火の海で腹を切りかけたけど、火の神になったから悪を切る。否、燃やす!
初投稿です。
よろしくお願いします。
〜その壱〜
寝苦しさを感じて目を覚ます。
ちょうど眠りに入ろうとしたところだったというのに。
火鉢が近すぎるのではないか。
ぼんやりとした頭で考えていると、ふと気が付いた。
「今は夏ではないか!」
一気に覚醒した。
中庭に通じる障子を開け放つ。
夜中なのに煌々と明るく、黒い煙が濛々と立ち昇っている。
それに何だこの熱気は?
火事か? いや、この喧騒、怒号、何かおかしい。
「若! いや殿!」
「じぃ! な、な、何ご、事か!」
家老の武井が部屋に駆け込んでくる。
息を切らし、歳のせいで痛むのか腰を叩いている。
外からは刀を合わせる音と断末魔の悲鳴が聞こえる。
まだ初陣も済ませていない身ではうまく声が出せない。
「む、謀反でござる!」
「謀反……」
理由がはっきりすると、急に頭が冷静になる。
心当たりがある。大方、家老の誰かか叔父あたりだろう。
父上が死に、儂が家督を継いで間もないというのに。
元服前の青侍には付いていけぬか。
かく言う我が家こそ下剋上で成り上がった身。
これも戦国の世の習いか。
「母上と桜はどうした?」
「無事に脱出しております。
曽ノ辺山の尼寺に身を寄せる手筈が整っております」
「そうか」
上手くいった事が武井の様子から見て取れ安堵する。
もう二度と会えない母と妹の顔が浮かぶ。
それと同時に自身の最後についても覚悟が決まる。
「じい、この部屋にも火を放て。
腹を切るがこの首は渡さん。我が身全て灰燼となす」
「見事なお覚悟!
しからば誰一人として殿の最後の邪魔だてはさせませぬ。
この不肖武井これより修羅に入り、この部屋に近づく者全て切り捨ててみせましょう! 御免!」
そう言って武井は部屋を出ていく。
まもなくして部屋の中に松明が投げ込まれた。
それを手に取り、部屋の中を火の海にする。
その中心に脇差しを持って座る。
どうせ燃えてしまうなら切腹などとも思うが、燃えきる前に敵に見つかったら恥だ。
そのような事を考えているうちに着流しにも火がついた。
「急がねば」
脇差しを鞘からゆっくりと抜く。
しかし無念である。
利に聡い父上が死に、虐げられていた善き人々の為にと思っていた矢先であったというのに。
考えている間にも着流しが燃え盛る。
しかし面妖なことに少しも熱くない。
ついには身体にも火がまわるが、それでも熱さを感じない。
「これは……なんなのだ……?」
体が炎と一体になる。
持っていた脇差しも手放し、
目を閉じその感覚に身を委ねる。
そうしてしばらく立っていると、ふいに当たりを揺るがすほどの大声が響き渡った。
「見ぃいぃぃぃつけたァァァ!!」
■
「ぬ?」
目を覚ますと青く広がった空に白い雲が浮かんでいた。
風が吹いて体全体を草花がくすぐる。
どうやら草原に寝転んでいるようだ。
「目が覚めたかのぅ」
体を起こして隣を見る。
見目麗しい女人が同じようにこちらを見ていた。
長い黒髪を一つにまとめ、見慣れない着物を着ている。
「おぬしは……」
「ワシはこの世界の創造主じゃ。死にそうだったそなたを見つけて、ここに連れてきたのじゃ」
「そうぞうしゅ殿? 死? そ、それはかたじけない」
そう言って頭を下げる。
そうぞうしゅは持っていた煙管を吹かす。
そういえば儂は……死? 火? なんじゃ?
上手く思い出せぬ。
「記憶が無くなってるようだの。
そなたは裏切りにあった。謀反というやつじゃな。
それで死ぬところじゃったが、その間際に火と一体となったことを覚えておらぬか?
ワシはそのような者をずっと探しておったのじゃ」
「そういえば……
そうじゃ、せっかくこれからと思った矢先に!
誰が謀反を……くそっ! よく思い出せぬ!
……だが、そうぞうしゅ殿の言う通り、この身が火となり炎となった。
その事だけははっきりと覚えておる」
頷きながらそうぞうしゅは目を細める。
「ここはそなたが生きておった世界とはまた別の世界じゃ。
そして今、この世界は窮地での。
闇の王が禁術で火の神を封印したのじゃ」
「ほほぅ」
良く分からぬ話だが、戯言ではないという事は武士たるもの目を見れば分かる。
「本来なら創造主たるワシが手を出すことは無い。
が、これは由々しき事態なのでな。
そこで他の世界から火の神の代わりが務まりそうな者、つまりそなたを連れてきたという訳じゃ」
再び煙管を吸うそうぞうしゅ。
そしてぷかりと美味そうに煙を吐いた。
それから立ち上がり腰をトントンと叩いた。
その仕草を見てなぜか懐かしさを感じ胸が温かくなった。
「どうじゃ? この世界で火の神になってみんかのぅ?」
遠くを眺めていたそうぞうしゅが、急に振り向いて訊ねてくる。
その悪戯そうな笑顔には少し不安も覚えた。
たが期待を込めた美しい瞳で、真っ直ぐ見つめられると、断わるという気は起きなかった。
「良く分からぬ事も多いが、窮地を救われた事は真であろう。
命の恩人たるそうぞうしゅ殿の願いとあらば、火の神とやらの任を拝命せぬ訳にはいくまい」
その言葉を聞き、そうぞうしゅはニコリと微笑む。
「では正式にそなたをこの世界の火の神に任命しよう。
その名も"火の神カグ"じゃ!」
全裸では締まらぬと思いながらも、そうぞうしゅに向かい、頭を地につけ平伏した。
「ははー」
そうぞうしゅはそれを見て苦笑いをする。
手のひらをこちらに向けて差し出すと、裸だった体に一瞬にして着物が着せられた。
「なんと!」
■
「しかし、火の神と申しても具体的には何をすれば良いのでござろう?」
新しい着物に着慣れない感じを受けながら訊ねる。
「これと言って特別な事をする必要は無いぞ。
この世界を自由に旅してくれれば良い」
「それはまた気楽な」
大層な役割を拝命したと思っていたので、そうぞうしゅの言葉に肩透かしを食う。
「そなたを火の神。
そなたが活動するだけでこの世界に火の素が増えていく。
今まで火の神不在じゃったからのぅ、火の素が減る一方で困っていたのじゃ」
「ほほぅ、火の素とな。それが無いと困るのでござるか?」
「この世界のモノは全て何らかの素で出来ておる。
素と素が混ざり合い、反応してモノとなる。
火の素が無ければ火は生まれぬ」
「それは不便でありますな」
記憶こそ無いが火の無い暮らしくらいは想像出来る。
煮炊きも出来ぬ、暖も取れぬでは、まともな暮らしなど難しいであろう。
「分かり申した。
とにかく旅して回れば良いのでござるな?」
「うむ。ただ火の神だと云うのは秘密じゃ。
人に会い、素性だの旅の事情など聞かれたら、この本に書いてある通り答えれば良い」
そうぞうしゅが一冊の書物を手渡してくる。
それを受け取り中身を軽く読んでみるが、当然の如く内容を理解出来る事を、ふと疑問に思った。
「そうぞうしゅ殿、別の世界とか申しておったが、何ゆえ拙者は言葉がわかるのであろう?」
「ワシがそなたの頭に、
この世界の基礎知識を刷り込んだからじゃ。
その辺は心配無用。
それでは足りぬ事がその本には書いてある」
「それは有り難い」
最早やれと言われたことをやるしかない状況であるが、余計な憂いは無いに越したことはない。
「ただ一つ心配があるとすれば闇の王じゃな。
あやつ自身は禁術の影響で力を失っておるが手下共がおる。
減っていく火の素を見てほくそ笑んでいたのに、元に戻って行くのだからのぅ」
「そやつらが襲ってくるやもしれぬと?」
そうぞうしゅがこちらを見て首肯する。
「そなたが火の神だと気付くか……
あやつらもそれなりには頭が回るからのぅ。
だがまぁ、そなたの力であれば問題なかろう」
力か……
確かに火の神ともなれば膨大な力を有するのであろう。
しかしまた一つ疑問が湧く。
「先代火の神を封じたという禁術はどうなのでござろう?
防ぐ手立てなどは?」
そうぞうしゅが焦った様子で答える。
「禁術は二度と使えぬ!
あれはそのな……
ワシがその、遊びで作った物をな……処分するのを……」
もじもじと歯切れの悪い言葉を繰り返すそうぞうしゅ。
これまでの余裕の様子とは変わって、愛らしさも感じさせる。
要領を得ないが、二度と使えぬのであれば問題ないであろう。
「いや、使えぬとのことならそれで良うござる。
結局なるようにしかならぬゆえ」
そうぞうしゅの顔が喜色に溢れる。
「そなたの言う通りじゃな。なるようにしかならぬ。
新たな生を楽しめば良いのじゃ。
なにせ神だから腹は空かぬし疲れもせぬ。
だが飯を食えば美味いし、二度寝をすれば気持ちが良いぞ!」
空を仰いで高笑いをするそうぞうしゅ。
急にこちらを振り向きニコリと笑う。
「空も飛べるから何処へでも行きたい放題じゃ!
