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「取り巻き1号」との再会

「……大丈夫でしょうか」


カジノの最上階にあるVIPラウンジ。

完全防音の扉の前を行ったり来たりしていたフェアディナントは、不安げにつぶやく。


「大丈夫です」

「問題ありません」


扉の両側に直立した男たちが、ピシャリと言った。

ひとりは、黒髪のカクタス……もうひとりは、金髪の冷ややかな目をした青年。


フェアディナントは、(しか)られた飼い犬のように、しょんぼりと情けない表情を浮かべた。

……自分は、この最高級ホテルの支配人だぞ。それなのに、すっかり蚊帳(かや)の外じゃないか。

いったい、何なんだ──カジノのフロアで彼女に飛びついてきた、あのブルネットの髪の令嬢は。


少し前──

何を話してもニコニコと聞いてくれるミトを相手に、カジノの説明をすることにすっかり夢中になっていたフェアディナントは、突然のドンッという衝撃によろめいた。

ぶつかってきたのは、縦ロールの髪を振り乱した令嬢……あどけなさの残る少女は、そのままミトの腕の中に飛び込んだ。


「わぁぁぁん、ミトお゛ね゛え゛さ゛ま゛ぁぁぁ」

「まあ、カタリーナ! あなた、どうしてここに?」

「どぉしてもこぉしてもございませんわっ、また、生きてお目にかかれるなんてぇ、わぁぁぁん」


取り乱した令嬢の顔面は、涙と(はな)で崩壊寸前だった。

ミトは、そんな令嬢の頭をよしよしと撫でながら、困り顔でフェアディナントを見上げる。


「フェアディさま……その、さっきおっしゃっていた()()()()()()を、しばらくお借りしても──?」


そんなふたりの令嬢が個室にこもって、はや四半刻(しはんとき)

フェアディナントは落ち着かない様子で、カクタスに耳打ちする。


「あの……あちらはたしか、昨日チェックインされた、アウストリア侯爵家のお付きの方だったかと──」

「ええ、そうですね」

「では、侯爵家とミト嬢のご実家に、何か取引でも──?」


フェアディナントの言葉を聞いた金髪の青年は、片眉を吊り上げた。


()()()、ですって?」

「おえっほんっ」


カクタスは、わざとらしく咳払いをする。


「ええ、我が主人(あるじ)の家は、代々、侯爵家にご贔屓(ひいき)にしていただいておりまして」


金髪の青年は、どこか迷惑そうにカクタスを見つめた。


「ご贔屓にあずかっているのは、むしろ我が主家(しゅか)かと思いますが……まあ、そういうことにしておきましょう」

「ロータスど……さま、ご配慮いたみいります」


すっかり混乱した顔のフェアディナントを前に、ふたりの剣士は、深く溜め息を吐いた。


一方、VIPルームの中では──

目と鼻を真っ赤にしたアウスタリア侯爵令嬢カタリーナが、機関銃のようにしゃべりつづけていた。


「……ミトさまっ、皇帝陛下もまだ、ヨハン殿下の婚約破棄をお認めになっていないのですよっ。そもそも、あんなぶりっ子の、あざといだけの、貴公子なら誰でもオッケーみたいな腹黒男爵令嬢(マリアンヌ)との結婚なんて、皇帝陛下がお許しになるはずがなかったのですわっ。それなのに、ミトさまは嬉々として皇都から旅立ってしまわれるし……大公宮殿にお手紙を差し上げても、お姉さまは、街から街へと流浪の旅をなさっておいでで、取り次ぎできないなどと、つれないお返事……ひどいですわっ、わたくしたち、()()()()()()()をお見捨てになって……この命果てるまで、どこまでもミトさまとご一緒する覚悟でございましたのにっ」


