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風が吹き抜ける。

作者: はらけつ

その町家の前を通ると、黴臭いような古畳臭いような、だが、癖になりそうな親しみ深いような、そんな香りがした。


その町家は、人がやっと通れる程の引き戸が、玄関となっていた。

引き戸は、細長い木格子の合い間に、磨り硝子が嵌め込まれていた。

その磨り硝子は、工場作りっぽい滑らかな表面ではなく、手作りっぽい少しうねりのある表面。


引き戸の前には、暖簾が下げられていた。

真ん中に切れ目が拵えてあり、そこをくぐり抜けるようになっていた。

暖簾は紺地で、白抜き文字で、次のような漢字が草書体で一文字、中央に書かれていた。


 薬


暖簾の向かって右下には、店の名前であろうか、屋号らしきものが、これも白抜き文字の草書体で、綴られていた。


 弦多庵


暖簾は、引き戸の上辺に掛けられた竹竿に、吊り下げられていた。

暖簾の裾は、人の膝小僧辺りで終わっていた。


引き戸の右横には、ショーウィンドウ ‥ 陳列出窓が、設けられていた。

陳列出窓は、正方形に近い横長方形をしており、その上下の長さは、ちょうど暖簾の長さと同じ。

その佇まいは、町家の玄関横の出窓そのものだった。

その佇まいとは、玄関横の、開けられない嵌めごろしの硝子窓に、壺や人形、彫刻や絵画を飾っている佇まい。

言わば、玄関横に、大きめの出窓が、デンとある風情。


陳列出窓の上辺と下辺、右辺と左辺には、竹の細い柱が渡してあった。

硝子は、この竹柱に嵌めごろしてあった。

硝子は、透明なものの、所々に細かな気泡有り。

また、少しばかり表面にうねり有り。


黴臭いような古畳臭いような、だが、癖になりそうな親しみ深いような、そんな香りは、『陳列出窓に陳列してある物が、原因』に違いない。

陳列出窓の中の、陳列物を備える棚は、上下二段に分かれており、陳列物を道ゆく人に、提示していた。

上段にも下段にも、四つずつ、物が並べられていた。


上段には、干した根のようなもの、乾燥した木皮のようなもの、干した蕾のようなもの、乾燥した果皮のようなものが、並べられていた。

それぞれ、陳列物の前面には立て木札が掲示されており、[甘草][桂皮][丁子][陳皮]と記されていた。


下段には、干した殻のようなもの、乾燥した角のようなもの、干した軟骨のようなもの、乾燥した虫のような草のようなものが、並べられていた。

それぞれ、陳列物の前面には立て木札が掲示されており、[牡蠣][鹿茸][烏賊骨][冬虫夏草]と記されていた。


臭いや展示物にも関わらず、その店先は、爽やかな印象に溢れていた。

それは、店構えに使われている、木材、硝子、竹材が、その一因だろう。

暖簾の寸法、色、文字のロゴも、その一因だろう。

が、なにより、陳列出窓の背景色が、『大きな一因』だと思われる。


このような店の、このような陳列出窓は、ずず黒白く古ぼけているものと、相場が決まっている。

それに加えて、背景色も、土壁の色そのものが多い。

が、この店の背景色は、土壁色では無かった。


澄み切った紺色。


紺だが透明感があり、適度に明るさを湛えている。

よく見れば、その色は、暖簾の色と統一されている。

その為、この店先は、漂う臭気や取り扱う物にも関わらず、なんとも爽やかな印象を、道ゆく人々に与えている。




一人の男が、店先の前で、佇んでいる。

いや、数分間、店の前を行ったり来たりしているところを見ると、店に入るのを逡巡しているらしい。


男は、一見、四十代半ば。

中肉中背、デニムジーンズにターコイズブルーのTシャツを着て、その上にグレーブラウンの長袖シャツを羽織り、ボタンをすべて外して、前をはだけ、Tシャツを見せている。


男は、暖簾をくぐり、玄関の引き戸を開ける。

やっと、意を決したらしい。


 チリンチリン


引き戸に取り付けられた鈴が、来客を知らせて、リズミカルに鳴り響く。

玄関を入ると、そこは店ノ間となっていた。