力の使い方も本に書いてあるからよく読むと良い。
ではワシはそろそろ行くぞ」
急な申し出に慌てつつも、膝を付きそうぞうしゅに改めて向き直る。
「そうぞうしゅ殿、
命を救って頂いたばかりか、数々のご配慮まで。
感謝の言葉も有りませぬ。
この御恩に報いるためにも火の神の任、身命を賭して務める所存でございます」
そう言って平伏する。
そうぞうしゅか優しく微笑み、右手をあげて応える。
そしてふわりと浮かび上がると、そのまま空の彼方へと飛び去った。
「さて……」
■
「さて、とりあえずこれを読むとしよう」
その場に座り込み、貰った書物をめくる。
厚いものでもないので、すぐに読み終わりそうである。
『"火"について。
あなたは火そのものであり、世界の火を司る者です。
爪の先ほどの小さな火から、この世の全てを包み込むような大きな火まで自在に作り出せます。
※あまりに大きな火は創造主や他の神が制御する場合が有ります
遠くの物に直接触れずに火をつけることも可能です。
また逆に消す事も可能です。
やり方は簡単。そうしようと思うだけです。
実際にやってみましょう』
「どれどれ」
手のひらを上に向ける。
その上に拳大の火を作ろうと頭の中で想像してみる。
すると想像した通りに拳大の火が実際に現れた。
そしてそれも〈消えろ〉と思うだけですぐに消えた。
「なんと……」
あまりに簡単に出来たため、驚きを通り越し呆れてしまう。
「これはどうか?」
そう言って周りの草花の一部分を燃やしてみる。
そしてそれも消す。
荒唐無稽と言えるような情景が眼の前で起こった。
しかもそれは自身の力で意図的に起こしたものである。
いや、あくまでもこれは与えられた力、自身で得た力ではない。
過信はならぬ。
無闇矢鱈に使うべきではない。
その事を胸に刻みこむ。
「記憶こそ薄れども、己の信条までは忘れぬ。
善きを助け悪しきを挫く。
この力、そのためにこそ使おうぞ!」
決意を新たに書を読み進める。
『自身を火に変化させる事も出来ます。
火になることで空を飛ぶことも可能です。
こちらも〈なろう〉と思えばなることが出来ます』
火になるか……
"つるべび"であったか?
あのような感じであろうか。
記憶を掘り起こし、何処かで見た気がする妖怪の姿を想像してみる。
すると頭の大きさ位の火の玉になることが出来た。
「ほほう。妖怪になるのはどうかと思ったが、中々愛嬌があって良いではないか」
そのままの姿で空へと浮かび上がる。
草原が遠くまで広がり、その果てには山が見える。
その山を超えた先には海も見える。
「うむ! 絶景かな!」
反対を見るとこちらは大きな森が広がっている。
高揚した気分の任せるままに森の上を飛び回る。
ふと、家などの建物が見当たらない事が気になった。
そう思った矢先、森の端に道が通っている事に気付いた。
その道の方へ行くと、道を挟んで森の反対側にいくつかの建物が固まって建っていた。
「あれは村か?」
どうする? 行ってみるか? 策を練ってからか?
そういえばまだ自身の素性について何も知らぬ。
まさか火の神と名乗る訳にもいくまい。
誰も居ないことを確認し、村から少し離れた所へ降りる。
人の姿に戻ると近くに合った切り株に腰掛け、書物を再びめくる。
『あなたの素性について。
東の果て"シモーサ"という小さな島の生まれです。
その島から船でこの大陸に来ました。
年齢は十四歳。
家族は無く、天涯孤独の身です。
胸の内側にあるポケットに冒険者証が有ります。
素性を問われれば、それを見せれば問題ないでしょう』
「ポケットとな?」
書いてある通り、着物の胸の内側を探る。
そこには一枚の固い紙切れが入っていた。
「なるほど。これを見せれば良いのか。
まぁ何か聞かれたら適当に濁せば良いだろう。よし!」
書を閉じ、切り株から立ち上がる。
着物を叩き汚れを落とし、襟を正して足を前に進める。
辺りは次第に暗くなってきていた。
「いざ出陣じゃ!」
■
「おや、旅人か? 珍しいな」
村の前で門番のような人物に話しかけられる。
それ程大きな村ではないようだ。
しかし、旅人が珍しいとな?
これは用心せねば。
「東の果てより参った。カグと申す。」
頭を下げ、冒険者証を見せる。
特段何か勘ぐろうといった感じはない。
興味深そうに眺めている。
「東から? シモーサ……聞いたこと無いな。
随分遠くから来たみたいだな」
「うむ。船で大陸に渡り、
そこからは見聞を広めるため各地を回っておる」
書物に書いてあった通りに説明する。
余計な事をすれば墓穴を掘るやもしれない。
「見聞か……いや、失礼。
冒険者に対してあれこれ詮索するのは良くないよな。
ようこそ、カノード村へ。門番のヤンだ」
ヤンと名乗った男が右手を差し出してくる。
その手を軽く握り返す。
馴染みのない挨拶だと感じた。
それでも自然に出来るのは基礎知識とやらのお陰か。
手を話すとヤンが申し訳ないといった表情で口を開く。
「それで入村料だが、旅人は小銀貨一枚なんだ……」
入村料⁉ 入るだけで金を取られるのか!
そんなの知らぬぞ。
……なるほど、あくまでも基礎知識か。
どこまでが基礎であるかはそうぞうしゅの胸三寸か。
これも用心せねばならんな。
「承知! 承知! 入村料でありますな。
当然でござる!
小銀貨一枚払うでござるでござる!」
これしきも知らぬと思われては、要らぬ疑惑を産みかねん。
自然に、あくまでも自然にだ。
しかし、ヤンが焦っている。
何故だ? 何もおかしな事は無いはず。
「いいのか?!
言っといて何だが、入るだけで小銀貨一枚って相当高いぞ。
食料とかの補給が目的なら、入らなくてもここで多少は融通出来るぞ」
〈しまったー!〉
有無ではなく値付けの問題であったか。
むむむ、なんとか切り抜けねば。
「そうでござるか?
長いこと各地を旅している身である故、高い入村料など茶飯事でござるよ! はーはっはっ!」
このような時は笑い飛ばすに限る。
勢いでどうとでもなるものだ。
「そ、そうか。とにかく問題ないようで良かった。
じゃあ早速払ってもらっていいかい?」
ヤンが苦笑いと共に手のひらを差し出す。
が、その上に銀貨が置かれることは無かった。
二人の間を沈黙の時間が流れる。
〈儂、金持っとらん!〉
■
しばし時が止まっていたが、ヤンが耐えかね口を開く。
「えーっと……どうした? もしかして金が無いのか?」
真正面からの質問に思わず慌ててしまう。
「いや、その、おかしいでござるな~。
さっきまでここにあったはずな……痛っ!?」
汚れを落とすかのごとく、体を探りまわっていると、頭に何か小石のような物が当たった。
驚いて小石が飛んできた方を見る。
そこには見覚えのある麗しい女人が、木にもたれこちらを見ていた。
〈そうぞうしゅ殿!〉
慌ててそちらへと駆け出すと、決まりの悪そうな顔をしたそうぞうしゅがいた。
「そうぞうしゅ殿! 何故ゆえここに?
いや、それより急で恐縮でござるが少々困った事が……」
駆けた勢いそのままにそうぞうしゅへと詰め寄る。
すると、そうぞうしゅは布で出来た何かを差し出した。
「いやー、これを渡すのを忘れておったわ。
『ものしりハンドブック』を渡したと思ったら、すっかりこっちのことは抜けておった」
そう言うとそうぞうしゅは舌をペロっと出した。
「これは?」
差し出された物を受け取り訊ねる。
「カバンじゃ。手ぶらの旅人などおらんからの。
少しだが金も入れておいたぞ」
「金! そう! それで困っていたのでござる!
流石そうぞうしゅ殿、助かったでござる!」
感謝を告げると、そうぞうしゅは再び何かを差し出した。
「これは刀……」
刀は武士の魂。
これだけは忘れようもない。
といっても今の今まで、腰になんの寂しさも感じていなかったのだが。
「さっきも言ったが手ぶらの旅人などおらん。
これくらい持っていなければ怪しまれよう」
確かに良く考えれば丸腰で長旅など自殺行為である。
野盗の類もさることながら、この世界にはモンスターなる怪物がいるとの事。
火の神の力がある故、問題は無い。
しかし怪しまれるのは必定である。
「おっしゃる通りでございますな。
重ね重ねのご厚意痛み入ります」
今度は立ったまま深く礼をする。
そうぞうしゅは笑ってそれを受け入れる。
「良い良い。では改めてワシは行くぞ」
そうぞうしゅが背を向ける。
今度は歩いて去って行くようだ。
と思ったら再びこちらを振り返った。
「『ものしりハンドブック』じゃが、あれは魔法の本じゃからの。
何か知りたい事があれば訊ねてみると良いぞ。
何でも答えてくれよう」
そうぞうしゅが右手の人差し指を突きだす。
するとその指が光り、眩しさのあまりに目を背けた。
再び目を開けた時、そこには誰の姿も無かった。
■
村の入口へと戻る。
ヤンが驚いてこちらを見る。
「金が無くて逃げ出したのかと思ったよ。大丈夫なのか?」
「休憩した際にうっかりカバンを忘れてしまいましてな。
その時たまたま一緒に休んでいた方が、親切にも届けてくれたのでござる」
頭を軽く撫で、「粗忽者で……」といった様子で釈明する。
「では改めて小銀貨一枚でござる。お納めくだされ」
カバンの中にあった小袋から、小さい銀貨を出してヤンに手渡す。
小袋の中には金銀銅の大小様々な硬貨が数枚づつ入っていた。
「確かに。では今度こそカノード村へようこそだな!」
ヤンは体を半身にして、招き入れる様に手を横に振る。
その招きに応じる様に軽く一礼して村へと入る。
村の真ん中を広い道が通っており、その両側に木や石で作られた背の低い家が並んで建っていた。
長閑そうで良い村だ。
しかし何処か陰鬱な印象も受ける。何ゆえ?
