絶望の海
――――――
アリス▽
――――――
「そんな……」
私は呆然としながら、姿を現した新たなるレイドボス――『プリンセス』を見上げる。
辺りを見れば、皆も突然の新たな乱入者に驚いている。
その巨躯に恐れおののく者もいれば、腰を抜かす者もいた。
プリンセスが登場した時、辺りの空気が一瞬とてつもなく静かなものになった。きっと、他のプレイヤー達も今私達と同じような状況なんだろう。
「こんなの、どうすれば……」
……いや、どうにかなる訳がない。『虹の一端』なんか、そもそも行こうと思ったのが間違いだったんじゃないのか?
私はその場にへたり込む。
ごめん、皆。やっぱり、『虹の一端』に行くことなんて――。
「へこたれるなテメェら!」
その時だ。私達の船を、怒号が襲った。
船上に居た誰もがその声の元が誰なのかを見ようと振り返る。私もその一人だった。
そして、その視線の先に居たのは。
「メルク!?」
誰もが、その言葉を発した。
そこにはこれまでの真面目そうで、大人しいメルクは居ない。ただその代わりに、メルクの本当の姿があった。
「いいか、あたしらの目標は『虹の一端』に向かうこと!そこに新しいレイドボスを倒すっつー目標が増えただけだろうが!」
メルクはこれまで被っていた目深い帽子を打ち捨て、これまでずっと隠されていた目つきの悪い、鋭いツリ目を顕にした。
「特にアリス……皆を連れて行くって決心したなら!絶対に諦めんな!」
私はメルクに襟首を掴まれ、持ち上げられる。
誰もそれを止めようとはしなかった。きっと、メルクの豹変に驚いていたんだろう。
私は少しの笑みをこぼす。
ありがとう……きっとメルクはメルクなりに、私を励まそうとしてくれてくれたんだね。
私の頭が急速に冷え込み、冷静になる。
「――分かった。絶対行こう、虹の一端」
「ああ」
メルクはその言葉で私が正気に戻ったことを確かめたのか、私の襟首を掴むのをやめた。
私はレイドボスが現れたこととは別の理由で呆然としている皆の顔を見回し、叫んだ。
「皆!確かに今は絶望的な状況かもしれないけど……でも、きっと勝機はある!今はできる精一杯のことをしよう!」
その言葉で、「錬金術師の研究日誌」連合の皆も落ち着きを取り戻す。
皆は軽く頷き、それぞれの持ち場へと就いた。
「でも……どうする……?」
私も遠いところへ行ってしまっていた思考を引き戻し、どうしたら現状を打破できるかを必死に考え始める。
少なくとも、皆の士気はメルクのおかげで元に戻ったと考えて良い筈だ。だけど、士気だけじゃどうにもならない問題だってある。
今、私達は三つの脅威に相対している。一つは「セブンクライム」とその連合。とはいえ今は突然の新たなレイドボスに驚いているから、少しの間だけは仕掛けてくることはないだろう。……だけど、さっきセブンクライムの船から小舟が出てきてこっちに向かってくるのが見えた。一体何を仕掛けてくるか分からない、慎重に行かないと。
二つ目はヌシ。その上私達が今一番湖の中心に近いがために特に狙われている。しかも、ヌシはモンスターだ。たとえ新たなレイドボスが現れたとしても驚いて攻撃の手を止めたりはしないだろう。
この厄介な追っ手からどう逃れるか、それが問題だ。
そして、三つ目は今湖の中心に現れたプリンセス。今のところ一番問題なのはこいつだ。そしてその問題はただ一点に尽きる。一体どんな攻撃をしてくるかが全く分からないこと。
少なくとも事前に何かしらの情報さえあればある程度対策はできたかもしれないが、そんな情報なんてどこにもない。あったらアイナさんが何か言ってくるだろうし。
多分、ここに居る誰しもが初見のレイドボスだろう。
それに、虹の一端は多分この湖の底にある。倒す、もしくはせめて行動不能にしないとまともに向かうことすらできない筈だ。
「装飾屋さん!とりあえず攻撃はできる限り避けて!」
「あいよ!」
とりあえず私は船の操縦をしている装飾屋さんにそう頼んだ。
私達が虹の一端に行くためには、なんとかしてあのプリンセスをどうにかしなくちゃいけない。その為にも、どんな攻撃をしてくるかしっかり観察しないと。
「わっ!?」
早速、プリンセスの円盤下部から生えている触手がさっきまで船が居た場所に叩きつけられる。
船が大きく揺れ、その隙を狙ってか狙わないでかヌシがビームを撃ってきた。
「危ないねっ!」
が、装飾屋さんはそれを間一髪で躱す。流石装飾屋さん、頼りになる……!
