10. 異変
「宝箱の中身は……大剣か。作りも立派だし、頑丈そうだな。誰がこんな大きな武器を振り回せるのかは別として……装飾も綺麗だ。そこそこの値段にはなるだろうな」
マスターがそう評価したのは、ゴブリンジェネラルが使っていたものに似た、やや小ぶりな大剣だった。
小ぶりとはいえ相当な腕力か技術が必要そうで、一般人には到底扱えない代物だ。
だが、細かな彫刻が刃の根元から柄にかけて施されており、まるで工芸品のような美しさがあるのも事実。
「実際に使うとなると、能力者か、それに近い実力者じゃないと無理ですかね。でも、確かに鑑賞用かロマン枠としてなら……」
装飾武器は実戦用とは別に、コレクターや攻略者予備軍、果ては金持ちの趣味人にも人気がある。
一般の攻略者も、サブ武器としてアイテムポーチの中にロマン武器を忍ばせていることも多いと聞く。
確かに、戦闘用の装備とは異なる市場価値が存在するのだ。
「へぇ、いい所に目をつけたな。確かに、その層にも買い手はつきそうだ」
マスターは再びちらりと大剣を見て、軽く頷いた。
「それにしても……このダンジョンって、やっぱり不思議ですよね。誰が何のために作ったのか、魔物はどこから湧いてくるのか、未解放の領域には何があるのか……」
ふと漏らした俺の言葉に、マスターも視線をダンジョンの奥へと向けた。
「確かに、考え出したらキリがないな。けど――こういうのは地球の科学じゃ説明しきれない領域だ。いずれは、雪お嬢ちゃんたちみたいな能力者が解き明かす日が来るかもしれないな」
その言葉に続くように、ふと沈黙が訪れる。
俺たちがこの階層からポータルで脱出するか、あるいは次の階層へ進めば、またしばらくしてゴブリンジェネラルとその配下たちが再びこの場所に姿を現すだろう。
いつまでも変わらないようでいて、確かに誰かが進み続けている。
そんな奇妙な均衡が、ダンジョンには存在している。
「……?」
ふと横を見ると、雪がマスターの顔をじっと見つめていた。
表情は読み取れないが、何かを考え込んでいるようだった。
「ゆ……雪お嬢ちゃん?ど、どうかしたのかな?」
マスターが気圧されたような声を出すと、雪は目を細め、ゆっくりと首を横に振った。
「なんでもない。……ただ、少し気になっただけ。」
そう言って、また視線を逸らす雪。
その声音に怒気は感じられないのだが、どこか釈然としない空気が流れた。
――なんだろう。何か、引っかかるような……。
俺は何気なく、もう一度大剣の装飾を眺めながら、雪の様子を気にするのだった。
「まだまだ時間もあるし、少し休憩して第4階層に向かいましょうか」
「了解。俺はその間にマップを確認しておこう」
下の階層に進むにつれ、情報はどんどん少なくなっていく。
だがそれでも、基本的な地形やボスの特徴程度は、攻略者たちの手によって明らかにされている。
俺はアイテムポーチから分厚い攻略本を取り出し、第4階層のページを開く。
初めて踏み込むエリアということもあって、知らず知らず手が汗ばむ。
落ち着かない気持ちを誤魔化すように、ページをめくる手を止めなかった。
10分ほど、主を失った静寂のボス部屋で軽く体を休めてから、俺たちは階段を下る。
「この階層から先は、情報が少ない。慎重にいこう」
「はい」
重い足取りを一歩ずつ進めながら、マスターがこれまでの戦闘のフィードバックをする。
第3階層で発動した“初見殺し”の罠――あれは、雪のお陰で無傷で済んだが、メンバーがメンバーなら、致命傷は免れなかっただろう。
「それと、あの時のクリティカル。陽向君も俺も、もう少し慎重に動く必要がありそうだ」
「そう、ですね」
上手く対応することが出来たが、あの時のヒヤリとした空気は今でも忘れられない。
意図しないクリティカルではあったものの、相手によっては仕方のないミスが命取りになることがある。
攻略本によると、第4階層に登場するとされるのは――オークの上位個体。
緑色の肌に、いかつい豚のような顔。
ゴブリンよりも一回り大きな体格に、強靭な筋肉。
人間の大人と同じくらいの身長で、特に腕力には警戒が必要と記されていた。
戦い方そのものはゴブリンと大きな違いはない。
だが、油断して一撃でも喰らえば即座に戦闘不能に陥る恐れがある。
特に、俺のように防御スキルを持たない前衛にとっては、動き一つを誤ることが命取りだ。
「……さぁ、行くか」
マスターの短い言葉で、緊張が引き締まる。
俺たちは決意を胸に、重厚な鉄扉を前に立つ。
