悪党たちは、ついつい熱く語り合う
街には、昼の顔と夜の顔がある。
昼の日射しの下では、はげた家々の塗装や、ぬかるんだ路面が目につく、海岸沿いの歓楽街。
そんな街も、ひとたび水平線の向こうに太陽が沈むと、ぼんやりとほの明く漏れる酒場や娼館の灯火で、旅人を誘う幻想的な風景に様変わりする。
その夜の街の一画に、ひときわ目を引く場所があった。
貴族の邸宅のように広い前庭。馬寄せの中央には噴水が設置されて、3階建ての大理石の建物からは夜通し、楽団の奏でる情熱的な旋律が響く。
真珠の館──
吹き抜けになったダンスホールを見下ろすバルコニー席で、仮面をつけた男がふたり、シャンパングラスを傾けていた。
「今夜も盛況だな、ペドロ」
「ええ。これもすべて、ダヴァロス家の……いや、セザルさまのおかげです」
フッ……とセザルと呼ばれた青年は鼻で笑った。
心にもない言葉を、シャアシャアと吐く。共に悪だくみをするなら、こういう男でなければ……。
「そういえば、さっき見かけない顔に会ったぞ。名前は……アマリリスとか言ったか。なかなか愛嬌のある女だった」
「はて……アマリリス、でございますか?」
「なんだ、自分の店にどんな女がいるかも把握していないのか?」
「ハハ、これは手厳しい。まあ、手広くやらせていただいておりますので……ご所望とあらば、このあとお部屋に行かせるよう申し付けておきましょう」
銀海岸の歓楽街を仕切る実業家のペドロは、ゆったりと微笑む。
裏社会では「パパ・ペドロ」の通り名で恐れられているというが、この高級娼館でオーナーを気取っている間は、凶暴な顔つきなど見せたことはない。
銀海岸の名士だったダヴァロス家との因縁は深く、セザルが物心ついた頃には父を訪ねて屋敷に出入りしていたこともあった。
そう、父は理解していたのだ……セザルの胸の中で、暗い感情が渦巻いた。
これから観光で発展していくこの一帯を治めるには、清濁あわせ呑む度量が必要なのだと。
それをあの男は、不正だなんだとくだらない告発をしやがって──。
「……いよいよ、ですな。セザルさま」
「ああ、首尾は上々だ。アルコアの修道会の不満は頂点に達している。修道士どもは、今度の晩餐会でここぞとばかり、領主さまに不平を訴え出るぞ」
「地方官さまも、実にお人好しですな。部下を信じ切って、自分が届けさせている領主さまからのご寄進が、毎回、中抜きされていることに気づきもしないとは……」
「フン……おのれの評判を鼻にかけて、自分の仕事に間違いなどあるはずがないと驕っているから、簡単に足元をすくわれるのだ」
セザルは、ほくそ笑みながらグラスに口をつけた。
当代領主が、夫人の影響もあってチャリティーに熱心なことは、知る人ぞ知る話だ。
地方官のオラビーデが、偏見に満ちた地方貴族たちに同調して、独断で救貧院の予算を削らせていると修道会が訴えれば、激怒することは必定だった。
「それより、お前のほうはどうだ。南海岸の立ち退きは順調に進んでいるのか?」
「もちろんでございます……」
仮面の下で、ペドロの口角がニヤリと上がった。
「漁師たちにしてみれば、何年働いても拝めないようなカネを積まれるのです。断る理由など、ありませんよ」
「ハッ……断らせない、の間違いではないのか。生まれ育った街と、慣れ親しんだ生業を捨てろと迫るのだぞ。頑固者の漁師たちが、そうやすやすと家を明け渡すとは──」
「これは異なことをおっしゃる。それでは、まるで、わたしが漁師たちを脅しているようじゃありませんか。わたしの部下たちは、みな紳士的です……第一、これは公金を使った、地方官さまの事業ですから、逆らえば領主さまのご意向に背くことにもなる。そんな危険を冒す者など、いるはずもありません」
「ククク……オラビーデのやつめ。公金を横領し、公共事業をかたって土地を買い占めたなどという醜聞が帝国内に知れ渡れば、二度と公職に着くことはできまい」
「そして、あなたは父君の復讐を果たす……」
