【再掲】感情が欠落しているからと婚約破棄された令嬢は、幼馴染と微笑み合う
「婚約を破棄したい」
それは、わたくしがずっとずっと恐れていた瞬間だった。
目の前にいるのは十二歳の頃に婚約を結んだアルバートと、最近彼のそばでよく見かける子爵令嬢のミリー様。二人はこちらからもわかるほど、しっかりと手をつなぎ合っている。胸が引きちぎれそうなほど痛くて今にも涙がこぼれそうな中、わたくしはアルバートを見つめた。
「どうしてですの? 理由を聞かせていただけませんか?」
心の中はパニックで、ぐちゃぐちゃで、苦しくてたまらない。それなのに、こんなときでもわたくしの声は震えもしない。まるで感情が欠落した人形のような冷たい声音に、わたしは絶望してしまった。
「君といるとこちらまで心が冷たくなる。一緒にいても楽しくないんだ」
(あぁ……やはり)
正直言って、理由なんて聞くまでもなかった。けれど、どうしても信じたくなくて――受け入れたくなくて、たずねたわたくしが馬鹿だった。
胸が痛い。
悲しくて苦しくて『嫌だ!』って叫びたくてたまらないのに、表情筋はちっとも仕事をしてくれない。アルバートにはきっと、氷みたいに冷たい侯爵令嬢クリスティーナの表情が見えているのだろう。
「それで、わたくしとの婚約を破棄し、ミリー様と婚約をなさるのですね」
「……そういうことだ」
五年間愛してやまなかった美しい顔が、わたくしを見つめながら苦し気に歪む。
こんなに……こんなにも好きなのに、わたくしはその想いを一ミリすらも伝えることができなかった。どうか考え直してほしいと、あなたが好きだと伝えたいのに、わたくしの唇は思い通りに動いてはくれない。
「承知いたしました」
結局、最後までわたくしは自分の想いと真逆の言葉を吐いた。もう、アルバートの顔を見ることはできなかった。
***
「なんで……! どうして婚約破棄を承諾してしまったの? どうしてわたくしは、自分の感情を表に出すことができないの?」
「そんなに泣いたら目が腫れちゃうよ? 程ほどにしておかないと」
「大丈夫よ! わたくしは、エリオットの前じゃないと泣けないから」
先程までとは打って変わってポロポロとこぼれ落ちる涙と想い。
アルバートに別れを告げられたわたくしは、まっすぐ家に帰ることもできず、気づけば幼馴染のエリオットを訪ねていた。
侯爵令嬢たるものいつも完璧でなければならない。悲しくとも人前で涙を流してはいけない――そうわかっているけど、一人では泣くことも、この感情を昇華することもできない。
そういう時、わたくしは、エリオットの元に来るようにしている。
とはいえ、アルバートとの婚約後はそういうことは控えていたので、エリオットの屋敷を訪れるのも、彼とまともに話すのも、実に五年ぶりのことだ。
「『君といるとこちらまで心が冷たくなる』……か。クリスは本当は、こんなにも感情豊かなのにね」
エリオットはわたくしの顔を見つめながら、困ったように笑っている。なんでだろうね、って彼の問いかけに、わたくしは首をブンブン横に振った。
「わからないわ。わたくしだって理由が知りたい」
幼い頃からわたくしは感情が欠落した人形のようだと評されていた。嬉しくても口角があがらないし、悲しくてもいつもと同じ無表情で、口数も決して多くない。父も母も兄も、わたくしのことを扱いづらいと思っているのは間違いなくて。
そんなわたくしが、唯一感情を表に出せる相手がエリオットだった。
エリオットはわたくしがどんなに無表情でも無口でも構わず話し掛けてくれるし、黙ってそばにいてくれる。そんな日々が一年ほど続いたある日、彼と遊んでいたわたくしがはじめて笑顔を浮かべることができた。あのときにはエリオットも、一緒にいた侍女たちも、わたし自身も、とても驚いたものだ。
「――そんなに、アルバート様のことが好きだったんだ」
エリオットが小さくため息を吐きながら穏やかに微笑む。その瞬間、ぶわりと涙が浮かびあがり、嗚咽が漏れた。抑えていた感情が爆発して、苦しくてたまらない。何度も何度も頷きながら、わたくしはハンカチに顔を埋めた。
「好きだった! 大好きだった! あんなに人を好きになることはきっと、もう二度とないわ!」
アルバートのことを思い出すと、胸が痛くてたまらない。
はじめてアルバートに会った日は本当に幸せだった。大人びた表情にスマートな身のこなし、くりくりした大きな瞳にサラサラした金髪――完璧な一目惚れだった。
