悲恋の王が眠る修道院で
「そうですか、諸国を旅されて……?」
年かさの修道女が、物珍しそうに言った。
純白のチュニックに、黒い頭巾、身軽そうな袖のない肩衣──。
なんだか、黒いエプロンみたい……とミトは心の中で思う。
アルコア大修道院──
500年の歴史を持つその修道院は、アルコアの街の中心部にあって、多くの巡礼者が訪れる聖地でもある。
中央聖堂で祈りを捧げたミトは、修道女に案内されながら、繊細な装飾におおわれた回廊を歩いていた。
「シスター、もしかしてあれが、〈涙の王〉の棺でしょうか?」
「ええ、そうです。近くでご覧になられますか」
真っ白な大理石の棺は、大柄なカクタスの背丈ほどもあって、全面にびっしりと彫刻がほどこされていた。
フタの上には、やわらかい二重の枕に頭をあずけて、静かに眠る王の姿。
そのやすらかな王の顔を、取り囲んだ天使たちがのぞきこんでいる。
王の足元には、最期まで忠義を果たそうというのか、寝そべった猟犬があたりを警戒するように天を睨んでいる──。
「へえ、さっすが王さま、死んだ後でまでご大層なもんだねぇ」
アマンダが言うと、シスターは片眉を吊り上げて冷たい視線を送った。
「こちらは当地の5代目のご領主さまです」
「へーえ」
「コホン……そして、反対側にお眠りになっていらっしゃるのが──」
ミトは、ギュッと胸の前で手を握ってつぶやいた。
「寵姫クララさま、ですね」
「ええ、その通りです」
シスターは少し表情をゆるめると、ミトの横に立った。
銀髪の少女は、ふたつの棺を見やって溜め息を吐く。
「ほんとうに……向かい合わせに眠っていらっしゃるのね」
「向かい合わせ、ですか?」
赤髪のスキュラが訊くと、ミトは静かにうなずいた。
「〈涙の王〉ディニス公は、王太子だった頃、隣国の王女を娶ったの。まだ、西方諸国の関係が不安定だった時代のこと……おふたりの結婚には、両国の友好を確実にする、大事な役目があった。でも、王子が愛してしまったのは、お妃さまが連れてきた侍女だった……」
「侍女、ですか」
「それが、隣国の王族の庶子だったクララさまよ。不幸にして王太子妃が早くに亡くなると、ディニス公はクララさまを妃に迎えると公言して、父王と対立したの。隣国との関係を考えれば、王女を差し置いて愛情を注いでいたと広く知れわたっていたクララさまを、次の王太子妃にするわけにはいかない……それに、もしクララさまと王子が正式に結婚して王子が生まれれば、亡くなった王太子妃との間に生まれた第一王子の地位が危うくなる」
「愛のために、継承順位まで変えかねない、と?」
スキュラが言うと、ミトは、ええ……とうなずいた。
「それほど、王子はクララさまを愛していた……いえ、愛しすぎていると、誰もが知っていたのね。このままでは、隣国を巻き込んだ継承権争いが起こるのは目に見えていた……だから、重臣たちも王子とクララさまの婚姻には強硬に反対したわ」
ふうん、とアマンダが鼻の頭をこすってから、ひらめいたように言った。
「わかった、じゃあ、ふたりは駆け落ちしたんだ!」
「いいえ……重臣たちの声に押された父王が、クララさまを処刑したの」
「へっ!?」
「彼女が生きている限り、王子の情熱の火が消えることはない……父王はクララさまを哀れに思っていたそうだけれど、悩んだ末に彼女の処置を重臣たちに任せた。結果、彼女は斬首されたわ」
「ひどい……」
「王子は激昂して、反乱の兵を挙げた……結局、母である王妃さまのとりなしで反乱はすぐに沈静化したのだけれど。のちに王位についたディニス公は、自分とクララさまは生前、すでに正式に結婚していたと主張したの。そして、臣下はすべてクララさまを王妃として扱うべしと命じた……埋葬されていたクララさまの遺体を掘り起こし、その手に口づけして臣下の礼を取るようにとさえ命令したそうよ」
