お嬢さまに、できること?
「来いっ、デカブツッ」
「言ったな、小僧。覚悟しろっ……とりゃあっ!」
カクタスの振り下ろした枝を、少年はヒラリとかわす。
スキだらけの黒髪の騎士の頭を、少年の握った枝がベシッと打った。
「むっ、まいった!」
「チェッ、子供だからってバカにしやがって。遊びにもならねぇや」
少年はふくれっつらで憎まれ口を叩く。
苦笑したカクタスは、なんだとぉ……と少年の両脇に手を差し入れると、小さな身体を持ち上げてグルグルと回転した。子供たちはキャッキャとはしゃぎながら、周囲を駆け回る──。
「すみません……子供たちが興奮しちゃって」
飾り気のない素朴なティーカップにお茶を注ぎながら、シスター・イリスが言った。
庭に面したテラスで、ガーデンチェアに座ったミトはニコリと微笑む。
入り江の救貧院は、呼び名の通り、崖に囲まれた入り江に面してひっそりと建っていた。
元は修道士たちの寄宿舎だったというレンガ造りの建物は広さこそあるものの、壁を塗り固めた漆喰もところどころはげかかって、お世辞にも住みよい環境とは言えない。
それでも、食堂につづくテラスからは絵画のように穏やかで静かな入り江が一望できて、開放感があった。
ふと気づくと、小さな女の子がおずおずとテラスに近づいてくる。
背後で、建物の角に隠れるように女の子たちが様子をうかがっているから、この子が代表なのだろう。
ミトが笑いかけると、女の子がビクリと身を震わせて、顔を真っ赤にする。
「おっ……お花っ──」
握りしめた小ぶりなスイセンの束をグッと突き出して、女の子は恥ずかしそうにうつむいた。
「あら、わたしに?」
「んっ……うん……」
「とってもきれいね。それじゃあ──」
ふわりと椅子を立ったミトは、草むらにそっと膝をついた。
「ひとつ、髪に挿してくれたらうれしいわ」
「はわわ……っ」
女の子は小さな手で、ミトの耳の上に黄金色の花を挿す。
「ありがとう……じゃあ、あなたにも」
「え……」
ミトは花束からスイセンを抜き取って、女の子の髪にやさしく通す。
「おそろい、ね?」
「わっ……わわっ──」
「あーっ、ずるーい!」「ゾエばっかりー!」
建物の陰に隠れていた女の子たちが、ドッと飛び出してきた。
ミトがニコニコしながら手招きすると、少女たちはいっせいに駆け寄ってくる──。
そのとき──
入り江を見下ろす木立では、ひとりの女が大樹の幹に背中をあずけて、フウッ……と煙を吐いた。
「……ご機嫌斜めか?」
木陰から若い男の声がすると、女は少し眉をしかめて、ぞんざいに言う。
「フカヤ──」
「ネギ」
「ハァ……まったく、合言葉はいいけど、せめて意味のわかる言葉にしてよね」
「仕方ない。これも姫さまがお考えになった暗号らしいぜ」
ヌッと姿を現したのは、ガッシリとした筋肉質な青年だった。
若者は、無骨な手を差し出した。
「トビーだ」
「……アマンダ。24歳、独身、同業者と握手する趣味はなし」
「わーった。おぼえとくよ」
大柄な青年は、所在なさそうに頭をかいた。
「あんたたち、ずっとミトちゃんについてるんだよね。見たとこ……4人?」
「いや、5人だ。みな、帝国の〈鴉〉と働けることを、光栄に思っている」
「ハッ、なんだい、影のくせに騎士みたいな口きいちゃってさ」
ウチらに、名誉は関係ないだろ……。
内務省皇室監察官付特務司法官、コードネーム〈フギン〉は、トビーと名乗った男をチラリと見る。
純朴そうな顔つき、健康的に日焼けした浅黒い肌……だが、ゆったり自然に構えていても、スキはない。
大公家の影。
今では、そう呼ばれている彼らは、東方の砂漠地帯で悪名をはせた暗殺集団、ダールの一族の末裔だ。
狙った獲物は逃さない獰猛さで知られた彼らが、大公家に忠誠を誓ったときは、皇都の貴族の間に激震が走ったと聞いていた。
「で……? アネさんは、なんで不機嫌なワケ?」
「アネさんってね、あんた」
「オレ、こう見えても20歳なんで」
「ハァ? あぁ、ヤダヤダ、男の年下アピールなんて──」
ズイッ……青年のはだけたシャツの胸元が、突然、目の前に迫ってきてアマンダは押しだまる。
アマンダがもたれていた大樹に太い腕をついて、トビーが救貧院の庭を見下ろした。
「姫さまに、何か不満でも?」
