打ち捨てられた花園で
「ははは、それで財務部では、ブラザー・マテウスにこっぴどくやられたわけですね」
救貧院を訪れた、次の日──
昼前の陽射しに照らされた小径をあるきながら、丸メガネをかけた修道士が笑う。
ふくれっつらのイリスは、ツンとして言った。
「ミトさまは、修道院の備蓄から救貧院に回せる品目はないかって訊いただけなのに。『お嬢さまに、いったいどんな権利があって、修道院の財務に口を出されるのでしょうか』ですって。ちょっと生まれがいいからって、失礼じゃないですかっ」
ミトは困ったように笑った。
「差し出がましいご質問だったのは本当よ。でも、あんなにもかたくなでいらっしゃるとは思わなかったわ」
修道院の食糧は、修道院の中で利用するための、必要最小限ものです。
あなたがた世俗の商人とはちがって、我々には余計な富を貯め込む習慣などありません──。
皇都の官僚かと思うほど貴族的な顔立ちのブラザー・マテウスは、片眉を吊り上げて、そう言ったのだった。
若くして修道院の副財務部長を務める青年は、どこかの子爵家の末子だという。
丸メガネの修道士は、同情するようにミトを見た。
「仕方がありませんよ。財務部は貴族の方々からのご寄進を直接、扱う部門ですから……その点、我々、施設管理部は政治色ゼロです。なんでもご協力しましょう」
「感謝します、ブラザー・エリアス」
ミトが微笑むと、エリアスは、あはは……と照れたように頭をかいた。
修道院の建物を離れ、茂みを抜けると、日当たりのよい丘に出た。
イリスは、おおい、と大きく手を振る。
広い菜園の向こうで、ゆっくりと顔をあげた老人が、片手を挙げてイリスにこたえる。
「ミトさま、あれがウーゴ爺です。いつも、形の悪いカブやニンジンを分けてくれるんですよっ」
イリスは小走りに菜園の通路を駆けていく。
丹念に手入れされた菜園を見渡しながら、ミトはイリスのあとを追う。
ウーゴ爺は柔和な顔をした白髪の老人だった。真っ白なあごヒゲはサッパリと切り揃えられていて、どこか軍人のような几帳面さを感じさせる。
ミトが近づくと、老人は帽子を脱いで胸に当てた。
「北部の織物問屋の娘で、ミトと申します。すばらしい菜園ですね」
「いやなに……ありふれた、小さな農地でございますよ」
「いいえ、たとえばあのトマトの棚……一番花のあとの花を摘んでいらっしゃるでしょう」
「……!」
ウーゴ爺が目を見開いた。イリスとエリアスは、ポカンとして顔を見合わせる。
トマトの栽培がはじまったばかりのこの大陸では、収穫量を増やすための摘花の作業は、まだそれほど知られていない──。
「どの野菜も、活きいきとしていますわ。菜園のお世話は、あなたがおひとりで?」
「いえ、まさか……若いもんの力も借りて、どうにかやっておる次第で」
「謙遜しちゃって。ウーゴ爺はすごいんですよ? 畑の手入れだけじゃなくって、ハチミツを採ったり、ヒツジやヤギのお産だって面倒みられちゃうんですから。昔は、領主さまのお屋敷の庭師だったことも──」
イリスが勢い込んで言いかけると、老人はかぶりを振った。
「やめておくんなせぇ。あっしなんぞは、そんなたいそうなもんじゃねぇ……それで、今日はこの爺に、どういったご用向きで──?」
しばらくして──
菜園を見下ろす丘に腰を下ろしたウーゴ爺は、水筒の水をグビリと飲んで言った。
「なるほど……救貧院に回せる食糧を探していらっしゃるんで」
「ええ。ウーゴさんがこっそり、マメや野菜を融通していらっしゃることは、イリスさんから聞きました。これ以上はご迷惑かもしれませんけど、何か手はありませんか」
ミトが言うと、ウーゴ爺は白いヒゲを撫でながら考え込む。
「ふむ……ここの畑で採れるものは、形の悪いもの以外は、みな修道院に納めちまいやすが──」
老人は、チラリとミトを見る。
「お嬢さまは商家の娘で、諸国漫遊の途中、とおっしゃいましたな」
「ええ、そうです」
「農作物についての知識もおありのようだ……あっしの知らねぇ作物のことも、きっとご存知でしょう」
「何か、お考えが……?」
ウーゴ爺は、丸メガネの修道士に向き直った。
「ブラザー・エリアス……どうでしょう、〈花園〉をお嬢さまに見ていただくというのは?」
「えっ……あそこを、ですか? それは構いませんけど──」
菜園の丘をめぐって、森を抜ける。
雑草の生い茂った草原に踏み出して、ミトは、まあ……と声をあげた。
ツタのからまった低い石垣が、菜園の何倍もある広大な敷地を囲んでいる。
正面には、貴族の邸宅のように美しい柱やバルコニーを備えた建物……2階の中央は、屋根がガラス張りのドームになっていて、背の高いヤシの木が温室の中で大きな葉を広げているのが見えた。
イリスは、キョロキョロと物珍しそうに周囲を見回す。
「ここが、〈王家の花園〉……初めて来ました」
「王家の……?」
ミトが訊くと、エリアスがうなずいた。
「先々代の領主さまは、珍しい植物を集めるのがご趣味で……世界中の植物を集めて、修道士に栽培法を研究させていたんです。今ではすっかり忘れられて、我々、施設管理部がのぞきにくるくらいですが──」
「それにしては、手入れされているようですけれど……これも、ウーゴさんが?」
見たこともない大輪の花を見つめながらミトが言うと、ウーゴ爺がボソリと答える。
「まあ、ときおり、水をやったり、雑草を抜いているくらいで……だが、これもかつての領主さまが遺されたものですからな」
「わー! この花、すごくきれい。初めて見ます!」
しゃがみ込んだイリスが、濃い紫色の花に手を伸ばしかけた。
「おやめなされ……そいつぁ、毒草ですぜ」
「ええっ……」
ウーゴ爺はファッファッと乾いた声で笑うと、ミトを振り返った。
「薬草、毒草……なかには、食用にならねぇかと、新大陸から持ち帰られたものもあると聞きやす。お嬢さま、いかがでしょう?」
ミトは、打ち捨てられた植物園を歩く。
カラフルな原色の花……不思議に赤みがかった分厚い多肉植物……トゲの生えたサボテン。
屋外でも暑い地域の植物が生えているのは、銀海岸から吹く海風のおかげで、このあたりが冬でも暖かいからなのかもしれない。
崩れかけた花壇のエリアを抜けると、なんの変哲もない葉っぱが地面をおおいつくしている場所に出た。
ミトのあとをついてきたウーゴ爺が、溜め息を吐く。
「そのツタは、雑草と思って抜いた株から広がりやしてね。土が合うのか、放っておくといくらでも広がりやがる」
「いくらでも……?」
ミトは、しゃがみこんでツタの葉に触れてみる。
表面には、うっすらと白いうぶ毛のようなものが生えていて、モシャモシャした触感だった。
葉の下の地面には、なにやらゴツゴツとしたものが顔をのぞかせている。
「これって……!」
いきなりミトが手で土を掘りはじめると、ウーゴ爺はあわてて言った。
「お嬢さま、なにを──?」
「うーんしょっ……っと」
ミトがツタを引っ張ると、土の中からボコボコッと赤みがかった塊が現れた。
頬に土をつけた銀髪の少女は、あっけに取られるウーゴ爺を前に、不敵に微笑む。
「いけますよ、ウーゴさん……これはいけますっ──!」