マスターが手をかけ、軋む音とともに扉を押し開いた。
先頭はマスター、次に俺、そして雪が最後尾につく。
第3階層のように、扉を開けるのと同時に罠が発動する様子はない。
胸を撫で下ろしつつも、警戒を緩めるわけにはいかない。
最後に雪が足を踏み入れたその瞬間――
ゴゴゴゴ……。
重く低い振動音が空間に響く。
それと同時に、背後の扉が、まるで何かに導かれるようにゆっくりと閉まり始めた。
「……え?」
その異音に、思わず後ろを振り返る。
通常、階層へと通じる扉は人力でしか操作できないはず――少なくとも、今まではそうだった。
「……緊急事態発生、ね」
雪が静かに、しかしはっきりと呟いた。
その声には、かすかに緊張が滲む。
俺は一瞬で理解する。
これは、噂に聞いていたボスラッシュ型で稀に発生するという――本来出現しない変異種や、上位存在が現れた際、強制的に戦闘へ移行させられる特別な現象だ。
扉が閉まることで、逃げ道は断たれている。
「あれは……オーク、ではなさそうだな」
身構えた俺の口から漏れたのは、そんな言葉。
この攻略拠点近くにオークの生息地があるため、雪は勿論、俺とマスターも、オークとの戦闘経験が豊富だ。
だが、広間の奥――暗がりの中に見える影の“輪郭”は、あまりにも異質。
身体は鈍重で分厚く、巨大な骨格は明らかにオークのものではない。
「……雪お嬢ちゃん、知ってるか?」
マスターが静かに尋ねる。
彼の声には珍しく、焦りと警戒が滲んでいた。
「……予想はあるけど、確信はできない。もう少し、近付かないと」
雪の答えは慎重だったが、ある程度のあたりはつけているようだった。
雪のそんな言葉を受けて、俺たちは何時でも戦えるように臨戦態勢をとりながら、少しずつ前進する。
「かなりのサイズだな……」
マスターの言葉通り、魔物との距離から見るに、さっき戦ったゴブリンジェネラルよりも大きい。
それに、溢れ出す威圧感もゴブリンジェネラルの比ではない。
「あれは……、オークではなくてオーガね。それも上位種」
しばらく進んで輪郭がはっきりしてきたところで、雪が吐き捨てるように言った。
「なっ……オーガの上位種――?」
思わず、俺は彼女を見る。
雪はすでに杖を構え、まさに“撃てる”体勢を整えていた。
――オーガ。
それはオークの強化種ともいえる存在で、見た目の凶暴さに違わず、戦闘能力も段違い。
5年前の魔物氾濫で、都市部に多大な被害をもたらした張本人の一角でもある。
映像で見たあの禍々しい姿が、目の前の“それ”と重なる。
当時の記憶が嫌でも蘇り、胸の奥が冷たくなる。
あれが本当に、オーガの上位種だとすれば――一般攻略者でしかない俺など、一瞬で地に伏せられてもおかしくはない。
それほどの、圧倒的な“魔”の存在感が、目の前の空間に立ち現れていた。
攻略本には第9階層までの情報しか記載されていないが、俺の記憶の限り、この遺跡型ダンジョンに“オーガ”の存在が記されていた覚えは一切ない。
「雪、このダンジョンでオーガの出現報告は……?」
「あるよ。能力者パーティーの話で、第10階層にはオーガが出てくるって聞いた。上位種だったかまでは知らないけど」
即答だった。
ダンジョン協会に所属する雪が、俺やマスターの知らない内部情報を握っていても不思議ではないと思っていたが、予想通りだ。
(……第10階層か。そりゃ情報が出回ってないわけだ。)
第9階層までは、能力者を除いた一般の攻略者パーティーがすでに踏破しており、攻略本などの公開情報として記録されている。
しかし、その先――第10階層以降は、能力者パーティーしか踏み入れていない領域だ。
つまり、そこに出現する魔物の情報も一般には一切共有されていない。
だからこそ――
「……ボスラッシュ型は、こういうのがあるから本当に厄介なのよ」
雪が苦々しげに眉をひそめる。
ボスラッシュ型ダンジョンでは通常、それぞれの階層に対応するボスが規則的に現れる。
だが、低確率で“下層階のボス”――本来はまだ見ぬ存在――がフロアを飛び越えて現れることがあるという。
いわば“階層超えの刺客”。
これは、フィールド型ダンジョンで偶発的に上位の魔物に遭遇するのと似た、理不尽ともいえる現象だ。
「雪お嬢ちゃん、オーガが……こちらに気付いたようだ。どうする?」
これまで大半の場面でパーティーの指揮を執ってきたマスターが、初めて雪に判断を委ねるような口調で問いかけた。
俺はもちろん、マスターも実戦でオーガと交戦したことはないはずだ。