客人は、すぐ入ったところの土間で履物を脱ぎ、畳敷きの店ノ間に上がり込み、主人と商談をするようになっていた。

建物は、店ノ間と居住空間が連なり、奥に細長く続いおり、いわゆる“鰻の寝床”となっていた。


風が、吹き抜ける。


奥からこちらへ、家から店へ、冬の如く、清冽さを感じさせる風が、吹き抜ける。


店ノ間と居住空間の土間には ‥ 店と家が連なる通リ庭の境には、店表に掛かっていた暖簾の、ちっちゃい版が掛かっていた。

その暖簾が、風に吹かれて、奥からこっちへ、裏から表へ、めくれ上がっていた。

家屋を突き当たると、坪庭とも言うべき裏庭に、出られるようになっていた。

きっと、そこからの風が、吹き抜けて来るに違いない。


男は、瞼を閉じて、心なし小さく腕を広げて、気持ち良さそうに、風に身を委ねる。


風が、親しげに、肌をもてあそぶ。

風が、いとおしげに、髪をもてあそぶ。


「いらっしゃいませ」


男の様子を、もう一人の男が、楽しげに見ている。

もう一人の男 ‥ 店の主人は、男に来店の挨拶を行なう。

結跏趺坐をして、本を読んでいた主人は、しおりを挟んで、本を閉じる。

客人に相対して、脚を正座に組み直す。

畳の上に三つ指を着き、丁寧に頭を下げて、客を迎える。


主人らしき男性は、パッと見、三十代半ば。

頭を坊主刈りにしており、浅葱色の作務衣を着ている。

店に入って来た男は、店の主人が思ったより『若そう』なので、 ほっ と胸を撫で下ろす。

自分より十歳近く『若そう』なので、少し安堵する。

面を上げた主人のスマイルに、男もエクボの特徴的な、強張ったスマイルを返す。


「どうぞ、お上がりください」


男は、靴を脱ぎ、店ノ間に上がる。

店ノ間に上がり、乱れ脱いだ靴を揃え、改めて主人と相対す。


そのまま数秒。


主人と男は、見つめ合う。

主人がニコッと笑顔を浮かべれば、

男もニコッと、エクボを浮かべて、笑顔を返す。


男が、不安そうに微笑めば、

主人は、朗らかに微笑む。


主人が、笑みと共に、口を開く。


「今日は、どうなさいました?」


主人の問い掛け言葉は、男の心の中に、 スルンッ と入り込む。

男は、真っ直ぐ伸ばした上体を、心持ち前に倒す。

主人に引き寄せられるように、正座の上体を、前のめりにする。


「はあ ‥ 実は ‥ 」

「はい」

「最近ちょっと ‥ 」

「はい」

「ストレスが溜まっているのか ‥ 」

「はい」

「寝床に入っても ‥

 なかなか眠れないんです ‥

 一晩中眠れないことも ‥

 珍しく無いんです ‥ 」

「はい」


男の、たどたどしい物言いは、続く。


「それで ‥ 」

「はい」

「方々の医者に行ったのですが ‥ 」

「はい」

「どこに行っても ‥

 一向に良くならず ‥

 こちらのお話を聞きまして ‥

 伺わせてもらった次第です ‥ 」

「そうですか」


主人は、間を置かず、男の状況を、詳しく尋ねる。


いつから、不眠に陥ったのか?

不眠になった考えられる原因は?

不眠が及ぼしている困ったことは?


等々を尋ねる。

一通り尋ね終えると、主人は黙考に入る。


視線を、前方斜め下に落とす。

視線を向けているものの、何も眼に映っている様子は、無い。


左手は、正座した右膝の上に置く。

右手は、拳を作って、顎の上に乗せる。

丁度、顎と下唇の間の凹んだ部分に、

右手人差し指の、第三関節(根元の関節)と第二関節の間の部分、を乗せる。

ポーズの違う、ロダンの彫刻“考える人”っぽい。


そのまましばらく、主人はフリーズする。

男は、その待ち時間を、一日千秋にも感じる。


長い。


実際は、十数秒くらいなのだろうが、待ちきれない。


『考えを巡らせている時に、

 申し訳無いが ‥ 』


と思いつつ、男は主人に、声を掛けようとする。


その刹那、主人が動く。


左手を右膝から持ち上げ、

右手の拳を、顎から離し、

左手の手首を、クルッと返して、

左手の腹(掌)に、

拳の右手を、打ちつける。


 ポンッ!