「えぇ……死体の手に?」
アマンダが顔をしかめたのとは反対に、シスターは感心したように笑顔でうなずいた。
「ご実家は北部とうかがいましたが、お嬢さまは遠く離れた、当地の王家の歴史にもお詳しくていらっしゃるのですね」
「いえ……ただ、〈涙の王〉と〈死せる王妃〉の物語は、とても印象に残りましたので」
「ご謙遜が過ぎますわ。棺の向きのこともご存知なのでしょう?」
「最後の審判の日、すべての死者が甦り、再び肉体を得て起き上がったその瞬間に、クララさまのお顔を見たいからと、互いに足を向け合う形で葬るよう、ご遺言されたのですよね」
「おっしゃる通りです。やはりよく勉強されて──」
そうシスターが言いかけたとき、回廊の向こうから場違いに怒気を含んだ声が響いた。
「そんなっ、これ以上、予算を減らして、どうやって子供たちを養えとおっしゃるのですかっ」
「これ……ここは神聖な聖堂ですよ。心を鎮めなさい、シスター・イリス」
「でも、副院長さま──」
やせぎすの修道士は、若い修道女を威圧するように言った。
「とにかく、この話はここまでです。救貧院に、これ以上の予算をつけることはできない。子供たちの食事は、あなた方が知恵を絞ってお考えなさい。それこそが、あなたたちの務めでしょう」
「でも、副院長さま──」
「くどいですよ、シスター・イリスッ!」
ビシリと名を呼ばれて、若い修道女はグッと言葉に詰まった。
「では……頼みましたよ」
青白い顔の副院長は、ジトリと若い修道女を睨んで歩き去っていく。
ミトは、隣に立つ年かさのシスターに、そっと訊ねた。
「あの……あちらの方は──?」
「お恥ずかしいところをお見せしました。シスター・イリスは、入り江の救貧院の運営を任されておりまして……わたくしたちも、親のない子供たちには精一杯のことをしてあげたいのですが、なかなか……」
「失礼ですが、こちらの修道院には、ご領主さまからの篤いご支援もあるとうかがっていますけれど──」
シスターは、深く溜め息を吐いた。
「もちろん、地方官さまを通じて、毎年多額のご寄進をいただきます。ただ、高貴な方々は入り江の救貧院のことは、あまりよく思っていらっしゃらないようで……」
「なぜですの……? よろしければ、理由をおうかがいしても?」
不思議そうに問いかけるミトに、シスターはためらいがちに言った。
「……あそこの子供たちは、みな、悪所の生まれなのです」
「あくしょ?」
「殿方が通われる、夜の街、と言えば、おわかりになりますか」
「まあ……」
ミトがハッと目を見開くと、カクタスが居心地悪そうに咳払いをした。
「銀海岸には、大陸の各地から多くの旅行者が訪れます……このアルコアの街は静かですけれど、近隣には旅行者相手の歓楽街もあるのです。もともと、貧しさから身を落とした娘たちが働くような場所ですから……赤ん坊を育てられない境遇の者も多いのでしょう。子供を捨てにくる母親が、あとを絶たないのです」
「そうだったのですね……」
「そのせいで、高貴な方々からは敬遠されがちなのです。〈罪の子〉などと、心ないことをおっしゃる方もいらして……あの子たちに罪があるというなら、ひとはみな、罪の子ですのに──」
「少し失礼いたします、シスター」
「えっ、ええ……」
突然、回廊を歩き出したミトの背を、年かさのシスターは驚いたように見つめた。
「シスター・イリスでいらっしゃいますね」
銀髪の少女は、聖堂の前に立ち尽くしていた若い修道女にツカツカと歩み寄った。
そばかすの目立つイリスは、目をパチクリさせる。
「へっ? はっ、はい」
「北部の織物問屋の娘で、ミトと申します。よろしければ、少しお話をおうかがいさせていただけませんか──」