15. 病室にて
「だって、明らかにおかしいでしょ!第三者の介入があったのは誰が見ても分かること。なのに、まだ調査中だなんて――」
「セイラ、もう少し言葉を選べ。この方はダンジョン協会本部の人なんだぞ」
「分かってます。でも、納得できないんですよ!」
怒りをあらわにするセイラさんと、彼女を必死になだめる男性の声が耳に届く。
(……俺は、寝てるのか?何が、あったんだっけ?)
思考が靄の中に沈んでいるようで、頭がうまく回らない。
体にも力が入らず、まるで自分のものじゃないような感覚だった。
「……セイラさんの言いたいことも分かります。ただ、今は事情を知っている人間は全員話せるような状態じゃない。あの魔道具は、我々にとっても前例のない代物でしてね。調査が完了して、安全が確認されるまでの間は……申し訳ないが、病院からは出ないでいただきたい」
――そうだ。魔道具。
ゴブリンジェネラルと戦って……能力が覚醒して、救援が来て……そして、気を失った。
記憶が断片的に蘇り、意識が徐々に現実に戻ってくる。
俺はゆっくりと瞼を開けた。
まだ視界はぼやけているが、どうやらここは病室のようだった。
腕には点滴の感触がある。
徐々に光に目が慣れてくると、目の前にはセイラさん、マスター、攻略本編集部の蘭さん、そして妹の雪。
最近関わりのあった4人の顔が確認できた。
加えて、40代くらいの見知らぬ男性が2人。
服装や雰囲気、先ほどの会話から察するに、一人はダンジョン協会本部の人間。
もう一人は、おそらく攻略拠点運営を担うゲーム会社の幹部だろう。
(……ずいぶん、物々しい顔ぶれだな)
意識が戻ってきた実感と同時に、ただならぬ状況に置かれていることを、嫌でも理解させられた。
「……皆、黙って。お兄ちゃん、目を覚ました」
雪の静かな声に、病室の空気が一変する。
全員の視線が一斉に俺に集まり、雪がベッドに顔を近づけて俺の目元をじっと覗き込む。
俺の瞼の動きを確かめると、彼女は素早く立ち上がり、扉の近くにいたマスターに目配せをした。
「医者を呼んでくる」
そう言ってマスターが病室を出ていく。
おそらくあらかじめ近くで待機していたのだろう、ほどなくして白衣姿の医者が姿を現した。
「清水陽向くん、初めまして。担当の吉川だ。どこか痛むところはあるか?」
簡単な診察を終えると、医者はやや柔らかい口調で問いかけてきた。
「筋肉痛みたいな痛みはありますけど……それ以外は、特に」
「うん、検査の結果も特に問題はなかった。ただ、かなり無理をしたみたいだね。体の使い方も、魔力の循環も。反動が出るのは時間の問題だと思うよ。少なくとも一日二日は、まともに動けないと思っておいた方がいい」
「分かりました」
――死を覚悟した俺にとって、一日や二日動けないくらい、取るに足らないことだった。
それよりもこうして生きて、皆と顔を合わせている。
それが、何よりも嬉しかった。
吉川先生は、雪と短く言葉を交わしたあと、静かに病室を後にした。
「雪、俺……どれくらい寝てた?」
「半日とちょっとかな。今は水曜日の朝十時だよ」
俺は、思わず肩の力が抜けるのを感じた。
漫画や小説で見るような、何日も眠り続けた昏睡状態、そんな大仰なものではなかったらしい。
前日に雪のダンジョン攻略に付き合って、ろくに眠れなかったことを思えば、長めの睡眠程度のものだ。
とはいえ――
(半日以上も……それだけ、戦ってたんだな)
頭の中でざっと時間を逆算してみると、やはりゴブリンジェネラルとの戦いは、数時間に及んでいたようだ。
体の重さと痛み、医者の言葉。
そのすべてが、あの戦いの激しさを物語っていた。
「あれ……?マスターとセイラさん、仕事は大丈夫なんですか?雪も……任務は?」
ようやく状況が飲み込めてきた俺は、ふとそんな疑問を口にした。
「……実は、いろいろと込み入った事情があるの」
雪がそう答え、視線をスーツ姿の男性二人に向ける。
「私から説明するよ」
眼鏡をかけた方の男性が、柔らかく口を開いた。
「私はダンジョン協会本部の入澤。そして、こちらにいるのが、君がいつも使っている第五攻略拠点を運営するゲーム会社のダンジョン部門責任者・栗原さんだ。陽向くん、体調はどう?」
「……はい。少し疲れてるだけで、大丈夫です」
「それなら良かった。けど――目が覚めたばかりの君には申し訳ないけど、聞きたいことが山ほどあるんだ」
入澤さんの視線は優しさを含んでいたが、その奥には明らかに「何かを突き止めたい」という鋭い光が見えた。
俺はとりあえず、眼鏡の男性が入澤さん、眼鏡なしの方が栗原さんだと頭にインプットする。