「よしっ!」


往年の、推理小説映画に出て来る警部のように、主人は、左手に右手を打ちつけて、つぶやき叫ぶ。


主人は、男に背を向ける。

そして、部屋の奥に鎮座している、漢方薬用の、木製の薬棚に相対す。

薬箱は、小さな縦長方形型の引き出しが、縦六つ横九つ、計五十四並ぶ、大きなものだった。


主人は、一つの引き出しを、引き出す。

中から、半透明の黄味がかった蝋色をした包みを、四包み取り出す。


それらを、“弦多庵”と筆文字で記された薬袋に入れ、男に渡す。

男は、主人から受け取った薬袋を、 しげしげ と眺める。

薬袋から眼を上げ、主人の顔を見つめる。

主人は、顔を上げた男の視線を捕らえると、にっこり微笑む。

微笑ながら、服用方法を伝える。


「一日一服、就寝二時間前くらいに、

 飲む様にしてください。

 なるべく、白湯で飲む様に、

 してください」

「はい」

「まず、四日分出しときますんで、

 飲み切ったら、また来てください」

「はい」

「では、お大事に」

「はあ ‥ へっ ‥ ?」


主人は、にこやかに笑って、男の身を労わる。

労わり送る言葉に流され、帰ってしまいそうになりながらも、男は主人に、疑問符を投げ掛ける。


「あの ‥ 」

「はい?」

「症状の説明とか、薬の説明とかは、

 ないんですか ‥ ?」


男は、おずおずと、インフォームド・コンセント(医療行為等に対する説明)を求める。

主人は、一瞬キョトンとして、すぐさま、『ああ、それね』みたいな顔をする。

そして、手ぐすねを引くような、『待ってました』の顔を浮かべる。


「じゃあ、行きますよ」


主人は、爽やかにこやかに、こう言うと、滑らかに話し出す。


 チリンチリン


『ツッコまない方が、

 良かったかも ‥ 』


弦多庵から出て来た男は、玄関の引き戸 を閉め、暖簾をくぐりながら、こう思う。

溜め息をつきながら、こう思う。


主人の説明は、それから延々三十分近く続き、しかもその間、男にほとんど口を挟ませなかった。

そして、一通り説明が終わると、『理解しているに違いない』と確信しているかのように、改めて言った。


「では、お大事に」


主人は、にこやかに笑って、男の身を労わる。

労わり送る言葉に流され、今度は、店を辞してしまった男だった。


代金の半分しか請求されなかった、薬代を慌しく払い終え、男は店を出た。

なんでも、薬代の残り半分は、成功報酬らしい。

「薬が効けば次回もあるだろうから、その時に、残りはいただます」とのこと。


男は、手の中の、“弦多庵”と書かれた薬袋をじっと見て、主人とのやりとりを思い浮かべる。

短い奇妙な時間だったが、いつもとは異なる、なにか爽快な時間を過ごしたように、感じていた。

男は、エクボを作り、健やかな苦笑いを浮かべて、店の前を去って行く。




ここは京都の大原ではないし、大原の三千院でもないし、恋に破れてもいないが、女が一人、佇んでいる。

その辺りには、女の香水とは思われない、黴臭いような古畳臭いような、でも親しみを感じる香りが、漂っていた。


女は、紺地の暖簾をくぐり、うねりのある磨り硝子が嵌め込まれた、玄関の引き戸を、 おずおず と開ける。


 チリンチリン


引き戸に取り付けられた鈴が、リズミカルに来訪者を告げる。

女は、屋内へ、一歩踏み出す。


女は、パッと見たところ、三十代半ば。

中肉中背だが、背筋はピンと伸びている。

デニムジーンズにホエールブルーのTシャツを合わせ、その上にグレージュのチュニックを着ている。

靴はスニーカーで、髪型は首筋までのショートカットにしている。

外見はラフな感じだが、ピンと背筋を伸ばした立ち姿が、相応の大人の雰囲気を感じさせる。


風が、吹き抜ける。


奥からこちらへ、家から店へ、冬の如く、清冽さを感じさせる風が、吹き抜ける。


女は、瞼を閉じて、心なしか小さく腕を広げる。

気持ち良さそうに、風に、身を委ねる。


風が、親しげに、肌をもてあそぶ。

風が、いとおしげに、髪をもてあそぶ。


瞳を閉じて、なんとも心地好い風に、体を晒していると、声が掛かった。


「いらっしゃいませ」


見ると、店ノ間らしき部屋で、三つ指を着き、丁寧に頭を下げている男がいた。

男 ‥ 店の主人は、面を上げると、案外若そうな顔に、スマイルを浮かべる。


主人が、自分と同世代か、あるいは若いことに、女は安心する。


「どうぞ、お上がりください」


女は、主人に促されるまま、靴を脱ぎ、店ノ間に上がる。

店ノ間に上がり、脱ぎ乱れていた靴を揃え、改めて主人と相対す。


そのまま数秒。


主人と女は、互いに、笑顔浮かべて見つめ合う。

主人がニコッと笑顔を浮かべ、女もエクボを浮かべて、笑顔を浮かべる。


しばらくの見つめ合いの後、主人が、口を開く。


「今日は、どうなさいました?」


主人の問い掛け言葉は、女の心の中に、  スルンッ と入り込む。

女は、ピンと伸ばした背筋を、前のめりにする。


「はい ‥ 実は ‥ 」

「はい」

「最近ちょっと ‥ 」

「はい」

「ストレスが溜まっているのか ‥ 」

「はい」

「なかなか眠れないことが多くて ‥

 一晩中 ‥

 起きていることもあるんです ‥ 」

「はい」


女の、ポツリポツリとした物言いは、続く。


「それで ‥ 」

「はい」

「方々の医者に ‥

 かかったのですが ‥ 」

「はい」

「どこへ行っても ‥

 一向に改善されず ‥

 こちらのお話をお聞きしまして ‥

 伺わせてもらった次第です ‥ 」

「ありがとう御座います」


主人は、返答に続いて間を置かず、女の詳しい現状を尋ねる。

女は、答える。

更に、主人は尋ねる。

更に、女は答える。

このような質疑応答を十数回繰り返すと、主人は、黙考に入る。

女の存在を忘れたかのように、黙考に入る。


黙考のポーズを取る。


視線を前方斜め下に落とす。

左手を、正座した右膝の上に置く。

右拳を、顎の上に乗せる。

十数秒、フリーズする。


 フリーズ


主人は、唐突に動き出す。

左手の手首をクルッと返して、

左掌に、右拳を打ちつける。


 ポンッ!