互いの両親も婚約を前提でわたくしたちを引き合わせていたので、あとはもう流れに身を任せるだけでよかった。わたくしは十二歳にして、アルバートの婚約者の地位を手に入れた。
けれど、わたくしはどうしても、彼に対して微笑みかけることも、自分の想いを直接伝えることもできなかった。
努力はしていたものの、彼に向けられるのは人形みたいな無表情ばかり。会話は普通に交わせても、肝心なことは何一つ伝えられていない。彼が婚約を破棄した原因がわたくしにあるのは明白だった。
「いやいや、確かにクリスにも原因があるかもしれないけどさ、悪いのは間違いなくアルバート様だと思うよ」
「そんなことない」
「だって、歩み寄りって大事じゃん。アルバート様はちゃんとクリスの気持ちを聞こうとしてくれた?」
「…………うん」
多分、きっと、そう。アルバート様はいつも、小さな花束と共にわたくしに会いに来てくれた。微笑みすらもしないわたくしに呆れつつ、それでもポツリポツリと話題を振ってくださっていた。どれだけ面倒くさそうな表情をしていようと、何十回とため息を吐こうとも、歩み寄ろうと努力をしてくださっていたのだと思う。
「本当に?」
「……うん」
本当は、何度かアルバートに手紙を書いた。『会いに来てくれて嬉しい』『アルバートのことが好きだ』って、素直な思いを書き綴った。
だけど彼は「嘘はつかなくていいよ」と不機嫌そうに言い放ち、眉間にシワを寄せていた。もちろん、嘘だと思わせたわたくしが悪いのだけど……。
「でもさ、だからって浮気して婚約破棄していいって理由にはならなくない?」
「うっ……うぅっ…………!」
エリオットは大変痛いところを突いてきた。
アルバートを責めたくなんてない。けれど、エリオットの言うとおり、もしも順番が違っていたら――ちゃんと婚約を解消してからミリー様と結ばれていたなら、わたくしはここまで傷つかなくてよかったのかもしれない。ハンカチが再び勢いよく濡れた。
「それで、クリスはこれからどうしたいの?」
「……どうするって?」
ハンカチから顔をあげるわたくしに、エリオットが指を三本立てて見せる。
「①このままアルバート様を諦める。②諦めずにアルバート様を取り返す。③いったんアルバート様のことは忘れて、別の何かを考える。どれが良い?」
「――今更足掻いてももう遅いわ。すでに婚約破棄を承諾してしまったし」
そう返事をしたものの、わたくしの心境は複雑だった。
ミリー様からアルバートを奪い返せるとは思っていない。けれど、このまま終わらせていいとも思えない。
「だけど、このままじゃクリスはこの恋を終わらせられないでしょ?」
エリオットはまるでわたくしの気持ちを読みとったかのごとくそう口にした。ぐしゃぐしゃの表情のまま、わたくしはエリオットをじっと見つめる。
「……ねえエリオット、手伝ってくれる?」
「ん? 何を手伝えばいい?」
「わたくし、一度でいいからアルバート様に笑いかけてみたい」
感情が欠落した人形のようなわたくし――彼がわたくしを見限った理由。きっとそこに向き合わない限り、わたくしはいつまで経ってもアルバートのことを引きずってしまう。
「彼に想いを伝えてみたい。五年間、ずっとずっと好きだったって、自分の口で伝えたいの」
「……そっか。そうだね、それは伝えたほうがいいと思う」
エリオットはそう言って、ぐしゃぐしゃになったハンカチを奪い取り、優しく涙を拭ってくれる。心がじんわりと温かくなって、涙がまたにじみ出た。
「それじゃあ、まずは練習からはじめよう」
***
翌日からわたくしの隣にはいつも、エリオットがいてくれるようになった。
この五年間、エリオットはわたくしに話しかけることも、側にいることもしなかった。それは、わたくしがアルバートの婚約者であり、周囲に不用意な誤解を与えないためだった。
けれど、婚約を破棄した今、そんなことを気にする必要はない。
「クリス、緊張してる?」
「……してる。皆からの憐みの視線が痛い」
すでにわたくしとアルバートとの婚約破棄は学園中に知れ渡っているらしい。おそらくは『プライドが高すぎて婚約を破棄された』とか『感情が欠落しているから、婚約破棄されても痛くもかゆくもないはず』とか噂されているんだろう。そう思うと、胸がチクチクする。
「大丈夫だよ。ちゃんと表情に出てる。緊張とか、婚約破棄をされた悲しさとか、そういうのが見てわかるよ」
「本当?」
「ホントホント」
けれど、今日のわたくしはいつもとは違う。隣にエリオットがいてくれるから、感情が表に出ている……はずだ。
わたくしたちが立てた作戦はこうだ。