「ようこそとは言ったものの、この村はいろいろ問題を抱えていてだな……。
出来ることなら長居はしないほうがいい。
昔はそんな事無かったんだがな」
ヤンは頬を掻きながらばつの悪そうな顔をする。
「急ぐ旅ではござらんが、ヤン殿がそう言うのであればあまり長居はせぬよ」
ただでさえ大きな秘密を抱えた身である。
元々落ち着くつもりもなかったが。
面倒事に巻き込まれぬようなるべく早く発つか。
「そうか。でも自慢の煮込みくらいは食べていけよ。
ブッペの実がかかっててうまいぞ。
ちなみに宿はそこだ」
ヤンはすぐ近くの建物を指差す。
他の家より少し大き目ではあるが、外観は特に変わりがない木造の家だ。
「ヤン殿、いろいろご指南いただき感謝するでござる」
ヤンに向かって頭を下げる。ヤンが少し驚く。
頭を下げて礼をいうのはあまり馴染みがないようだ。
何故かそうしてしまう。
以前の名残りであろうか。
「いやいや、これも門番の仕事のうちさ。
しばらく門番をやっているから、旅立ちの時はぜひ声をかけてくれ」
ヤンはそう言うと仕事へ戻っていった。
この世界で初めて会った人間、ヤン。
何とも爽やかな男であった。
皆、ヤンのようであれば愉快な旅になりそうだが。
「とりあえず宿であるな」
■
宿は建ててからそれなりの年月が過ぎているようだ。
それでも外観はしっかりと手入れされていた。
これなら中も期待できるであろう。
そう思って扉の取っ手に手を掛ける。
「むっ!」
扉が開かない。
力を入れ、横に動かそうとするが全く動かない。
心張り棒でもかけてあるのであろうか?
すると、何か騒々しい声が聞こえ、扉が勢いよく開けられた。
「ぬおっ!」
咄嗟に横に飛んで避ける。
なるほど、その様に開けるのか。
これは覚えておかなければ。
中からは、いかにも小者といった印象を受ける二人組と、その後ろから小太りの横柄そうな男が出てきた。
小太りが振り返って言う。
「よいか! よく考えるのだぞ!」
中からその声をかき消すような大声が返ってくる。
「やかましいね! さっさと帰んな!」
「ふん!」
男たちが去っていく。
機嫌悪そうに歩く姿はひどく偉そうだ。
小者たちは必死で媚を売っている。
ヤンの次はコレか……。
まだ傍目で見ただけなので何ともいえぬが。
とにかく関わり合わないようにせねば。
「ベル、塩でも撒いときな!」
中から怒鳴り声がしたかと思うと、開けっ放しの扉から若い娘が飛び出してきた。
手に持った壺から塩をまく。
男たちの背中へぶつけるかのような勢いだ。
「全く……」
娘は腰の辺りで手に付いた塩を払い落とす。
中に戻ろうとしたところで、扉の横に立っている一人の男に気が付いた。
「ん? その格好、旅人……? もしかしてお客さん!」
娘がこちらに飛んでくる。
少しうねりのある栗色の髪が印象的だ。
まだ幼さも残るが整った顔立ちをしている。
娘の清涼な雰囲気が、先程の男たちの残した嫌な空気を吹き飛ばす。
思わず笑みがこぼれる。
「うむ。拙者、カグと申す。
一晩の宿と食事を所望するでござる」
娘は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまた笑顔になった。
そして手を取ると中へ案内してくれた。
「女将さーん、お客さん!」
娘に連れられ宿に入ると中は食堂になっていた。
時間が遅いためか、他の客は居なかった。
食堂は食欲をそそる香りでいっぱいだった。
入口近くに貫禄のある女人がいた。
円卓を拭きつつこちらを見ている。
「見ない顔だねぇ。旅人かい? こりゃ久々だ」
「カグさんっていうんだって! 良かったね、女将さん!」
娘に腕を引かれ、女将と呼ばれる女人の前に立つ。
「カグと申す。一晩の宿と食事を所望したい」
女将に向かって軽く頭を下げる。
女将は親しみを込め、肩の当たりをポンと叩いてきた。
「アタシはこの食堂兼宿屋の女将ルクーリーだ。
そっちは娘のベル。
一晩と言わず何晩でも大歓迎だよ。
まぁ座りな、腹減ってるだろ?」
そう言うと女将は奥へと消えていった。
台所なのだろうか、良い香りはそこから漂ってくる。
椅子に腰掛ける。
ベルと呼ばれた娘も隣の椅子に腰掛けた。
「今、この店自慢の煮込みがくるからね。
ところでカグさんの話し方って丁寧でいいね。
もしかして貴族様?」
「いやいや、拙者ただのしがない旅人。
この言葉は生国のものでござるよ」
貴族とは支配階級の事であるらしい。
火を司るという事でいえば支配階級といえなくもない。
しかし、この場合は意味が少し違うだろう。
「良かった!
貴族ならこうやって気軽にお話出来ないからね。
カグさん、良かったら旅の話、聞かせてくれない?」
旅の話か……。
そうぞうしゅに連れてこられました。
火の玉になって飛んできました。
なんて言うわけには当然いかない。
『ものしりハンドブック』だったか?
あの書物には偽りの旅路も書いてあった。
だが、しかと読む前にここに来てしまった。
旅日記でも読み返しているといった体で、『ものしりハンドブック』を読むか……
「こら、ベル! お客さんが困ってるよ。
旅人や冒険者はいろいろ事情を抱えてんだ。
無理に聞くんじゃないよ」
「へーい……」
女将が食事を運んできてベルを軽くたしなめる。
残念そうな顔で机に突っ伏すベル。
女将はその横に湯気が立ち込める器と皿を置いた。
「自慢の煮込みと付け合せのパンだよ。
お代わりもあるからたくさん食べとくれ。ベル、ほら」
女将はベルに筒のような物を渡す。
ベルは受け取るとすぐ機嫌を直し、煮込みの器の上でゴリゴリとその筒を回しはじめた。
筒の先から黒い粉が落ちてきて煮込みの上にかかると、香ばしい香りがしてきて食欲がそそられる。
「これがヤン殿が言っていた何とかという実でござるか。
良い香りでござる」
ベルと女将が顔を見合わせて笑う。
「ブッペの実さ。この辺ではこの村でしか取れない。
特産品ってやつだね。
ところで旅人なんて久々だから忘れてたよ。
あんた、あのめちゃくちゃな入村料払ったのかい?」
「左様でござる。小銀貨一枚しかと払ったでござるよ」
はぁと嘆息する女将。
隣を見るとベルも申し訳ないといった表情をしている。
相場を知らぬため、あまり痛手に感じていないのだが、ヤンの様子からも法外な値付けなのは感じていた。
「そりゃ悪かったね。
昔はそんな事無かったんだけどね。全く……」
「ヤン殿も同じ事を申しておった」
女将とベルは先程の男たちとのやり取りで、鬱憤が溜まっていたのであろう。
堰を切ったようにこの村の現状について語り始めた。
小太りの男は村長なのだとか。
数年前に父親からその地位を継いだらしい。
金儲けにしか興味が無く、儲かるブッペの実を重要視しているとの事だった。
「それはいいんだけどね。
村の皆にブッペ関係の仕事ばかりさせたがってね」
ブッペの実は軽い毒素を放つらしい。
この村の人々は先祖代々ブッペと共に生きてきた事で、その毒素に対する耐性を獲得した。
そのため、この村の人しかブッペの実は収穫出来ない。
それでも収穫していられるのは数時間が限度の為、常に人手不足であるようだ。
ちなみに乾燥させれば毒素は消えるとの事。
「物作りが好きな人。農作業が好きな人。
いろいろな人がいるんだけどね。
金儲けしか頭に無いあいつにはそれが分からない。
そんな事は金で連れてきた者にやらせればいい!
この一点張りさ」
効率だけを考えればそれも有りか。
でもそういう訳にもいかないのではないか。
それが人情というものであろう。
「ブッペって、わざわざこの村で食べる必要が無いの。
採れたてとか関係ないし。
都で買うよりはずっーと安いわよ。
でも、ここまでの旅費を考えたらね。
何かのついでに寄るような場所でもないし。
それでも何故か時々、ふらっと現れる人はいたの。
カグさんみたいにね。
でも村長は旅人など来なくていい! って……」
「それであの入村料でござるな」
合いの手を入れるとベルがコクリと頷く。
「こんな山奥で娯楽が無い土地だから、旅人から聞く話を私達はすっごく楽しみにしてたの。
それこそ仕事を休んでまで話を聞いてた。
村長はそれが気に入らなくて、旅人にかまってる暇があったらブッペを採れ! ってね」
それにしても過剰な旅人嫌いである。
何か過去にあったのかと勘繰ってしまう程だ。
「ウチにも食堂をやめて、ブッペをって言うのさ。
でもウチは昔からこのスタイルでやってるからね。
村長だからって人の仕事にとやかく言う権利は無いよ。
だから追い返してやったのさ」
それがさっきの騒ぎであったか。
しかしこの煮込みは美味いな。
美味すぎて話が上の空になってしまいそうである。
「おっと、ごめんよ。長々と愚痴ってしまったね」
「いやいや、拙者にも無関係とは言い切れまい。
聞いておいて良かったでござる」
食事が終わるとベルが部屋へと案内してくれた。
向かう途中に台所の前を通ると、中で大柄な男が何か作業をしていた。
ベルが父のパリカルロだと紹介してくれた。
男が無表情のまま軽く会釈をしたのでこちらも返した。
ベル曰く寡黙だが優しい父との事だった。
「良い部屋でござるな」
案内してくれた部屋は広くはないが整頓されていた。
一息ついているとベルが桶で湯を持ってきてくれた。
〈火の神とはいえ、臭ったりするであろうか?〉
疑問であったが、とりあえず体を拭いておいた。
その後、ベルに話す機会が有るやもしれぬと思い、『ものしりハンドブック』で偽りの旅路を確認した。
一応他の頁にも目を通しておいた。
そうぞうしゅは疲れもせぬと言っていたが、次第に眠くなってきたので夜具に体を滑り込ませた。
こうしてこの世界での第一日目が終わった。
−−−−−−−−−−
〜その弐〜
翌朝、食堂に行くと朝の営業は既に終わっていて、女将とベルが後片付けをしていた。
挨拶を交わし適当な席に座る。
そこにベルが朝餉を持ってきてくれた。
「カグさん、食べたらすぐに発つの?」
「そうでござるな……」
正直迷っている。
面倒事に巻き込まれる前に発ったほうが良いとは思う。
だが滅多にない旅人という事で、すぐに去ってしまうのも気が引ける。
せめてベルに偽りではあるが旅の話をしてからか。
昨晩予習したことでもあるし。
「ベル殿、良ければ拙者の旅の話……」
「邪魔するぞ」
ベルに返事をしようとしたところ、昨日見かけた村長一行が入ってきた。
女将がずいっと前に出る。
が、村長はそれを手で制するとこちらを見て笑った。
「あんたか、昨日来た旅人ってのは?
