メルク
「う、嘘……」
女不良は私の服の襟首を掴んで顔をぐいと近づけてきた。
この襟首の掴み方……間違いない。メルクだ。
メルクはニヒルな笑みを崩さない。
近づいた顔。だが私がメルクにどう見られているのかは、メルクの目にかかった前髪のせいで分からない。
「…………」
「……」
私達の間には冷え切った空気が流れている。
周りにはメルクの手下達が居るが、その空気に飲まれているのか何も手を出してこない。
「…………」
「…………?」
……おかしい、どうも様子が変だ。
メルクが一向に動かない。
どういうことだろうか。私の出方を待ってるとか?
……仕方ない。ここは動くしかないか。
「メル――」
「アリ――」
……。
同タイミングで私達は言葉を発した。
手下達は緊迫した表情で私とメルクを見ている。
……うん、今の状況分かった。
あれでしょ?メルクが話の切り出し方ミスったってパターンでしょ?
確かに、周りから見れば高度な心理戦の結果相殺し合った感じに見えるかもしれない。
でもこれ普通に気まずくなってるだけじゃない?
メルクの額に若干汗が伝ってるの見えたし。
気を取り直したのか、メルクが私に何やら話しかけてくる。
「――アリス。あたしに付いて来な。話がある」
「あ、はい」
というか今既に十分お話ムードじゃない?
……いや、手下が居るから駄目とかかな。タイマンで話したかったんだろうか。
私の襟首を掴んでいた手は離れる。
ようやく接地できた私は、スタスタと歩くメルクについて行った。
――――
私はメルクに連れられ、湯屋から外に出て人気のない路地にたどり着いた。
予想通り一対一で話がしたかったようだ。辺りにメルクの手下の姿はない。
……というか、ならなんでさっきは囲んできたりしたんだろうか。
逃げられないようにするためとか?……うーん、分からない。
「で、だ。アリス、端的に言って――あたしはお前と仲直りをしたい。いいよな?」
メルクは私ににじり寄ってくる。髪型を不良状態に戻した為にメルクの表情は読み取れるようにはなったが――うわすっごい睨まれてる私。
というか全体的に目つきが悪い。もしかしてNHOで遊んでた時もずっとこうだったのか……。
……っと、メルクの問いに返事しないと。
きっと、メルクには私が絶縁も辞さないほど怒りの炎を燃やしてると思われているんだろうけど――。
「別に私怒ってないよ?というか逆に心配してたくらいだし……」
「えっ?」
メルクの表情が揺らぐ。
私は続けた。
「というかさ。私達、一緒に錬金術を研究してきた仲間でしょ?あれくらいで仲違いする訳ないよ」
「……それ、本気で言ってるのか?」
まだ信じきれていないのか、メルクは私を訝しむ。
私は更に言葉を紡ぐ。
「それに、メルクが現実で因縁のある人って知っても――全く気にしてないし。因縁ももう終わったことだしさ」
「で、でも……あたし、NHOでも現実でも沢山酷いことを……」
「だから。もう気にしてないって言ったでしょ?ほら、一緒に湯屋に戻ろ?」
私はメルクに手を差し出した。
メルクは俯いている。顔はよく見えないが、何か水滴が地面に滴り落ちている気がする。……ま、気がするだけかな。触れないでおこう。
「……サンキュな」
……そういえば、昔、現実でこの人は「対等な友達が居ない」なんてぼやいていた気がする。もしかしたら、その辺も今のことに関係してきてるんだろうか。
まあ、今は全て丸く収まったからそれでいいか。
私とメルクは手を繋いで湯屋まで戻った。
――――
とりあえず先程まで居た湯屋の宴会場まで戻った私に、早速連行された筈の栄水が耳打ちをしてきた。
栄水、戻ってきてたのか。まあこの湯屋でのんびりできるところって言ったらこの辺しかないけど。
「おい、なんで不良のリーダー引き連れてきてんだよ。お前結構長く離席してたよな?そん時何があった?最悪俺がなんとか――」
「あー、大丈夫大丈夫。別に悪い人じゃないから」
「いや悪いだろ!お前不良が悪くないって言えるか普通!?」
声が大きいよ栄水……。
ほら、メルクが何か不安気な顔してるし。
「あ、じゃあ紹介するね。この人メルク。仲良くしてね」
そうそう、私はメルクを栄水と委員長に紹介することにした。
本人からも許可は取ってある。ほら、ゲーム内だけじゃなくて現実でも集まることができるなら色々便利じゃん?
「は……?」
栄水は口を開けてポカンとしている。
数拍の間の後、栄水がアタフタしながら口を開く。
「や、メルク……メルクってお前。メルクってあれだろ?めっちゃ礼儀正しい真面目そうなプレイヤーじゃん。お前そりゃ……こいつ――いやこいつっていうかウチの不良グループを纏め上げてる不良中の不良がさ、メルクって。おかしいだろ」
物凄い長台詞で栄水は反論してくる。
まあ確かにその気持ちは分からんでもない。というか私も最初はそんな気持ちだったし。
「でもメルクだし」
「いやいやいや。悪い冗談はよせって。な?」
「あー、現実逃避したいとこ悪いが。あたし、マジでメルクだぞ?」
「嘘だろおい……」
メルク本人の介入によってか、栄水は現実を認め、顔を覆った。
呆然とした表情で栄水は呟く。
「人は見かけによらないんだな……」
「わかる」
それは間違いない。
……もしかしたら、NHOでの私の知り合いもそんな人ばっかりなのかも?いやないか。流石にメルクみたいな中の人とプレイヤーが違いすぎる人が何人も居てたまるかって話だ。
「……だーれだっ!」
そして、私達の元へよく見知った人がかなりハイテンションに入ってくる。
そしてその餌食となったのは――メルクだ。
……えっ?
