6.王妃様からの歓迎
両親の滞在中、「賓客の気に障るといけないから」という理由で、ローエン家の方々は一日一時間の面会制限を受けていたそうだ。
逆――国力の格差によりわたくしたちが望んでもローエン家の皆様には会えない状況が普通――ではないのかしらと思ったのだけれど、ニクラウス様が、
「妥当な判断ですね。父上様と母上様はエリュシオーネ姫が大好きすぎて、国政が手につかなくなるおそれがあります」
とおっしゃっていたので英断……なのかもしれない。
わたくしのせいで国政が手につかなくなるというところは意味がわからないのですけれども……。
ニクラウス様は、
「ところでどうしてぼくたちまで面会制限を受けなければならないのでしょうか? ぼくはエリュシオーネ姫と歳も近い。話し相手には最適なはずだ」
とも主張して、ヴィオヘルム様に襟元をつかまれて部屋の外に出されていた。
横暴だ、と叫ぶ声が扉の向こうから聞こえてきたけれども、わたくしには何もできなかった。
そして両親の帰国した翌日。
制限の解かれた王妃様は意気揚々と、まだ状況のよく飲みこめていないわたくしの部屋に現れた。
「エリュシオーネ姫、あなたにうけとってほしい贈り物があるの」
王妃様は長い銀の髪を片側にたらし、残りは編みこんでアップにまとめている。切れ長の鋭い目と端麗なお顔だち、背筋をのばした姿勢が相まって、まるで女騎士のようだった。
そして語られるのは相かわらず、ハイエルン語。わたくしは胸の中で少々悩んだのち、同じくハイエルンの言葉でお返事をした。
「もちろん、とても嬉しゅうございます。ありがとうございます」
「よかった。ではこちらへ」
王妃様は先に立って歩みだした。扉の外に控えていた王妃様付きの侍女たちも事情をわかっているようで、わたくしたちの前後に整列して付き従う。
ゆく先は王宮の上階……それも、屋上庭園のある棟だった。石畳の廊下に風を感じて顔をあげる。
王妃様の言う贈り物、とは、なにか。
疑問に思ったわたくしに答えるかのように、ルゥゥ――――ンッという独特の鳴き声が風にのって流れてくる。これは、飛竜の……柘榴石竜のもの。
「ここの暮らしにはなれてきましたか」
「はい、ヴィオヘルム殿下にはとてもよくしていただき、心から感謝しております」
その言葉に嘘はない。
両親の滞在した一週間、ヴィオヘルム様は毎朝会うたびに不都合はないかと尋ねてくださり(両親は最後まで居室が煌びやかすぎるとは言えなかった)、グリスウォルドの各地へと連れだしてくださり、そのうえ所々でわたくしと両親がゆっくりと楽しめるように計らってくださった。
ヴィオヘルム様がわたくしを気遣い、尊重してくださっていることは、疑いようのない事実だ。
「しかし、ときには戸惑うこともあるでしょう?」
「……」
わたくしは押し黙ってしまった。それは……そうだ。
両親に渡した書類の内容には心底から驚いた。
それに両親に具合を尋ねるのと同じように、わたくしには毎夜別れの挨拶の前に「本当にこの部屋でいいのか」と念を押すし、食事の際にはなぜか必ず自分の皿からわたくしに桃をくださるし、わたくしが桃好きなことを、いつ誰から聞いたのでしょうか……。
それがわたくしへの好意から出ていることは理解できた。けれども愛情を実感するより先に驚きと戸惑いがやってきてしまう。そんなわたくしの心情に、王妃様はお気づきだったのだ。
無言のわたくしを見て王妃様はカラカラと軽快な笑い声をあげた。
「だから、この贈り物なのです」
女たちの隊列は屋上庭園へとたどりついた。
塀に囲まれた広場には薔薇や百合などの花壇のほか、紫手毬の可憐な花が時期を迎え咲きほこっていた。
その庭園の向こう、花々をこえた先の一角に、飛竜の厩舎がある。
お父様とお母様を見送る際に一度訪れた場所だ。
王妃様の視線は、あきらかに花壇をこえ、飛竜たちのいる木造の建物を見つめていた。
「贈り物とは……」
「行きましょう」
