Chapter1-1『リンゴと助け舟』
マリー・ゴールズというのがその子の名だった。
大人しくておどおどとしていて、なにより無口。警戒心も強いらしく話しかけると飛び上がられた記憶がある。
とても働き者の少女だった。
いまも彼女はリンゴが山のように載った重そうな台車を一人で押しながら、目的地へあせあせと向かっていた。
下の階にいる彼女を手伝ってもいいが、所属部署が違う自分が手を出すと問題になるだろうな。
遠目でマリーを見下ろしながらハーヴは手すりに腰掛けていた。
「おいハーヴ。またサボってんのか」
声をかけられ、ハーヴは隣へと視線を流した。
同業者のライスが大きなリンゴを三つ、お手玉しながらやってきた。
「いまは休憩中だよ。ライスこそ暇そうじゃないか」
ライスは片方の手でリンゴを二つキャッチする。器用な男だ。
「へへっ、おれも休憩中。食う?」
もう片方のリンゴを鼻先にずいっと差し出される。
「おおきいリンゴだな」
リンゴを受け取りつつハーヴは不審な視線を彼に投げた。
ライスははやく食べろと視線で促す。
不審感を感じながらも、リンゴをかじる。蜜と果汁が口いっぱいに広がった。
「ほいしいな」
「だろ? それガーデンチームからかっぱらってきたやつ」
ハーヴはその言葉を聞いて下の階にいるマリーに再度視線を向けた。彼女もガーデンチームだった。
「お前な。フラウが聞いたら雷が落ちるぞ」
マリーの監督役であるフラウの顔を思い浮かべる。普段は穏やかにしているが怒ると誰よりも怖かった。
ライスはケタケタ笑う。
「バレなきゃ警察はいらんって」
「まったく……。それにしてもんまいな、このリンゴ」
呆れつつもリンゴを食べる手が止まらないハーヴに、ライスはバツの悪そうに視線を流した。
激しい金属音が聞こえ、その後なにかが散らばる音がした。ハーヴとライスはその方を見る。
マリーが焦った様子で散らばったリンゴを拾い上げていた。リンゴのひとつひとつを玉入れのように台車に入れている。
「あちゃー……。自動リフトにぶつかっちゃったか」
ライスが頭をかきながら苦々しげに言う。
「助けないと」
ハーヴは手すりから身を乗り出す。
「『助ける』ってお前な……。所属部署が違う奴が助太刀でもしたらこの工場内で問題が出るぜー?」
ぎょっとしてライスが言う。
ハーヴは一瞬考えたが、マリーが転がるリンゴを一所懸命追いかけている姿をみて、
「部署が違おうが、困ってる子がいれば、それは関係ない」
ハーヴは手すりを飛び越え、下の階に降りた。
「おいハーヴ! ……やれやれあいつのバカは人に感染るんだよなぁ」
ライスも頭をくしゃくしゃ掻きつつも下に降りた。
台車にリンゴを戻していたマリーは拾う手伝いをするこちらの存在に気がつくと大変申し訳無さそうに赤面していた。
ハーヴとライスは、マリーと一緒にリンゴを戻すのを手伝った。
落ちていたものをすべて台車に戻すと、マリーは俯いてへこへこと頭を下げていた。
ライスは苦笑して「いいって! いいって!」と手を上げている。
「マリー、だっけ? 怪我はないかい」
ハーヴは聞いた。
マリーはやはり俯き気味に頷く。
「戻ろうぜハーヴ。他の部署の手伝いをしたんだからさ。いつまでもいるとマズイぜ」
ライスは周りを気にしながら言う。
「先に戻ってて。ライス」
ハーヴは静かに言う。
ライスが戻るのを確認して、ハーヴはマリーの手を指した。
「血、出てる」
マリーは手の甲を見て蒼白した。
「たいした怪我じゃないよ」
ハーヴは懐からバンドエイドを取り出しつつ、マリーの手を取り、貼った。
そしてマリーの目を見て咳払い。
「いたい時はいたい。困っている時は助けを呼んでいいからね。全部一人でやろうとしないで。そして、次からは周りを見るように」
人差し指を上に向けてつぶやいた。マリーはうつむくと、踵を返し、台車の方へ向かっていった。
背伸びをしたことを言い過ぎたか? ハーヴは少女の背中を見て頬が熱くなる。
マリーは台車からリンゴを一玉、取り出していた。
そしてハーヴに向き直ると足早に駆け寄っていき、ぎゅっとリンゴを手に押し付けた。
そして、静かな声でしかしはっきりと、
「ありがとう」
耳にその声がしっかりと届いた。
その夜、ハーヴはマリーからもらったリンゴを黙って見ていた。
艷やかな表面に自分の顔が映る。呆然とした顔をしていた。
やがてそれに気づくと、やけになったかのようにリンゴに齧りつく。
口腔に蜜があって果汁がいっぱいのリンゴの風味が、やはり広がった。