「よしっ!」


ボサボサ頭の探偵が主人公の、昔の映画に出て来る警部のように、主人は、左掌に右拳を打ちつけて、つぶやき叫ぶ。


主人は、おもむろに後ろを向くと、薬棚に相対す。

小さな縦長方形型の引き出しが並ぶ、大きな木製の薬箱。

主人は、一つの引き出しを、引き出す。

中から、蝋色の紙を、洪庵包みにしたものを、四包み取り出す。


それらを、“弦多庵”と筆文字で記された薬袋に入れ、女に渡す。

女は、薬袋を、 しげしげ と見つめる。


主人は、女が薬袋を見つめたままで、服用方法を伝える。


「一日一服、就寝二時間前くらいに、

 飲む様にしてください。

 なるべく、 白湯で飲む様に、

 してください」

「はい」

「まず、四日分出しときますんで、

 飲み切ったら、また来てください」

「はい」

「では、お大事に」

「 ‥ はあ ‥ はい ‥ 」


主人は、にこやかに笑って、女の身を労わる。

労わり送る言葉に流され、女はそのまま、流される。


 チリンチリン


女は、主人に特にツッコミも入れず、店を辞す。

主人が言うには、

「薬が効けば次回もあるだろうから、その時に、残りはいただきます」とのことで、

代金の半分しか請求されなかった、薬代を払い終え、女は店を出る。


女は、手の中の、“弦多庵”と書かれた薬袋をじっと見て、主人との質疑応答をを思い浮かべる。

どちらかと言うと、店の主人に導かれるままの時間だったが、女の心には安心感が、いつの間にか宿っていた。

女は、そんな安心ほっこり感を胸に、店の前から去って行く。




 カチャカチャ カチャカチャ

 モグモグ モグモグ

 ズズーズズー ズズーズズー


食事の時間に、食器を動かす音、ものを食べる音、ものをすする音だけが、高く響く。

団欒は ‥ 会話は ‥ 、無い。

静かな、食事の時間だった。

静かな食事の時間は、もう一年近くも続いている。


春斗は、もう、うんざりだった。

理由は、父さんと母さんが、ほとんど口をきかないからだ。


それでも、黙々と、父さんは仕事に行き、母さんは家事をする。

父さんからリクエストがあれば、母さんは、黙々とそれをこなす。

その逆で、母さんからリクエストがあれば、父さんは、黙々とそれをこなす。

「ああ」とか「おい」とか、「ええ」とか「はい」とかで、こなしていく。

こんな時だが、春斗は、子供心ながらに、長年連れ添う夫婦の阿吽の呼吸に、妙に感心する。


ほとほと、うんざりの春斗は、早く元の仲に戻って欲しい。

でも、二人共、お互いの立場や権威をチャラにしたくなくて、躊躇しているのだろう。


『あほらし』


春斗はそう思うが、大人はそういうものなのだろう。


『大人って、めんどくさ』


早く元の仲に戻った方が、お互いの精神衛生上もいいし、まわり(春斗含め)に与える悪影響も、抑えられるのに。


とはいうものの、このままでは、二人は、元の仲に戻りそうにない。

いいかげん、二人の立場等を損ねない、仲を元通りにする方法を、検討して、実行に移さねばならない。


『手が掛かるな~』


春斗は、考えを巡らす。


『何に対して、二人は、

 一致団結するだろう? ‥

 どんな問題が起これば、二人は、

 協力して、対処するだろう? ‥ 』


春斗は、自惚れでもなんでもなく、論理的現実的に、結論を出す。


『子供のこと ‥ か』


春斗は、自分も子供であることを棚上げして、黙考して、考えをまとめ始める。


『子供に、関することで、

 二人が、協力してしまう方法 ‥

 でも、僕は直接関わらず、他の人に、

 世話を焼いてもらうのが、条件 ‥

 だって、その方が、

 より効くだろうから ‥ 』


これらの条件を考慮して、春斗は考えを巡らす。

考え悩んで、答えを求めるかのように、二人の顔を、交互に見つめる。


父さん → 母さん → 父さん → 母さん → 父さん → 母さん ‥


二人を、交互に見つめている内、春斗は気付く。

二人共、眼の下が落ち窪んで、影を作っている。


『父さんも母さんも、

 眼の下に、隈ができている。

 寝不足なんだ ‥ 』


 パッ!


その時、春斗の頭に、勢いよく光りが点った。


春斗は、『思い立ったが吉日』とばかりに、家を飛び出す。




風が、吹き抜ける。


弦多庵の通リ庭に、奥の坪庭から、冬の晴れ間の如く、清冽で温かい風が、吹き抜ける。


読書にふけっていた主人は、店ノ間の土間に突っ立っている男の子、に気付く。


「いらっしゃいませ」


主人は、挨拶をするが、男の子は、主人を上目遣いに見るばかりで、口を開こうとも、動き出そうともしない。


「どうしました?」


主人の問い掛け言葉に、男の子は口を開く。


「あの ‥ 」

「はい」

「ここの評判、聞きました ‥ 」

「はい」

「どんな病気でも ‥

 よく効くって ‥ 」

「ありがとう御座います」

「で ‥ 相談というか ‥

 ‥ お願いがあります」

「はい?」


思い詰めたような男の子の視線と口調に、主人は、怪訝な顔をする。

主人は、男の子に店ノ間に上がってもらい、自分は、店ノ間を下りる。


 カッカッカッ


雪駄の音を響かせ、土間を行く。


 チリンチリン


玄関の引き戸を開け、玄関横の釘に、木札を掛ける。

木札は、人の目線の高さに掛けられ、“支度中”と、草書体の筆文字で書かれていた。


 チリンチリン

 カッカッカッ


主人は引き戸を閉め、再び、店ノ間まで戻って来る。

店ノ間に、再び上がると、男の子と相対す。


そのまま数秒。


「 ‥ え~と、お名前知らないと、

 話しづらいですね。

 お名前は、何ですか?」

「春斗です」

「春斗君。

 私は、源太です」

「ああ ‥ それで」

「はい?」

「お店の名前が ‥ 」

「弦多庵。

 字は違いますが、

 私の名前から取ってます」


ここで、沈黙が降りる。

二人の間に、静寂が流れる。


春斗は、『話を切り出したくて、仕方がない』んだけど、なかなか踏ん切りがつかない。

源太は、春斗が言い出すのを、ゆったりと優しげに、待ち構える。


源太は、おだやかな微笑を浮かべ、春斗を見つめる。

北風ではなく、太陽のように、春斗を見つめる。

春斗は、そんな源太のまなざしを受けて、エクボを浮かべて、照れ苦笑を返し続ける。


そのまま数秒。


「 ‥ えーと ‥ 」

「はい」

「その相談なんですけど ‥ 」

「はい」

「父さんと母さんに、

 関することで ‥ 」


春斗は、源太に、ようやっと話し始める。


ここ一年近く、ほとんど会話の無い仲に、父さんと母さんが、なってしまっていること。

おそらく、会話が無くなってしまったのと同じの原因で、二人共、慢性的な寝不足にも、なってしまっていること。


その二つを、なんとか解消したいから、何かキッカケを作りたいこと。

それには、『子供のことをダシにして、キッカケを作ればいい』と考えたこと。

なぜならば、現実的に判断するに、子供をダシにすれば、一番上手くいくと思われること。

その為に、源太さんに、協力してもらいたいこと。


「私に、何の協力ができます?」


不思議そうに訊く源太へ、春斗は一切合財を、打ち明けて話す。


 あせわせ あせわせ

 あせわせ あせわせ


「 ‥ なるほど ‥

  ‥ どうりで ‥ 」


春斗は、一切合財を源太に知ってもらった上で、計画を説明する。


 とくとく とくとく

 とくとく とくとく


「 ‥ なるほど ‥

  ‥ そういうことなら ‥ 」


源太は、春斗の計画を快諾し、二人で計画を改めて検討し直す。


 あーでもない こーでもない

 この方が あの方が

 これはどう? どうですか?

