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初めてのカジノです

温泉の街、オーレリア・アクエンシスに来て、2日目の午後。

やわらかい陽の光が射す街には、山々からのさわやかな風が吹きこんでいた。


石畳の街道を行き交う人々は、カフェのテラス席をチラチラと振り返る。


銀色の髪をなびかせた少女が、レモネードのグラスを握りしめて、奮闘していた。


「ううう……」


ストローをくわえたミトは、顔を真っ赤にしてうめいた。

問題は、ストローの素材が乾燥させたホソムギの(くき)だということ──。

最初は硬さを保ってピンとしていたのに、今では湿気を吸ってヘナヘナになっている。

指の力加減(ちからかげん)を間違えると簡単に潰れて、レモネードが通らなくなってしまうのだ。


赤くなったり青くなったりしながら、必死にムギワラを吸っているミトに、赤髪のスキュラが言った。


「グラスから、直接お飲みになってもよろしいのでは?」

「だって……くやしいのだもの」


けれども、街ゆく人が振り返るのは、ミトの無防備な顔のせいばかりではない。

ぷくっと膨らませたミトの頬は、赤ん坊のようにモチモチしている。

スキュラが──いつもは、そんな仕草はしないくせに──スッと指先でかきあげた耳の横の(おく)()も、(つや)めいてサラサラだった。

そう、どうにもこのテラス席が輝いて見えるのは、()()()()のふたりがまとう、キラキラした華やかさのためなのだ。


「やあやあ、いかがでしたか、大浴場は」


太鼓腹(たいこばら)をゆすりながら、商人のハッサンが街道をやってくる。

旅装を解いたハッサンは、まるで東方の大富豪でもあるかのような錦糸(きんし)の刺繍が入ったベストを身につけていた。

ミトは、ニコリと微笑んで答えた。


「とっても、いいお湯だったわ。ほんとは長風呂してはいけないのだけれど、時間を忘れちゃった」


街一番の大浴場ハドリアンスバードは、古代帝国風の壮麗な構造物だった。

実際、その神殿のような建物は、古代の温泉遺跡を復元したものなのだ。

広大な施設の中には、さまざまな温度に調節された10以上のサウナや浴槽、薬湯などがある。


ハドリアンスバードは、観光スポットであると同時に、古代の健康入浴法を守り伝える湯治場(とうじば)でもある。

サウナや浴槽には入浴する順序が決まっていて、ひとつひとつに厳密な入浴時間が定められている。

たとえば、最初のサウナが15分、次の高温サウナが5分……という調子に。


ミトが粘ったのは、順路の最後にあたる大ドームだ。

大聖堂の礼拝堂を思わせるドーム状の天井には、一面に創世神話のモザイク画が描かれている。

ドームの真下に掘り込まれた広大な円形の浴槽は、内部がゆるやかな階段になっていて、湯治客たちは思い思いの場所に腰をおろして荘厳な空間を楽しんでいた。


「マッサージもしてもらえるのよ。おかげで、とっても身体が軽いの」

「そいつぁ、ようござんした……ところで、ありゃ、いったんどうしたんで?」


ハッサンが怪訝(けげん)そうな顔で、店の中のカウンターを見つめた。

飴色(あめいろ)のカウンターにすがりつくように、黒い影が立っていた。

グッタリとした黒髪のカクタスは、力なくゴブレットを振り上げる。


「オヤジ……もう一杯……」

「おい、ほどほどにしときなよ。お連れさんたちが心配してるぜ」

「わかってくれ……今は……飲まねば、正気を保てぬのだ……」


スキュラが、ポニーテールを揺らしてケラケラと笑う。


「酒なんぞで誤魔化そうとは。まったく、あきれたヘタレですよ」

「悪いことをしたわ。そんなに恥ずかしかったのね……混浴コーナーが」


ミトが真顔で言うと、店の中でカクタスがブゥッと酒を吹き出した。


ハドリアンスバードの一画には、足湯やぬるめのサウナが楽しめるスペースがあって、バスローブを着たまま入れる混浴スペースになっている。

家族連れの旅行者たちが行き交い、子供たちが走り回る、プールサイドのような場所だった。

予定外の長湯をしたあと、ミトは入浴後の待ち合わせ場所に決めていた足湯コーナーに急いだ。


「遅くなってしまったわ、ごめんなさい」

「はっ……まっっったく、問題、ありませんっ」

「……?」


カクタスは顔を背けたまま、勢いよく立ち上がり……足を滑らせて、浅い足湯に頭から突っ込んだのだった──。


スキュラが、おもしろおかしく話をすると、ハッサンは(あわ)れみの表情を浮かべて肩をすくめた。