ううっ……と、また瞳をうるませたカタリーナの肩を、ミトはそっと抱き寄せた。

カタリーナは、ミトの肩に頭をのせると、ぐずぐずと鼻を鳴らす。


そうなのだ。

このカタリーナこそ、学院でのミトの親衛隊のひとり──つまるところ、「悪役令嬢の取り巻き1号」的存在だった。


ミトの婚約者、皇太子ヨハンの態度が、急によそよそしくなったのは、学院の2回生に進んだとき。

ヨハンの熱い視線が、その年の編入生に向けられていることは、すぐにわかった。それが、男爵令嬢マリアンヌ──皇太子が結ばれるには、あまりにも身分違いな相手だった。


ミトが普通の貴族の令嬢だったなら、腹を立てて当然のシチュエーション。

それも、広大な帝国領の5分の1を領地に持つ大公家の娘なのだから、貧乏男爵の令嬢を吊し上げることなんて簡単なこと……のはずだった。


けれども、そのときミトの頭をよぎったことは──


《まあ……ひょっとして、()()は、()()なのね?》


マリアンヌが登場するまで、ミトは自分が、どんな立場に転生したのか、まったく気がついていなかった。


大公というのは、公爵より身分が高い。一国の君主、いわば王のようなものだ。だから、大公家の三女であるミトも、大公宮殿では「姫君」として育った。本来なら、使用人たちにかしづかれて、スプーンより重いものは持たない生活が約束された身分だった。

それでも、前世の習慣というのは抜けないもので、ミトは誰に起こされることもなく、朝早く起きては自分でベッドを直し、自分で着替えを済ませて、毎日宮殿の庭を散歩した。


本当は料理もしたかったけれど、食事の用意を自分ですることは料理人とメイドたちに断固阻止されてしまったので、早々にあきらめた。そのかわり、お菓子作りが趣味になったと言い張って、厨房に出入りする権利を手に入れた──それが、転生を自覚した翌年、13歳のときだ。


一事が万事、そんな調子で、ミトは花壇や菜園の手入れから、騎士団の洗濯干し、礼拝堂の掃除(これは信仰のためと言い張って、ようやくかなったことで、宮殿の他の部屋は掃除させてもらえなかった)、メイドたちの針仕事の手伝いまで、宮殿の日常生活を支える、さまざまな仕事に参加するようになっていった。


この世界には、気に入らないメイドを(むち)で打ったり、盗みをしたと難癖をつけて手を切り落としたりするような令嬢もいるらしいけれど、そんな恐ろしい話は、大公宮殿では、ついぞ聞かれたためしもなかった。

ミトを高飛車だとかワガママだとかいう使用人は、どこを探しても見つからなかっただろう。それほど、彼女のまわりは、いつも穏やかで平和だったのだ。


だから、婚約者のヨハンが、ずっと身分の低い少女に心奪われたと知ったとき、ミトは心底驚いたのだった。


《まあまあ、なんてこと……わたしが()()()()だったのだわ》


何しろ、12歳で転生に気がついてからも、世界はあまりにリアルで、テンプレらしい出来事のひとつもなかったのだ。まさか、自分が悪役令嬢の立場に立たされるなんて、想像もしていなかった。

ミトは、前世で買い込んでいた悪役令嬢ものを思い出そうと、必死に記憶をたどった。


《ともかく、フラグを回避しなきゃ……でも、どうしましょう。何がフラグか、わからないわ》


ここに孫娘がいてくれれば……そんなことを考えてしまってから、ズキリと胸を刺す切なさに、ミトは溜め息を吐いた。もう、あの子たちには、会えないのだから、自分でなんとかするしかない。


それからというもの、ミトは夜ごと、ベッドの上で、ウンウンうなりながら考えつづけた。


《バッドエンドを避ける方法……ヒロインと仲良くなればいいのかしら……婚約破棄されるように、わたしから働きかける? あえて、悪役令嬢を演じ切るっていうお話もあったわね……うーん……》