「ああ。やつの行政官人生も、晩餐会で終わりだ……父が、そしてダヴァロス家が味わった屈辱と苦しみを、身をもって味合わせてやる。そして、このセザル・ダヴァロスこそが、銀海岸の地方官に真実ふさわしいと、領主さまに認めさせてみせるっ」
ダンッ……とセザルがテーブルを叩く。ペドロは、柔和に微笑んだ。
「宙に浮く海岸沿いの土地の開発事業を、わたしにお任せいただくこともお忘れなく……銀海岸が発展すれば、巡りめぐって領主さまや地域の住民の利益にもなります。セザルさまの名声も、ますます高まるでしょう──む?」
ペドロが静かに立ち上がると、バルコニー席の出入り口にかけられたワインレッドのカーテンをサッと開いた。
「誰だっ」
薄暗い2階の廊下には、ロウソクの灯りがゆらめくばかりで、誰の姿もない。
かすかに、女たちが身に着ける白粉の香りがしていたが、この店では別段、珍しいものではなかった。
「どうした、ペドロ」
「いえ……ひとの気配がしたように思ったのですが……」
ペドロがカーテンを閉めなおしたとき、廊下の窓の外で細身の影がポツリとつぶやいた。
「悪党って、なーんか語り合っちゃうのよねぇ……」
影はヒラリと地上に舞い降りると、夜の街に消えていった──。
翌日──
レストラン、オ・ポルト。
銀海岸を代表するこの老舗レストランの建物は、由緒ある貴族の別邸を改装したものだ。
2階の突き当たり、昼にはきらめく波が、夜には海上に輝く星々が、一番美しく見える部屋。
本来なら、ロマンチックな午餐にちょうどよい雰囲気なのだが──。
「あっ、用意ができたようです。見てきますから、みなさんはどうぞ、そのまま席についていらして」
銀髪の少女はハキハキと言うと、足早に廊下に出ていった。
地方官のパウロ・デ・オラビーデは、こめかみをさすりながら訊く。
「それで……? なぜ、君たちまでここにいるのかね?」
「いやぁ、それがですね、アハハ……」
店の経営者であるアルトゥールが、困ったように笑う。
テーブルにはパウロ以外に、アルトゥールと商店主のベルナルドが着席していた。
さらに壁際には、なぜかオ・ポルトの料理長までもが、どこか不機嫌そうに給仕係と並んで立っている。
「お嬢さまが、ぜひわたくしどもにも同席してほしいと」
「ミト嬢が? いったいどういう……いやいや、待ってくれ。そもそも今日、彼女を招待したのはわたしなのだが」
「はあ、しかしそれが、渡りに船と申しますか……」
「なんだって──?」
パウロが眉を吊り上げたとき、料理人を連れたミトが部屋に戻ってきた。
料理人は、丸い銀の釣り鐘蓋が乗った皿を、ひとつずつパウロたちの前にサーヴする。
両腕を組んだ料理長の横には小さなティーテーブルが用意されていて、若い料理人は遠慮がちにそのテーブルの上にも皿を置いた。
「ミト嬢、これは──?」
「それは、開けてのお楽しみですっ……では、お願いします!」
ミトの合図で、控えていた給仕係たちが、一斉に銀色の蓋を開く。
「おおっ、なんと愛らしい──」
アルトゥールが興奮気味に声をあげる。
皿の上に乗っていたのは、光沢のある表面に焼き色のついた、黄色いドルチェ──。
舟型に整えられた小ぶりな生地の上に、赤い実がちょこんとアクセントに乗せられている。
じっと皿を見つめたパウロは、顔をあげてミトに訊いた。
「この形は、舟、かな……するとこれは、明日の晩餐会の?」
「はい、デザートメニューです。スウィートポテトと言います」
「ポテト……では、材料はあのときの変わった芋なのですね」
料理長が、フンッと鼻を鳴らした。
「失礼ながら、芋のケーキなんて聞いたことがありません。たしかに、見た目は悪くない。焼き色の付け方も見事だ……だが、肝心の味を確かめてみないことには──」
「はいっ、ぜひお願いしますっ」
ミトがキラキラとした笑顔で言うと、料理長はウッと顔を赤くして、では、失礼っ……とフォークとナイフを手に取った。
アルトゥールやパウロも、切り分けた黄金色の焼き菓子を、そっと口に運ぶ。