私もどうやったらプリンセスを倒せるか考えないと……。
「アリスさん!」
そのことを考えようとした時だった。アイナさんが私に声をかけてくる。
「アイナさん?どうしたの?」
「私、一応切り札っぽいのはいくつか持ってきたんスよ。これなんスけど」
そう言って、アイナさんはインベントリから取り出したアイテムを私に見せてきた。それは、特に変哲もない丸い物体だった。私はそれを手に取ってまじまじと見つめる。これは……いや、もしかしてアレか?
「これは……銃弾?」
「そうっス。他にも『グロースシルト』のとかもあるんですけど、これのちょっと特殊なのは――」
そして、私が銃弾のようなアイテムをアイナさんに返そうとした時だった。
「クソッ……誰か、操縦を……!」
不穏な内容の声が聞こえる。振り向けば、そこには操縦桿の近くで倒れこむ装飾屋さんの姿があった。
「大丈夫ですか!?」
私は装飾屋さんに駆け寄る。焦ったような表情で装飾屋さんは言葉を紡いだ。
「やられた……!セブンクライムの奴らが狙撃してきたんだ……もうHPがない、後は頼んだよ……」
「装飾屋さん!」
見れば、装飾屋さんのHPバーがじわりじわりと減っていっているのが見えた。毒か何かの状態異常か……!
私は急いで回復薬を飲ませようと思ったが、そこで私は回復薬の致命的な欠陥に気づく。
回復薬は、まずい。飲んだ時にダメージが入って、それからHPが回復される。つまり今の状態では飲ませたところで、それは装飾屋さんを殺めるだけになる。
「アリスさん!前!前!」
そして、更に悪いことが起こる。アイナさんの言葉で我に返り、前を向くとそこには――円盤上部の砲塔をこちらへ向けて、何かをチャージしているプリンセスの姿があった。
「まずっ……!」
私は慌てて操縦桿を手に取り、回避行動を取る。
その回避行動はギリギリ間に合い、プリンセスの円盤上部の砲塔から発射されたレーザー射撃を避けることができた。
が、それに時間を割かれた結果。
「後は任せたよ……」
装飾屋さんが、斃れた。
だが、どうやらその死を悲しんでいる余裕はない。
私のすぐ後ろで、金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。
私は振り向き、その音の正体を確かめる。嫌な予感がした。そしてどうやらその嫌な予感は当たったようで。
「ロンリ……!」
すぐ後ろで、ロンリとメルクが鍔迫り合いを起こしていた。
見れば、甲板の上に何人かのセブンクライムのメンバーが居る。幸運かどうかは分からないが、本隊であるセブンクライムの船はこちらへ来ていない。
……いや、よく見ればセブンクライムの船がヌシに襲われている。なるほど、ヌシのターゲットが本隊に移ったから少数精鋭で攻めてきたって訳か。
「来てるのはテメェらだけか?」
メルクが相手に対してそう口走る。
ロンリはそれに対し、相手を挑発するように答えた。
「上が私達だけで十分あなた達を倒せる、そう判断したんですよ。実際、あなた達は弱いですからね」
私達の船に上がってきたセブンクライムのメンバーは4人ほど。対するこちらは25人以上居るのに、私達はほぼ互角かそれ以下の戦いをしていた。
流石はトップギルド、って訳か……。
「あたしらを舐めんじゃねぇ」
メルクは相手を睨みつけると、ロンリに対して攻撃を再度始めた。
……だけど。多分、メルクはロンリには勝てないだろう。