まずは、エリオットの隣で少しずつ感情を表に出す練習をする。いきなりアルバートの元に行っても、失敗する可能性が高いからだ。
次に、想ったことを言葉にする練習をする。人形のような無表情のせいで、わたくしには友達もろくにいない。だから、エリオットの力を借りて、少しずつ人との会話に慣れていこうという話になったのだ。
「おはよう、エリオット」
友人の多いエリオットにはたくさんの人が話し掛けてくる。一人一人に丁寧に挨拶を返しながら、エリオットはさり気なくわたくしにも話を振ってくれた。
「ほら、クリスも」
「おはよう、ございます」
残念ながら、わたくしにはぎこちない挨拶しか返せない。それでも、エリオットの友人たちはみんなわたくしのことを温かく受け入れてくれた。それどころか『はじめて笑顔を見た』とか『可愛い』みたいな言葉を掛けてくれる人もいて、とても嬉しい。
けれど次の瞬間、わたくしの心は粉々になった。
(アルバート)
進行方向には婚約を破棄されたばかりのアルバートがいる。さらに、傍らには彼の次のお相手であるミリー様がいて、穏やかに微笑み合っていた。
(嫌)
本当は今すぐこの場から逃げ出したかった。足がガクガク震えるし、胸が痛くたまらない。仲睦まじいふたりの姿と、自分の姿があまりにも対比的で、あまりにも惨めで情けない。
けれどそのとき、隣からふわりと手を包みこまれた。見れば、エリオットが優しく微笑みながら首を横に振っている。
「ねぇエリオット。わたくし今、どんな顔をしている?」
「……綺麗だよ、すごく。ものすごく悲しくてたまらないって表情になってる」
その瞬間、ポロリと涙がこぼれ落ち――それから思わず笑ってしまった。
(そっか。これまではどうやったって無理だったけど、わたくしは今、感情を表に出せているんだ。……だったら、このまま逃げたらダメだ)
ほんの少し、一ミリだけでもいい。アルバートに自分の気持ちを伝えたい。
一歩、また一歩、わたくしは前へ進む。緊張で身体が震えるし、怖くてたまらなかった。けれど、今はエリオットが隣りにいてくれる。勇気を出さなければ、だ。
「おはようございます、アルバート様」
アルバートの隣を通り過ぎようというそのとき、エリオットが彼に声をかけた。
心臓がバクバクと鳴り響く。唇をギザギザに引き結んだわたくしを見て、アルバートは愕然とした表情を浮かべた。
「あっ……あぁ、おはよう」
その動揺っぷりに、わたくしは本当に彼へ感情を見せたことが無かったのだなぁと思い知る。エリオットはわたくしの手を引くと、大股歩きでその場を後にした。
「クリス、大丈夫?」
裏庭にわたくしを連れ出し、エリオットが尋ねる。わたくしは必死にコクコクとうなずいた。緊張と興奮のあまり、なかなか言葉が出てこない。加えて、涙がポロポロとこぼれたけど、心はほんのりと温かかった。こんな場所で、こんな風に涙を流すのは初めてだ。
「……平気。ねぇ、わたくし、今笑えてる?」
まだまだ悲しみは癒えない。けれど、今のわたくしには笑顔のほうが似合う気がした。
だって、はじめてアルバートに感情を見せることができた。彼のあんな表情を見ることができた。それだけで、たまらなく嬉しいと思う。本当に大きな一歩だ。
「……うん。すごくいい笑顔になってるよ」
そう言ってエリオットは穏やかに目を細める。その瞬間、なぜだか胸がドキッとした。
***
それから数か月、わたくしはエリオットのおかげで、随分感情を表に出せるようになっていた。
彼と一緒に接したことがある相手となら、エリオットがいないときでも、笑顔で接することができる。思ったことを言葉にすることにも抵抗がなくなっていた。
「もっと早くクリスティーナと仲良くなれていたらよかったのに」
「本当、本当! もうすぐ卒業なのが残念だわ」
このわたくしに、そんな言葉を掛けてくれる友人ができたことが嬉しくてたまらない。
と同時に、もうすぐアルバートとの接点がなくなってしまうことに対して、わたくしは焦りを感じていた。
あれからアルバートとは挨拶を交わす程度の関係が続いている。
はじめは顔を見るたび婚約を破棄された悲しみが胸をよぎり、そういった表情ばかりを彼に向けていたものの、最近は少しずつ少しずつ、アルバートに対して笑顔を向けられるようになってきた。その度にアルバートは驚きと戸惑いがないまぜになった表情を浮かべる。それがあまりにも嬉しくて、わたくしは言い知れぬ喜びを感じていた。
(今なら、手紙を書いたらわたくしの気持ちを信じてもらえるかしら?)
