間奏 ムコ殿の受難
大公領、中央都市ノイゼス──
マンゴルト子爵の別宅は、郊外の丘の上にあって、密会にはもってこいの場所だった。
月明かりの照らす庭園に面した応接室。
子爵はゆらめく暖炉の炎をワイングラスに映しながら、不敵な笑みを浮かべる。
「まさか、こうもうまくいくとは……」
テーブルの向かいに座った、でっぷりと太った男がニヤつきながらうなずいた。
「フロインドリヒ男爵家の次男坊が、あそこまでお人好しとは正直、驚きましたな。金貨1枚ほどの価値もない廃鉱山に、ろくな確認もせず巨額の投資をするとは……男爵家が破産に追い込まれるのも、時間の問題でございましょう」
「ククク……すでに男爵家には多大な金を貸しつけてある。破産を機に債務の支払を要求すれば、領地を手放さざるを得まい。あの宿場町の利権が、ついに我が手に転がり込んでくるのだ」
「ものはついででございます……あの麗しい男爵令嬢も、この際、子爵さまのものになさってはいかがでしょう?」
「グロスシュバルツ……そちもなかなかのワルよのう」
「いえいえ、子爵さまには敵いません。ささ、もう一献、勝利の美酒を……」
グロスシュバルツ商会の会頭がワインを勧めたそのとき、月夜の庭から凛とした声が響いた。
「その盃を、今生最後の祝杯と知るがよい──」
ドッと音を立てて、テラスにボロボロになった男が転がってくる。
「なっ、なにごとだっ」
「し、子爵さま、あれは偽の証文を用意した公証人でございますっ」
「なんだとっ」
ザクッと芝を踏みしだきながら、帯剣した男の影が近づいてくる。
「隣接する男爵領の繁栄をねたんでの悪事の数々、もはや言い逃れはできぬ。貴様の雇ったゴロツキどもが宿屋の主人を手にかけたことは、ますます許しがたい。天にかわって、裁きをくだしてやろう」
「ハッ、どこの義賊気取りか知らんが、このわしを裁こうとは100年早いわ」
「マンゴルト……余の顔を見忘れたか」
「なにぃ?」
月の光に照らされた壮年の剣士の顔を、子爵は目を細めて見つめた。
「たっ、大公殿下っ!」
「なっ、なんとっ!」
「ちっ、ちがうのです、大公殿下っ。これはすべて、この浅ましい商人がたくらんだこと……わしは話に乗ったふりをして、悪事の全貌をつかもうとしていただけで──」
「子爵さまっ、それはあんまりでございますっ……!」
プラチナブロンドの髪を短く切り揃えた大公は、ギロリとふたりを睨んだ。
「見苦しいぞ、子爵。証拠も証人も揃っている。領地を手放さなければならないのは、貴様のほうだ」
「おのれ……おのれ、大公ぉっ! かくなるうえは──」
そう叫んだ子爵は、サイドボードの上に置かれた金象嵌のケースに飛びついた。
「このマンゴルト、ただでは死なぬ……大公、貴様も道連れだぁっ」
震える手でピストルを向けた子爵を見て、大公は小さく溜め息を吐いた。
「愚かな……成敗っ」
音もなく影から走り出た黒衣の二人組が、すばやくナイフをきらめかせる。
グフッ……と濁った声をあげて、マンゴルト子爵の身体はドウッと床に倒れた──。
翌朝──
ノイゼスの街の北端にそびえる巨城、フェステ・ノイゼス。
帝国で2番目といわれる威容を誇り、「銀の王冠」とも呼ばれる美しい城の最上階に、甲高い声が響いた。
「婿殿? ムコどの!」
執務室の自席に座っていたギュアスタラ大公ジョアンは、偏頭痛がはじまりそうなこめかみを抑えながら言った。
「どうぞ……お入りください、母上」
補佐官のラファエルが扉を開けると、先帝の第三皇妃だった母カルロッタと妻のアデライデがツカツカと入ってきた。
「どうか、その婿殿というのは、やめていただけませんか。わたしは実の息子でしょう。家中の者は慣れていますが、知らぬものが聞けば、あらぬ誤解を生むかもしれませんよ」
「あら、わかっているでしょう? この母が婿殿と呼ぶときは、あなたにネチネチ嫌味を言いに来たときだと」
「母上……いつまでも幼い頃のミトの戯言を……」
大公が深く溜め息を吐くと、アデライデがピシャリと言った。
「そんなことはいいのです。あなた、ミゲルから手紙が届いたのよ。ミトのことで」
「ミゲルが……そうか。では、例の件でふたりしてわたしを責めに来たのだな。まったく……」
「まったく、ではありません。あなた! 一時とはいえ、ミトが誘拐されたことを、どうしてわたくしたちに隠していらっしゃったのっ!」
「君がそういう反応をすると、わかっていたからだよ。伝え方を考えていたのだ」
「そういう反応とはなんですっ、あの子のことは任せろ、どこへ行かせても大丈夫だとおっしゃったのは、あなたでしょう!」
「そうは言ってもな……広い世界を見聞したいと、かわいらしいことを言うから送り出してやったものを、あちこちの事情に首を突っ込んでは危ない橋ばかり渡っているのは、ミトのほうだぞ。これ以上、わたしにどうしろと?」
アデライデは、手にした封筒からミゲルの手紙を取り出すと、興奮気味に読み上げた。
「『……賊が隠し通路を使っていたとはいえ、父上のお付けになられた影の者たちまでミトを見失ったというのは、やはり大失態と言うべきでしょう。わたしのチームが現場にいなかったら、あの子がどうなったかと想像するだけで、恐ろしくてなりません。〈死して屍、拾う者なし〉……あの者たちの合言葉を考えたのはミトだというのに、その名付け親を守りきれないとは──』」
「ああ、わかったわかった。わたしもミゲルから直接、非難がましい手紙を受け取っているよ」
トンッとカルロッタが扇子で応接テーブルを叩いた。
「婿殿……そもそも、すべては皇帝陛下から、あの愚かな皇太子との婚約解消を取り付けられない、あなたの甲斐性のなさに問題があるのではないですか。このままでは、かわいいミトも帝国の行く末に見切りをつけて、他国に飛び去ってしまうかもしれませんよ」
「しかし母上、陛下はどうしても、ヨハン殿下にはミトが必要だとおおせられて──」
「殿下にミトが必要でも、ミトに殿下は必要ありません」
おっしゃる通り……とつぶやいた補佐官のラファエルを睨みつけて、大公はまた、深く溜め息を吐いた。
「とにかく、これ以上、あの子を危険な目に遭わせるわけにはいかないという点では異論はない。適当なところでミトを大公領に連れ帰るよう、周囲の者たちに指示を出しておきますよ」
まだプンスカと文句を言い立てている妻と母を追い出すと、大公は天井をあおいで目を閉じる。
手元には、大公宛のミゲルの手紙……その結びには、こんな文章が添えられていた。
『末筆ながら。出過ぎたマネとは思いましたが、内務省の特務からもミトに人を付けることにしましたよ。コードネームは〈フギン〉……信用できる女性です。父上の影どもには、味方だと伝えておいてください。では、お元気で──』