高い金を払ってまでこんな田舎に何のようだ?」
顔は笑っているが目は笑っていない。
探るような目つきには敵意も籠っている。
昨日の話の通り、相当癖のある人物のようだ。
連れの二人もこちらを見て薄ら笑いを浮かべている。
「絶品の煮込みと看板娘の噂を耳にしましてな。
実物は噂以上で小銀貨一枚など安いものでござった」
適当な事を言い煙に巻く。
ベルは無邪気に喜び、女将がそれを見て呆れている。
「という事は用が済んだって事だな。
ならさっさと出て行くといい。
次の村じゃもっと上等な煮込みと娘が待ってるぜ」
村長が挑発する様に言う。
ベルはさっきの喜びも束の間、「表出ろ! コノヤロウ!」と飛び掛からんばかりであった。
女将がなんとかそれを制して言う。
「あんたこそ用が済んだだろ。さっさと出ていきな!」
女将の剣幕に怯む村長一行。
だが村長は平然を装い、何も言わず出ていった。
ベルは収まらないといった様子でキーキー言っていたが、
騒ぎを聞いて出てきたパリカルロになだめられていた。
「朝から災難だったね。
飯が冷めちまったじゃないか、全く。
作り直すからちょっと待っとくれ」
女将が目配せすると、パリカルロは僅かに冷めた朝餉を持って台所へ消えた。
そのままで構わないと言ったが、女将は、冷めた朝食を出すなんて宿屋の名折れだ、と言って譲らなかった。
「一体、村長は何の用だったのであろうか?」
「なに、噂を聞いてちょっと顔を見てやろうてなもんさ。
悪態つくのが趣味みたいな男だからね」
落ち着いたのか、ベルも会話に入ってくる。
「ねぇ、カグさん。
いっそのことゆっくりしていったらどう?
その方が私たちも嬉しいし、あいつへの嫌がらせにもなるし」
悪い顔をして笑うベルを女将がスパンと叩く。
息のあったやり取りに思わず笑ってしまう。
確かにベルの言う通りも良いかもしれぬ。
面倒ごとに関わらぬうちにと思っていたが、機を逸した気もする。
「左様でござるな。
法外な入村料を払ったというのに、すぐに出て行くのは勿体無い。
もう少しお世話になるでござる」
「歓迎する」
言い終わるや否や、パリカルロが作り直した朝食を持って現れた。
「ナイスタイミング! パリさん!」
ベルがパリカルロの腕に抱きついて言うが、パリカルロの顔は相変わらず無表情のままであった。
■
「ゆっくりとは言ったものの、この村って特に見るものも無いしなー」
朝食を食べ終え、皆で女将が入れてくれたお茶を飲む。
パリカルロは後片付けのため台所だ。
働き者な男である。
ベルが机に伏せながら頭を抱えている。
「そうだねぇ、この村は本当にブッペしか無いからね」
女将はそう言うとお茶を一口すする。
ブッペと聞いて昨日の話を思い出す。
そういえば毒がどうとか……。
実際どのように生っているのか、不意に興味が湧いてきた。
「女将、ブッペの実が生っているところを見たいのだが、部外者も立ち入り出来るであろうか?」
「ブッペの実が生っているところ?」
女将とベルが顔を見合わせる。
「いや、別に見たって構わないさ。
でも特に物珍しいもんでもないよ。
その辺の木の実と一緒さ。いいのかい?」
「この旅は見聞を広げる為のもの。
何でも見るに越した事はないのでござる」
そう聞いて女将は少し考え込んでいたが、パッと明るい表情に変わるとベルを見て言った。
「ベル、あんたカグさんについていっておあげよ。
毒素の事があるからどうかと思ったけど、あんたが一緒なら大丈夫だろう」
「さすが女将さん! まかせて!」
ベルは勢いよく立ち上がるとその胸をドンと叩いた。
ありがたい申し出とはいえ、「仕事は大丈夫なのか?」と心配になった。
だが、問題ないとの事であった。
ならばお言葉に甘えようと、感謝と共に告げる。
すると昼食には帰ってこられるようにと、すぐ出発になった。
仕事は問題無いが、ベルの腹が持たないらしい。
照れもなく笑いながらベルが言う。
実に気持ちの良い性分の娘だ。
竹を割ったようなというのはこの娘の為の言葉であろう。
「じゃあ行こう、カグさん!」
「お願いいたす」
簡単に支度を済ませ、ベルと共に宿を出る。
ブッペの木がある森は、道を挟んで村の反対側との事だった。
門のところでヤンと再開したので、これまでの経緯をベルと共に軽く話しておいた。
ヤンは「困ったらぜひ頼ってくれ」と言ってくれた。
改めて礼を言いヤンとはそこで別れた。
森までの間、ベルに旅の話を聞かせた。
『ものしりハンドブック』をなぞっただけだが。
何処ぞの何が美味かった。
何が綺麗だった。
などと話すとベルは目を輝かせて聞いていた。
「着いたよ!
この森全体を私達は深い森って呼んでる。
それで、この柵の中に生えてるのがブッペの木よ」
森は村からさほど遠くなかった。
空から見ていたので大体把握していたが、確かにかなり深い森のようだった。
その森の手前部分に簡易な柵で囲まれた一画があり、そこで多くの人が働いていた。
「これがブッペの木でござるかー」
柵の手前から木を見上げる。
人の背丈でいえば五人分位であろうか。
中々に立派な木である。
枝の先に黒くて小さな実が鈴なりになっている。
村の人々は器用にブッペの木へと登り、一つ一つ丁寧にその実を摘み取っていた。
ベルがその中の一人に声を掛けた。
「ギュンさーん! 何粒か取ってー!
お客さんに見せるのー!」
「おおー! 噂の旅人か。どれどれ、ほらっ!」
ギュンと呼ばれた年配の男が、ブッペの実を幾つか摘みベルに向かって投げ渡す。
ベルは上手に受け取るとその実を見せてくれた。
「これがブッペの実。
この実だけは年中生るけど種も無いし花も咲かない。
どうしてこんなたくさんの木が生えているかは謎なの。
もちろん村の人も植えたり育てたりもしてないしね」
「ほほぅ、それは不思議でござるな……」
「念の為、あんまり近くで見ない方がいいかも。
このくらいなら問題ないと思うけど、一応ね」
確かに昨日食べたものより少しツンとくるものがある。
人によっては少量でも気分が悪くなるとの事。
ベルの言う通りあまり近づかないようにしておく。
すると、急に柵の中が何やら騒がしくなった。
今まで仕事をしていた者たちが手を止め、一斉にこちらへと駆けてくる。
驚いているとその中の一人がベルに声をかけた。
「ベル! ちょうど良かったわ! モンスターが出たの!」
「えっ!」
「なんと!」
突然の知らせに二人で仰天する。
ところで今、ちょうど良かったと聞こえたが……。
一体どういう事であろう?
「いま、マルセールが抑えてる。
なんか大きい蟹みたいなやつだった」
「キャンサベース? ……分かった! みんなは村へ。
念のためヤンにも来るように伝えて」
村人は首を縦に振ると足早に去っていった。
「カグさん、モンスターが出たみたい。
悪いけど一人で村に戻ってもらえる?
みんなに付いていけば戻れるから」
ベルの口ぶりだとモンスターと戦いに行くようだ。
まさかこの娘、戦えるのか?
「拙者も一応冒険者。
多少腕には覚えがあるでござる。
それよりベル殿こそモンスターと戦うのでござるか?」
ベルが首肯する。
笑ってはいるがその顔はキリッと締まっている。
先程までの天真爛漫とした娘とは別人のようだ。
「私は魔法が使えるの。だから大丈夫。
そっか、冒険者か……。
分かった、じゃあカグさんも付いてきて!」
騒ぎが起こっている方へ駆け出すベル。
その背中を追いかける。
ただの元気で可憐な村娘かと思っていたが。
しかし魔法とは。
一体どのようなものであるのか……。
「いた! ほんとにキャンサベースだ……」
先を行くベルが指差す方を見る。
そこには槍を持った銀色の髪の男が立っていた。
その視線の先には、男と同じ位の大きさをした蟹の化け物がいた。
両の鋏を高く掲げ、今にも振り降ろさんと槍の男に狙いを定めていた。
「マルセール!」
ベルの声を合図にしたように、蟹の化け物の鋏が槍の男を襲った。
ただあまり素早い動きではない。
槍の男は余裕を持ってかわした。
ベルに気が付いた男が少し驚いた様に言う。
「ベル?! 早いな! まぁいい、いつもの頼むぞ!」
「まかせて!」
言い終わるや否や、ベルが何か小さな声でぶつぶつと言い始めた。
後ろから見ていてもよく集中しているのが分かる。
その間、槍の男は蟹の化け物の注意を引くように、槍を突いては下がるを繰り返している。
「よし! マルセール、下がって!」
ベルが再び叫ぶと槍の男マルセールは飛び去り、蟹の化け物との距離を取った。
「土槍!」
ベルが両手を前に出しながら魔法を放つ。
すると地面が鋭く盛り上がる。
その真上にいた化け物蟹は仰向けにひっくり返された。
貫く程の威力は無いようだが、とにかくすごい魔法だ。
「ナイスだ、ベル!」
マルセールは素早く仰向けになった化け物蟹に近づく。
そして、剥き出しの腹の中心めがけ槍を突き刺した。
すると今までじたばたと藻掻いていた蟹が、まるで時が止まったかの様に急に動かなくなった。
「急所を突いたの」
「おお、ベル殿!
