3.ヴィオヘルム様のやさしさ(前編)
お父様お母様ともども下へも置かぬおもてなしを受け、内心では呆然としながらわたくしは笑顔でふるまった。
だって、仕方のないことだと思う。想定外の展開が続いて感情がついてこない。
この六年間ずっと政略結婚、世継ぎを産むための道具だと信じてきたのに、突然好きだと言われても。
それに――、
「本当に申し訳なかった。あの息子は軍事に長け知略もよくし、地政学やその他の知識も豊富にある。民からも慕われる王太子なのだが……」
「感情だけが完全に死んでいるのです。妃に迎えたい姫がいると聞きようやく人間の心を持ったかと喜んだのに」
「エリュシオーネ姫、あのように兄も己の蛮行を反省しております」
「いまさら反省しても遅いだろうがな」
「はんせいのポーズ! しゃきーん!」
……ローエン家の皆様は、わたくしの周囲にはおられなかったタイプの方々なのだ。
見ればヴィオヘルム様は壁に両手と額とをつけて『反省』のポーズをとらされている。
これは、わたくしのせいになるのだろうか。お父様とお母様も見てはいけないものを避けるように視線を泳がせる。
「み、皆様、そのハイエルン語は……とてもお上手なので、驚いております」
お父様がやっとのことで話題を逸らした。
けれども、それは触れてはいけない話題ではないかしら、とわたくしは直感していた。
だってヴィオヘルム様はもちろん、国王陛下も王妃様も、六年前の対面では通訳を介してお兄様たちとお話をされたのだ。彼らはハイエルンの言葉など知らぬ、そして歩み寄るつもりもないだろうと思ったからこそわたくしは必死でグリスウォルドの国語を勉強した。
それが、いまローエン家の方々が操るのはわたくしたちと遜色ない流暢なハイエルン語。
「えぇ、勉強いたしました。エリュシオーネ姫は故郷を離れていらっしゃるのですもの。わたくしたちもこのくらいはしなければ」
「エリュシオーネ姫こそ先ほどの挨拶、この地で生まれたかのように美しい言葉だった」
「兄上の愛想のなさに苛立ったらいつでもぼくへ言ってくださいね。なんでもお聞きします」
「妻として迎えるのだ、その親御殿、ご兄弟たちとも会話ができるようにしておくのは当然のことだ」
最後にヴィオヘルム様がおっしゃって、案の定これは墓穴だったことをわたくしは知った。
わたくしの父母はグリスウォルドの言葉など学んではいない。ローエン家の方々は気にもしていらっしゃらないようですが。
お父様は青ざめてガタガタと震えている。
政略結婚だと思っていたのは両親も同じ。それが、あきらかに格上である相手の王家がこちらの言葉をマスターして出迎えたら、そうもなる。
どうフォローすればいいのかと悩んでいるうちにニクラウス様がぽんと手を打った。
「母上、もしかしてエリュシオーネ姫や父君様、母君様は、『この一家のテンションにはついていけない』と思われているのではないでしょうか」
「えっ、いえ、そんなことは……」
「あら、そうかもしれないわ。ヴィオヘルムもだけれど、我が家はわたくしたちも相当に妙な性格をしているみたいですから」
「長旅のうえにワシらの相手をさせていては、疲れがたまる一方というものだな」
「いえ、そんな……」
「ここでお開きにするとしよう」
わたくしの、もしかしたら心のこもっていなかったかもしれない否定は聞き入れられず。
自覚があるのかないのかわからない国王・王妃両陛下の発言とともに、趣向を凝らされたに違いないパーティはあっさりと終わりを告げた。
***
「……」
「……」
侍女のアンリが、とりわけられた料理をワゴンにのせて押している。
その前にはお父様とお母様が歩く。
そのさらに前を、ヴィオヘルム様とわたくし。
誰もが無言だ。にも関わらず背後から視線を感じる。皆の視線はヴィオヘルム様とわたくしが組んでいる腕にそそがれていた。
当然ながら、男性にエスコートされるのは家族以外でははじめて。
そしてヴィオヘルム様は一番上のお兄様よりも背が高く、歩幅も広い。わたくしは粗相のないように必死についていく。
でも、まさかこうして我が家の者にヴィオヘルム様が囲まれ、案内をしていただくなんて光景、思いもしなかった。
お父様とお母様は、ローエン家の方々のお顔を見ることすらないかもしれないと思っていた。
――一目見たときから、あなたをずっと恋うていた。
ヴィオヘルム様の低いお声が頭の中に響く。
途端に恥ずかしくなってわたくしは緊張した。
その気配を感じとったのかヴィオヘルム様が足を止める。
「どうかしたのか?」
「いっ、いえ、申し訳ございません」
「……何もなければいいが」
ヴィオヘルム様はそう言ってまた歩みだした。
しばらく進み、ある部屋に通される。
「迎賓室です。義父上殿、義母上殿、滞在中はこちらでごゆるりとすごされよ」
部屋にはすでに荷がほどかれて整頓されていた。
いえ、部屋と呼ぶのははばかられる。迎賓室――まるで広間のごとき、ハイエルンから持ち入れた荷が貧弱に感じられるほどの豪奢な空間だ。床には絨毯が敷き詰められ、ソファには毛皮がかけられている。家具は一つ一つが重々しく由緒深げで、よく磨きあげられていた。
ドアの向こうには寝室や洗面室、専用の湯あみ場まである。
絶句している両親の前でいち早く我に返ったアンリが運んできた料理をテーブルに並べた。
それを見てわたくしも正気に戻り、ヴィオヘルム様を見上げた。
「あの、ありがとうございます。こんな勿体ないお部屋を……」
「礼には及ばぬ。あなたの親は私の親だ。……お二方とも、窮屈なことがあれば遠慮なく申されよ」
「は、はい」
「ありがとう存じます」
お父様とお母様が頭を下げる。
どちらかといえば真逆のことで恐縮しておりますが……とは伝える勇気を持てずに、わたくしもともに頭を下げた。
そんなわたくしに、ヴィオヘルム様はさらなる譲歩を告げる。
「エリュシオーネ姫、あなたの部屋は別に用意したが、望むならこの部屋でもよい」
「いいえ……」
一瞬うなずきを返しそうになる頭を叱咤し、首を横にふった。
さすがにそこまでは甘えられない。
わたくしはもうローエン家に嫁いだ身。それを、親といっしょに寝たいだなどと、母国でも口にしたことのない弱音を言うわけにはいかなかった。
「おやすみなさい、お父様、お母様」
挨拶をしてふたたびヴィオヘルム様の腕をとる。
また背後に視線を感じた。……それは、わたくしの身を案じる、故郷を出立したときに似たまなざしだった。