第九回 闇の精霊
俺たちが次に向かったのは、武器屋にほど近い妖精屋『フェアリー・セール』だ。
そのまんまな店名に苦笑しつつ中に入ると、そこはさながら花屋であるかのようだった。窓の下、テーブルの上、至るところに色とりどりの花々や植物が我が物顔で居座っている。さらに鳥かごのようなケージが天井から幾つもぶら下がっていて、中には小さなベッドやタンスがあるのがわかった。
これが妖精の家っぽいな。ただ、肝心の住人の姿が見られないが……。
「いらっしゃい」
お、店の奥から誰か出てきたと思ったら、肉球模様のエプロンを着た猫耳の男だった。ちゃんと尻尾もあって動いている。
「あ、亜人?」
「ん? お客さん、俺が珍しいのか。異世界に来たばかりの人かな。でも残念ながら俺は商品じゃないぜ」
うわ、瞳孔が細くなって猫目になった。俺が驚いたのが可笑しかったのか口元が小さく吊り上がってる。
「あの……妖精は売り切れですか?」
「んー。一応、奥に一匹だけいるっちゃいるけど……」
アトリが訊ねると、猫男の顔が微妙なものに変わった。なんか複雑な事情がありそうだな……。
「多分、購入してもすぐ返品することになると思うよ。それでもいいならついてきて」
店員が奥に入っていく。
「どうする? アトリ。訳アリっぽいけど」
「ここまで来たんですから、見るだけ見てみましょう」
「そうだな、そうするか……」
――店員の尻尾を追いかけて奥に行くと、一際薄暗いところにケージがぶら下がっているのがわかった。そこに向かって猫男が何やら小声で話しかけている。
「もしかして、闇の精霊……?」
アトリが驚いた顔で言うと、店員がうなずいてこっちを向いた。
「察しがいいな。闇の精霊自体、凄く珍しくて高価なんだけど、扱える人はそうそういないみたいですぐ返品されちゃうんだ」
「そ、それってどういうこと?」
「一度気を許すと主に忠実な子なんだけど……それまでが大変なんだよ。で、誰もそれができずに手放してるってわけ」
興味深いな。どんな子なんだろう……。
「コーゾー様。闇の精霊って、捕まえるのが凄く難しいんですよ。売られてるのを見るのは私も初めてです」
「へえ……」
「……シャイル、そういうわけだから。また帰ってきたら、今度こそ野に放つからな」
「わかってるわよ、もうっ……」
ケージから聞こえてきたのは、不機嫌そうな女の子の声。苦笑を浮かべる猫男に手招きされて、アトリと一緒にそっと覗いてみると、ベッドの上に挑発的な表情で座る妖精がいた。
「おお……」
「わあ……」
片目と尖った耳の根元を隠した灰色のショートヘアや、局部だけ布で隠したセクシーな衣装が、子供っぽい容姿になんとか歯止めをかけている、そんな印象を持った。これが闇の妖精か。思ったより可愛いじゃないか……。
「シャイル、あなたを買いに来ました。よろしくお願いします」
「……ふんっ」
「……むうっ」
プイッと妖精に顔を背けられて、アトリがむっとしてる。まずはこっちが先制パンチを食らった形か……。
「よろしく、シャイル。俺たち、あんたを買いに来たんだ。俺はコーゾー、んでこの子はアトリだ」
「……あっそ。バイバイ」
「……」
あっさりKOされてしまった……。
「……むうぅ……返品されるのもわかりますね」
アトリが頬を膨らませてる。でもこのシャイルという子、なんか無理してるっぽいんだよな。
「シャイル、今度は買われない作戦か?」
猫男もさすがに呆れた様子だ。案外、シャイルはこの店を気に入ってるのかもな……。
「お前をいつまでも養ってるとこっちが損なんだから、野に放すぞ」
「か、買うなら買ってもいいけど、あたちは絶対懐かないから……」
脅しに折れた格好だが、一筋縄じゃいかないタイプだな、こりゃ……。
「コーゾー様、止めましょうか……」
「いや、気に入った。買う」
「「「ええ?」」」
シャイルが猫男やアトリと一緒に驚いてる。攻められっぱなしは性に合わないんだ。それに、気に入ったというのも嘘じゃない。簡単にはいかないってのが闇の精霊っぽくていいじゃないか。
「いくらだ?」
「特別に50グラードにしとくよ」
「ふんっ。あたちのプライドはそんなに安くないんだからっ……」
さて、どうなることやら……。
「――まいどありー! シャイル、もう帰ってくるなよー!」
笑顔の猫男に見送られて俺たちは出発した。訳アリ商品ということで特別に50グラードで購入する際、《束縛の刻印》という呪術(レベル1)が封じられたハンコを足に施された。これには上下があり、上は主用、下はペットや奴隷用で、1レベルでもお互いに十メートル以上離れることができなくなるという。
つまり、妖精の主が猫男から俺に変わった形だ。主が妖精から十メートル以上離れても対象が強制的に引っ張られるために歩けるが、妖精は主が動かない限り、十メートル以上離れることができなくなるらしい。
「……シャイル、今日から俺が君の主だ」
「……」
肝心の本人の姿はなかったが、どこにいるかは知っていた。俺の足元の影だ。驚くべきことに、そこから鋭い目だけを覗かせていた。影の中に住めるという事実に衝撃を覚えると同時に、姿すら見せない時点でこっちに懐く気がまったくないというのがよくわかる。
「シャイル……折角買ってもらったんですから、コーゾー様に姿くらいは見せるべきでしょ?」
「……」
アトリの苦言に対し、言葉すら発さない。実に頑なだが、それでこそ闇の精霊だ。さらに気に入った……。