それにしてもすごい魔法でござった。
拙者、感服致しました」
頭を下げそう告げると、ベルははにかんだ様に笑った。
その笑顔は元の天真爛漫なベルのものだった。
首を横に振りつつベルが答える。
「そんなに大したことないよ。
初歩の魔法だしね。
すごい人ならあの魔法だけで仕留めちゃうんだってさ」
「いやいや、ご謙遜を」
ベルとそんなやり取りをしていると、槍の男マルセールもやってきた。
「ベルがすぐに来てくれて助かった。
それにしても早かったな」
「お客さんを案内しててちょうど森に来てたんだ。
カグさん、この人はマルセール。
ヤンと同じでカノード村の守衛さんなの」
ベルに紹介されマルセールが前に出てくる。
右手を差し出し握手を交わす。
その手はゴツゴツとしていて、握っただけでかなりの古強者だと想像させる。
「マルセールだ、旅の人。
小さい村だからな噂には聞いてるぜ」
「カグと申す。見事な槍さばきでござった」
挨拶を済ませ、ベルも交えて三人で話をする。
そのうちに村の方からヤンがやってきた。
「やっぱりもう終わってたか。
てことは解体の人手が必要か。
こんな時期に蟹が食えるとはな!」
そう言うとヤンはすぐに踵を返し村へと戻っていった。
マルセールも心底嫌そうな顔で、村長に報告すると言ってヤンに付いていった。
気になった事があったのでベルに訊ねてみる。
「ベル殿、あの蟹の化け物はよく現れるので?」
「うん、キャンサベースは出るよ。でも……」
ベルが浮かない顔つきで話を続ける。
「冬だけ。
元々モンスターはブッペの毒素を嫌うから、ほとんど深い森から出てこないの。
出てくるとしても実の生りが少ない寒い時期。
キャンサベースもそう。
暑い時期に出るモンスターもいるにはいるけど……」
納得いかないといった表情のベル。
「偶然では?」
「そうかもしれない。
でも何か気になるな……。
まぁ、たまたまだよね!」
表情をパッと切り替え、いつもの様子に戻るベル。
そこにヤンが村人を引き連れてやってきた。
皆手慣れたようで、手際良く解体していく。
モンスターを退治したら解体して、食材や資材にするのはこの世界の常識であるらしい。
初めて見るので興味深い。
しかし、旅慣れた身という事になっているので、ボロが出ないよう離れておく。
「確かに珍しいが……たまたまじゃないか?」
ベルはやはり気になるようで、先程の疑問をヤンにも聞いていた。
ヤンの答えも偶然ではないかとの事だった。
ベルは少し安心したようだった。
「大体こんなもんだな!
よーし、じゃあ村に戻って早速食うか!
ベル、悪いけどいつものように後始末頼む」
ヤンと村人たちは解体したキャンサベースを持って、まるで祭りの行列のように賑やかに村に帰っていった。
後には解体されたキャンサベースと我々二人が残された。
「よし!さっさとやっちゃうね!」
そう言うとベルは、魔法を使うために詠唱する。
そして再び両手を前に出す。
今度は地面が陥没し、キャンサベースがそこに落下した。
「おお! お見事!」
「さてと、お次は……」
「これは大筒……でござるか?」
ベルが何か大きな道具を抱えあげた。
ヤンが持ってきた物だ。
先程から地面に転がっていたので気になってはいた。
「これは魔法道具の火炎放射器だよ。
私、火の魔法は使えないんだ。
これで燃やしてから土魔法で埋めるの」
「モンスターを倒した後の作法でござるな」
「うん。
そのままだと他のモンスターの呼び水になるからね」
ベルが火炎放射器をキャンサベースに向ける。
しかし、しばらく経っても何も起きない。
「あれ〜? おかしいな……」
ベルが彼方此方触るが変化はなかった。
困っているベルを見ていると体が自然に動いた。
「あ、ならば拙者が」
右手を陥没した地面に向かって差し出す。
すると青白い炎がキャンサベースを包み込み、その姿が一瞬にして灰になった。
〈しまった……つい〉
横を見ると唖然としているベルの姿があった。
その足元には役目を失った火炎放射器が寂しそうに転がっていた。
■
「なに? どういうこと? えー?」
〈どうしたものか……〉
ベルが困っているのを見てついやってしまった。
実は魔法使えましたー! などと言って誤魔化すか?
いや、ベルは集中を高め詠唱して魔法を使っていた。
予備動作も無し。加えてあの威力では説明がつかぬ。
火の神の力は加減が難しい。
「えーと……これってカグさんがやったの?
え? 魔法?
いや、詠唱も無しにあり得ない。威力も……」
すっかり灰になったキャンサベース。
その残骸を見ながらベルが混乱している。
そんなベルを見て、もう全て話してしまおうかと思い始める。
まだ会って間もないがベルは信頼出来る。
他言無用も守ってくれるだろう。
得体が知れぬと言って邪険にもせぬはず。
そう考えていると、ベルが苦笑いを浮かべこちらへやって来た。
「カグさん、ごめん。
ちょっとよくわかんないんだけど……。
はっきり言ってこれって人間業じゃないよね?
カグさんって何者?」
「ベル殿……。
ベル殿を信頼に値する人物だと見込んでお頼み致す。
これから見聞きすること、他言無用にしていただきたい」
ベルに向かって深く頭を下げる。
それを受けてベルは覚悟を決めた顔つきで首肯する。
一応周囲の気配も探り、誰も居ないことを確認しておいた。
「うん、分かった」
「では……」
ベルが見つめる前で自身の体を燃やす。
その火が一気に燃え上がると体全体を包んだ。
次にその火を顔の大きさ位に凝縮していく。
火の玉となったところで、ベルに向かって名乗りあげる。
「改めて宜しくお願い致す。
拙者、火の神カグと申す! って、あら?」
格好をつけてみたものの、ベルはいつの間にか地面の上にひっくり返っていた。
肝心なところは見てくれていたのであろうか?
「おーい、ベル殿ー。大丈夫でござるかー?」
火の玉のままでベルの顔を覗き込み声をかける。
まさかまたすぐに気絶することは無かろう。
もう一度声をかける。
するとベルの目がパチリと開き、続いてムクリと上体を起こした。
目覚めたベルはこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「ベル殿? カグでござるよ」
「ハイ。カグサン、ヒノカミサマ」
〈片言になっておるー!〉
衝撃が大きすぎたのだろうか。
まさかこんな影響が出ようとは……
「仕方ない、ここは少々荒療治だが」
人の姿に戻り精神統一をする。
そして振りかぶって、ベルの頭に手刀を落とした。
「いったーーーーーい!」
「おお! ベル殿、正気に戻られましたか!」
ベルは頭を押さえたままこちらを睨みつけた。
「何するんですか!
こんなか弱い女の子に! カグさん、酷い!」
か弱いという部分が少し引っ掛かったが、慌てて釈明する。
「いや、ベル殿が少々混乱されていたので……」
「当たり前じゃないですか!
目の間で人が燃えたり、火の玉になったりすれば誰だって混乱します!」
言われれば確かにその通りで弁明の余地も無い。
少々演出を凝り過ぎたかもしれない。
「申し訳なかった。
しかと説明してからにすれば良かったでござる」
反省の証に、近くにあった木に右手をつき項垂れる。
何故だかこれが反省を示す姿勢という気がした。
「本当ですよ、全く。
火の神様って急に言われても……。
でも、あの威力の説明は付きますね」
「いや、面目ない。
ベル殿が困っていたので、つい火の神の力を使ってしまった。
この力、加減が難しいのでござるよ」
反省の姿勢を解き、再び火の玉姿にパッと変化する。
流石に今度はベルも気絶はしなかった。
その代わりに深い溜め息をついた。
「まさか突然現れた旅人が、火の神様だったなんて……」
ベルが何とか受入れてくれたので、ついでに火の神となった経緯も簡単に話した。
ただ、別の世界から来たという事だけは、さらなる混乱を呼びそうだったので伏せておいた。
「創造主様、火の素、闇の王、もう頭が破裂しそうです!」
頭を抱えて座り込むベル。
慰めようと思い近づくと、不意にベルは手を伸ばし火の玉にそっと触れた。
「触っても熱くないんですね」
「それは新発見でござるな」
そう言うと、ベルは優しく笑った。
■
キャンサベースの処理を終え、ベルも随分落ち着いたので村に戻る事になった。
「それにしても良かったでござる。
ベル殿が理解ある方で」
ベルが苦笑いで答える。
「正直まだ戸惑ってますけど……。
でもカグさんは変な嘘をつくような……人?
には見えないしね」
"人"のところが疑問形だったが、とりあえず信用してもらったようで安心する。
ついでに偽りの旅路についても謝罪しておく。
故郷で死にかけたところを助けられ、気がついたらこの付近にいた。
と言うと、ベルは肩を落とした。
「ただ、食べ物や景色などは嘘では無いはずでござる。
そうぞうしゅ殿に頂いた書物に書いてあった事ゆえ」
そう聞くとベルの顔がパッと明るくなった。
実に喜怒哀楽の表現が豊かな娘である。
やはりベルは信用して良さそうだ。
もしこれが演技なのだとしたら、手練のくノ一か何かであろう。
「良かった〜。魚を生で食べるとかも本当?」
「それは間違い無いでござる。拙者も故郷で食しておった」
ホッとした表情のベル。
二人でブッペの木を囲む柵沿いを歩いていると、不意に誰かに呼び止められた気がした。
「今なにか聞こえなかったでござるか?」
「え? いや、何も聞こえなかったけど……」
周囲を見渡すが、特に変わった様子は無い。
気のせいかと歩き出すと再び声が聞こえた。
「オイ、アンタ!」
今度はベルにも聞こえたようで二人して周囲を窺う。
すると柵の支柱に隠れつつこちらを見ている、小枝位の大きさで人の姿をした何者かが目に入った。
何故かぶるぶると震えている。
ベルがその姿を見て目を丸くする。
「え? コロポル? 初めて見た!」
コロポルと呼ばれた小人がサッと柱に隠れる。
そこから顔だけ出すと震える声で訊ねてきた。
「ア、アンタ何者だ?
あんな火を出すなんて……に、人間じゃないだろ!
まさかこの森を燃やすつもりじゃないだろうな!」
そう言うとまた隠れるコロポル。
相当警戒心が強いようだ。
「失礼ね! そんな事するわけないでしょ!
カグさんは火の神様なのよ!」
ベルが声を荒げると、コロポルはブッペの木の方へ逃げていった。
〈言った……今言った……駄目って言ったのに……〉
「べ、ベル殿、他言無用にと……」
ベルが顔を真っ赤にする。
飛び上がりつつ平伏すると、何度も何度も頭を下げた。
なるほど、挨拶や感謝の意では頭を下げぬが、謝罪には使うのか。
などと考えているとコロポルが戻ってきた。
「ひ、火の神だって!