「まずは……そうだね。状況を整理したい。昨日のことを順番に、できるだけ正確に話してもらえるかな?」
俺は頷き、日曜の夜に倉本からダンジョン攻略の誘いを受けたところから、順に語り始めた。
一人で現地に向かうことになった経緯。
オークエリアで助けを呼ぶ声を聞いたこと。
そこにいたサークルメンバーたち――
いるはずのないゴブリンジェネラル。
仲間のほとんどがすでに重傷を負っていたこと。
闇の煙を放つ謎の魔道具。
そして始まった、命を賭けた戦い。
最後に――俺の、能力の覚醒。
その間、誰一人として口を挟む者はいなかった。
全員が真剣な表情で話に耳を傾け、時折、息を呑む音が聞こえた。
「……陽向君、よく頑張ったな。俺は、君の友人であることを誇りに思う」
マスターがゆっくりと近づき、昨日と同じようにそっと俺の肩に手を置く。
その言葉は嬉しかった。
けれど、胸の奥が締めつけられる。
――あの戦いは、俺にとって良い記憶なんかじゃない。
能力が覚醒したとはいえ、それは結果的に得られたものであって、最初から使いこなせていたわけじゃない。
もし俺がもっと強ければ、もっと早く気づけていれば――助けられた命があったかもしれない。
堪えきれず、涙が滲みそうになる。
だけど、それだけは見せたくなくて、必死に唇を噛みしめた。
――悔しさか、悲しさか、それとも。
あの時、アドバイス通りスキルを一つでも取っていれば何かが変わったのかもしれない。
あれも、これもと、思考が止まらない。
後悔、無力感、怒り、そして自責。
それらが容赦なく胸を叩き続ける。
複雑な感情が怒涛のように押し寄せ、自分でも驚くほど冷静でいられなかった。
「怪我をしていた4人は、どうなったんですか?」
気になっていたことを俺が口にすると、入澤さんは少しだけ表情を曇らせて答えた。
「そのことだが……怪我自体は、そこまで重くなかった。ただ、4人とも今は別の病棟で隔離している」
「隔離……ですか?」
「魔道具の影響だ。4人は、その魔道具から一定距離を取ろうとすると、決まって苦しみ出して叫び声をあげる。それに、宇田に関しては魔道具が手に張り付いたように離れなくなっていてな」
俺は息を呑んだ。
どうやら、魔道具の影響は肉体的な傷以上に深刻なものらしい。
「正体も効果もまだ分かっていない以上、無闇に近づけるわけにはいかない。今は厳重な警備のもとで4人を同じ病棟にまとめ、調査が進むのを待っている状態だ」
「……宇田は、あの魔道具でサークルメンバーを支配していました。ゴブリンジェネラルも、おそらく魔道具で誘き出されたんだと思います。でも、何かのきっかけで支配が外れた。そうとしか思えません」
俺の言葉に、隣で聞いていた雪が小さく頷いた。
「それなら、たしか海外任務のときにそんな話を聞いたかも。人や魔物を支配できる魔道具が発見されたって……。誰かの世間話の中で出た程度だったから、気にしてなかったけど」
雪の発言に入澤さんが少し頷く。
「なるほど。魔道具の効果について、我々もその線は考えていた。君たちの証言で、ある程度の裏付けが取れたよ」
そして入澤さんは声を落として、静かに続ける。
「それと……実はあの近くに、もうひとつ魔道具が置かれていた」
「え?」
「君は思わなかったかい?あのエリアで、何時間も誰も現れなかったのを。不自然だろう?」
確かに。あのときは必死すぎて考えもしなかったが――
平日ではあったが、人気の高い第五拠点の狩り場で、あれだけの時間誰も来ないのは妙だった。
オークエリアとはいえ、そもそも、俺とサークルメンバーしかいなかったなんてありえない。
「言われてみれば……。それも、魔道具の影響なんですか?」
「そうだ。その魔道具は“人払い”と呼ばれている。効果範囲内に入ると、理由もなく道を引き返してしまう。しかもそれを不思議にすら思わない」
――人払い。
もちろん、そんな魔道具の名前は初耳だった。
そもそも魔道具自体が極めて希少で、市場に出回ることなど滅多にないのに。
「でもそれって……俺が近づけたのは、おかしくないですか?」
「そこが引っかかってる点だ。私の推測では、陽向くんが現れたのとほぼ同時に、誰かが魔道具を取り出して設置した。それなら君が影響を受けなかったのも納得がいく」
「……でも、不審な動きをしてた人なんていませんでした。宇田も、ずっと見張ってましたし。アイテムポーチから取り出す動きがあれば気付いていたはずです」
俺はそのときの状況を思い返しながら、入澤さんにそう返した。
「そうだろうな。君の証言に矛盾はない。だから私は、魔道具を設置したのは君たち以外の“第三者”――外部の人間だと思っている。そして、それは君の最初の質問に繋がる話だ」
