闘技大会 その6
「…………」
四日目正午。
私とメルクはお互いに一枚のウィンドウを食い入るように見つめていた。
その一枚のウィンドウとは、累計ランキングの画面。
現在の順位はこうだ。
〈1位:「ライデン商会」・・・26,340,000Pt〉
〈2位:「ゲゼルシャフト」・・・21,000,000Pt〉
〈3位:「錬金術師の研究所」・・・17,340,200Pt〉
〈4位:「アウァリティア」・・・15,230,150Pt〉
〈5位:「惣」・・・9,310,000Pt〉
1~5位までの屋台で、私の屋台以外の屋台は全て私達の回復薬を転売していた輩のギルドだ。
ランキングを荒らした罪で数多のプレイヤーから文句を言われそうで怖いというのもあるが、一番の問題は1位の屋台に結構な差を付けられているという点にある。
正直、売ってそれを転売されて……とされればいくら私達が販売の大元だとしてもこの差を縮め、逆転するのは難しい。
「……どうします?」
「仕方ない。貯蔵してた回復薬をできる限りの高値で売ろう」
こんなこともあろうかと毎日25本づつ貯蔵しておいた隠し回復薬をある程度売ればきっとこの差を巻き返せる筈だ。
ついでにその回復薬の過剰供給によってバブルを弾けさせる。そうすれば私達の1位は不動のものになる筈だ。
「だけど、私は今日の午後から闘技部門の第一試合がある。だから販売はメルクにお願いするね」
「分かりました。任せてください」
「もしかしたら私がメッセージとかを受け取ることができない場所にいるかもしれないから、何かあったらメルクの判断で動いて」
「了解です」
そして私達はモニュメントで《オラトリオ》へ飛び、そこから私とメルクは別れて別々の道を歩む。
……そういえばメルクは闘技部門に出ないのかな。
――――
ゲーム内では夜の11時。私は第一回戦お疲れ様パーティにまだ出席していた。
大体はイグニスさん、とらんぱ七号さん、そして団長の相方さんとの話がかなり続いてしまっていたからなのだが。
「そういえば、アリス。あの回復薬の売り方は少し危険な気もするが――大丈夫か?」
「……やっぱりそう思う?」
そう私に忠告をしたのはイグニスさんだ。
確かに、今回の累計1位を取ろうとするあの売り方は非常に危険なものがある。
一応私達はそれを承知でやってはいるが……。
「……特に、アリスが目指していた錬金術師の地位向上。あれに影響が出るんじゃないか?」
「あぁ、それなら多分大丈夫。今日なんて1個200万で回復薬売ってるし、それだけ高値の回復薬なんて買うのは転売屋くらいしかいないでしょ?バブルが弾けて損するのも転売屋だけ。そこまで問題はない筈だけど」
「いや……その考え方は危険だ、アリス。既に何人かの先の読めないプレイヤーが資産を回復薬に変えていっている。それだけじゃない。回復薬でビジネスを始めようとしているプレイヤーもいる。――確実にバブルが弾けた時の被害は広範囲に渡るはずだ。そしてその時に責任を取らせられるのは誰になる?」
「私達……だよね」
イグニスさんは軽く頷き、「その通りだ」と言って次の言葉を紡いでいく。
……というか、一般の転売関係ない善良なプレイヤーも回復薬のバブルに巻き込まれてるんだ。それは知らなかった。
「この騒動をよく知る幾らかのプレイヤーは転売屋を責めるだろうけど、大多数はアリス達を責めるだろう」
「……だけど、それは回復薬の騒動に安易に乗っかったプレイヤーが悪いんじゃない?」
「その通りだ。確かにバブルが自然に割れた以上は自己責任論を適用できる。だがアリス――“安全装置”を持ってはいないか?」
「安全……装置?」
「ああ。例えば――「回復薬のバブルを任意で割る方法」、とか」
「……!」
イグニスさんの言う通りだ。私達はこの回復薬のバブルを割る方法を既に手にしている。
イグニスさんが言わんとしていることは分かる。
つまり、このバブルが自然に割れる分にはそこまで問題はないが――故意にバブルを割ってしまった場合。それを危惧しているんだ、イグニスさんは。
もし私達が回復薬のバブルを故意に割ってしまったら。
そうなれば、私達はこの騒動の糸を裏でずっと引いていた大悪人であるということを周知させることになる。いや、別に自然に割れてもそう思われると思うが……少なくともそれは故意に割った時と比べれば天と地レベルの差があるだろう。
とはいえ、別にバブルが割れたことで被害が出るのがあまり良くないプレイヤーだけならばそこまで問題にはならないだろう。そして私達はずっとこの騒動で被害を被るのは良くないプレイヤーだけだろうと考えていた。だが、イグニスさんの言っていることが真実なら……もう既に善良なプレイヤーにも被害が出るほどバブルが広まっている。
「……あれ、なんで今更回復薬の奴が来たの?」
「えっ?」
とらんぱ7号さんが突然意味の分からないことを呟く。
どういうことか聞き返すと、とらんぱ七号さんは上へ指を指した。
上……?上って、何もないような――いや、まさか。
「年表の通知画面……!」
年表の通知画面。それは誰かが年表に載った時にその情報が流れてくる場所のことだ。
様々な事柄が並んでいて、見ていて結構面白いのだが……今回に限っては全く面白くない事が年表に登録されていた。
〈アリス・メルクの二人が「HP回復薬を作成」の偉業を達成しました〉
「……アリス。まさかとは思うが、この年表登録が安全装置の――」
「その通りです……!」
夜の11時から朝の5時までは屋台で営業はできなくなる。あの方法でバブルを破壊するにはピッタリのタイミングだ。
私は急いでメルクにダイレクトメッセージを送ろうとする。だが。
〈送信エラー:テキストメッセージを送信不可能なエリアです〉
……!?
