ガダリア脱出 2
ガダリア放棄はとんとん拍子に進んだ。時刻通りに西門に住民は集まり、僅かに残された馬車には女子供や老人が乗った。それ以外の者は歩きだ。馬車は歩く速さで進むため問題はない。
ガダリア西門からアクロイドまで伸びる道を馬車の列が進む。パウエルとユーゴが列の中央に位置し、アルコーが後方警戒。ハーニーとネリーが前方の警戒だ。危険である後部を守るアルコーはパウエルに一目置かれているらしい。逆に前方警備は最も安全なところだ。
ハーニーは足を引っ張っている気がしてため息が出た。
「はあ……」
「ねえ」
声は隣から。月明かりにたなびく金髪が綺麗だが、その表情はしかめっ面で可愛くない。その口から出る言葉も辛辣なものだった。
「居候って根暗?」
「え、なんで?」
「だってさっきからふぅ、だの、はぁ、だのため息ばっかり。横にいる私まで暗くなりそう」
じっとりした目で見られ、冷や汗が滲む。
ネリーの言うことはもっともだ。
「ご、ごめ──」
「やっぱり三年も居候を続けると仕方ないの? そういえば記憶もないんだっけ。そこんとこどうなの? 知識も経験も空っぽの状態で保護されたわけ? あ、魔法もどういう心構えで使うのかも知りたい。思想とか過程とか。やっぱり八色四層? それとそれと──」
「ちょ、ちょっと待って! 何でそんなに僕のこと知ってるんだよ! 話した覚えないのに!」
細かいことをぐちぐちと。そう言いたげな渋面が返ってくる。
「調べたからに決まってるじゃない」
「いつ」
「広場で別れて西門に集まるまで。居候って有名なのね。悪い噂が多かったから調べやすかったわ」
「悪い噂多いのか……」
「そんなことより話の続き! 居候には聞きたいことばかりなの! はやく!」
ネリーへの警戒心はあるにはあったが、あまりに真っ直ぐすぎて悪い人間と思えない。
ただ、その真っ直ぐな気持ちの行きつく先が興味や関心だということが難点で「悪い人じゃないんだろうけど面倒な女の子」という印象だ。
「というか、何で僕の話なんて聞くんだよ。僕のお母さんお父さんが僕を捜してるとか、そういうわけじゃないんでしょ? 変だよ」
「あれ。言ってなかった?」
キョトンとした顔は素直に可愛い。開いた碧眼に吸い込まれそうになって目を逸らす。
「い、言おうとしてたみたいだけど、言いかけただけ」
「そうだった。じゃあ教えてあげます」
んっ、とあえかに咳払い。
「私は魔法研究してるって言ったでしょ? 研究にも色々あるんだけど、私が研究してるのは魔法を発現させるものについてよ」
「誇らしげなところ悪いんだけど、魔法のこと全然知らないんだ。ごめん」
ネリーは少し落ち込んだ。
「じゃあえっと……現在の一般的な魔法の解釈は知ってる?」
首を横に振る。今度はあからさまに怠そうな顔になった。
「面倒くさいわね……魔法っていうのは、魔力を消費して生まれるものだと言われてるの。魔力は人体に宿って、それを体外に放出して魔法にしてるという考え方ね」
「へえ」
「それだから魔力には上限があるって言われてるのよ。1日に使える魔法は限られていて、使えば使うほど気力がなくなる。そういうのが共通理解……なんだけど! 私は違うと思ってる! いい? ここが大事なところ」
張り上げる声には誇らしさと自信が。腕をぐっと握るネリーは鼻息荒く、まさに燃えるような心意気で言った。
「私はね、魔法を生み出すものが体内じゃなくて体外にあると思うのよ!」
「……うん。うん?」
「だから! 大気中に魔法の素があって、それを魔法という形にするのが人間の意思ってこと! どう?! 画期的でしょ!」
「うーん……」
魔法について常識も何もないのに、どうと言われても答えようがなかった。ネリーの意見と一般的な意見、両方とも正しく聞こえたくらいだ。
煮え切らない態度が不服だったのか、ネリーは苛立って続けた。
「だから! 私たちの周りには魔法の素、仮に魔素と呼ぶとして、魔素はそこら中に浮かんでいるんだけど、それ自体に現象を起こす力はないの。それに力や形を与えるのが人の思い。思考。イメージ、なわけ。人の想像を形にする実質的な何かがあると思うのよ、私は!」
「う、うん……?」
「そうでないと説明できないことがいくつもあるのよ。地理的に有り得ない雨。逆に日照りも、気温もそう。そしてそれらの場所の共通点が人が暮らしているという事なの。神話にも決死の覚悟が起こす奇跡の魔法がいくつもある。現状の理解では説明できないことが多すぎるのよ。他にも色々証拠足り得るものがあるわ。──どう? 合っててもおかしくないって思うでしょ?」