 あ、それいいです それにしましょう


原案:春斗、改訂案:源太、決定案:春斗&源太。

『春斗の父母を、元の仲にして、寝不足から救う』計画が決定する。

春斗と源太は、お互いの役割を確認し、お互いのやるべき仕事を確認する。


「じゃあ、お願いします」

「こちらこそ、お願いします」


源太は、春斗の心のこもったお願いに、心のこもった返事を返す。


春斗は、清爽な涼しげな、頼りなさげな儚げな、空気を残して、その場を去る。

源太は、楽しげな面白げな、哀しげな慈しみげな眼差しを浮かべて、春斗を見送る。




春斗が家に戻ると、父さんと母さんは、別々の行動を取っていた。

父さんは、リビングのテレビの前に陣取り、ソファにもたれて、バラエティ番組を見ている。

母さんは、食卓の椅子に腰掛け、食卓の上に置かれた雑誌を、めくっている。


テレビの音よりも、空気の流れる音が、聞こえて来そうなほど、静かなひととき。

二人の会話は ‥ 、無い。


春斗は、源太にもらったチラシを、テレビ前のテーブルに置く。

父さんの眼に引っ掛からないよう、 そぉ~っ と置く。


春斗は、源太に、手書きで、弦多庵の広告チラシを作ってもらっていた。

それを家に持ち帰り、二人に見せようとしている。

が、なにげなしに、二人の眼に付くように、見せようとしている。


春斗は、源太にもらったチラシを、食卓にも置く。

母さんの眼に引っ掛からないように、 そぉ~っ と置く。


『おやっ?』


まず、父さんが、気付いたようだ。

テーブルの端に、 そっ と置かれていたチラシを、手に取る。

字面を追ってサッと見て、中空を見つめ、何か考える。

再び、チラシに眼を戻し、今度は文面に集中して、読み始める。


『あれっ?』


母さんも、気付いたらしい。

食卓の端に、 そっ と置かれていたチラシを、手に取る。

字面を追ってサッと見て、眼を心なしか見開く。

今度は、心もち前のめりになって、文面を食い入るように、読み始める。


春斗は、源太に、「寝不足や不眠症に利く!ことをアピールして、チラシを書いてください」、とお願いしていた。

父さんや母さんの食い突き方を見ていると、近い内、源太の店へ行くに違いない。

春斗は安心して、その場を去った。




風が、吹き抜ける。


弦多庵の通リ庭に、奥の坪庭から、冬のの晴れ間の如く、清冽で温かい風が、吹き抜ける。


源太は、春斗が、いつの間にか店ノ間の土間に突っ立っている、のに気付く。


「いらっしゃい」

「こんにちは」


源太への挨拶を返す時間さえもどかしく、春斗は源太に尋ねる。


「父さんと母さん、来ました?」

「ああ、来はりましたよ」

「そうですか!」


春斗は、土間にスニーカーを脱ぎ、店ノ間へ上がろうとする。


「お邪魔します」

「どうぞ」


店ノ間へ上がると、脱いだスニーカーの向きを整えてから、源太と相対す。


「何て、言ってました?」

「二人とも、寝不足が続いて、

 困っているとのことでした。

 いろんな医者に行ってるが、

 効果が無い、と。

 で、ウチの評判を聞いて来てみた、

 と」

「他には、何か言ってました?」

「特に、これと言っては ‥ 」

「そうですか ‥ 」


春斗が残念そうに黙り込むと、話の接ぎ穂を接ぐように、源太は、言葉を続ける。


「打ち合わせ通りに、しておきました」

「薬に ‥ 」

「薬包みの一つに、薬ではなく、

 ある言葉を書いた短冊を、

 折って入れておきました」

「打ち合わせ通りに ‥ 」

「お父さんとお母さんが、

 心の向きを、いい方に変えて、

 寝不足から解消される言葉を、

 書いていれておきました」

「何て、書いたんですか?」


春斗が、好奇心に眼を輝かせて、源太に問う。


「ないしょ、です」


源太が笑顔で答えると、春斗もエクボを浮かべた笑顔のまま、頬を膨らませる。


「じゃあ、いい結果が出るであろう

 “いつの日にか”を、

 楽しみに待ってれば、

 いいんですよね?」


春斗が、頬の膨らみを治め、エクボ笑顔を崩さずに訊く。


「はい。

 “いつの日にか”を、

 楽しみに待っていてください」


源太も、笑顔を崩さずに、どころか、もっとにこやかな雰囲気を増し、答える。


「なるべく早く、

 元のように仲良くなってくれれば、

 いいんですけど ‥ 。

 源太さん、ありがとう御座いました」

「いえいえ、こちらこそ、

 お役に立てて、嬉しいです」

「 ‥ で ‥ あの~ ‥

 ‥ それで ‥

 ‥ お代なんですけど ‥ 」


春斗は、避けて通っていた、でも逃げられない、逃げてはいけない話題を出す。

源太は、 あっさり と、返事を返す。


「あ、いいですよ。

 実際、特別にお金のかかるもの、

 使ってないし、字書いただけなんで」

「それって、タダってことですか?」

「はい。

 使ったものと言っても、

 薬の包み紙と薬袋くらいのもんなんで、

 タダでいいです」

「ホンマですか!

