妖艶なる裁定者
生きていくためですよ。
キセルを吹かしながら男は答える。
鮮やかな女物の着物を羽織り、右袖から腕を抜き、サラシを巻いた腹、適当に結ばれた銀髪、異様な長さの太刀。
その姿、まさしく傾奇者。
しかし、その男はただの派手好きではない。
もとより銀色の髪と白い肌を持つ男はモノノケの子と噂され、人の輪には交わりにくい存在だった。だからといって人を恨むことはしなかった。理由はいろいろあるのだろうが、この男は人は弱い存在だと言うことをよくわかっているようだ。
「生きていくためとは?」
武士の男がその男に問う。
分厚い雲が空を覆っているため昼というのに薄暗い。ここは夜になると騒がしく、昼はあまりにも静かな場所である。
「身体を売っているということか?」
聞いているのか聞いていないのかわからない表情で見つめ返す。
「俺が女に見えるかい?」
武士の男は不覚にもその男に見惚れた。この男はならばと思えるような中性的な風貌であった。
「見えないとも言えないが。それにしては……」
その視線は男の身体を見ている。女のようなやわらかさもなければ、それとは逆に筋肉さえ見える。
「嗚呼、この身体に魅入られたのでございましょう」
切れ長の目で妖艶に笑う男にごくりと喉が鳴った。
しかし、この男と面識があったのだろうか。
「どうして俺がいるかって?逆ですよ、あなたがここに来たんです」
武士の男はその男が何を言っているのかわからなかった。
今日もいつもと変わらず起きてから友人と会い、少しの酒を飲みながら語らっていたのだから。いつもはよく話す友人も何故か今日は無口だった記憶はあるが、どうしてここへ来てしまっているのか思い出せない。そういえば、朝起きて愛する妻にも会えていない。
「ここへ来る者には理由があるんです。1つは助けを求めて来る、もうひとつは殺されるために来る。あなたはどちらでしょうかね。まぁどちらにしても人の世のことではございませんが」
人の世ではないならばいったい何か。
武士の男は考えるがわからない。そもそも助けか殺すかどちらかの理由であるというのがおかしい。
「おや、自覚がないのでしょうかね。では一つ話をしましょう。」
男はいつの世も若い女が好きなものだ。夫婦がいた。大変仲が良かったが、ある時男は長年連れ添った女を見て思ったそうだ。「こんなにもシワが増えたのか」
そして女を女として見ることができず、見るたびに醜いと思う気持ちが膨れ上がった。
そんな時、男の前に若い女があらわれた。ふっくらとした頬、みずみずしい黒髪を持った女に男は夢中になった。
家へ帰らなくなった男を男の妻は心配をし、ある時そのあとをつけた。そこで見たのは自分の男と若い女が睦み合う姿であった。
「あんなにも私を愛してくださったあなたはもういないのですね。あぁ哀しい、哀しい」女はたいそう哀しんだが、哀しむことに疲れ、その思いは恨みへと変わった。
「あぁ、憎い。男が憎い、あの女が憎い」
「……嫉妬から鬼となった女は男も女も包丁で首を切り、殺してしまったのです」
武士の男は冷や汗をかいていた。口はからからになり、何も言えなくなっている。
汗を拭おうと手を頬にあてるとぬるりとした感触と腐臭に驚いた男は足元を見る。
先ほどまではずっと中性的な男ばかりを見て自分の姿には気づかなかった。
武士の男の手には2つの男女の首、自分の足元にはおびただしいほどの血と鞘から抜けた刀があった。そこまで見てやっと記憶を取り戻したのだ。愛しい妻を殺し、間男だった友人を殺した。この手で。
「あぁ一つこの話に付け加えるとしたら、鬼になるのは女だけではないということでしょうか、ねぇ、お侍さん」
「……俺は」
「覚えてますか、ここに来る理由を」
男は武士の男よりも大きな声で告げた。さっと立ち上がった男は意外にも身長がある。
「あなたは俺に"殺される"ために来たのですよ」
「ここはヒトの世とアヤカシの世の間にあります怪の間と申すところ、人ならざる者、人から堕ちた者を裁く場所でございます。死ぬも生きるももとより死んでおります。それでも蔓延る魂を喰らうが俺のつとめ、まぁ食事と言ったほうが良いですね」
だから、生きていくためここにいるのです。
切り落とした頭には2本の角が生えていた。
あぁ、まずい。
人から堕ちた者の魂など、美味いものではない。
いい加減、気づくべきでございませぬか。
人の心というのは移ろいやすく、留まることをしらないのです。恋は異常に燃え上がり、愛は簡単に冷えるもの。
一度移った心を取り戻すにはオニとなるしか方法はないのでございます。
嗚呼、人の世のなんと滑稽なことか。