鼻先まで迫ってきたネリーに圧され、頷いてしまう。次々捲し立てられて、半分ほどしか理解していなかった。分かることと言えば。
「つ、つまり、魔素というものがあって、それが魔法になるってことだね」
「ん。魔素を魔法にするのが人の意思に起因する、って付け足せば完璧ね。……どう?」
「どうって言われてもなあ」
専門家でもないのに言えるなんてない。
「割とありそうな話だよね」
「……なんか驚きが少ないのが気に入らないけど、それは世間知らずだからよね」
「ずっと思ってたけど君は言葉がきつい」
「居候が軟弱なだけじゃない?」
「……」
否定できないのが口惜しい。しかし否定しきれるほど強くないのは、情けなくも分かっていた。そういうところも情けなく感じて、自己嫌悪が心を満たそうとしてくる。
話を変えたのは不甲斐なさから逃げるためだ。
「君が言うことは分かったけど、それが僕とどういう関係があるのか分からない」
ハーニーが本当に分からない顔をするのをからかうようにネリーは鼻を鳴らした。
「ふふん。つまりこの説によると魔法は貴族じゃなくても使えるのよ!」
「なるほど……って」
理解が進むにつれて、脳天からつま先まで冷たいものがサッと走った。
「それって僕が貴族の家系じゃないってこと!?」
「そ、そんな驚くこと? 貴族の恩恵に与りたい気持ちは分かるけど──」
「そんなことどうでもいい! 僕の親を探す手がかりは貴族ってことだけだったんだ。それすらなくなったら僕はどうやって……! どうやって……」
何万何億もいる中から手がかりなしに探し当てる? そんなことできるのか?
「あ、あの、別に……もしかしたら貴族の血には魔素と関係する何かがあるのかもしれないし、貴族だけが使える可能性の方が高いかもしれないから」
「あ、ああ……うん」
あやすようなネリーを見て我に返る。
しっかりしろ僕。ここで慌てたところで何も変わらない。今一番大事なのは僕じゃなくてリアじゃないか。
父親を亡くしたリアはひどく疲れており、今は家政婦と馬車の中で休んでいる。最後に見た時はぐっすり眠っていて、一晩中ずっと眠りそうな様子だった。
リアのことを考えると波立った心が落ち着いて、深呼吸できるようになる。
「取り乱してごめん」
ネリーは苦笑を浮かべて落ち着いた声色で言った。
「支えが揺らいだら、誰だってそうなるわよね。私の方こそ迂闊だったかも。ごめんなさい」
「……」
「何よ呆けた顔して。私が謝っちゃおかしい?」
「い、いや、そういう訳じゃないけど……」
意外なのは確かだった。急に素顔を見た気がして申し訳なくなる。
ネリーはあえて話を変えることはしなかった。それが彼女なりの気遣いなのかもしれない。
「とにかく私は魔法が使える普通の人を探してたのよ」
「今まで見つからなかったの? そういう人」
「ええ。私も探し始めて2年くらいだから大したことないけど、一番有力なのが居候だったわ」
「居候ってやめてくれない?」
「気が向いたらね」
なんで貴族は皆勝手なんだろうか。少し腹立たしく思いながら、それを悟らせまいと自分の右腕を見た。SETUの文字は相変わらず薄緑に光っている。
「セツはどう思う? 魔法の素の存在とか」
「え?」
ネリーが周囲を確認する。当然近くには誰もいない。声がするのはハーニーの右腕からだ。
『公平に見ても有り得る話でしょう。過去、このことが考えられなかったかどうかについては分かりかねますが、可能性を誇大妄想と言って潰すのは愚かです』
「結構合ってるかもしれないんだ」
「えっ、えっ。ちょっと何、今の」
「ほら、これ」
声の主を一生懸命探すネリーに右腕を晒す。
「なんか魔法精神体……だっけ? セツって言うんだけど、なんかついちゃって」
「なんかついちゃったって……」
腕にまじまじと視線。ネリーが真顔で口を開いた。
「もう一回喋って」
『……』
言葉を待つが返事はない。
「何もないじゃない。聞き間違いなんじゃないの?」
「君の聞き間違いが僕のせいにはならないでしょ。セツー」
『なんでしょう』
こともなしに声が響いた。ネリーは唖然としている。
「なんでネリーに返事しないのさ」
『許されていないので』
「許す? 誰が」
『持ち主であるあなたです』
至極当然のように返ってきた言葉は、しかしその無機質さから違和感はない。
「そういうもの? なら、ええと、許す。許します」
『はい』
やりとりをぼおっと眺めていたネリーは、やがて態度を一変させた。
「ええ! 何それ! すっごい気になるんだけど!」
