横須賀強襲
<長門>は危機的状況にあった。
4基ある主砲は2基が破壊されていた。艦首には大穴が開けられている。そこから大量の海水が流入し、艦は前方に傾斜している。
「不味いな」
"彼女"はそう言った。彼女の全身から血が流れている。
まるで<長門>の被害を表すかのように。
その時だった。
敵艦の周囲に巨大な水柱が屹立し、敵艦の姿を一時的に隠す。
「間に合ったか」
彼女の目の前には一隻の巨大戦艦があった。4基の砲塔に角張った煙突が特徴的だ。
「見せて貰おうか、常陸の実力とやらを」
1942年 8月15日 呉
その日もいつもと変わらぬ一日でした。
登校している時です、突如空襲警報が鳴り響きました。自分はとても驚きました。だって戦争は遠く離れた欧州でやっているものだと思っていたからです。
まさかアメリカが奇襲攻撃をするとは思いもしませんでした。
「I succeeded in a surprise attack」
この一文を知らない人はいないだろう。これは横須賀空襲の際にある米軍パイロットが打電したものだ。
CV×6
<レキシントン> <サラトガ>
<ヨークタウン> <エンタープライズ>
<ホーネット> <ワスプ>
BB×2 CA×2 CL×1 DD×9
以上の編成は横須賀空襲に参加した艦艇の一覧だ。
これらの空母に搭載された350機の艦載機が繰り出す攻撃力は
圧倒的で、<加賀>、<陸奥>、<山城>、<鳳翔>、<飛龍>の5隻が沈没し、数十隻の艦艇が大きな被害を受けた、というものだった。
この奇襲攻撃による影響はこれだけでなく、日本の遣欧艦隊の引き上げを強要した。このことは後の英本土陥落に繋がる。
だが、第二次攻撃は行われなかった。理由は不明だが、一説によれば反撃を恐れたから、と言われている。
加えて、奇襲攻撃は日本国民の怒りを招き、これをもって戦略的失敗と見る学者もいる。
米軍は次の目標をマーシャル諸島と硫黄島に定めた。
作戦名「トライデント」
三又の矢の名を冠したこの作戦で米軍はマーシャル諸島のテニアンとサイパン、それと硫黄島に侵攻した。
テニアンとサイパンは簡単に陥落したが、問題は硫黄島だった。この島は栗林忠道中将の命令により要塞化されており、また、この島に配備されていた一式陸攻の激しい歓迎を受けることとなった。
多数の一式陸攻を撃墜したものの、<レンジャー>を撃沈され、<ヨークタウン>が大破し、ついには硫黄島を占領することは出来なかった。
だが、硫黄島の一時的な無力化に成功したと判断した米軍は沖縄侵攻作戦「アイスバーグ」を決行する。
だが、そこは地獄の始まりだった。