火の神様は闇の王に……
あれ? でもそういえば、火の素が増えてきてる」
キョロキョロと辺りを見回すコロポル。
そこで火の神としての証明になるかは分からぬが、火を出したり消したり、火の玉になるなどして見せた。
するとコロポルは興奮した顔つきで近付いてきた。
「スゴい! 魔法や仙術だってこんな事は出来やしない!
ホントに火の神様なんだ!」
そう言って小躍りするコロポル。
そこで簡単にだが火の神になった経緯を説明した。
「へぇー、創造主様が」
「だから言ったでしょ。火の神様だって」
「ふん! 人間の小娘の言うことなんか信用できるかい!」
睨み合う二人。
啀み合ってはいるが、本気ではなさそうなのでむしろ微笑ましい。
「ところで、森の小人が人間に姿を見せるなんて珍しいじゃない。
何か大切な事でも伝えに来たんじゃないの?」
突き合わせていた顔を戻しベルが訊ねる。
コロポルもハッとして顔を戻した。
「そうだった!
実は最近、人間が森を荒らし回っているんだ。
だから二人もその仲間だと思って……」
ばつの悪そうな顔をするコロポル。
ベルが怪訝そうに首をかしげる。
「森の奥?
カノードの人で深い森に行く人はいないはず……。
どんな格好だったか覚えてる?」
そう言われ、頭に指を当てて考えるコロポル。
実に愛嬌がある。
「一人は曲がった剣を持ってて……。
あとの二人は黒と灰色のローブを着ていたな」
ベルが何か思い出したような顔をする。
「それってこの前、商人の護衛で来た三人組だ。
てっきり商人と一緒に帰ったと思ってたけど。
村長の屋敷で寝泊りしてたはず。
村長は何か知ってるわね」
ベルの目がきらりと光る。
その目は獲物を見つけた猛禽類を思わせる。
「さっきキャンサベースが森から出てきただろ?
人間が森を荒らし回るせいで住処を追われたからさ」
「なるほど。有りそうな話でござるな」
ベルが謎が解けたといった表情で言う。
「よし……とりあえず村に戻ろう。
女将さん達とも相談しなきゃ」
何か分かったら知らせると約束し、コロポルとはそこで別れた。
■
「きな臭いね」
宿に戻ってコロポルから聞いた話を女将達に告げる。
すると女将はそう言ってニヤリと笑った。
コロポルについては伏せておいた。
村へと戻る際に、深い森で三人組の人影を見たという事にした。
ちなみに蟹は広場で焼かれ、皆に振る舞われたらしい。
もちろん我々の分もあったので昼食で頂いた。
モンスターを食べるのは初めてだったが、その美味さに驚いた。
「村長に直接問いただすか……」
マルセールが目を瞑り、腕を組みながら言う。
今集まっているのは女将、ベル、マルセール、そしてマルセールが連れてきた村の重役が数人いた。
パリカルロは後片付け。ヤンは門番だ。
「そうだよ! 正面突破だ!」
ベルが両手で机を叩きながら立ち上がって言う。
何ともベルらしい意見だ。
女将は苦笑いしたが、他の重役も賛成との事だった。
何でも村長は金にはうるさく横柄だが、裏で策を弄するような事はしないらしい。
今回の事も目的は分からないが、その横柄さゆえ独断でやっているだけだろう。
というのが皆の見解だった。
「そうと決まれば善は急げ! 続け、皆の者ー!」
そう言ってベルは宿から飛び出して行った。
「やれやれ……」
マルセールと重役達がその後を追う。
「何かあの娘の口調、あんたに似てなかったかい?」
女将が笑いながら肩をぽんと叩いてきた。
何故か妙に責任を感じたので、女将に村長屋敷の場所を聞き宿を出た。
門とは反対の方向に道を走る。
するとすぐにマルセール達に追いついた。
村長屋敷に着く。
ベルが既に取次を頼み、返事を待っているところだった。
「どうぞ」
しばし待つと、奉公人が出てきて中に通された。
案内され応接間に行く。
中では不機嫌そうな村長が、椅子に腰掛け待っていた。
「何のようだ?」
「村長、率直に言うぞ。
冒険者なんぞを深い森に送り込んで何をしている?」
マルセールが代表して言うと村長は眉を寄せた。
「その事か。
他にブッペの木が群生している所が無いか調べさせてるだけだ」
重役達がざわつく。
マルセールが村長に対抗するかのように顔をしかめる。
「何故そんな事を?今でさえ人手不足だというのに」
「村の者全てをブッペの収穫に動員すれば、収穫高が増え収入が増える。
裕福になれば子供も増えるだろう。
長い年月で見れば、いずれ今のエリアでは足りなくなるのは必定だ」
マルセール達はうんざりといった表情だ。
「村長、皆それぞれの仕事に愛着や誇りを持っている。
金の為だけにブッペの収穫に携わる事はない」
村長が鼻で笑う。
「それは無知だからだ。
ブッペで金を稼ぎ、その金で魔法道具を買う。
便利な生活を享受すれば、結局は私に感謝するだろう」
「俺たちは既に十分なほどブッペから恩恵を受けてる。
分をわきまえず求めれば自然の怒りを買う。
自然の脅威の前で人間など無力だ」
ベルがマルセールに続く。
「キャンサベースがこんな時期に出てきたのだって、その冒険者達が森を荒らしたせいだわ。
このまま荒らし続ければ、森の守り神を怒らせることになる」
村長はベルの話を聞き、今度は声を出して笑う。
「守り神だと!
何を言い出すかと思えばそんなおとぎ話か。
ベル、お前何歳になった?
まだおしめが取れてないんじゃないか?」
怒りの気がベルを包み込む。これはまずい!
「挽いてやる!」
村長に飛び掛かろうとしたベルを、その腰に飛びついて何とか抑える。
しかし、なんという馬力か!
抑えているのがやっとである。
この娘、魔法使いにしておくのは惜しい。
ベルの剣幕に押されていた村長が何とか声を振り絞る。
「と、とにかく私の意見は変わらん。
私を支持する者も増えてきている。
お前たちだっていずれ私に感謝することになる!」
村長はそう言い捨てると応接間を出ていった。
その様子に今日はこれ以上言っても無駄だろうとなり、我々もそこで解散という事になった。
ベルだけはまだ収まりがつかない様子だったが、何とか宥め宿まで連れて帰った。
−−−−−−−−−−
〜その参〜
次の日の朝、食堂を覗いて見ると戦場のような慌ただしさだった。
女将、パリカルロ、そしてベル、それぞれが一騎当千の働きで客に対応していた。
これでは話どころではないと思い、一度部屋へと戻る。
昨日の出来事を頭の中で整理するなどして、しばらく経ってから再び食堂へ行く。
すると客は一人もなく、女将とベルが円卓を拭いて回っていた。
「おはよう、カグさん!」
女将とベルに挨拶を交わし席に着く。
すぐにベルがやってきて小声で言う。
「カグさん、食べたら早速コロポルの所へ行きましょう」
「確かに。
村長の目的をコロポル殿にも話した方が良うござるな」
話していると女将が朝食を運んできた。
「おや? 今日も何処かへ出かけるのかい?」
ベルがあたふたとしているので代わりに答える。
「うむ。昨日、キャンサベースが出てきた所へ。
少し気になる事がありましてな」
女将が少し心配そうにベルを見る。
「それはいいけどね。
ベル、分かってるね。
深い森にはあんまり入るんじゃないよ」
「分かってるよ〜」
強いとはいえベルも年頃の娘だ。
女将も心配なのだろう。
「お客さんに怪我でもさせたら申し訳ないからね」
なんとこちらの心配であったか。
驚いた顔をしているとそれを見て女将が笑う。
「ベルは逞しいし、慣れてるからね。
と言っても女の子だから、その辺はよろしく頼むよ」
女将はそう言うと台所へと消えていった。
ベルが少し頬を赤らめ「さっさと食べて行こう!」というので、出された物を次々と口へと運んだ。
どうやら食べた物は体に入った途端燃やされ、全て火の素となり体の外へと排出されるようだ。
「食べるの早っ!」
あっという間に空になった器を見てベルは唖然としていた。
■
女将に声をかけ、二人で宿を出た。
森までの道中、ベルに色々とこの世界の事を聞いた。
「深い森の周りには、他に村が無かったように思ったのだが。
何故でござろう?」
「あー、それね」
ベルがふふふと笑う。
「深い森ってハズレの森なの。
特別な物が何も無い。
資源もモンスターも少ないんだって。
あ、ブッペは別だよ」
「ハズレでござるか」
軽く相槌を打つとベルが続ける。
「そして作物を育てるのに適した土地も少ない。
だから、ブッペのあるカノード村しか無いの」
ハズレの森……。
それゆえ旅人も少ないのであろうか?
などと考えているとあっという間に森に着いた。
働く人達に挨拶し、キャンサベースを埋めた所に行く。
ここから少しだけ深い森に立ち入れば、ブッペの木の辺りからは見えないだろう。
「おーい、コロポルー!」
ベルがコロポルを呼ぶ。
中々に大きな声だ。
仕事中の人たちにも聞こえたのではと少し焦る。
「べ、ベル殿、もう少し声量を……」
と言うと、ベルは申し訳ないといった表情をした。
「ごめん、聞こえなかったかな? おーい!!」
そうじゃないと止めようとしたところ、足元から声がした。
「うるさいなぁ、聞こえてるってば!」
「え? 何処? さっさと出てきてよ」
すると、足元にあったきのこが小人の姿に変化した。
「他の人間を警戒してたんだよ。
ベルの大声を聞いて誰か来るんじゃないかって」
「こんな淑女を捕まえて大声だなんて失礼ね」
昨日はか弱い女の子と言っていたのに。
村長に殴りかかろうとした事で、淑女に成長したのであれば淑女とは一体……。
「まぁ、いいわ。
昨日ね、あれから村長を問い詰めたら白状したの。
冒険者たちはブッペの木を探してるんだって」
コロポルは、はて? と首をかしげた。
「ブッペの木?