喜び様は童女のごとく。目はキラキラ輝いて、花が咲くような笑顔だった。喜べることか分からないが、目を輝かせるネリーは魅力的に見えた。
「こういうことでしかはしゃがなさそうだなあ」
そんな失礼なつぶやきも今のネリーの関心を引かない。
「ねねっ、あなた何なの? 魂? 幽霊? 人間?」
『人工精神体と呼ばれる存在です』
「ええっ。あれそんなに発達してたの?!」
「それってすごいことなの?」
ネリーが大きく腕を広げた。
「そりゃあもう! 私が知っている限り、はいかいいえを設定したままに答えさせる程度しか出来ないはずだもの。でもこれは違う。人と比べても問題ないくらいじゃない」
声の抑揚などで人間味がないこと以外はその通りだった。
「どこの研究所から?」
『王都の王立研究所です。私のほかにも数体製造されています』
製造という言葉に絡みつくような気持ち悪さを感じた。
ネリーは爛々と目を輝かせてハーニーの右腕だけに視線を注ぐ。
「不思議な存在ね! 居候とは別の意識なんでしょ? 別の、つまり他者よね。それなのに身体は一つを共有してる……」
『間借りしている身です』
「そんなのいいの! 理解の問題! 考えようによっては新しい命の在り方が──」
ネリーはぶつぶつ独り言を始めた。物思いにふける姿は可憐に見えるが、その口からは理論ばかり飛び出している。ハーニーは呆れて逃げるように視線を彷徨わせた。
「あれ?」
振り返ると馬車の進みが止まっていた。馬車の周りに人だかりもできている。
ネリーも気付いて首を傾げた。
「何かあったのかしら」
「さあ……行ってみようか」
ハーニーとネリーは確認すべく馬車へ歩く。馬車の周囲には松明を持った大人がいるおかげで明るかった。
「どうしたんですか?」
屈んで馬車の車輪を見ていた男がハーニーを振り返らずに答えた。
「馬車の車輪がいかれちまったんだ。……こりゃだめだな。もう使えねえ」
数分の話し合いの後、この壊れた馬車はこの場に置いていくことになった。乗っていた人は全員降り、お年寄りや病人、女子供を優先して別の馬車に乗せることになる。
「年が10より上の男は歩けよ! いつまでもガキ気分でいるな!」
自警団の男が大声で指示する。威圧的な声に子供が怯える気配があった。
「そういえばタックはどこだろ」
「タック?」
「僕の知り合い。タックも15歳くらいだからどこかから出てくるはずだよ」
「タックってもしかしてガダリアの孤児で悪さする子たちの一人?」
「何でそこまで知ってるんだ……そんな悪さしたりしないよ。家がないだけだよ」
「ふーん」
しかし待てどもタックの姿は見当たらない。何となしに不安になって全体を探してみるも、タックの取り巻き一人見つからない。
背中に汗がにじんだ。慌てて馬車の周りの人たちに聞いて回る。
「すみません! タックたち──廃屋で暮らしてた子供たち見かけませんでした?」
聞いた人数が二桁になろうというとき、一人の青年が「ああ、見たよ」と言った。
「どこでです?」
馬車の列のどの辺りかを聞いた質問は、思わぬ方向へ飛んでいった。
「ガダリアを出るとき街の方へ走っていくのを見たよ」
「つっ、つまり、ガダリアに残ってるってことですか!?」
「あ、ああ」とハーニーの剣幕に引きながら答える青年はさも当然としている。怒っても仕方ないと分かっていても溢れる赤い感情に抗えない。
「どうして放っておいたんです!」
するとすぐ近くの馬車から中年の女性が顔を出し、庇うように話しはじめた。
「街を出る話はあの子たちだって知ってるだろうさ。ちゃんと皆に伝えたんだからね。それでも来なかったならあの子らの勝手だよ。この兄ちゃんだってそう思ったんだ。ねえ?」
「あ、ああ。そうだ。あの子たちが決めたなら止められないだろ?」
それは自分を守る言葉だった。自分たちに責任がないと思い込むような逃げ方。
「そうやって皆いつもっ……」
頭の中では綺麗でない言葉が飛び交いながら、ハーニーはその場を離れようとした。
「どこ行くの」
ネリーに返事をする余裕はなかった。そのままネリーを無視して向かったのは馬車の列の中心。
ガダリア民の列の中心には、馬は猛々しく御者も身なりがきちんとした高級な馬車があった。パウエルの馬車だ。
パウエルはその馬車の横で自警団の制服を着た年配の男と会話していた。小太りの強気そうな男だ。どうやら馬車を置いていく旨について話しているらしい。
パウエルはハーニーが近づいてくるのにいち早く気付いた。
「ハーニー君か。そんなに焦ってどうかしたのかね」
横で自警団の男が「警戒はどうした」と忌々しそうに言うが、耳に入らない。