 ありがとう御座います!」


春斗のお礼の後、二人の間には、沈黙が降りる。

二人とも、お別れの時が来たのを分かっていた。

が、お互い、さよならし難い思いを抱えていた。


源太は、にこにこして、待ち受けている体勢を崩さない。

春斗の、お別れの踏ん切りがつくのを、笑顔で待ち受けている。

なにか照れ臭くなった春斗は、ようやっと口を開く。


「 ‥ じゃあ ‥ 」

「はい」

「 ‥ また ‥ 」

「はい」

「 ‥ 『いつの日にか』来ます」

「はい。

 『いつの日にか』来てください。

 お待ちしています」」 

「絶対、来ます」


春斗は、源太に約束すると、ぺコッと、頭を下げる。

土間に下りると、スニーカーを履く。

スニーカーを履き終えると、背筋をピンと伸ばして、もう一度、源太に頭を下げる。

そして、源太から、踵を返す。


風が、吹き抜ける。


弦多庵の通リ庭に、店ノ間から奥の坪庭へ、冬の晴れ間の如く、清冽な温かさを感じさせる風が、吹き抜ける。




春斗の父さんは、ほとほと困っていた。

一向に寝不足が、解消されない。

ほぼ一年間、慢性的な寝不足だ。

日常生活や仕事に、多大な支障をきたす程でもないので、これと言って、医者にもかかっていない。

が、困っていることには、変わりはない。


「遂に、これを、使ってみるか」


父さんはつぶやくと、“弦多庵”とかかれた袋を、手に取る。

中から、半透明の、黄味がかった蝋色の包みを、一つ取り出す。

包みを開き、包みの中の粉末を、中央に寄せる。

改めて、包みを三角形に折る。

三角形の長い辺の、片方の端から、粉末を喉に流し込む。

間を置かず、コップの白湯も、喉に流し込む。


「げー」


父さんは、一瞬顔を顰めたが、薬と白湯を飲み下すと、元の穏やかな表情に戻る。




春斗の母さんも、ほとほと弱っていた。

どうも寝不足が、解消されない。

一年間ぐらい、慢性的な寝不足だ。

日常生活や家事に、大きな影響がある程ではないので、これと言って、医者には通っていない。

が、弱っていることには、変わりはない。


「これ ‥ 使ってみようか ‥ 」


母さんはつぶやくと、“弦多庵”とかかれた袋を、手に取る。

中から、蝋色の洪庵包みを、一つ取り出す。

包みを解き、包みの中の粉末を、中央に寄せる。

改めて、包み紙を三角形に折る。

三角形の長辺の、片方の端から、粉末を喉に流し込む。

間を置かず、コップの白湯を、喉に流し入れる。


「うげー」


母さんも、一瞬顔を歪めたが、薬と白湯を飲み下すと、元の穏やかな表情に戻る。




今日は、“いつの日にか”ではなかったらしい。

いつ、 “いつの日にか”は、来るのだろう。


来て欲しいけど ‥ 。

心待ちだけど ‥ 。

でも、来て欲しくもないような ‥。

ちょっとばかり、遅くなってもいいような ‥ 。

だって、来ちゃったら ‥ 。




春斗の父さんが、弦多庵の薬を飲み始めて、三日経った。

最初の日は、何も変わらなかったが、二日目・三日目と、時が経つにつれ、睡眠が深くなっていた。

眼の下の隈も、かなり薄まっている。


「よう効くな、これ」


父さんはつぶやくと、弦多庵とかかれた袋を、手に取る。

中から、半透明の、黄味がかった蝋色の包みを、一つ取り出す。


今日で四日目、最後の一包み。


明日にでも、再び弦多庵に行って、新しい薬をもらって来なくてはならない。

その時は忘れずに、前回分の薬代金も、感謝の言葉と共に払おう。


父さんは、包みを開く。

開くと、最後の包みには、粉末は入っていなかった。

包みの中には、和紙らしい、少し肌色がかった白い紙が、折り畳まれて入っていた。

広げてみると、その紙は、短冊状に細長い形をしていた。

筆文字で、中に何やら、書いてある。



大事な人を、見極めてください。

大事だった人を、見極めてください。



「 ‥ 何だ、これは ‥ 」


父さんは、つぶやく。

店の主人の手違いか、はたまた、いたずらか。

しかし、このフレーズは、父さんの心に、 ドシン と伝わり、 ドッカ と居座る。


父さんは、食卓の方を見て、物思いにふける。

そして、父さんは、リビングチェストの上に備えられた、遺影の方を見て、物思いにふける。


父さんは、短冊紙を丁寧に折り畳み、右腰のポケットに仕舞い込む。

短冊紙を仕舞った右ポケットを、上から右掌で押さえつけて、その上からまた、左掌で押さえつけて、瞳を閉じる。


祈るような、過去を回想して未来を想像するような、ひととき。


父さんは、ひとときを終えると、ポケットから掌を、放す。

サッパリした、キリリとした顔になった父さんは、中空を見据えて、考えを巡らせる。




春斗の母さんが、弦多庵の薬を飲み始めて、三日経った。

最初の内、何も変わらなかったが、日がが経つにつれ、眠れるようになった。

眼の下の隈も、ほとんど消えている。


「効くわね、これ」


母さんはつぶやくと、薬袋を、手に取る。

中から、蝋色の洪庵包みを、一つ取り出す。


今日で四日目、最後の一包み。


必ず明日中に、再び弦多庵に行って、新しい薬をもらって来よう。

その時は忘れないように、前回分の薬代金も、お礼の言葉と共に支払おう。


母さんは、包みを開く。

開くと、最後の包みには、粉末は入っていなかった。

包みの中には、少し肌色がかった白い和紙らしきものが、折り畳まれて入っていた。

広げてみると、その紙は、短冊状に細長かった。

筆文字で、中に言葉が、書き込んである。



大事な人を、見極めてください。

大事だった人を、見極めてください。



「 ‥ 何、これ ‥ 」


母さんは、つぶやく。

店の主人の間違いか、はたまた、わざとか。

しかし、このフレーズは、母さんの心に、 ジワッ と伝わり、 ズゥン と居座る。


母さんは、テレビ前のテーブルの方を見つて、物思いにふける。

そして、母さんは、リビングチェストの上に備えられた、遺影の方を見つめ、物思いにふける。


