第十二回 別離
菓子屋『シュガー・レイン』の店内はL字の構造で、奥と右側に一つずつ客用のテーブルがあり、右上にカウンターという形になっていた。若干狭いものの余計なものがなく、レトロな空気漂う喫茶店といった様相だった。
昼間なのに客がいないのは、今日は定休日だからとのこと。いつもは行列ができるくらい人気の店らしい。
「――さあ、できたよ。たんとお食べ」
俺たちは奥のテーブルに座り、焼き立てのクッキーをいただくことになった。皿に山盛りになっていて、もう漂ってくる匂いだけで美味しいとわかる。
「いただきますっ……。美味しい!」
「最高っ!」
アトリとシャイルが夢中で頬張ってる。どれどれ……。
「……う、美味っ……」
なんとも香ばしくて味わい深い。このほどよい歯応えも癖になりそうだ。人気の店っていうのがよくわかる。
「わたくしの店ですもの。当然ですわっ……」
満足そうに紅茶を啜るリーゼ。
「何よあんた、なんにもしてないくせに、偉そうに……」
シャイルが突っ込んで笑い声が上がる。
「クッキーはおばあ様しか作れない絶品ですけれど、わたくしも料理の腕には自信がありますのよ。ホホホッ……」
「ふーん。いただきっ」
「……あ、それわたくしのクッキーですのよ! 返して!」
「やーだよー!」
「返しなさい!」
シャイルとリーゼの追いかけっこが始まってしまった。なんかこの二人、一見仲が悪そうで意外と気が合いそうだ。
「あらまあ、楽しそうだねえ」
おばあさんが二人の取っ組み合いを見て微笑んでいる。やっぱりそう見えるよな……。
「まさか、こんなところに魔人形がいるなんて思いませんでした」
アトリの発言でおばあさんがうなずく。
「だろうね。うちも、預かるまではただの人形だって思ってたんだよ。喋り出したときは本当に驚いたもんさ……」
「一体どんな人がこんな貴重なものを?」
俺の質問に対して、おばあさんは少し間を空けてから深い溜息をついた。
「それがさ、顔も知らない男が急にやってきて……そうそう、あの日も今日みたいな定休日だったよ。それで、何度もドアを叩いてきて、この子をよろしくお願いしますって、そう言ったきり、戻ってこなくてねえ……」
「なるほど……」
気が付くと、シャイルとリーゼも席に戻っていて神妙な顔で俺たちの会話を聞いていた。
「あれから十年くらい経つかねえ、この子はいつも奥から窓の外を眺めるだけなんだけど、今日は珍しく外にいたんだよ。もしかしたら、あんたたちが来るっていう予感があったのかもね。特に、あんた」
「え、俺?」
「そうともさ。この人形を預けていった男に少し似てる気がするよ。年齢的にも。何より雰囲気がね……」
「あたちのマスターは捨てたりしないもん……」
不安を感じたのか、シャイルが俺の肩に座ってきた。
「何を言うの、不埒な妖精っ。わたくしは捨てられたわけではありません。ご主人様には何か、きっと深い事情があったのです……」
「リーゼはまだあの人が戻ってくるって思ってるのかい?」
「もちろんですわ、おばあ様……」
十年くらいって言ってるからそれだけ待ってるってことか。一途な子だな。それだけ前の主人が良い人だったんだろう……。
「きっと、どうしても戻って来られない事情があるんだろうね」
「私もそう思います。これだけ待ってもそう思えるんですから……」
「ただ、うちはもう戻ってこないって思うよ」
おばあさん、意外と現実的だな。
「……わたくしも、考えたくはないですがその可能性もあると思っています。でも、また会いたいんです……」
「……連絡とか一切ないんですか?」
「なーんにもないよ。向こうに何があったか知らないけどね。この子も、前触れとかなくて突然のことでわけがわからないって言ってたし、真実は闇の中さ」
……何かあったんだろうが、考えてもわかりそうにない話ではある。推測でものを言うならいくらでもできるが……。
「あたちも、あんたの気持ちわかるわよ。同じように捨てられたことあるし……」
「……あなたと一緒にしないでくださらない? あの方は、決してそんな人ではありませんわ。しかもわたくしは珍しい魔人形ですのよ……」
「何よ、気取っちゃって」
「わたくしはいい子にしてましたのよ。あなたみたいなお転婆妖精とは一味違いますわ」
「あたちだってそうだもん。どんなにいい子にしてたって、相手の都合次第じゃ捨てられるのよ。大人になりなさいよねっ」
「……お、お黙りっ」
リーゼが押されてる。シャイルも言うようになったなあ。アトリが隣で口を押さえて笑ってる。
「――アトリ、シャイル、そろそろ行こうか」
大分話し込んでしまった。あんまりお邪魔するのも悪いしな。
「おや、もう行っちゃうのかい?」
「……もう行っちゃいますの?」
リーゼ、横にいるおばあさんの落ち着きぶりとは対照的に、かなり動揺している様子だった。それまで高飛車なお嬢様然としてたのが嘘みたいに。
「ああ。やることもあるしな」
「……そうなのですね」
これから奴隷の店に行く予定もあるんだ。怖いもの見たさかもしれないが、正直どんなものなのか早く見てみたい気持ちがある。
「それじゃ、失礼しますね、おばあさん、それにリーゼ」
「さよならっ。あたちたちはもう行くねっ」
「お元気で」
「あいよ。みんな達者でねえ」
「……」
別れを告げるとき、リーゼはずっとうつむいていた。今にも泣きそうになっているから、それを見せたくないのだろう。おばあさんがそれに気付いたのか、彼女の小さい肩を優しく叩いた。
「……おやまあ、一緒に行きたいなら、行きたいって言えばいいんだよ、リーゼ。この人たちなら、きっと連れて行ってくれるよ」
「ああ、その子がいいって言うなら」
それだけ賑やかになるし、リーゼは料理も得意って言ってたしな。
「アトリもシャイルも、いいよな?」
「はい。妖精に、人形に……なんだか楽しくなりそうですしねっ」
「まあ、特別にあたちたちの仲間に入れてあげてもいいわよっ」
「ほら、みんなこう言ってくれてるよ」
「……わ、わたくしは、ここが気に入っていますの……!」
「……そりゃいいけど、もしうちが死んだら、あんたどうするのさ」
「……そ、それは……」
「もう充分待ったんだよ……。頑張ったんだよリーゼ、だから、そろそろ楽になりな……」
「……おばあ様……」
「行っといで」
「……はい、今まで、本当に……ありがとう、です……」
リーゼの目から涙が零れ落ちたとき、俺の肩に座るシャイルもまた目頭を押さえるのがわかった。