王妃様が手を差しだす。先ほど騎士然としていると考えたとおりの優雅な仕草に見惚れるままに手をとった。しなやかな指先はほんの少しひんやりとしていて、それがおちつきを感じさせる。
実際には、王妃様はステップでも踏みそうなほどに目を輝かせてわたくしの手を引いていかれるのだけれども。
「これは我が家に来ていただく姫君たちに必要だとわたくしが考えるものです」
「姫君に必要なもの……」
その言葉はわたくしが頭の中に思いえがいている《贈り物》とは重ならないような気がした。やはりただの突拍子もない思いすごしなのか。それとも。
「連れてきなさい」
「はっ!!」
王妃様の来着を知り厩舎から出てきた兵士さんがふたたび戻っていく。
姫君に必要なもの。
ややあって、わたくしたちに面した厩舎の扉が開けられた。
そこからひょっこりと顔をのぞかせたのは――。
「ルゥゥ――――ンッ」
飛竜です。
「エリュシオーネ姫専属の柘榴石竜です。雄にするとヴィオが怒るので雌にしました。体力、飛行時間ともにそれほど変わりませんわ」
「ありがとうございます」
染みついた礼儀作法がわたくしに思考不要の感謝の礼をさせた。ヴィオヘルム様がお怒りになる云々のところは疑問を感じなかったことにしましょう。王妃様も当然のような顔をされているもの。
それよりも確かめなければならないのは、なぜ飛竜が姫君に必要なものであるかだ。
「とても嬉しいのですが、その……わたくしには少々もったいないような気がいたします。わたくしは飛竜の扱いもわかりませんし……」
「大丈夫よ。エリュシオーネ姫専属の竜騎士もおります。こちらも男性ではヴィオが怒るので女性にしました」
厩舎の中から赤毛の女性が敬礼をした。彼女ということらしい。先ほどの方と同じく軽装だけれども、身のこなしはたしかに騎士のもの。
けれどどれほど頭を働かせてみても、ここまでされる理由が推測できない。
「なぜ、わたくしに飛竜が必要なのでしょうか」
「夫婦喧嘩をしたときに、国に帰るためです」
観念し単刀直入に尋ねたわたくしに王妃様は間髪入れず――惚れ惚れとするような微笑を浮かべ、言い切った。
夫婦喧嘩をしたときに、国に帰るため。
「……承りました」
それ意外に返す言葉はなかった。理解した。理解は、した。理屈の上では。
「ヴィオヘルムはあのとおりです。わたくしも若いころは国王と――ハワードと喧嘩をしました。けれどどんなに彼の顔を見たくないと思っても、国に帰る手段がなかった。悔しくて悔しくて、娘にはわたくしと同じ気持ちを味わわせてなるものかと決意しました」
何かを思い出すかのように、青々と晴れわたる空へ王妃様は視線を向けた。
「娘が生まれれば嫁ぐときには飛竜を持たせるつもりでした。けれど娘は生まれませんでした」
たしかに、第一王子ヴィオヘルム様から第四王子レオンハルト様まで、ローエン家の皆様は御子息ばかりだ。
それでよかったのではないかと思う。大陸の覇者たるグリスウォルドから姫君を迎えるというだけでもその国は大変でしょうに、家出用の飛竜を嫁入り道具にされては相手方の精神消耗が激しい。
「エリュシオーネ姫」
「はい」
「あなたはヴィオヘルムの希望にそい、ローエン家へ来てくださいました。もうわたくしの娘も同然です。だからわたくしはあなたに飛竜を贈りたい。それがわたくしの義務だとも思っています」
「王妃様……」
それは、義務ではないと思います。
心の中から飛びだした本音は唇をふるわせたが、しかし声になることはなかった。
「ヴィオヘルムの言動に戸惑うことは多いでしょう。耐えきれなくなったら実家へ帰りなさい。わたくしが許可します」
現在わたくしが戸惑っているのは王妃様の贈り物である飛竜に対してだということ、それももちろんわたくしだけの胸の奥底にしまった。
「ありがとうございます……」
それ以外に何を言うことができたでしょうか。
国には戻れない覚悟で嫁いできたのですが。
その気になれば陸路の十分の一の日数で移動できる専属飛竜を手に入れてしまいました。