母さんは、短冊紙を丁重に折り畳み、右腰のポケットに仕舞う。

短冊紙を仕舞った右ポケットを、上から右掌で押さえつけて、その上からまた、左掌で押さえつけて、瞳を閉じる。


祈るような、過去を回想して未来を想像するような、ひととき。


母さんは、ひとときを終えると、ポケットから両掌を、放す。

スッキリした、眼力のある顔になった母さんは、中空を見据えて、考えを巡らせる。




風が、吹き抜ける。


弦多庵の通リ庭に、奥の坪庭から、冬の晴れ間の如く、清冽で温かい風が、吹き抜ける。

風は、店ノ間まで入り込み、源太の作務衣を、 さわさわ と、そよがせる。

親しくまとわりつく風がするがまま、なされるがままに、源太は、身を委ねる。


源太の顔に、自然と、笑みがこぼれる。

安心したように、満足そうに、中空を見据える。

現太の口が、声にはならずとも、六文字の言葉をつぶやく。




 オギャーオギャー


建物内に、赤ちゃんの元気な声が、響き渡る。

産院内は、しんど嬉しそうな妊婦と、幸せ嬉しそうな夫婦と、キビキビ忙しそうな看護師に、溢れていた。


父さんは、病室のドアの前に、突っ立っている。


両肩を力いっぱい上げて、4カウント。

両肩を勢いよく下げて、息を吐き出す。右掌を胸の中心にやり、瞳を閉じる。


右掌を下ろし、もう一度、深呼吸する。

眼を見開き、キリリとした眼差しを、前方に向ける。

ドアの取っ手に、手を掛ける。

ゆっくりと、ゆったりと穏やかに、取っ手を引き開く。


父さんの眼に飛び込んで来たのは、白だった。


何ものにも、染まっていない白。

何ものにも、染まらない白。

突き抜け底抜けに、清冽純白の白。


そんな白が眩しくて、父さんは目を、究極的に細める。

『眩しい』だけじゃなかった、のかもしれない。

自分とは、かけ離れた貴い白に、『思わずリスペクトしてしまった』、のかもしれない。


眼を細めた父さんは、徐々に眼を慣らしていく。

白一色の光景に、徐々に陰影が付いてくる。

立体感が、備わってくる。


ドアの向かい側には、ドーンと壁全面使っていると言ってもいいような、窓が広がっている。

そこから、 これでもか! というぐらい燦々と、日の光りが差し込んでいる。


 さんさん さんさん

 さんさん さんさん


音がしそうなくらい差し込んでいる光り、に包まれ、窓際に、ベッドは佇んでいた。

ベッドでは、胸像が、こちらを向いて微笑んでいる。

真っ白な布団から、胸から上を出し、慈しやつれた顔を、こちらに向けている。


見ると、布団から顔を出し、こちらへ顔を向けている胸像 ‥ 母さんの、胸のすぐ前に、 ちょこん と握りこぶしが、飛び出している。

全体的に赤くて、ところどころ黒くて、皺がいっぱいの握りこぶし。

”力いっぱい皺を多くした梅干し”のように、それは飛び出している。


その物体の真ん中から下側には、いっそう大きな横皺が、刻まれている。

大きな横皺は、皺線の上下が、ぽってりと厚く膨らんでいる。

横皺は、薄く開かれ、そこから空気を出し入れする音が、聞こえる。


真ん中から上部には、そう大きくはないが、ハッキリとした横皺が、横に二つ並んでいる。

各々の横皺の上下には、ちょびっとした、黒い細長のものが、無数にある。

黒い細長のもの達は、上にあるものは上に向かって、下にあるものは下に向かって、伸びている。

二つに並んだ横皺達は、 ひそやかにひそやかに 動いている。


皺くちゃ握りこぶしの、てっぺんには、海草みたいな、長細いひじきみたいなものが、まばらに付いている。

例えるなら、”○○散らかしたおじさんの頭”のようだった。


握りこぶしの下の、真っ白な布団の中には、小さな小さな膨らみが、脈づいている。

膨らみは、握りこぶしと連動するかのように、握りこぶしと一体化して、 小さく小さく 膨らんだり縮んだりしている。


握りこぶし+膨らみ からは、オーラというか、温かな体温というか、人を穏やかに優しくさせるものが、醸し出されている。


 にこっにこっ にこっにこっ

 ふわっふわっ ふわっふわっ

 ほわっほわっ ほわっほわっ


父さんは、握りこぶしに微笑み、続いて、母さんに微笑みを向ける。

母さんは、やつれて、顔の陰影を濃くしているものの、穏やかな晴れやかな顔を、湛えていた。

父さんは、母さんに、言葉を掛ける。


「お疲れ様。

 調子はどう?」

「うん、いい感じ。

 この子も良さそう」


母さんは、握りこぶし ‥ 赤ちゃんの方を見て、穏やかにつぶやく。


「そうか ‥ 良かった ‥ 」


父さんは、しみじみと、噛み締めるようにつぶやく。

噛み締め噛み締めした父さんは、意を決したように、母さんに問い掛ける。


「あのさ ‥ 」

「何?」

「無事、生まれてくれたことやから、

 早速、名前を付けようと

 思ってんねん」

「まだ、早いんと違う?」


母さんは、くすくす笑い気味に、父さんに答える。


「いや、実は、妊娠が分かった時から、

 考えてて」

「そんなことだろう、と思った」

「で ‥ その ‥ 」

「ん?」


父さんは、言い淀む。

母さんは、先を促す。

二人とも、お互いの胸の内に、薄々感づいていた。


「前の子が ‥ その ‥ 」

「うん」

「ちっちゃいうちに ‥

 死んじゃったから ‥ 」

「うん」

「あの子の名前 ‥

 冬斗だったから ‥

 名前に“冬”って ‥

 なんとなく、

 ネガティブな感じがするから ‥

 早く死んじゃったのかな、

 って ‥ 」

「うん」

「今度の子は、厄落としの意味を込めて、

 長生きしてもらうことも祈って、

 “冬”じゃなくて、“春”で ‥

 春斗ってゆう名前とか、

 いいんやないかなと ‥ 」

「うん ‥ 」


ここで、母さんは、しっかり考えるように、一呼吸置く。


 さんさん さんさん

 さんさん さんさん


「いいんやない。

 お日さま、燦々と浴びてそうで」


父さんの顔は、見る見るうちに、 にまあ とした顔になり、母さんを見つめる。


「そうやろ!