森の入口にいっぱい生えてるじゃないか。
もしかしてあれじゃ足りないって言うのかい?」
「今は十分足りてるよ。
採りきれないくらいだもん。
でも村長は、将来足りなくなるって思ってるみたいなの」
ベルの話を聞いたコロポルは頬を膨らませた。
「人間ってのはホントに欲深だなぁ!
でも無駄な努力ってやつさ。
ブッペの木は森の奥には無いよ」
驚いてベルと目を見合わせる。これは朗報だ。
プッペが無いと分かれば冒険者が森に入ることはない。
コロポルにも迷惑がかからない。
モンスターが異常に出てくることも無いはずである。
「問題はそれをどうやって村長に伝えるかでござるな」
ベルが頷く。
「うん。
コロポルから聞いたなんて言ったら、またバカにされるもんね。
くっ……」
昨晩の事を思い出したようでベルは歯ぎしりした。
昨晩といえば、少し気になった事を思い出した。
「コロポル殿、森の守り神とは存在するのであろうか?」
聞かれたコロポルは表情を変えずに答える。
「いますよ。森の奥深くでずっと寝てる。
でもそれでいいんだ。
守り神が起きるって事は、
森に何か大きな問題が起きたって事だから。
でも、このまま人間が荒らし回ったら、守り神が起きるかもしれないぞ」
ベルの顔が喜色に溢れる。
ぴょんぴょんと飛び跳ね、両手を突き上げている。
コロポルは怪訝そうな顔だ。
「やっぱりいるんだ! わーいわーい!」
無邪気に喜んでいたが、一転曇った顔つきになる。
「むー、
でもやっぱり"いる"って証明するのが難しいなぁ。
何とか村長に一泡吹かせてやれないものか……」
確かに。
待てよ、一泡吹かすか。そういえば……。
「コロポル殿。
先程見事に変化していたが、他にも何かに変化出来るでござるか?」
コロポルは得意そうに胸を張ると再びきのこに変化した。
「見た事あるものにはなんだってなれますよ!
大きなものはオイラ一人じゃ無理だけどね。
みんなと協力すれば平気さ。
なんたってオイラたちは木の数より多いんだから」
「なるほど。という事は……」
「カグさん! 悪い顔!
もしかして何かいい作戦思いついたの?」
そんな顔をしていただろうか。
ベルが輝いた目で、その悪い顔とやらを覗き込んできた。
■
「守り神だー!」
「守り神が怒って出てきたー!」
「村が滅ぼされるぞー!」
ブッペの木で働いていた人達が村に戻ってきて、口々に叫んでいる。
村に居た人達もそれを聞いて、慌てて広場へ集まっている。
「守り神だと?! 何をふざけた事を……」
村長が騒ぎを聞きつけ、屋敷から飛び出してくる。
その後ろから付いてきたのは例の冒険者三人組だ。
「なんだと……」
村長が愕然として膝を付く。
視線の先には村長の屋敷程の巨大な亀の化け物がいた。
その化け物が広場へと向かってきており、一歩歩くごとに空に向かって火を吹いていた。
ちなみにこの火は、火の神の力で亀が吹いている様に見せている。
巨大な亀は森の守り神である。
もちろん本物ではなく、コロポル達が集まって変化したものだ。
「ひぃぃぃー!!」
村長が頭を地面に擦り付けるように平伏する。
村の者たちもそれに倣う。
この守り神がコロポルだと知っているのはほんの一部だ。
女将達やマルセール、ヤンなどにはこの作戦を伝えていた。
皆、驚いていたが快く協力を申し出てくれた。
「お主が人間どもの長か?」
偽守り神が首を伸ばして、先頭にいた村長に問いかける。
村長はぶるぶると震えながら「はい」と答える。
守り神が亀の化け物だとか火を吹くといった伝説は、カノード村で古くから語り継がれているものらしい。
深い森を荒らせば、守り神が出てきて村を焼き尽くす。
といった話は村の者なら誰でも知っているのだそうだ。
「守り神様、どうか、どうかお許しを。
二度と深い森を荒らすような真似は致しません」
何度も何度も頭を下げ、許しを請う村長。
「おとぎ話か」とか言っていたので、この偽守り神作戦が村長に通用するか半信半疑であった。
だが効果覿面のようだ。
村長もこの村で生まれ育った人間だという事であろう。
「その言葉を信用し今回ばかりは咎めぬ。
だが次は無い、よく肝に銘じておけ。
村の者たちも同様だ」
偽守り神の言葉に、改めて平伏する村の人々。
〈コロポル達、妙に上手い……〉
「では私は森へ帰る。二度と邪魔するで無いぞ」
そう言ってズシンズシンと足音をたて、偽守り神は深い森へと帰って行った。
放心状態の村長と村人達。
マルセールがここぞとばかりに村長を説得にかかる。
「村長、皆の生活を豊かにしたいというあなたの気持ちはよく分かる。
でも俺たちは既に十分な恩恵を受けていると思わなければならない。
欲には切りがないんだ。
必要以上に求め続ければ向う先は破滅だ。
今日の事でよくわかったはずだ」
村長はマルセールの言葉を俯きながら聞いていた。
しばらくそうしていたが不意に顔を上げた。
その顔は憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。
「マルセール、あんたの言う通りだ。
私は何か大事なものを見失っていたようだ」
村長は立ち上がると、未だ広場で茫然としている村人達に向かって言った。
「皆、申し訳無かった。
私の暴走が森の守り神を起こすという結果を招いてしまった」
頭を下げる村長を見てざわつく村人達。
「もちろんブッペはこの村の宝だ。
これからも最重要であることは変わらない。
ただブッペだけに頼るのは危険だとわかった。
自立した村となるためには他の仕事も必要だ。
必要な事、やりたい事がある者は遠慮なく言ってくれ」
村長の演説を聞いた村人達は立ち上がり、村長に向かって拍手を送った。
隣を見るとベルや女将達も拍手している。
村長はそれに応えるように右手を挙げていた。
だが次の瞬間、村長の体が後ろから突き飛ばされ地面に転がった。
土煙が上がるその向こうには、下卑た笑いを浮かべた冒険者が曲刀を持って立っていた。
「茶番は終わりだ」
■
再びざわつく広場。
曲刀の男が村人達に向かって話し始めた。
その横には魔法使いと思われる黒いローブを着た男もいた。
「何が守り神だ、くだらねぇ!
俺たちはてめえらがせっせと集めたブッペとその売上金を持ってとんずらする。
すぐにありったけのブッペと金を用意しろ!
黙って従え、邪魔するんじゃねえぞ!
邪魔するとこいつが酷え目にあうぜ。おい!」
曲刀の男が村長屋敷の方を振り返って叫ぶ。
すると灰色のローブを着た男が若い娘を連れてきた。
「ロサリー!」
村長が叫ぶ。その顔は真っ青だ。
ベルに聞くと、人質になっているのは村長の娘らしい。
「わかったらさっさと用意しろ!」
村長と村の人達が慌ただしく動き出す。
隣のベルの顔が悔しさで歪んでいる。
「おのれ、裏切りとは卑怯な!」
確かに女将の言う通り、口調が似てきたかもしれない。
しかし他の事ならまだしも、裏切りと聞いては黙っていられない。
「ちんたらやってんじゃねぇ!
