2.どうやら歓迎されているようです(後編)
ありえない時空の歪みに遠のきそうになる意識を必死につかまえる。
陽気にお誕生日の歌を歌う王家の方々と、その中央で感情を消し去ったかのようなお顔をされているヴィオヘルム様。さらにその背後で疲れた顔をしているわたくしの両親。
ご挨拶をせねばならないと頭ではわかっているものの、舌は凍りついたように動かなかった。
せめて知りたい。
王家勢ぞろいで、何をされていらっしゃるのでしょうか?
「エリュシオーネ姫、あなたのお誕生日会だ」
わたくしの無言の疑問にヴィオヘルム様が答えてくださる。けれど、やっぱり意味がわからない。
「申し訳ないことをした、エリュシオーネ姫。私が早くあなたに会いたいばかりに、十六になったその日にあなたを連れだすように命じてしまった。それでは家族と別れを惜しむ暇もなかっただろうと叱られて気づいた」
その流暢な物言いにわたくしはようやく驚いた。思えば、ヴィオヘルム様がお話しになっているのは、流暢なハイエルン語だった。
さきほど聞こえたお祝いの歌だってそう。婚約を宣言されたときから必死に勉強したグリスウォルドの言葉ではない。わたくしが長年親しんできた、我が国の言葉。
「ハイエルン国王夫妻は、飛竜でお越しいただいた」
もしかして、王都で頭上をすぎていった飛竜の隊列は。
空という道なき道を飛べるために、またそのスピードゆえに、飛竜ならばグリスウォルドとハイエルンを三日ほどで往復できる。が、飛ぶことに慣れていない人間には、短い時間でも恐怖だったと経験者のお兄様がおっしゃっていた。
お父様とお母様がやつれているように見えるのは気のせいではないようだ。
「もちろん飛行には細心の注意を払った。帰りも心配することはない。国政のことならあなたの兄君と宰相殿がおられればしばらくは大丈夫だそうだ」
「……」
「御兄弟からは手紙を預かっている。さすがに王族全員を招くのはどうかと考えて……。……駄目だったか?」
そんなふうに尋ねられれば、駄目ではないとしか返せなくて、わたくしは首を振った。それからやっとのことで口を開いた。
「わたくしのために、格別のお心遣い、ありがとうございます……」
そう――なのだ。
あたりを見まわせば、『エリュシオーネ姫 お誕生日おめでとう!』と書かれた垂れ幕はやはりハイエルン語。
中央のテーブルにおかれているたくさんの料理のうち、半分は我が国の祝いの席でよく出されるもの。
ヴィオヘルム様は真顔ながら、ほかの方々は満面の笑み。
どうやらわたくしは、グリスウォルドの皆様から、大歓迎されているようです。
想定外すぎてまだ実感がわきません。
いつの間にか音楽はゆったりとした曲に変わり、落ち着きをとりもどしたわたくしはすぐに忘れていた礼を思い出した。
腰を深く折りこうべをたれると、用意していた挨拶の言葉をグリスウォルド語でつむぐ。
「申し遅れました、エリュシオーネ・メイアークにございます。このたびはローエン家の一員となれますこと、感謝の念にたえません。未熟者ではありますが精いっぱいお仕えする所存です」
王家の方々から返ってくるのは、やはりハイエルンの言葉。
「そんな、かしこまらないでちょうだい。こちらが乞うて嫁いでいただいた身、精いっぱいもてなさなければならないのは我が家ですわ」
「あぁ、心の機微に疎い息子だとは思っていたが、まさかここまでとは……手紙は書いていると言うから安心していたのに、問いただせば年に一度だと」
「エリュシオーネ姫、この兄上は基本的に完璧ですが、恋愛方面に関してだけはポンコツだということがわかっております」
「今回の迎えの件といい、八歳のオレが聞いてもおかしいとわかる行動だからな」
「レオンは、よんさいだよ! あにうえはぽんこつなんだってー」
王妃様、国王陛下、ニクラウス様、ミヒャエル様からそれぞれ冷ややかな視線と言葉を投げつけられ(レオンハルト様のみにっこり笑顔)、しかしヴィオヘルム様はお変わりなく超然とそこに立っていらっしゃった。
「ヴィオヘルム・ローエンだ。あなたを妻とできること、こちらこそ喜びにたえぬ」
……表情が変わらなすぎて、まったくそうは思えないのですけれど。
瞳と同じ青灰の髪は正装のためうしろへ流され、整ったお顔立ちがよく見えた。涼やかな目元に通った鼻筋、薄い唇はつくり物めいてさえ見え、冷酷な印象をいだかせる。
思わず見つめてしまうと、ヴィオヘルム様は少しだけ視線を逸らした。
「……やはり私は表情筋が死んでいるだろうか?」
「えっ、いえ、そんな……」
否定しかけて、ヴィオヘルム様の背後で腕を振りあげる国王夫妻が目に入る。
ニクラウス様はどこから出したのか大きな板に『肯定! 肯定!』と書いて掲げていた。ミヒャエル様もレオンハルト様もその横でにこにこと笑っておられる。
一対五では、逆らえない。
わたくしは横にふろうとしていた頭を縦にふった。
「はい……少し」
「そうか、皆から言われたことは本当だったのだな。ではきちんと言葉にしよう」
言葉を差し挟む暇もなく。
ヴィオヘルム様はその場にひざまずくと、わたくしの手をとった。
甲にやわらかな唇の感触が落とされる。
「一目見たときから、あなたをずっと恋うていた。どうか私の伴侶になっていただきたい」
やはりヴィオヘルム様のお顔に表情はない。けれども芯を持ったまなざしに射抜かれ、わたくしは頬が熱くなるのを感じた。
「は、はい……」
震える唇で諾を返せば、
「おぉ、なかなかやるではないか」
そう満足げな国王陛下のお声が聞こえた。