 じゃあ、春斗で決まりな!」


母さんは、赤ちゃんの左の頬っぺたを、左人差し指の横腹で撫でながら、ささやき掛ける。


「春斗くん、これから、よろしくね」


父さんも、赤ちゃんの左の頬っぺたを、右人差し指の横腹で撫でながら、ささやき掛ける。


「春斗、これから、よろしくな」


赤ちゃんは、返事をするように、右に左にと身をよじり、大きなあくびを一つする。




 チリンチリン


引き戸に取り付けられた鈴が、来客を知らせて、リズミカルに鳴り響く。


風が、吹き抜ける。


裏庭からこちらへ、冬の晴れ間の如く、清冽で温かい風が、吹き抜ける。

奥と店を区切る暖簾が、風に吹かれて、奥から店の方へ、裏から表へ、めくれ上がる。


引き戸を開けて入って来た男と女は、瞳を閉じて、気持ち良さそうに、風に身を委ねる。


風が、親しげに、男と女の肌をもてあそぶ。

風が、いとおしげに、男と女の髪をもてあそぶ。


男は、いとおしそうに、エクボを浮かべて、女の胸元を見る。

女も、いとおしそうに、エクボを浮かべて、自分の胸元を見る。

女の胸元には、真っ白なタオル地のサナギが、抱きかかえられている。

タオルサナギの上部には、空間が空けられており、そこから握りこぶしが、 ちょこん と飛び出している。

握りこぶし ‥ 赤ちゃんは、 すやすや と寝息をたてて、朗らかに寝入っている。

眼を覚ます気配は、微塵も無い。


風は、赤ちゃんにも、清冽な温かい風を運び、 さわさわ と、タオルサナギを揺らす。


「いらっしゃいませ」


源太が、二人を出迎える。


「あ、どうも」

「こんにちは」


男 ‥ 父さんと、女 ‥ 母さんは、源太に、挨拶を返す。

揃って弦多庵を訪ねるのは、今日が初めてなので、二人共、ちょっと照れが入ってしまっている。

源太は、父さんと母さんが夫婦であることを、『先刻、お見通しですよ』といった風情で、にこやかに二人を見つめる。


いや、いつもより にこやか な気がする。

それは、母さんに卵を扱うように抱かれ、二人共に大事そうに寄り添われた、赤ちゃんの存在だろう。


「あの ‥ 」

「はい」

「無事産まれて、

 こいつも無事退院したんで、

 お礼方々、

 挨拶に寄せてもらいました」

「わざわざ、ありがとう御座います」


源太は、赤ちゃんを見て、満足そうに微笑むと、その微笑みを、母さんに向ける。


「その後、体の調子は、どうですか?」

「はい、出産前も後も、

 すこぶる順調です。

 この子も、順調そのものです。

 この人も、順調そのものみたいです。

 ありがとう御座います」


母さんは、父さんも促して、頭を下げる。


「いや、私は、妥当な生薬を選んで、

 調合して、提供しただけです。

 飲みにくかったろうに、

 ちゃんと服用してもらったから、

 効いたんですよ」


『克己心を持って、

 続けたもらったからこその成果』


と、顔に浮かべる微笑に語らせながら、源太は、二人を交互に見つめる。


源太に、褒め言葉を掛けられ、真摯な瞳で見つめられ、二人は、戸惑いと照れを隠せない。

父さんが、戸惑いと照れをごまかすかのように、口を開く。


「元気に産まれて来た子を、

 源太さんにも見てもらいたくって、

 連れて来たんです」


父さんの言葉に呼応して、母さんは胸元に抱いた赤ちゃんを そっ と動かす。

赤ちゃんは、赤らな皺だらけの顔を、源太に向ける。


源太は、赤ちゃんの寝顔を見て、感慨深くなり、胸にこみあげるものを感じる。

そして、思わず、赤ちゃんに、声を掛けようとする。


その時、赤ちゃんの瞳が、開く。


 パチッパチッ


まるで音が響くかのように、瞼を開けた赤ちゃんは、その瞳で、源太を見つめる。

見えていないはずなのに、見えているように、源太を見つめる。


赤ちゃんの、真摯な眼差しに晒され、源太は戸惑う。

が、すぐに、『まいったな』と言わんばかりに坊主頭をかき、苦笑する。


笑った源太を見て、つられるかのように、面白がるかのように、赤ちゃんも、エクボくっきりの、笑顔を浮かべる。

元々皺くちゃの顔を、もっと皺くちゃにして、でもなんとも愛らしい顔で、笑みを作る。


源太は、『よかったね』と言わんばかりに、今度は、安堵の笑みを浮かべる。

その途端、赤ちゃんは、おもむろに口を開けて、源太に何か言おうと、何か伝えようとする。


が、その口は、「あ~あ~」とか「う~う~」としか、発することができない。


それなのに、源太は、赤ちゃんの発する声に、耳を澄ませる。

そして、『うんうん』と、赤ちゃんの声が、赤ちゃんの言っていることが、理解できているかのように、うなずく。


源太は、赤ちゃんのちっちゃな頬を、右人差し指の、横腹で撫でる。

こしょこしょ と、あやすように撫でながら、源太は、赤ちゃんに言葉を掛ける。


「やっと、『いつの日にか』が、

 来ましたね」


風が、吹き抜ける。


「お兄さんと、一緒に来られるのを、

 待ってましたよ。

 いらっしゃいませ」


風が、吹き抜けてゆく。

親しげに、いとおしげに、吹き抜けてゆく。


冬の日々の中の、小春日和のように、清冽さの中に、温かさを感じさせながら、風が、吹き抜けてゆく。


{本文 了}

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