だからこそ、経験が豊富で、最前線の情報を知る彼女の判断に頼るしかない。
「実は私も、戦ったことはないの。でも……オーガの上位種なら、念の為二人には下がってもらっていた方がよさそうね」
返事を待つこともなく、雪はいつになく真剣な表情のまま、一歩ずつオーガへと歩みを進めていく。
その背中からは、冷ややかな気迫が滲み出る。
大半の攻略者であれば、足がすくんで動けずに終わるだろう。
だが、今回それに遭遇したのが俺たちだったことは――ある意味、幸運だったのかもしれない。
その意味を、俺とマスターはこれから思い知ることになる。
『氷葬領域』
雪が小さく詠唱すると、空気が凍りついたように張り詰める。
瞬く間に霧のような冷気が渦を巻き、天井から白銀の結晶が降り始めた。
視界を満たすほどの氷の花が、世界を塗り替えていく。
それは、雪が“本気”で戦うときだけに展開する魔法――氷葬領域。
この空間において氷属性魔法の力は飛躍的に増幅し、彼女の支配が絶対となる。
『凍鎖結晶』
『氷哭嵐牙』
続けて放たれた魔法が、オーガを一気に包囲する。
まずは無数の氷鎖が音もなく伸び、巨体を絡め取るように凍らせた。
その上から、竜巻のように回転する氷嵐が唸りを上げて襲いかかる。
結晶が刃となって肉を裂き、吹雪が視界すら奪っていく。
「やったか……?」
「マスター、それはフラグです!」
俺の返答に、雪が口元だけでかすかに笑った気がした。
氷に閉ざされたオーガの身体が、再び鈍い音を立てて動き出す。
バキバキと内側から氷を砕きながら立ち上がったその顔には、さっきまでの余裕など一欠片も残っていない。
恐怖と焦りを滲ませ、理性のかけらすらなくした咆哮を上げて雪へと突進してくる。
だが――
『極閃氷華』
その叫びは、雪の新たな詠唱によってかき消された。
煌めく氷の華が、爆発的な勢いで空間を満たす。
それらは刃となり、矢となり、流星のように降り注ぎ、オーガの身体を無数に貫いた。
血飛沫と共に鈍い足取りとなったオーガは、それでもなお前進を続ける――が、それも長くは続かなかった。
足元から凍りはじめ、次第にその巨体は氷像のように硬化していく。
最後の一歩を踏み出す前に、オーガは完全に動きを止め――沈黙した。
「ミツハルさん、今後こそ倒せたみたいですよ?」
「……あぁ。そうみたいだな」
雪がマスターへと向ける微笑みは、戦闘の緊張など感じさせない穏やかなもの。
汗ひとつかかず、髪すら乱れていない。彼女だけが、別の時間軸で動いていたかのようだった。
強大なオーガの上位種。
その名を聞いただけで尻込みする者が大半を占める相手との戦いは――まるで一編の美しい詩のように幕を閉じた。
だがそれは、“雪という存在”の異常性を、俺たちに強く印象づけるものでもあった。
「……ありがとう、雪。最初から全力で強い魔法を使っていて、正直驚いたよ」
「オーガの上位種は初めて戦う相手だからね。わざわざ手加減してやる理由もないでしょう?」
その口調はいつも以上に淡々としたもの。
背後に残る氷の結界だけが、この戦いが本物だったことを物語っている。
――これがもし、小説やアニメの世界だったら。
少しずつ力を出して、最後の最後に切り札を出すなんて、そういう演出もあるかもしれない。
だが、命が懸かった本物の戦いにおいて、それはあり得ない。
だからこそ呆気なかった。
けれど、これが現実だ。
(ジェネラルゴブリンにさえ苦戦した俺たちとは……いったい、どれくらいの差があるんだろう)
ここ最近、自分なりに成長を実感していたつもりだった。
それでも今、目の前で繰り広げられた“圧倒的な暴力”は、そんな手応えをいとも簡単に打ち砕いてくる。
――これが、上位能力者の実力。
凍りついたオーガの上位種に警戒しつつ近付いてみると、既に完全に息絶えていたようで、その巨体は徐々に粒子となって消えていく途中だった。
完全に消滅したあとも、期待された宝箱は出現せず、地面に残されたのは、いくつかの素材だけだった。
「ちょっと予定より早くなったけど、ポータルを通って入り口まで戻ろうか。ミツハルさん、お兄ちゃん、それでいい?」
「あぁ、俺は構わない。オーガの上位種の報告も必要だろう?」
俺の返事にマスターが無言で頷くと、雪が素早くポータルの座標を設定し、青白い光の渦がその場に現れる。
その中へ、雪が一歩先に足を踏み入れた。
突然の遭遇、圧倒的な力、そしてあっけない決着――。
まるで夢を見ていたかのような、午後のダンジョン攻略である。