「さてさて……あまり時間がありません。店とは話をつけてありますが、お急ぎにならないと」

「わかりました」


ミトが立ち上がると、ハッサンが店内に向かって言った。


「しっかりしておくんなさいよ、旦那! まさかその格好で、()()グラン・パレのカジノに入るわけにゃいかないんですから!」


そして、すっかり夕陽が沈んだ頃──。

名門ホテル、グラン・パレの馬寄せには、燕尾服(えんびふく)姿の青年がたたずんでいた。

カッチリとセットされた栗色の髪に、整った顔立ち。

出入りする客と、愛想よく言葉を交わしながらも、どこか落ち着かない様子で夕闇(ゆうやみ)を見つめている。


馬寄せに、また一台の馬車がすべりこんでくると、青年は期待の眼差しを向けた。

降りてきたのは……胸板の厚い、タキシード姿の紳士。

上背の高い男が、馬車に向かって手を差し出す。栗色の髪の青年は、じっとその手の先を見つめる。

エスコートされて出てきた女性は……深紅のイブニングドレスを着た、赤い髪の淑女(レディー)だった。


ちがう、彼女じゃない……。

このホテルの経営者であるフェアディナントは、静かに溜め息を吐く。

その瞬間、タキシードの紳士が、再び、馬車に向かって手を差し伸べた。


ふわり


まるで、重さなどないかのように、かぼそい身体が舞い降りる。

フェアディナントは、ハッと息を飲んだ。


漆黒のイブニングドレス。

白く浮かび上がった、優美なデコルテのライン。

触れれば折れてしまいそうな首には、黒いレースのチョーカーが巻かれている。

アップに結いあげた銀髪が、少しだけ黒いドレスにこぼれて、いたずらな曲線を描いていた。


少女は馬車から降りると、フェアディナントの視線に気づいて気恥ずかしそうに手を振る。


「来てくれましたね」

「遅くなってごめんなさい。まさか表でお迎えくださるなんて」

「お気になさらず……わたしが勝手に、あなたを待ち焦がれていただけですから。よろしければ、お手を──」


黒衣のミトをエスコートしたフェアディナントは、夢見心地で歩いていく。

取り残されたカクタスとスキュラは、互いの顔も見ずに()()()()言った。


「あやつ……気安く、ミトさまのお手を……」

「あの男……チップの話は覚えているのか……」


グラン・パレの正面玄関を入ると、このホテルがカジノを中心に作られたことがよくわかる。

左手にフロント、右手に広いラウンジ。けれども、もっとも存在感を持つのは、正面にしつらえられた巨大な()だった。

背中にオオワシの翼、身体はライオン、人頭には長い神官のような冠をかぶった古代の聖獣の彫像。

一対の聖獣に挟まれた神殿のような門をくぐると、地上3階、地下1階の計4階が吹き抜けとなったカジノのホールが目の前に広がっている。

夜空のような暗い青に染められた天井は、ところどころ星のように(またた)いていた。


「まあ……」


吹き抜けを見上げるミトに、フェアディナントがささやく。


「美しいでしょう。ラピスラズリです」

「この天井が、すべて……?」

「ええ。最上階のVIPラウンジにお部屋をご用意しています。あそこからなら、もっと近くでご覧になれますよ」

「そんな……申し訳ありませんわ。そこまでしていただいては」

「何をおっしゃいます。わたしにとっては、あなたこそ、とても(Very)大切な(Important)お客さま(Person)ですよ」

「でも、フェアディナントさま──」

「どうか……フェアディと」


栗色の髪の青年が、ミトを見つめた、そのとき──


()()()()()さまぁ」


赤髪のスキュラが、ミトの向こうからズイッと顔を出した。


「ぐっ……なんでしょうか」

「お嬢さまにカジノの楽しさを教えてくださるんでしたよね? ね? それならまずは、チップの交換が必要だと思うんですけどぉ」

「ああ……ええ、そうですね。では、交換所にご案内しましょう──」


4人は、吹き抜けを回り込むようにフロアを歩く。

あれこれと熱心にカジノの説明をするフェアディナントに、ミトは微笑んで相槌(あいづち)を打つ……そのせいで、すれちがった客のひとりが、ポトリと(おうぎ)を取り落としたのに気がつかなかった。


クルクルと縦ロールに巻いたブルネットの髪を震わせて、その令嬢はカジノのフロアに立ち尽くしていた。


「おおっ……おっ……おおおっ……お姉さまっ──!」

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