なんせ、オグロとメルク、私の知ってる中でも特に武闘派の二人がかりでも倒せなかった相手だ。
ほぼ確実にメルクだけじゃ倒せない。
だけど、アイナさんや他のプレイヤーは他のセブンクライムのメンバーと戦っているから手を貸してもらうことはできない。
それに、私は成り行きで船の操縦を請け負ってしまった。ここから離れることはできないだろう。
……いや、でも。ヌシから放たれる砲弾やプリンセスの攻撃が少し止む時がある。そこの合間を縫えば、もしかしたら。
「ちいっ……!」
「どうしました?」
必死にメルクが攻撃を受けているのが少し見える。対するロンリは余裕そうだ。
そんな時。委員長からダイレクトメッセージが飛んでくる。こんな時に一体何の用なのか、そう思ったけれど。こんな時だからこその内容かもしれない。私は委員長からのダイレクトメッセージを読んだ。
その内容はこうだ。
『アリスへ、ロンリについて幾つか話しておこうと思います。
彼女は多分、“英雄”のギフトを持っています。英雄のギフト、それはとてつもない万能性を秘めた最強のギフト。どんな武器も触った瞬間に名人と同レベルで扱いこなせ、視力も良好。IQも高いとまともに戦っていては太刀打ちができないでしょう。
ですが、その最強にも弱点はあります。
例えば……いくら英雄でも、未来は見えません』
英雄のギフト……?
そういえばイグニスさんがギフトについて何か話していた気がする。あれと同じもの……なんだろうか。
それにしても……未来が見えない?
委員長は何を……いや、そういうことか。
分かった。ロンリの弱点。それはきっと、不意打ちだ。
「メルク!耐えて!」
私はそれだけ叫ぶ。少しの間だけど、レイドボスの攻撃が止む時がある。そしてその時こそが、ロンリに不意打ちができる唯一のチャンスだ。そうすれば、ロンリをどうにか対処することができるかもしれない。
「了解!」
メルクはそれだけ答えて、より防御に重きを置いた姿勢になった。
それを少しだけ確認すると、私は必死にボスの攻撃を(時々受けるが)回避しながらレイドボス達の攻撃が止む時を待つ。
……。
…………。
…………来た!
この時間は少ししかない。たった10秒くらいだけど、それでも隙がある。
私はロンリに気づかれないように振り向き、ロンリに向けてイグニスさんから貰った銃を構えた。
集中しろ、私。
これを外せば、もうチャンスはない。落ち着け、落ち着け……。
その時だ。ロンリの、いやロンリだけじゃない、辺り全ての動きが二重に見えた。
……いや、違う。二重じゃなくて、少しズレている。
そして、私はその景色の意味を何故か瞬時に理解した。
……あぁ、そうか。これは……視界がボケているんじゃない。少し先の未来が見えているんだ。
これなら、ロンリの動きが手に取るように分かる。
そして、どういう訳かロンリとメルクが一瞬硬直する瞬間が見えた。
私はその瞬間を狙い、銃を構える。
――そして、その瞬間が訪れた。
「お前らぁ!落ち着いて指揮班の話を聞け!」
その声は、オグロのものだった。
どうして今オグロの声が聞こえるか、少し不思議だがそんなことはどうだっていい。
そして、昔から薄々思っていたが……オグロの声は、どういう訳か人の心に溶け込み、話に集中させてしまう。
私は慣れていたからなんともなかったが、他のプレイヤーは全て、一瞬オグロの声に耳を傾けていた。
……このチャンスを、逃さない!