入澤さんは、言葉を区切って強調するように言った。
ダンジョン協会の調査でも、“第三者の介入があった”というのが現時点での結論らしい。
ただし、その狙いが誰だったのか――つまり、本当のターゲットが俺なのか、宇田なのか、あるいはまったく別の誰かなのか――まだ判断がつかない。
「だからこそ、君と関係が深い人物をしばらく保護して、状況の推移を見守ることにした。ここにいるミツハルさんや雪さん、セイラさんもその対象だ」
それを聞いて、ようやく今この病室に彼らが揃っていた理由が腑に落ちた。
だが、それでも納得していない者がいた。
「……セイラさんが怒ってたのは、その辺りの話ですね」
「そうだ。第三者の存在が確実だという証拠が揃っているのに、なぜか本部がそれ以上調べようとしないのか、とね」
つまり――
ダンジョン協会本部にも、まだ表に出せない事情がある。
そういうことだ。
「俺に関係があるっていうなら……倉本は、どうなりましたか?」
声に出してから、内心少し怖かった。
信じていた人間さえ、疑わなければならないような状況かもしれないのだから。
「心配しなくていい。彼もすでに保護しているよ」
入澤さんは、俺の表情を読んでいたのか、すぐに答えを返してくれる。
「どうやら、宇田から『陽向に謝りたい』って嘘をつかれて、どうにか連絡を取って呼び出してくれと頼まれたようだ。倉本くんは断れなかったんだろうね。君のことを心配してたよ。今は本部で話を聞いている。彼と宇田とのやり取りも、全て記録として残っていたから」
その言葉を聞いて、胸を撫で下ろす。
一瞬でも、倉本が協力者だったんじゃないかと思ってしまった自分が情けない。
けど――あいつの人柄を思えば、そんなことは絶対にありえない。
たとえ少しでも悪意を感じていたなら、こんなにも心が軽くはならなかったはずだ。
「さぁ……他にも聞いておきたいことはいくつもあるけど、今日はここまでにしよう。そろそろ、君のご両親が到着する時間だからね」
両親。
そういえば連絡は行っていたのか。
俺が緊急入院したと知って、大慌てで駆けつけている姿が目に浮かぶ。
(……皮肉なもんだな。家族全員が一度に揃うのは、いつ以来だろう)
そんなことを考えていると、栗原さんが一歩前に出て、深く頭を下げた。
「陽向くん。攻略拠点を運営する者の一人として……うちのダンジョンで君にこんな目に遭わせてしまったこと、本当に申し訳ない」
「そんな……栗原さんたちのせいじゃありません。起こったのが、たまたまそこだっただけです」
俺は慌ててそう言い返す。
栗原さんは悪くない。
むしろ、責任者としてこれから多くの対応に追われるのは彼らの方だ。
あれだけの被害が出てしまったのだから――
彼もまた、被害者のひとりなのだ。
「……ああ、それともうひとつ」
入澤さんが、唐突に声を上げる。
「陽向くんには、退院したらダンジョン協会本部に来てもらいたい。妹さんを見ていれば分かるだろうけど、能力者として覚醒した以上……もう、普通の生活には戻れないと思っておいてほしい」
その言葉に、病室の空気が一瞬、重くなる。
「もちろん、君が望むなら……妹さんと同じように、ダンジョン協会の専属として生きる道もある。歓迎するよ」
「……入澤さん、それは約束と違う。お兄ちゃんには、まだ何も説明してないんです」
低く、そして強い声音で遮ったのは雪だった。
その口調に、俺は思わず目を見張る。
「雪、俺は別に……」
フォローしようとした俺の言葉を、雪は鋭く断ち切った。
「能力者も、協会も、綺麗な話ばかりじゃないの。……お兄ちゃんには、また今度、ちゃんと話す」
その瞳には、明確な怒りと、そしてどこか迷いがあった。
(……能力者も一枚岩じゃない?)
思っていたよりも深い闇が、背後に広がっているような気がした。
ダンジョン協会の思惑。魔道具の謎。第三者の存在。
そして、雪の抱えるもの――
(何かとんでもないことに巻き込まれたのかもしれない)
額にじわりと浮かぶ汗を、指先が冷たく感じる。
(今は……今は、ただ流れに身を任せるしかない)
そう思った瞬間、病室の外から足音が聞こえた。
慌ただしく、そして心配を滲ませたその足音。
両親が到着したのだと気付き、俺は反射的に拳を握りしめた。
この先、俺の人生はもう――普通には戻れない。
それでも、前に進むしかない。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
この話をもって第一章は完結となります!
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