ちっ! おい、ちょっと一発脅してやれ」
曲刀の男が言うと、黒のローブの男が詠唱し始めた。
あやつらを神の力で灰にしてしまえば簡単な話なのだが、それは過剰であろう。
悪を挫くとは言えど、やはり最後は人の法で裁かれるべきである。
声を潜めてベルと相談する。
「ベル殿、少しだけ助太刀致す。
拙者が何とか隙を作るので、ベル殿はあの人質の娘を頼むでござる」
「わかった」
ベルも詠唱を始める。
しかし、隙を作るとは言ったもののどうしようか。
と思っていると黒ローブの頭上に火の玉が浮かんだ。
ちょっとした岩くらいはある。中々の魔法だ。
しかしこれは渡りに船、利用させてもらおう。
「ベル殿、行くでござるよ」
「まかせて」
小声で言うとベルも同じ様に答えた。
「この威力をとくと見よ! 火球!」
黒ローブが両手を前に振り出す。
しかし、火球は微動だにせず漂ったままだった。
「おい! 何やってる!」
曲刀の男が黒ローブを問い詰める。
黒ローブは何度も腕を振るが状況は変わらない。
すると突然その火球が爆ぜた。
というか火の神の力で爆ぜさせた。
爆ぜた火球の破片がばらばらと散らばる。
その中の一部が冒険者達の頭上を襲う。
咄嗟な事に対応出来ず冒険者達の髪の毛が燃え上がった。
「あちゃーーー!!」
冒険者達は髪の毛についた火を消そうと、頭を両手でバタバタと叩く。
灰色ローブの男の両手も村長の娘から離れた。
「土槍!」
ベルはその隙を見逃さず間髪入れず魔法を放った。
地面から鋭い岩が飛び出し灰色ローブを襲う。
火を消す事に躍起になっていたためかわすことが出来ず、岩が顎を直撃し灰色ローブは仰向けにひっくり返った。
「ロサリー!」
ベルはすぐに村長の娘へと駆け寄り、「もう大丈夫」と優しい言葉をかける。
「今だ、ヤン!」
残りの二人も燃える髪の毛に気を取られ、マルセールとヤンに取り押さえられていた。
金を用意して村長が戻って来た時には騒ぎは既に収まっていた。
一応、頭の火は大怪我になる前に消しておいた。
■
次の日、村は平静を取り戻した。
昨日の騒動で村長の妻と屋敷の奉公人が怪我を負ったが、大事には至らなかった。
村長一家はベルに感謝しきりだった。
もちろんマルセールやヤンにも。
特に娘はベルを尊敬の眼差しで見ていた。
「まぁ、本当はカグさんのおかげだけどねー」
ベルがお茶入れてくれた。
昨日の今日なので村人達は仕事を休みにした。
代わりに村長屋敷に集まり、今後の村の方針を決めているらしい。
女将とパリカルロもその話合いに参加しており、食堂にベルと二人だった。
「拙者というより火の神の力のおかげでござるな。
また運も良かった。
あの時、黒ローブが火の魔法を使わなかったらどうしていたか。
それに肝心な所はこの村の人の力でござる」
ベルは少し考えていたが、
「じゃあ、みんなの力って事で!」
と、ベルらしい答えに行き着いていた。
「左様でござるな」
ちなみに暴れた冒険者達は、あの後すぐに都からやってきた警備隊によって引き取られた。
冒険者達は他の村でも悪事を働き、お尋ね者となっていたのだという。
何でもヤンが都へと人相書きを送っていたらしい。
冒険者達が村に来た時、怪しいと思ったのだとか。
人相書きは決して似ていなかったが、特徴を文で書き添えていたため判明したとのことだった。
ヤンのお手柄だった。
「ところでカグさんはこれからどうするの?」
不意に聞かれ驚く。
そういえば何も考えてなかった。
このまま明日もこの宿で、当たり前のように寝起きするところであった。
「そういえば旅の途中でありましたな。
然らば騒動も収まった事であるし、明日にでも発つでござる」
「あ、そう。ふーん、そうなんだー」
何かベルの反応が変である。
いつもならば打てば響くといった感じだが、何か悩んでいるような様子である。
「帰ったよ」
そうしているうちに、女将とパリカルロが帰ってきたので話合いの内容を聞いた。
先ず村長が、一連の騒動の責任を取って辞任しようとしたが、皆に止められ思いとどまったらしい。
村長はブッペの売上をしかと管理しており、一部を懐に入れるといった事も皆無だったとか。
皆、村長が密かに甘い汁を吸っていると思っていたようで、その罪悪感もあり、騒動のことは水に流す事になったようだ。
「それに面倒だから誰も村長なんてやりたくないんだ」と女将が言っていた。
「村長は前とは別人だね。
態度や口調だけじゃなくて顔つきまで変わってたよ」
女将が笑うと、パリカルロも相変わらずの無表情で頷いた。
「あとは各々の仕事の話さ。
村長に言われてプッペを採っていた人達をどうするか。
まぁどうするもこうするも、その人の自由にって事になるんだけど」
なかには渋々だったが、やってみたら自分に合っていたとかで、そのままプッペ採りを続ける者もいるんだとか。
ただ、大半は元の仕事に戻ったらしい。
「結果はほとんど先代の村長時代に戻ったって感じだね。
でも先代はブッペを商人の言い値で売っていた。
今の村長はちゃんと交渉して、むしろ強気で売ってるからね。
経済的な豊かさでは以前の比じゃない。
そこも今の村長の功績だね。さて……」
女将はそう言って一息つくと、ベルが入れたお茶を一口飲んだ。
「次はあんた達の話だね」
「ん? あんた達?」
どういう意味かと考えていると、女将が真面目な顔でこちらを見て言った。
「カグさん、あんたの旅にベルも連れてってやくれないかね?」
驚きで思わず固まってしまう。
ゆっくりと顔をパリカルロの方に向けると、パリカルロは少しだけ口元を緩めて頷いた。
ベルを見るとあんぐりと口を開け放心していたが、我に帰ると立ち上がって言った。
「ちょ、ちょ、待ってよ! 女将さん! 何で私が旅に……」
怒ったように女将に詰め寄るベル。
だが女将はいたって冷静だ。
「ベル、行きたいんだろ?
隠しても無駄さ。
あんたは誰かの面白い話を待ってるより、自分でそれを見つけに行く。
その方が性に合ってる。違うかい?」
「それは……」
図星を突かれたのかベルは黙ってしまう。
女将が続ける。
「あんたが旅に出たいと思っているのは気付いていたけどね。
でも流石に一人で行かせるのはどうかなと、パリとも話していたのさ」
パリカルロが頷く。
「そこにカグさん、あんたが現れた。
あんたには普通じゃない何かを感じる。
でもそれは決して悪いものじゃない。
パリもその辺の"鼻"は利くのさ。
パリが大丈夫って言うなら間違いない」
何とも恐ろしい女将の感である。
そしてパリカルロまで。
この夫婦、何者か?
しかし年頃の娘と二人旅か……。
今や火の神となった身、あまり気にすることもないのか。
ベルはどうなのであろう?
「確かに、旅に憧れはあるよ。
カグさんも信頼出来る。
でもこの食堂の事もあるし。
これからは前みたいに旅人も来るんでしょ?
宿の仕事はどうするの?」
ベルの心配をよそに、女将は大笑いをして答える。
パリカルロまで声を出して笑っている。
「そんなのどうにでもなるさ!
村長じゃないけど、金はあるから人を雇ってもいいしね。ロサリーもあんたが旅に出るかもって言ったら、代わりにウチで働きたいってさ」
「ロサリーが?」
村長の娘か。相当ベルに傾倒しているようだ。
「親ってのは子供の足枷だけにはなりたくないんだ。
だからやりたいと思ったんなら、何も気にすることなんか無いのさ。
あんたも15になる。もう一人前の歳さ。
思い切って村を出て、自分の力を試してごらんよ」
女将の言葉にベルの顔つきが変わる。
どうやら決心がついたようだ。
「わかった。正直に言うね。
女将さん、パリさん、いや……お母さん、お父さん。
私、色んなものをこの目で見たい。
この魔法の力が何処まで通用するのか試してみたい。
だからお願い、旅に行かせて」
真っ直ぐに二人を見つめて話すベル。
女将とパリカルロは笑って頷く。
それを見届けたベルは今度はこちらに向き直る。
そして、はっきりとした声で言った。
「カグさん、一緒に行ってもいい?」
ベルの目は雲ひとつない青空の様に澄んでいた。
このような目を持つ者の願いを無下に断ったりすれば、神とはいえ罰が当たると思った。
「拙者無知ゆえ、ベル殿が一緒だと心強いでござる。
よろしくお願い致す」
そう言って右手を差し出す。
ベルはその手を堅く握ると続いて深く頭を下げた。
その姿を見ると嬉しくなり、こちらも深く頭を下げた。
女将とパリカルロが拍手をして、そんな二人の門出を祝ってくれた。
■
旅に出ることを決めたベルは村の皆に別れの挨拶をして回った。
請われたので、一緒に旅する身としてそれに同行した。
「いいか、冒険者の心得第一は……」
マルセールは元冒険者だそうで、旅に役立つ事を色々と教えてくれた。
実に興味深い話でタメになったが、ベルは「長い……」と言って舟を漕いでいた。
村長屋敷にも出向いた。
ロサリーは泣いて惜しんだが、ベル姉様の代わりは任せてください! と袖を捲くっていた。
ベルとは気が合いそうな印象を受けた。
「嫌な思いをさせてすまなかった」
村長はそう言って頭を下げた。
何でも若い頃、勉学のため都に赴く際、悪しき旅人に荷物を全て奪われたそうだ。
その事がきっかけで旅人を毛嫌いする様になったのだとか。
既に遺恨も無いので握手をして別れた。
村長は餞別だと言ってブッペの実をくれた。
それは大粒の高級品で、愛好家が飛びつく品らしい。
金よりきっと役に立つと村長は言っていた。
「おーい、コロポル〜!」
「だから、そんな大声で呼ばなくても分かるって!」
深い森へ行き、ベルがコロポルを呼ぶとすぐに木の上から降りてきた。
火の神の力は強大で少し近づくだけで分かるらしい。
ただこれは拙い。力を隠す方法を考えねば。
『ものしりハンドブック』に聞けば分かるだろうか?
「コロポル殿、色々世話になった。
しかし見事な変化の術であったよ」
「森とオイラたちの身を守るタメですよ。
カグ様にお礼を言われるような事じゃないよ」
照れてはいるが誇らしげだ。
鼻の下を指でこする仕草が愛らしい。
旅立ちを伝えると、森の小人の繋がりについて教えてくれた。
コロポルは不思議な力で他所の森の小人と繋がっているのだとか。
もし村で何かあったら、近くにいる小人が知らせてくれるとの事だった。
「その時は飛んで帰るわ!」
ベルはそう言って、コロポルと拳を合わせていた。
〈飛ぶのは拙者では……〉
そう思ったが口には出さなかった。
しかし、ベルを乗せて飛べるだろうか?
これも考えなくては。
その後もベルは所々を回り、村人達に挨拶していった。
「ほう、これは良い見晴らしでござるな」
最後に来たのは村外れの高台で、村の墓地になっている所だった。
ベルと二人、端の方に並んでいる墓石の前に立つ。
「お父さん、お母さん。私、旅に出るね……」
共に旅立つと決めた時に聞いたのだが、女将とパリカルロはベルの実の父母ではないのだという。
ベルの実の父母と女将達は竹馬の友であったそうだ。
◆
「母親は優しくてお淑やかな娘だったよ。
父親も穏やかな人でお似合いの二人だったさ」
「血は争えないわ」
ベルが沁み沁みと言う。
思わず「え?」と声が出てしまい、ベルに思い切り睨まれた。
「でも母親の方は元々体が弱くてね。
ベルを産むとすぐに逝っちまった。
父親もそれがこたえて、流行り病でね」
涙を堪えながら話す女将。
その後一人になってしまったベルを、友の忘れ形見だと女将達が引き取ったのだとか。
◆
「帰ってきたら、たくさんお話聞かせてあげるね」
ベルはそう言って両親の墓をぽんぽんと軽く撫でた。
「最高の親孝行になるでござるな」
この言葉に満面の笑みで応えるベル。
そうぞうしゅに言われるまま始めた旅であった。
だが、このような笑みが溢れる世界のため、力を尽くすのも吝かではない。
「では参ろうか、ベル殿」
「うむ! 参ろう!」
元気よく歩き出すベル。
最後に振り返って墓石を見る。
すると軽く撫でられたはずの墓石に、真新しいヒビが入っていた。
この娘を怒らせたら神とはいえ、ただで済まないのではないかと掌にうっすら冷汗をかいた。
「そういえば、カグさんって何歳なの?」
「十四でござる」
「いや、年下だったんかい!」
終
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。