私はイグニスさんから貰った銃を撃つ。イグニスさんから受け継いだ弾は3発。1発目はロンリに、2発目と3発目は動きを制限するために左右に。これで弾は全て使ってしまったが、確実に当てることができる筈だ。
銃声でどういう状況か気づいたロンリが慌ててそれに反応しようとする。だがもう遅い。
ロンリが銃弾を受けて、ノックバックした。
「メルク!今!」
「……っ!」
メルクは私の言葉で我に返り、ロンリを攻撃する。
ロンリは防御しようとしたが間に合わず、メルクの攻撃をもろに受けて海へと落ちていった。
……よし!
私はずっと身体に込めていた力を抜く。
それと同時に、二重に見えていた景色が消えていった。一体どうして急に未来が見えるようになったのか、それは分からない。だけど今それを考えている余裕はない。
そして私は救援に赴く必要があるかどうかを調べる為に辺りを見たが、どうやら他に船上へ乗り込んできたセブンクライムのメンバーも無力化してくれたようだ。
よし、これなら……。
「アリス!」
メルクが私の後ろに指をさしながら叫ぶ。メルクはただならぬ形相をしていた。
どういうこと?ロンリは倒した筈。一体何が……。
私が振り向くと……そこには、こちらへチャージの完了した銃口を向けるプリンセスの姿があった。
「まずっ……!」
慌てて私は操縦桿を取ろうとするが、それも一足遅かった。
あえなくレーザーが発射されて、私達の船を……。
「クソッ!またこういう役回りかよ!」
瞬間、船体が大きく揺れた。
船は大きく真横に流され、プリンセスから放たれたレーザーは私達の船ではなく――私達の船にラムアタックを仕掛けてきた船を穿つ。
突然のことに私達は呆然とする。とはいえ、私達を助けてくれたことは確かだ。
でも一体誰が?
……いや、もしかして。さっき聞こえてきた声から判断するに……この船は。
「団長!?何やってんの!?」
「てめぇなんでさっき止まった!動いてりゃ避けることできただろうが!」
予想通り、船の甲板に姿を現したのは海でもしっかり動けるようにフル装備を着込んだ団長だった。
団長は私に怒号を飛ばしてくる。
それにしても、結構耳が痛い言葉を……。団長がこんな正論を吐いてくる時が来るなんて。
「とりあえず助けてくれてありがとう!後それはほんとごめん!」
私はひとまず団長にお礼の言葉を告げた。団長の介入が無かったら確実に私達の船にレーザーが当たってただろうし。
……って、あれ?なんか団長の船……裂けてない?
「団長!なんか船裂けてない!?」
「は?あ、ほんとだな。……ってえぇ!?船の耐久値ゼロになってんじゃねぇか!?」
私がレイドボスの攻撃に備えて船の体勢を整えている間に、団長の船が真っ二つになって海へと沈んでいく。
「アリス!あいつのレーザー、耐久値マックスから一発でここまで持ってくバ火力だ!絶対当たらないようにしろ!」
団長は沈む船にしがみつきながら私にそう叫んだ。
船の耐久値は滅茶苦茶高い。だいたいレイドボスと同じくらいあるって言われてる程だ。だけど、それを一発でゼロに持っていくなんて……。
私の船にそれが当たっていたら。それを想像するだけで身震いする。
「団長ー!そんな、私のせいで……」
「俺のことは気にすんな!どうせこの船は俺しか乗ってねぇし!」
それだけ言って、団長は荒波に飲まれて海の藻屑になった。
団長、ありがとう。団長の活躍は絶対忘れません。
私はそう心に誓い、ようやくまともに取れるようになった舵を取る。
プリンセス(正確にはプリンセスの触手)と私達の船との距離がどんどんと小さくなっていく。そろそろ近づける距離も限界だ。これ以上は触手に絡め取られる。
今のところ、プリンセスを攻略する手がかりは何も無い。
くっ。最悪、プリンセスに妨害されてでも無理矢理虹の一端に向かうべきか……?
……いや、待てよ?
よく考えろ、私。今ある手札で、今をどうにかできる筈だ。
そうだ……ある。ある……!この状況を打破できる、たった一つの方法が――!