「街に子供たちが残っているらしいんです」
「ほう」
パウエルの眉が動く。同時に自警団員も驚きの声を上げた。
「そんな馬鹿な! 子供はちゃんと数えたぞ!」
「……どういうことかね?」
「いないのは廃屋で暮らしている子たちなんです」
パウエルは表情を変えなかった。まさか存在を知らないのだろうかという疑惑が浮かぶ。
口を開いたのは自警団の男だった。
「あの子らは……残りたくて残ったんだろう。元々街の人間が嫌いだったようだし、行動を共にしたくなかったんだ」
「そう聞いたんですか?」
「いや、聞いてはいないが……あの子らも私たちをよく思ってないだろう。私らだって好きじゃない。お互い様だ」
ちゃんと目を見て言えない大人の姿に、頭に血が上った。
「そうやって都合よく決めつけて! 本人がそう言ったわけじゃないでしょう!?」
あの子たちは意地汚いところがあったけれど、街の人を憎んでいるように見えなかった。もしそうなら悪さをやめたりしないはずだ。彼らなりに街へ歩み寄っていたんだ。
「そうは言うがね。あの子らにも情報は行き届いていた。それなのに来なかったんだから自己責任だろう?」
「それは大人の理屈です! あの子たちはまだ子供ですよ! 責任だとか、判断だとか、そういうことを押し付けるのは大人としてどうなんですか!? 僕だって何もわからないまま生きていて怖いのに……あの子たちは僕よりも年下なんですよっ!? なのにっ──」
「もういいだろう。今話すべきことではないはずだ」
「っ、パウエルさん……」
パウエルは至って冷静だった。自分にとって大きな問題でも、パウエルからすれば些末な問題なのだろうか。そんな考えが胸中を過る。
「立場が何であれガダリアの民の一人であることに変わらない。……そうだな。ハーニー君はどうすべきだと思う?」
「連れ戻しに行くべきですよ」
「そうか。君ならそう答えるだろうな。しかしそれだけのためにこの集団の歩みを止める訳にはいかない。それくらいは分かるだろう」
「く……」
それだけのために、という言葉が心を締め付けるが、集団を統べる者として当然の判断なのだろう。
言葉は勝手に出ていた。
「なら……僕だけでも行かせてもらえませんか」
「おい! 戦力を失っていい場合じゃないだろうが!」
自警団の男が怒鳴った。負けじと声を張る。
「あの子たちを見捨てるわけにいかないでしょう!」
「あれらは自分で決めて残ったんだ! 見捨てることにならんじゃないか!」
「そんな見方がありますか!? 僕だったら見捨てられたって思いますよ! 自分で残ったとしても、それでも誰一人無理やり連れて行こうと思わないなら、僕だったら辛い! 僕だったらその辛さが分かります! 一人ぼっちは辛いんです! 放っておけない!」
諍いを止めたのはパウエルが鳴らした手だった。ただ、ぱんぱん、と打って鳴らした音のはずなのに空気が締まる。
「私もその子供たちには何か目的があって残ったのだと思う」
「ですけどっ!」
「しかしだ。力ある者は、そう在れない者の代わりに無力な人を守る責任がある。特に貴族としてはな。ハーニー君の判断はその点で間違っていない」
「それじゃあ!」
顔を上げるとあったのは、真剣そのもののパウエルの表情だった。
「私たちは君を待たずに先へ進む。君がもし敵国の人間と遭遇しても助けてやれない。自分の身を自分で守るというのなら、行きたまえ」
「それでは皆を守る戦力が……」
「ハーニー君が接敵すれば多少の時間稼ぎにはなる。それだけの力は確認した。……それとも君はなんだ。私が青年一人分の穴も埋められないと思っているのか?」
自警団の男が震える。小動物のように怯える姿に威厳は欠片もない。
「じゃあ僕は行きます!」
ハーニーはすぐに馬車が向かう方向とは逆へ足を向ける。その背にかけられたのは穏やかだが力のある低い声。
「大を救うために小を捨てる。この考えは魔法を用いる者にとって致命的なものだ。どこまでも強く。いくらでも尊大に望みを捨てない。本当ならどちらも救おうとする者こそが、貴族の理想だが」
パウエルの言葉はよく分からなかった。
しかしそのあとの言葉はよく分かった。それこそ言われなくても。
「ウィルの忘れ形見は私に任されたが、このまま君が死んでしまうことは許されないぞ」
「……分かってます!」
リアを孤独にしてはいけない。リアを守ってやりたい。
今、自分が生きたいと思える理由は誰よりも心得ている。
それとは別に、一人になることは辛いことだって知っているから。リアをそうさせたくないのと同じように、自分と似た境遇の子たちにもそんな思いをさせたくなかった。