第二五回 恐れるもの
言葉はときに人の心を動かし、深い憎悪の渦中であっても状況を大きく好転させることができるという。なら、それに賭けるしかない。俺は自分のことを棚にあげて誰かに口やかましく注意できるほど立派な人間ではない。それでも、だからこそ共有、共感できる負い目や痛みがあるはずなんだ……。
「……魔女よ、確かに俺は勇者だ。でも、一度失格の烙印を押されている」
「……それで? 可哀想な身分だから助けてほしいって? ふふ……」
「……」
些細なことに気を奪われてはいけない。目先のことに惑わされるな。誠心誠意、自分の気持ちを正直に伝えることしか、今の俺にできることはない……。
「助けてほしい? 違う。失格の烙印を押された俺でも、大した力がなくても……みんな信じてついてきてくれている。だからこんなところで死ぬわけにはいかない。どうか、わかってほしい……」
「……あなた、さぞかし立派なこと言ってるみたいだけど、それって結局見逃してほしいってことよね? そんな戯言で私の心が動くなんてありえると思うの? 人間ならともかく、私は長命な魔女なんだけどね……」
「……」
魔女の口調がどことなく変わったように感じた。普段と変わらず抑揚はないが、幾分早口で捲し立てるようなものだった。これは紛れもなく怒りや焦燥感から来るものだ。
眩暈がするほどの暑さ、重圧に意識が飛びそうになるが、ここは我慢だ。少しでも言葉を間違えば殺されるだろうが、打開できる糸口はもうここしか愚鈍な俺には見当たらない……。
「君が勇者を嫌う理由はわからない。でも、それは勇者というだけで人を判断しているということだ。かつて人間が魔女に対して、怪しいというだけで迫害した愚かな行為と同じようなものじゃないのか……」
「……随分とわかったような口を利くのね。それは人間と魔女が同等だという前提が必要でしょ。なのに、魔女の私に人間がお説教? せめて苦しまずに一瞬で殺してあげようかと思ったけど、気が変わったわ。うんと苦しめてから殺してやる……」
「……」
魔女はもう俺を殺す気でいるようだ。でも失敗じゃない。元々ゴミのように殺す気でいた魔女を怒らせることができた。感情を引き出せたということだ。
「……魔女よ、俺を苦しめる前に頼みがある」
「死ぬのがわかってるのに頼み……?」
「その苦しみに俺が一切悲鳴をあげなかったから、どうか殺さないでほしい……」
「……そんなに死ぬのが嫌なの? あなたそれでも勇者?」
「……ああ、嫌さ。死ぬのは嫌だし怖い……。でも、俺がもっと怖いのは、みんなの期待に応えられないまま死ぬことなんだ……」
「それなら私も一緒にお願いします」
「アトリ……」
「あたちも!」
「わたくしも!」
「あたいも!」
「……シャイル、リーゼ、ヤファ……」
「……はあ。もういいわ。私の負けよ……」
「……」
魔女が降参宣言だと。助かった……のか……?
「これで殺したんじゃ私、魔女じゃなくてただの魔物みたいじゃない。少しでも嘘っぽいことを言ったら殺してやろうと思ったけど。……慕われてるのね、勇者さん」
「……俺、勇者ちゃんから勇者さんに昇格したんだな……」
「私を怒らせた勇気に免じて、ね。私はもうちょっと洞窟を歩くわ。調合用の薬草をいっぱい集めないといけないから……。じゃーねっ」
魔女はウィンクして俺たちの前から去っていった。その間、自分の体はまるで凍り付いたかのように動かなかった。あれだけ威勢よく魔女と会話してたが、俺なんてこんなもんだ。体は正直だな……。
「……怖かった。怖かったです……」
「……アトリ?」
火に照らされたアトリの頬はびしょぬれの状態だった。
「コーゾー様やシャイルやリーゼやヤファが私を置いていなくなるんじゃないかって……」
「……ごめんな。もう二度と、こんな辛い思いはさせないから……」
涙が出そうになったが堪えた。元はと言えば、俺が洞窟に行こうなんていう無謀な賭けに出たのが悪いんだしな。だからこそなんとかしてやろうという思いも強くなったが、その結果みんなをこれ以上ないほど危険な目に遭わせてしまった……。
「私のほうこそ、何もできなくてごめんなさい。私、こんなにも無力でいいんでしょうか。ただ無事を祈るしかできないなんて……」
「アトリ……頼むから自分を責めないでくれ。君がいたから、俺はここまで来られたんだ……」
「コーゾー様……」
俺とアトリはしばらく身を寄せ合っていた。痛みを共有するように。魔女の残り香のためか、今のところ周囲に魔物の姿がないのが唯一の救いだった。
「「「じー……」」」
「あ……」
「もー……」
気が付くと、シャイルたちがニヤニヤしながら俺たちを見上げていた。
「行こうか」
「ですね」
アトリと顔を見合わせて苦笑する。シャイルたちはあれだけ魔女に怯えてたのに、もう元に戻ってるなんて思わなかった。みんな体力面だけじゃなくて精神面もタフなんだな。この三人のうち、一人でも欠けてたらここまで来られなかったはずだ。そう思えるほど、今回の件で最早なくてはならない存在だと認識させられた……。




