第二十回 俄雨
北の城門を出ると、目の前には傾斜の豊かな草原が広がっていた。
右側の先には、特に高く盛り上がって崖のようになってるものが幾つもあるのがわかる。ここからしばらく右側に歩けば川があり、その付近の崖下にフェノウスの洞窟があるという。
アトリの話では、遥か昔人間を食い荒らしていた巨人族の最後の生き残りがその洞窟で暮らしていて、それを討伐した騎士団団長の名前がフェノウスであることからそう名付けられたとか。
まだ商都リンデンネルクが小さな村だった頃の話で、巨人との激しい戦いにおいて騎士団の拠点となったことから徐々に発展していったそうだ。かつて町中には英雄フェノウスの石像もあったというが、何者かに破壊されてしまったらしい。
「お……」
茂みの中で何か動いていると思ったら、十メートルほど先に巨大な青いミミズが見えた。結構でかいな……。全長は大体二メートルくらいだろうか。
「あたち……こわーい」
シャイルが俺の首の後ろに隠れる。こそばゆい。
「わたくしだって怖いですわっ。あぁん、ご主人様ぁ……」
「あたいも怖いのだぁー」
リーゼとヤファも俺の背後に隠れた。とはいえ、ミミズは頭を上げてきょろきょろしてるが襲ってくる気配もないし、動きもゆっくりだしみんなも本当はあまり怖くなさそうだ……。
「コーゾー様、あれはブルーワームという魔物です」
アトリがショートソードを片手で構えて、俺を庇うように立つ。
「強いのか?」
「さほどではないですが、近くに仲間が多い場合、攻撃したときに群れをなして襲ってくるので厄介です。あと、詠唱反応もしてきます」
「詠唱反応?」
「近くで魔法を使おうとすると反応して襲ってくるんです」
「なるほど……」
「あれは水属性なので風属性の魔法が有効です。お試しになられますか?」
「でもレベル1じゃな……」
「大丈夫です。私がお守りします」
「……んー、じゃあやってみようか」
「はい!」
これも訓練の一環だろうと、俺は水晶の杖から風魔法が出るように念じた。若干遅れて緑色の弱い風がぶわっと巻き起こり、足元の草原が波立つのがわかる。
「……なっ……」
これに対して、ミミズ――ブルーワーム――は驚くほど敏感に反応してきて、一直線に俺に向かってきた。さっきまでの緩慢な動きが嘘であるかのように猛然と。
「《スラッシュクイッケン》!」
俺の前にアトリが立つのがわかったときには、細切れのブルーワームが足元に転がっていた。
「……な、なんだ今の。見えなかった……」
「騎士の《剣術》の一つです。たった五秒間ですが、その間素早さが五倍増しになります」
「……五倍もか。なるほど。だから見えなかったのか……」
恐るべし《剣術》。これをもってしても、アトリいわく初心者の魔術師にすら負ける可能性があるという事実にも戦慄を覚える。
「うぐっ!?」
背後からワームが迫っている気配がしたときには、もう俺の背中に強い衝撃が走っていた。
俺はアトリたちが小さく見えるくらい遠くに弾き飛ばされていた。高さにしても、このまま落下すれば無事じゃ済まないと思えるほどだ……。
「コーゾー様ああぁぁ!」
アトリの悲鳴のような声が遥か遠くに聞こえる。
「――ぐはっ!」
地面に投げ出された瞬間、意識が遠のくのがわかった……。
「――……様……!」
「……」
「……コーゾー様……!」
「……う……?」
徐々に意識がはっきりしてくるとともに、視界もクリアになってきた。今にも泣き出しそうなアトリ、シャイル、リーゼ、ヤファの顔、それに青い空……。俺、生きていたのか……。
「……こ、コーゾー様……よかった……」
「……マスター、あたち心配したよ……」
「……ご主人様、どうなることかと思いましたわ……」
「コーゾー、あたい嬉しいのだ……ひっく……」
「……」
こんなに心配してくれて悪いと思うほど、俺はほとんど痛みもなかった。
「……私が油断していたのが悪いんです。まさか茂みに隠れているワームがいたなんて……」
「アトリ……俺はなんともなかったんだから気にしないでくれ」
「いえ、下手をすれば大怪我をさせるところでした。もっと気をつけるべきだったんです。私はコーゾー様に救われました……」
「俺に救われた……?」
「はい。コーゾー様は宙に舞った際に風魔法を使い、さらに落下まで持続していたんです。そのおかげでダメージが軽減されたのだと思います」
「……」
まったく覚えてないが……俺、無意識のうちに結構器用なことやってたんだな……。
「……あの」
「ん?」
「私を思いっ切り殴ってください」
「……え……」
何を言い出すんだアトリは……。
「このままでは示しがつきません。自分が許せないんです。お願いします……」
「よし、わかった。お仕置きしてやるから、目を瞑って歯を食い縛りなさい」
「……はい」
俺はアトリの頬を思いっ切り張った。
「……コーゾー様?」
驚いた顔で目を開けるアトリ。覚悟していたのに思ったほどじゃなかったからだろう。
「……弱く感じるかもしれないけど、これが俺の思いっ切りなんだ。もう君は自分が気付いてないだけで充分傷ついてる。だから自分を許してやってほしい。さ、行こうか」
「……は、はい……」
アトリが俺の後ろで、声を押し殺すようにして泣いてるのがわかった。とうとう俄雨が降り出してきちゃったな……。