とにかく、マリアンヌをいじめたり、無視したりするのは避けよう。普通に接してさえいれば、誰も傷つかずに済むのだから……。

けれども、そんな淡い期待は、すぐに打ち砕かれた──カタリーナたち、自称「ミト親衛隊」の手によって。


親衛隊は、ひとつ歳下のカタリーナをはじめとして、十数人の貴族令嬢から構成されていた。彼女たちは、もともとミトが毎月開いていたお茶会に参加していた少女たちだった。家柄は、皇族に連なる公爵家から、地方の男爵家まで、さまざま。

学院では、家名や爵位に関係のない、平等な教育を行う方針が(かか)げられていた。ミトはそれにかこつけて、どんな身分の令嬢でも参加できる、気のおけないお茶会を学院の中で主催していたのだ。


実のところ、こういうことは、大公宮殿ではなかなかできない。身分が()()()()()社会とは、そんな息苦しいものだった。だからミトにとって、このお茶会は窮屈な上下関係からはみ出すことのできる、いい息抜きだった。


「あの生意気な男爵令嬢、許せませんわ」

「そうよそうよ。殿下は、ミトさまの婚約者ですのに──」


親衛隊が、そんなことを口走るようになっても、ミトが苦笑するだけで見過ごしてしまったのは、お茶会仲間を信じ切ってしまっていたからかもしれない。まさか彼女たちが、マリアンヌに直接、皮肉や嫌味をぶつけるようになるなんて思いもせずに──。


突然、ヨハンに呼び出されて、マリアンヌへの中傷をやめさせろと、きつく言われたとき、ミトははじめて、事態の深刻さに気がついた。親衛隊の令嬢たちを問いただすと、みな不満げな顔で、()()を自供した。

なかでも、マリアンヌへの口撃(こうげき)急先鋒(きゅうせんぽう)だったのが、興奮すると弾丸トークになってしまう侯爵令嬢、カタリーナだった。


カジノのVIPルームで、ぽんぽんとカタリーナの頭をやさしく撫でるとミトは言った。


「お手紙、受け取れなくてごめんなさい。今は商人の娘と名乗って、帝国のあちこちを旅しているのよ」

「……わたくしたちのせいですのね」

「そんなことないわ。それに、わたしはこれでも、毎日、楽しく過ごしているのよ。世界は広いの、カタリーナ。宮殿や皇都に閉じこもっていたら、見られない景色がたくさんある……だから、殿下が皇都からの追放を命じてくださって、わたしにはかえってよかったのよ」

「どうして……どうして、お姉さまは、そんなにお強くていらっしゃれるの。わたくしは、もうダメ──」

「ダメって……カタリーナ、あなた、何かあったの?」


ぐすん、と鼻を鳴らして、カタリーナは言った。


「ここに来たのは、母の温泉療養に付き添うためということになっているけれど、本当はわたくしの結婚相手を探すためですの」

「結婚相手、ですって? こんなところで?」

「わたくしが皇太子殿下のお怒りに触れたからと、父が恐れをなして……お前みたいな娘は、もう皇都の社交界には出せないからと……グラン・パレには、シーズンを問わず、辺境貴族や近隣諸国の名家が集まるでしょう? ここ数年、このホテルで知り合った家門同士が縁を結ぶ例が多いのですって。とくに、ワケありの子息や令嬢を持った家門が……それで、ここを『お見合いホテル』なんて呼ぶ人もいるでそうですわ」

「お見合いホテル……知らなかったわ。でも、ワケありだなんて……わたしと殿下のことで、あなたがそんな目に遭うなんて、理不尽よ」


悪役令嬢だけでなく、その取り巻きまでキッチリ断罪される話は、たくさんあった。

それでも、傷モノ扱いで、見も知らぬ辺境の家門に(とつ)がされるなんて、いくらなんでもひどすぎる。


「侯爵夫人は、こちらにお泊まりなのよね。明日、お茶をご一緒できないかしら……わたしからお話ししてみるわ」

「ううっ……おねえさまぁ……」


そんなふたりは知らなかった。VIPフロアの向こうから、この部屋の様子をうかがっている、怪しい影があることを──。

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