「ちょちょ、何やってんの委員長!?」
「チィ!離せ委員長!」
「え、何ってじゃれ合いですが」
委員長はメルクの目を抑えてきゃっきゃとしている。
……おかしい。委員長にとって、メルクは粛清すべき反乱分子であり――そしてあの事件の加害者でもある。嫌な顔されるのを見越して連れてきたんだけど……どうして委員長はこんなフレンドリーに接することができるの?
「いや待ってよ!委員長この人に酷いことされてなかった?」
「え?普通に仲直りしましたが?」
「はーなーせー!」
うへへへ、と笑って委員長はメルクをいじくりまわしている。
げ、解せぬ……。
「一体いつの間に……」
私が頭を押さえていると、委員長は突然「あ、そうそう」と声を出してメルクの視界を塞いでいた手を離し、そしてそのままメルクの肩を抱いて自分の体にくっつけた。
「私達、実は生き別れの姉妹だったらしいんですよ。それで仲良くなって。――という訳で。私の妹……大切にしてくださいね?」
委員長が軽いノリで告げたのは、とてつもなく衝撃的な事実だった。
……いや。えっ?何、メルクと委員長ってそういう関係だったの?
というか、なのにメルクは委員長刺したの?嘘でしょ?
結局、この場は多分一番戸惑っている栄水の言葉によって締めくくられた。
「もう訳分かんねぇ……」
――――
その翌日。温泉地から帰った私はNHOに早速インし、メルクとアデプトさんのカフェで待ち合わせた。
そして、NHOで久々に会うついでにメルクについて心配していた何人かのメンバーを呼んだ。
「……NHOに復帰しました、メルクです。心配させてしまい、本当にすみませんでした」
メルクがペコリと頭を下げる。
「メルクちゃん……!また会えて嬉しい……久しぶり!」
そんなメルクに、早速錬金術のチュートリアル担当であるシエルが飛びつく。
錬金術師は回復薬を作ることができるようになった影響か、錬金棟に錬金の方法を学びにくるプレイヤーが相当増えているそうだが――チュートリアル業務と錬金棟副部長の業務をほっぽり出しても大丈夫なんだろうか。いや本人はパラケルススちゃんに任せたから大丈夫って言ってたけど。
「何か向こうであったのか?戻ってきてくれたのは嬉しいが……無理はするなよ?」
そう言ったのはイグニスさんだ。
イグニスさんもメルクが来る、と聞いてすぐさま駆けつけてくれた。
どうやらイグニスさんも私と同じくらいメルクが大丈夫か心配していたそうだ。
「うおおお、戻ってきてくれて嬉しいっス!これからも同じ錬金術師として、よろしくお願いするっス!」
アイナさんがメルクとぶんぶん握手をする。
メルクもアイナさんも笑みを浮かべていた。会えて嬉しいんだろう。
それにしても。うーん、確かに似てると言えば委員長とメルクって似てるな……。
目深に被った魔法帽と長い前髪のせいで分からなかったけど、しっかり顔を見れば似通った部分をいくつか見つけることができた。
……そうそう。これまでの私とメルクの関係から少しだけ変わったことがある。
『ちょっ……じ、じろじろ見んな。恥ずかしい……』
ダイレクトメッセージがメルクから飛んでくる。
そう。変わったこととは、時折こうしてメルクが私に対して少しだけ素を見せてくれるようになった、ということだ。
ちなみに委員長やオグロもここに呼ぶつもりだったのだが、委員長からは「別に私は行く意味ないですよね」と、オグロからは「ごめんちょっと考える時間が欲しい」との返事を貰った為に呼べなかった。
そして、ギルド「錬金術師の研究日誌」についてはまた後で顔を出すそうだ。
閑話休題。
メルクと皆との再会が一段落したところで、アイナさんとイグニスさんが話を切り出した。
「よし。じゃあ、今度はこっちの話をしたいんスけど……」
「ちょっと内容が内容だが、大丈夫か?」
アイナさんとイグニスさんか……。
一体何の話をされるんだろう。というかよく考えたらこの二人の組み合わせってかなり珍しいよね……。
「『霊園リュミエール』での一連の出来事、あったっスよね?」
「あったね……」
一連の出来事。それは『霊園リュミエール』にてギルド「セブンクライム」に襲われたことだ。その後、私は知り合いに一週間インできなくなる――と告げてログアウトしたのだが。
そういえば、確かイグニスさんやアイナさんはその時「分かったけどちょっと今大変なことになってる」って感じの返事を送ってきてたっけ。
ってことはそれ関連の話……になるんだろう。
「実は私達……あの後、『迷妄機関』にある墓地みたいなところで復活したんスよ」
「しかも年表登録のウィンドウが出てきた。多分、プレイヤーが未到達の――それも、私達でさえ辿り着けていない場所で目覚めたんだ」
「えっ!?」
それは……驚いた。
どういうことだろう。『霊園リュミエール』はそもそもエリア自体が墓地みたいな場所だ。そこで死んだから『迷妄機関』の墓地に移動する、というのはおかしな話だろう。そういうことをするなら霊園リュミエールの別の墓場に移動する、とかそういう設定の方が理にかなっている。
……いや、でも霊園リュミエールが世界の墓場を統括する場所とかで、そこから色んなエリアの墓地に魂を送り出してるとかいう設定ならありえなくはないか?
――駄目だ。考えるにも証拠が足りない。
「霊園リュミエールで死んだ全員が同じ場所で目覚めたっス。そしてここからが問題なんスけど……」
「……」
私は唾を飲む。
一体どんな報告が飛んでくるんだ……。
「……迷妄機関で私達が見たもの。それのおかげで――この世界の秘密、おぼろげながら分かってきた気がするっス」