「む……これは──」
パウロがうなったとき、アルトゥールが感極まったように言った。
「なんという滑らかさっ……口の中で魔法のように溶けていくのに、決して粉っぽくはない……そして、この香りはなんでしょう? フルーティーで、かすかに酸味のある……この香りのおかげで、甘ったるくクリーミーな食感に深みが加わっているようですね。大人のためのデザートというイメージにはぴったりですが、いったい──」
「これは、さくらんぼの酒……? ジンジャーニャで風味をつけたのかっ」
料理長がミトを見上げると、銀髪の少女はニッコリと笑う。
「はい、地元の食材づくしでメニューを考えるべしという、領主さまのご期待にも沿えると思います」
「すばらしいっ! すばらしいです、お嬢さま! よくぞやってくださった!」
飛び跳ねんばかりのアルトゥールに、ミトは首を振った。
「これは、わたしひとりの力で作り上げたものではありません。舟の形に仕上げるアイデアも、さくらんぼのお酒を使うことも、このきれいな焼き色を入れるオーブンの火加減だって、すべてナザリオ家の料理人、ダヴィさんが考えてくださったことです。そうよね、ダヴィさん──」
ミトと目が合うと、ダヴィは、ヘっ……いやっ……と妙な声を出した。
「あの……オレは、こいつ……じゃなくて、お嬢さまのレシピに、ちょっとばかし工夫をしただけで、お嬢さまがいなかったら、オ、オレなんかが、オ・ポルトの厨房を使わせてもらうなんて──」
「おい……お前さん、ダヴィって言ったか」
料理長がギロリと目を光らせると、ダヴィの声が、ひゃいっ、と裏返った。
「いいか。まず、盛りつけが惜しい……小さい皿に盛りつけてから、大皿に重ねてみろ。ドルチェ自体が小さい感じがしなくなる」
「え──」
「それと、軍艦に見せるなら、形ももうちょいだな。焼いても崩れねえギリギリで、ちゃんと舟に見えるように、一晩で工夫しろ」
「あ、あの──」
「あとは、焼き色だが……こいつぁいい。あの気分屋のオーブンで、よく仕上げた。明日もその調子でやってくれ」
「そ、そ、それって……オレも晩餐会当日に、厨房に入っていいって──」
「当たりめえだろっ。お嬢さまとお前さんのレシピだ。おめえがやらなきゃ、誰がやるんだよ。アルトゥールさん、よろしいですよね」
アルトゥールは、大きくうなずいた。
「もちろんだとも。ナザリオ家には、ダヴィさんを一日、お借りできるようにわたしから依頼しておこう」
「オッ、オオオ、オレッ……がっ、がんばりますっ!」
ダヴィが叫ぶと、ツカツカと歩み寄った料理長がバンバンとダヴィの肩を叩いた──。
「さて……あなたのサプライズはもう終わりかと思っていたが、まだ、何かあるようですね」
料理長やダヴィが部屋を出ていくと、パウロは微笑んでミトを見つめた。
「あら。なぜ、そう思われますの?」
「テーブルセッティングです。あと3人……わたしの知らないゲストがいらっしゃるようですが」
「まあ、さすがですわ。正解ですっ」
「まったく……無鉄砲なだけでなく、こんなにいたずらな方だったとは。ホストとしてのわたしの尊厳など、霧散してしまいましたね」
「せっかくご招待をいただいたのに、勝手ばかりして、本当に申し訳ありません」
「いいえ、謝っても許しませんよ」
「オラビーデさま……」
「あなたが、いつかまた、必ずわたしの招待を受けると約束してくださらない限り、許しません。もちろん、その日のサプライズを用意するのは、わたしの専権事項とします。いかがでしょう?」
「わかりました……お約束しましょう。いつかまた──」
ミトがそう言ったとき、トントンと扉がノックされた。
パウロは、小さく溜め息を吐いてみせた。
「次はどんなサプライズかな……? 入りたまえ!」
「失礼いたします。お後のお連れさまがいらっしゃいました」
扉の向こうからやってきた人々を見て、パウロは思わず、席から立ち上がった。
「あ、あなた方は、いったい──!?」