ラノベのばあちゃん
「あ、おい、ババア! あたしの部屋、勝手に入っただろ!」
両親に会いたくないのだろう。昼間にシャワーを浴びたみずきが怒鳴り声をあげる。
「なぁに、どうしたのみずきちゃん」
「なぁにじゃねぇよ、それ、ラノベ持ってんてんじゃん」
「あら、これは、ばあばのなのよ」
「ふざっけんな、返せよ」
読みかけの文庫本を引ったくって、みずきは2階に駆けあがっていく。
いつからか、書店員さんからは、「ラノベのばあちゃん」と呼ばれるようになっていた。
「新刊、出たっすよ。悪役令嬢もの」
「あら、そうなの? 楽しみね」
「ほんと、好きっすよね、悪役令嬢」
「だって、面白いじゃない。悪役にならないよう頑張ったり、王子さまから逃げたり……」
「乙女だなぁ。他のジャンルは読まないんすか」
「他の……?」
「自分ならもっとこう、ゲームの世界でバトルとか、チートスキルで、とかいう話のほうがハマるんすけどね」
「そういうのは、難しそうで……」
「じゃあ、聖女ものとか」
「聖女? 宗教っぽいのは、ちょっと……」
「いやいや、ラノベなんで。そんなガチの宗教論とかじゃないんで。あのですね、だいたい平凡なアラサー女子が、巻き込まれて異世界召喚されるんすけど──」
ある晩、風呂上がりに部屋に戻ると、みずきがもじもじとドアの前に立っている。
「みずきちゃん、どうしたの?」
「これ……やっぱ、あたしんじゃなかった」
みずきは、この間、乱暴に取り上げた文庫本をズイと差し出す。
「あらあら」
「あのさ、ばあば……こないだ、怒鳴ってごめん」
「みずきちゃん……」
「じゃ……」
気まずそうに廊下を歩き出すみずきの腕を、とっさにつかむ。
「なっ、なんだよ」
「ふふふ、ちょっと来て。ばあばの秘密のコレクション、見せてあげるから」
「なんだよ、それ。いらねぇよ。おい、離せって──」
部屋に引っ張り込まれたみずきは、目を丸くした。
和箪笥の上に、ズラリとライトノベルの文庫本が並んでいたからだ。
「じゃじゃーん」
「……じゃじゃーんって……ばあば……何やってんの……」
「大人買いよ、大人買い。年寄りの財布をなめたらダメなんだから」
「ぜってー、大人買いの意味ちげーしな」
みずきは、文庫本の背表紙を指でなぞる。
「……悪役令嬢ばっかじゃんか」
「近頃は、聖女にもハマってるのよ」
「ってか、これ、あたしのとかぶってんじゃん。あ、これも……ばあば、めっちゃ無駄な出費してんなー」
「あらやだ。それなら、みずきちゃんの部屋の本も読ませて」
「はぁ? いやだよ、そんなの」
「困ったわねえ。そうだ、じゃあ、ばあばのお買い物に付き合って。それなら、同じ本を買わなくて済むでしょう?」
「はぁ!?」
パーカーのフードをまぶかにかぶった孫娘と、駅前の書店を訪れたのは、数日後のことだった。
「あ、ラノベのばあちゃん、こんにちは」
「はい、こんにちは」
顔馴染みの書店員と挨拶を交わすと、みずきはぶつくさとつぶやいた。
「……なんだよ、ラノベのばあちゃんって。ハズいんだよ……」
「あれ。お前、みずきじゃん」
「あぁ?」
驚いたように声をあげた書店員を、みずきが不審そうに睨む。
「げっ、ノザキ──」
「よぉ、お前、ラノベのばあちゃんと何してんの」
「何って……これ、うちのおばあちゃん」
「はぁ!?」
「あらあら、お知り合い?」
みずきは、顔を真っ赤にしてソッポを向く。
「……マジ最悪」
「こいつ……ああ、いや、お孫さん、中学んときの同級生なんすよ」
「まあまあ! 知らなかったわ!」
「まあ、別に仲良かったわけじゃないんすよ。あの頃は、ふたりとも、こう……友達いなかったんで」
「うっせぇよ、オタノザキ。一緒にすんな。キモい」
「お前なぁ、自分のばあちゃんの前で……だいたい、お前だってギャルっぽいくせに隠れオタだったじゃねぇかよっ」
「うっわ、マジウザいんだけど」
「ひどいなあ、俺はこれでも、お前のこと数少ない同志だと思ってたのにさぁ」
「どっ、同志……?」
戸惑うようなみずきには気がつかず、ノザキは続けた。
「しっかし、いいなあ、みずき。ばあちゃん、めっちゃ理解あるだろ。うちの店のラノベの売り上げ、めちゃくちゃ貢献してくれてんだぜ」
「そっ、そんなん知らねぇし。てか、勝手にうちのばあばから搾取すんなよ。あたしの老後の資金までなくなんだろ」
「へぇ、お前、ばあちゃんのこと、『ばあば』って呼んでんの」
「なっ、なんだよ、文句あんのか」
「いや、お前、結構、可愛いんだなと思って」
「──っ」
ああ、よかった。
書店員のノザキくんに悪態をつきつづける孫娘を見て、憑き物が落ちたような気持ちになる。
みずきちゃんにも、ちゃんと真っ直ぐに接してくれる子が、いたんじゃないの。
数ヵ月後──
みずきは、相変わらず高校には行けていない。
けれども、コンビニと自宅以外に、ひとりで駅前の書店に立ち寄ることが増えたようだった。
「もう、ミッションは達成したんすよね?」
ある日、新刊を買いにひとりで書店を訪れると、レジの向こうでノザキくんが唐突に言った。
「ミッションって?」
「あいつを家から引っ張り出すために、買いに来てたんでしょ、ラノベ」
「まあ、名探偵ね」
「うらやましいっすよ。普通、そんな家族いないっすから……でも、まだ買うんすね?」
「そうよ。だって、面白いんだもの、ラノベ」
「ああ、ちくしょう。いいなぁ。うちにも、ばあちゃんみたいな家族がいたらなぁ……」
「あら、うれしい。そこまで言ってくれるんだったら、もし家族になれるときには、反対しないわね」
「いや、あはは……って、えっ!? ちょっ、何、言ってんすかっ!?」
しあわせな気持ちで、エスカレーターに向かう。
ノザキくんに手を振って、一歩、踏み出した瞬間──
ドンッ
エスカレーターに駆け込んできた誰かの肩が、背中を押した。
バランスを崩して、危ない、と思ったときには、鉄の床に顔面が打ちつけられて、息ができなくなった。
世界が、ただひたすらに、グルグルと回る。叫び声や悲鳴が、どこか遠くに聞こえた。
薄れかけた意識の中で、駆けつけてきたノザキくんの震える声が聞こえた。
「あっ……もっ、もしもし、みずきっ! ばあちゃんが……ラノベのばあちゃんがっ……!」
ああ……あと少し、もう何年か生きられたら……この子たちの将来を……見られた……の……に……。
熱にうなされた12歳のミトは、天井を見つめたまま、つっと涙を流した。
《神さま……人生をやり直させるなら、どうして、あの子たちのいる世界に戻してくれなかったのですか……》