第八六回 嘘
「シャイル、本当にこっちの方角は大丈夫か?」
俺たちはゲフェルから西側――地図に記された目印の方向――に馬車で進み始めたわけだが、どうしても心配になる。何か胸騒ぎがするんだ……。
「シャイル?」
なかなか足元の影から出てこない。よっぽどヒカリが怖かったんだろうか……。お、やっと出てきた。頭だけだが……。
「……う、うん、マスター。あの子の提案だから心配したけど、むしろ吉って出てる……」
「そうか……」
「よかったですね、コーゾー様……」
「よかったっすね、兄貴」
「ああ……」
どうやら杞憂だったようだ。辞書に夢中のターニャや、彼女に独り言のように話しかけるラズエルはともかく、若干不安そうにしていたアトリとソースケも一安心の様子。タダで飯が食えるならありがたく受け取っておこう。これからのためにもパワーをうんとつけないとな。
「やっぱりご馳走なのだ! こんこん!」
「はしたないですわ。ご馳走は優雅に待つものですのよ……。オーッホッホッホ!」
ヤファとリーゼの浮かれた様子に笑い声が上がる。シャイルだけずっと影に隠れてて元気がないのが気になるが、どうしたんだろう。ちょっと話しかけてみるか。
「シャイル、ゲフェルのほうに行ってたらどうなってたんだ?」
「……あ、うんっ。ゲフェルの方角、凶って出てる……」
「……そうなんだな。じゃあ悪いことが起きる可能性を回避できたってわけか」
「うんっ」
いつもの笑顔だ。どうやら俺が気にしすぎたみたいだな。
俺も空腹でかなり疲れてるせいか疑心暗鬼になってるのかもしれない。仮にセリアたちがゲフェルにいて、もし奇襲でも食らうことがあれば、自分一人は守ることができても仲間に関してはわからないし、回避できたのは大きい。
「――アトリ、何か変わった様子はあるか?」
「……いえ、今のところ何もないです」
「そうか……」
念には念を押すということでアトリが《マインドウォーク》を使ってくれてるが、今のところ異変はないようだ。それにしても、この辺は道が荒れている上に周囲に何もない。
普通に考えたら、実際に誰か住んでいるところがあるのか疑わしい状況だが、地図に載っている大岩らしきものは、地平線を区切るかのように前方で存在感を放っている。その後ろこそ、地図の目標地点を指していた。まさか、岩の裏に洞窟への入り口でもあるんだろうか?
徐々に大岩が近付いてきている。ゲフェルを発って三十分ほどで到着するというヒカリの言葉も合っているように思う。
「……」
って、あれ? いつの間にか馬車が進まなくなってる。どうしたんだろう……。
「御者さん? 一体どうしたんですか?」
「……それが、馬がこれ以上進みたがらんのです。ハイヤッ!」
アトリの発言後、御者がいくら鞭を打っても馬は進もうとしない。どういうことだ? 昔から、動物は人間以上に異常な気配を察知する力があると聞いたことがあるが……まさかな。
「――止まれ、お前たち……」
「……」
腹の底から響いてくるような低い声が聞こえてきて、それに引っ張られるかのように俺は外を見ていた。
ちょうど大岩を背にする形で馬車の前に立っているのは、神官服を着た神父らしき短髪の男だった。
「……あ。あ……」
俺は間違ってほしいと思って何度も男の姿を確認したが、そこにいるのは紛れもなく魔女だった……。
「……ごめんなちゃい」
シャイルの震えた声が聞こえてくる。
「……シャイル、嘘をついてたのか……」
「……だって、だって……あの子と離れたくて……それに、ゲフェルの方向も本当に凶だったから……」
「……」
なるほど。どちらの方角も凶だったか。それでどっちがいいかとなって、ヒカリから離れたこっちを選んだってわけか。いやでも、それなら別の方向でもいいだろうと。
「……まさか、ご馳走に釣られたのか?」
「……ごめんなちゃい……」
「……」
仕方ない……。悪いのはヒカリだからな。あいつはここに魔女が住んでるのを知ってて、強力なライバルを減らすためにわざと行かせたんだ。
とはいえ、簡単にやられるつもりはない。
「早く逃げるっすよ兄貴!」
「……いや、ソースケ、魔女相手なら逃げても無駄だ」
「け、けど……!」
「俺に任せてくれ」
「……う、うっす……」
ソースケは納得いかない様子だったが、なんとか引き下がってくれた。
「……はい。コーゾー様を信じてます……」
アトリは俺とずっと一緒にいただけあって、よくわかってるな。
「コーゾーさん、がんばです!」
「我々はここで応援している、コーゾーどの……」
「ああ、ありがとう、ターニャ、ラズエル……」
「がんばってくださいまし、ご主人様。シャイルはわたくしたちが責任をもってお仕置きしますわ」
「お仕置きなのだー」
「……ぐすっ……」
「……リーゼ、ヤファ、ほどほどにな」
「「はーい」」
……さて、行くか。馬車から下りて魔女と対峙する。
「……お、来たか。尻尾を巻いて逃げるかと思っていたが……」
「……逃げたところで無駄だろう」
「無駄? んー、私は平和主義でね。この辺をうろつかないなら襲うつもりはなかった。たとえ大嫌いな人間だろうと……」
「俺たちはヒカリって子に、ここに行けば手厚く歓迎してくるって聞いてきたんだ」
「……なんと……」
魔女の男は呆然とした顔をしたかと思うと、盛大に笑い始めた。
「……そんなにおかしかったか?」
「……ククッ……お前たちは一杯食わされたんだよ。この大岩周辺に魔女がよく出るのは、ゲフェルに古くから住む者の間では有名な話でな。その証拠に、もう既にお前たちをここに連れてきた者はいないぞ」
「え……」
振り返ると御者はいなくなっていた。なるほど、ヒカリに金でも握らされていたか……。おそらく、ゲフェルに古くから住む者に召喚されて、近くに住む魔女のことも聞いていたんだろうな。危険だから迂闊に近寄るな的な意味で……。
「……折角だ。そのヒカリとやらの言葉通り、手厚く歓迎してやってもいいぞ」
「……見逃してくれるってことか?」
「まさか……。闘争によって、この私を楽しませてくれたら歓迎してやるという意味だ。もしがっかりするような雑魚なら、ここでお前たちを皆殺しにしてやる」
魔女の男は、本当に明るい調子で言った。