「……あるわけないでしょ。ミトちゃんは、ほんといい子だもの。ただ……こういうのは、なんかね」
「こういうの?」
「だって、そうでしょ。ここみたいな施設は、帝国中、いえ大陸中のどこにでもあるじゃない。ミトちゃんにとっては、物珍しい、哀れな子供たちかもしれないけど……これからだって、親に捨てられる貧しい子供たちは必ず出てくる。そういう子供は、結局、耐えて耐えて生き抜いて、働けるようになったら自分で稼ぐしかないんだ。今だけ施しをしたって、どうせ一時しのぎ……ミトちゃんには悪いけど、貴族のお嬢さまの気まぐれで、庶民に虚しい夢を見せようなんて、かえって残酷だよ」
ふむ……とトビーは小さく溜め息を吐いた。
「どうやら、あんたはまだ、姫さまのお人柄をわかってないみたいだな」
「……何よそれ」
「ま、そう腐るなよ。姫さまのお供、よろしく頼むぜ」
ふっと身を離して、木立の向こうに消えていく青年を見送りながら、アマンダはひとりごちた。
「年下のくせに……なんで、えらそうなのよ──」
救貧院の庭では──
遊び疲れたように、ガーデンチェアに戻ってきたミトがイリスに言った。
「ああ、楽しかった……みんな元気ね。こちらでは、全部で何人の子供たちの世話を?」
イリスは、迷うことなくスラスラと答える。
「13歳以下の子が53人います。子供たちの他にも事故で歩けなくなった人や、身寄りのないお年寄りもいて、全部で61人が暮らしています」
「そんなに……?」
「これでも、少し減ったくらいです。大きくなって働けるようになった子たちが、住み込みの仕事を見つけて巣立っていったので」
ハァ……とイリスは溜め息を吐いた。
「とにかく、バカにならないのは食費なんです。漁師さんたちから余った魚を分けてもらったりして、どうにかやりくりしているんですけど、とにかくみんな食べ盛りで……来月から予算が削られたら、ただでさえ薄いおかゆを、もっと薄くしなくちゃいけません……」
「修道院で聞いたのだけれど、貴族の方々は、こちらに予算をつけるのに反対なさるのですって?」
「ええ……去年、着任した地方官さまが、とくにうるさいらしくて。お役人だって、娼館からちゃっかり税金を取り立てているくせに、なんなんですかねっ!?」
トゲトゲしいイリスの口調に苦笑しながら、ミトは言った。
「お近くの方……たとえば、ナザリオ家のエンゾさまなら、地元の事情にも詳しくていらっしゃると思うのだけれど、ご支援くださらないのですか?」
「うーん、それも微妙なんですよねぇ」
「微妙、というと……?」
「このあたりの男どもときたら、おカネが入るとパーッと娼館で使ってしまうようなヤツばっかりで。おかみさん連中の風当たりが強いんです。漁師たちのまとめ役であるナザリオ家としては、表立ってウチを支援するわけにもいかないんですよ。まったく、どいつもこいつも世間体ばっかり気にして──」
「ふふ……シスター・イリスは、率直な方ね」
ミトが微笑むと、イリスはそばかすの残る鼻の頭をかいた。
「わっ、わたしは、この近くの漁村で生まれ育ったので……すみません、お嬢さまみたいな上品な物言いは苦手で」
「お嬢さまなんて。ミトと呼んでください」
「じゃあ……わたしのことも、イリスだけで」
そう言ってから、イリスはモジモジしながら訊ねた。
「あの、それで……ミトさまは、どうしてここに? ひょっとして、寄付をしてくださるつもりですか? ありがたいお話なんですけど、それだと修道会を通していただくことになるので……」
「全額は、ここには届かない、ということですね」
「……そうなると思います」
「でもね、イリスさん。わたしは寄付を考えて、ここに来たのではないの。まずは、あなたの話を聞いて、わたしに何ができるかを考えようと思って」
「ミトさまが……考える?」
不思議そうな顔をするイリスに、ミトは言った。
「ええ。ここのことをよく知れば、何かアイデアが出るかもしれないもの。この土地のこと、施設のこと……それに、ひとのことも、もっともっと知りたいわ」
「ひとのこと、ですか?」
「そうよ。イリスさん──」
ミトは両手でパッと、イリスの手を握った。
「教えてちょうだい。子供たちのお味方は、どんな方々なのかしら──?」