ちゃん。入澤さん、時間にはすごく厳しい人だから、もう来てるかもしれないよ」
「ああ、俺は場所がよく分かってないから、雪に付いて行くよ」
入澤さんが時間に厳しいというのは、何というか見た目通りだ。
ただ、まだ予定の時間までは余裕がある。
そこまで急がなくても問題はないだろう。
俺は周囲を見渡しながら、軽やかに先を歩く妹の背中を追いかける。
外の道は、かつて公園だった頃の名残が色濃く残っており、整えられた花壇には色とりどりの花が咲き誇っている。
青々とした木々も、街中であることを忘れさせるほどだ。
だが、訓練場の建物内に足を踏み入れると、そこは一転して近未来的な空間だった。
床にはセンサーらしきものが埋め込まれ、壁面には各種モニター。
自動化された設備や透明なドアなど、いかにも“最新鋭”という言葉が似合う空間が広がっていた。
「雪はよくここを利用しているのか?」
「う~ん、たまに、かな。任務と学校の行き来が多くてあまり来られないんだけど……任務がない日とかは、ここで新しい魔法を試したり、ちょっとしたトレーニングをしたりしてるよ。でも、意外と現場の能力者よりも、本部の研究職の人たちのほうが使ってるかも」
苦笑混じりの雪の言葉に、俺は思わず納得してしまう。
確かに、能力者は常にダンジョンに出向いていて、こういう施設にゆっくり滞在する余裕は少ないのだろう。
「――ここが第2訓練場」
雪の言葉に従い、5分ほど歩いた先で美咲さんに指定された場所に辿り着いた。
室内に入ると、既に先客がいた。
きっちりとしたスーツ姿の入澤さんと、白衣を着た、いかにも研究職らしい男性が並んで立っている。
「おはよう、陽向くん、雪さん。よく来てくれたね。一昨日にも言った通り、まずは登録に必須な能力検査を受けてもらう。こちらは担当の今野だ」
「おはようございます。今日の能力検査を担当します、ダンジョン協会本部の今野です。普段は能力者とペアを組んで検査を行うのですが、今回は陽向くんの能力が防御系と聞いていますので、雪さんに協力してもらう形をとっています。検査はおよそ1時間程度で終わりますので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
一昨日、入澤さんに「雪さんも一緒に」と言われた時は意味が分からず首をかしげたが、今野さんの説明でようやくその意図に合点がいった。
「では早速始めましょうか。まずは、能力を見せてもらえますか?」
「分かりました」
俺はゆっくりと右手を前に差し出し、集中する。
意識を込めると、空気がゆっくりと歪み、透明な壁が現れる。
「ほぅ、これが――ジェネラルゴブリンの大剣による攻撃を数時間防ぎきったという壁、ですか。」
「……これが、お兄ちゃんの能力……」
雪が思わず呟いた声には、驚きが混じっていた。
実のところ、能力の登録が済むまでの間は使用を禁じられていたため、雪に見せるのはこれが初めてだ。
約1週間ぶりに発動させたため、きちんと使えるか一抹の不安もあったが――今、目の前には確かに“あの時と同じ”防壁が浮かんでいた。
「ありがとうございます。では、これからいくつか試していきましょう」
今野さんの声と同時に、訓練場の照明が少しだけ落ち、検査が本格的に始まった――。