以前渡したときには『嘘』だと言われてしまったけれど、今なら受け入れてもらえるかもしれない。もちろん、直接口で伝えるのが一番だろうけど。
「クリスティーナ」
そんなある日のこと、わたくしはアルバートに呼び止められた。
彼の傍らにいつもいるミリー様の姿は今日はなく、わたくしは小さく息を呑む。
「その……卒業パーティーのことなんだが」
「……はい」
残念ながら今、エリオットはわたくしのそばにはいない。こんな風に二人きりになるのは、婚約をしていたときが最後。もう何か月も前のことになる。
緊張でドキドキと心臓が騒ぐなか、わたくしはアルバートを見上げた。
「俺のパートナーになってくれないか?」
「……え?」
それはあまりにも思いがけない申し出だった。
わたくしは目を見開き、何度も瞬きをしながらアルバートを見つめる。ちゃんと驚きが表情に出ているか、少しだけ心配だった。
「わたくしを卒業パーティーに?」
卒業パーティーには当然、婚約者と出席するのが基本だ。まだ婚約をしていない者同士でペアを組むことはあるが、婚約者がいる人間が他の相手を選ぶことなどあり得ない。
「けれど、ミリー様は……」
「あいつとはまだ婚約を結んでいない。俺はあれから……クリスティーナとの婚約を破棄したことを、ずっと後悔していた」
アルバートの言葉にわたくしは大きく息を呑む。
それはずっとずっと、彼の口から聞きたいと思っていた言葉だった。
どうしようもなく胸が高鳴り、瞳には涙がたまる。アルバートはわたくしを見つめながら、目尻にそっと手を伸ばした。
「知らなかったんだ。君がこんな顔をして笑えることも、こんな風に会話が交わせることも。以前君がくれた手紙……あれは君の本心だったんだな」
アルバートはそう言って懐かしそうに目を細める。なぜだか胸がツキンと痛んだ。
「俺はずっと君という人を勘違いしたまま、ここまで来てしまった。本当に申し訳なかったと思っている」
どうしよう……信じられない。アルバートがこんな言葉をかけてくれるなんて、想像したこともなかったのだ。もちろん、彼に気持ちを伝えたいと思っていたし、復縁ができたら嬉しいと思ってはいたけれど……。
「もう一度やり直そう。今度こそ、君を大事にする。幸せにすると誓うから」
そう言ってアルバートはわたくしのことを抱き締めた。彼がこんなことをするのは、知り合って以来はじめてのことだった。
――けれど、何故だろう。
胸の辺りがモヤモヤする。
きっと、婚約を破棄される前のわたくしがアルバートからこんな風に抱き締められていたら、心の中はお祭り状態だっただろう。嬉しくてたまらなかっただろう。
それなのに、今のわたくしには、この状況を素直に喜べない。
アルバートの後ろ姿を見送りながら、わたくしは小さくため息をついた。
「よかったじゃん」
その時、慣れ親しんだ声が聞こえてきて、わたくしは後を振り返る。
「エリオット」
「正直、ここまで上手くいくと思ってなかったよ」
エリオットはそう言って、朗らかな笑顔を浮かべた。けれど、何故だろう。それが今にも泣き出しそうな表情に見えて、わたくしは何やら胸が苦しくなる。
「クリスの想いが伝わって、俺も嬉しい」
気づけばわたくしの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。肩を震わせ眉間に皺を寄せたわたくしの背中を、エリオットがポンポンと撫でてくれる。
「あいつともう一度婚約するんじゃ、俺はそばにいてやれないけど……もう大丈夫だろ?」
エリオットの言葉に、わたくしは大きく首を横に振る。
(全然、大丈夫じゃない)
けれど、エリオットは穏やかに目を細めると、そのままその場を立ち去ってしまった。
***
それから数日後、わたくしたちは卒業の日を迎えた。
あの日以降、わたくしはエリオットに会えていない。家の手伝いのために学園を休みがちなうえ、会いに行ったところで取り次いでもらえないのだ。
(けれど、今日の卒業式には絶対出席するはず)
案の定、エリオットの姿を見つけたわたくしは、ほっと胸を撫でおろした。
「いよいよ卒業だね」
わたくしの隣で、晴れやかな笑みを浮かべたアルバートがそんなことを口にする。ふと目をやると、少し離れたところで、ついこの間まで彼の恋人だったミリー様が顔をクシャクシャに歪めていた。
「……ええ、そうね」
「君と過ごした学園生活はいい思い出ばかりだ。楽しかったなぁ」
アルバートはそう言って、わたくしの手をギュッと握る。
(いいことばかり……? 楽しかった……?)
本当に、そうだろうか?
確かにわたくしはこの学園生活の間――いや、それよりもっと長い間、アルバートに恋をしていた。ただひたすらに彼を好きで、それを楽しいと思っていたことも間違いない。
けれど、わたくしの学園生活は、アルバートに婚約破棄をされてから――エリオットの隣ではじまったのだと思う。
たった数か月の間だったけれど、彼がいたからわたくしは笑えたし、自分の気持ちを言葉にすることができるようになった。エリオットがいなかったらわたくしは今も、『感情の欠落したクリスティーナ』だったはずで、アルバートがこうして振り向くこともなかっただろう。
「――わたくしは、悲しかったです」
「え?」
アルバートは目を丸くして、わたくしのことを凝視している。あの日の――婚約破棄の日の記憶が鮮明によみがえり、わたくしの胸を激しく焼いた。
「わたくしは、あなたのことが好きでした。すごくすごく、大好きでした。一生、あなたのことを好きでいるって思っていた。でも、あなたはそうじゃなかった。他の令嬢と結婚すると……婚約破棄を言い出されて、とても悲しかった! 苦しかった! だけど、自分の気持ちを言葉にすることもできなくて……」
言葉と一緒に、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
アルバートはオロオロと手をさまよわせ、わたくしのことを呆然と見つめている。こんな風にわたくしが感情を吐露するとは、想像もしていなかったのだろう。
「エリオットだけが、わたくしの気持ちを受け止めてくれたんです! いつも、口下手のわたくしの言葉を拾い上げて、一緒に悲しんでくれた! 苦しんでくれた! 無理に笑わなくてもいいって言ってくれて……それで…………」
「クリス」
気づけば、泣きそうな顔をして笑うエリオットがわたくしの隣にいた。式典がはじまろうというタイミングで大声を上げたわたくしは注目の的で。思わず頬が真っ赤に染まる。
「ごめんなさい、わたくし……」
「うん。行こう」
エリオットは小さく笑いながらわたくしの手を引いた。ガヤガヤと騒ぎ立てる父兄たちに、唖然とした表情のアルバート。わたくしの表情は混乱と動揺で、とんでもないことになっていた。
***
「全く。クリスにはビックリさせられるなぁ。まさかあの場で、あんなことを言い出すんだもん」
誰もいない校庭を二人で歩きながら、エリオットが困ったように笑う。
「本当にごめんなさい。自分を抑えられなくて」
普段あれほど感情を出せないわたくしだというのに、自分を止めることができなかった。今でも心臓がバクバク鳴っているし、興奮で身体がめちゃくちゃ熱い。
(言ってしまった……!)
ようやく五年分の想いを言葉にできた。とても清々しい気分だ。
ふふ、と笑うわたくしに、エリオットが優しく微笑む。
「頑張ったね」
そう言ってわたくしを見つめる彼の瞳はあまりにも温かい。頬はほんのりと紅くなっていた。
(どうして今まで気づかなかったんだろう?)
そう思うぐらい、彼の表情は雄弁にわたくしへの想いを物語っている。込み上げる愛しさに、自然と笑顔がこぼれ出す。
「ねぇ……わたくしエリオットに伝えたいことがあるの」
「なに?」
エリオットは急かすでも、興味無さそうにするでもなく、ただ静かにわたくしの言葉を待ってくれる。優しくて温かい、真剣な眼差し。そんな彼だからこそ、わたくしは自分らしくいられる。素直に想いを打ち明けられてきたのだと思う。
「わたくし、エリオットのことが好き!」
きっと今、わたくしはこれまでで一番いい表情で笑っている。
エリオットはほんのりと目を丸くし、幸せそうに笑うと、わたくしのことをギュッと抱き締めてくれるのだった。
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改めまして、最後までお付き合いいただきありがとうございました。