まずい、まずいまずい……!
回復薬製造成功を年表に登録すること。それはメルクと私との間で取り決めたプランC――『回復薬製造方法の公表によるバブル破壊』の最初の段階だ。
「ごめん!ちょっとここからは抜ける!」
このお疲れ様パーティは何故かコロシアムの地下で行われている。
……もしかして、ずっとコロシアム中と同じ判定になってたってこと?いや、そんな馬鹿な。
「すみません!通してください!」
私は人混みをかき分けながらなんとか外へ出ようとする。だが、人の壁が厚すぎてどうにも前方へうまく進めない。
時間がない、早く外に出たいのに……!
「道を開けろ!」
その時だった。
唐突にそんな大きな声が聞こえる。私の前方にいたプレイヤー達はその声に驚いて道を開けた。
その声の主はイグニスさんだ。だけど、私の近くにいないのにどうしてこんな大きな声が……。いや、【やまびこ】か。
イグニスさんは“早く出ろ”という意味であろうジェスチャーを私に遠くから送ってくる。
私はお礼の意味も込めて軽く頷き、開けた道を通って外へと走った。
『メルク!メルク!』
私は外へ出てすぐメルクへダイレクトメッセージを飛ばす。
返事はすぐさま返ってくる。
『あ、やっと通じるように……どうしましたアリスさん?』
『プランC、それもう実行しちゃった!?』
『はい。今が絶好のタイミングかと思いましたので』
くっ……間に合わなかった……!
私は震える手で続くダイレクトメッセージを打つ。
『ごめんメルク、ちょっと対策を練ろう』
『分かりました。どこで?』
『屋台……は危険そうだから《アリア》で会おう』
私は《オラトリオ》のモニュメントまで走った。
――――
「メルク……!」
「アリスさん!」
私の姿を視界に収めたメルクは嬉々としながら私の元へ走ってくる。
反対に、私の表情はあまり浮かないものだった。そんな私を心配したのか、メルクが「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。
「……本当にプランC、実行しちゃったの?」
「ええ。在庫を全て売り切って、しかも大きくリードを付けられたので。アリスさんにも相談しようかなとは思いましたが、ダイレクトメッセージが届かず……」
「そ、っか……」
私はがっくりとうなだれる。
今回の始め、メルクに「何かあったらメルクの判断で動いて」と言ってしまったのが失敗だった。
……いや、違う。私だってイグニスさんの助言を聞かなければメルクと同じように考えてプランCを打っただろう。この原因は人にアドバイスを聞かないで二人だけで全てを考えていたことにある。
……だけど。私の心の中でどす黒い気持ちがにじみ出てくる。
メルクを責めたい気持ちだ。私はあまり人から恨まれたくはない。
というか、そもそもこの計画を考えたのはメルクで……いや、それは計画に乗った私が悪いだけ――。
「ごめんメルク。ちょっと一人になりたい」
「……?」
当然この騒動の火消しをしなくてはいけないのだけれど、私はまずこの気持ちに踏ん切りをつけなくてはいけない。多分、このままメルクと話しているとより駄目になっていく。……どこかで落ち合おう、そう言ったのは私だけど。
私はメルクと別れた。
――――
〈1位:「錬金術師の研究日誌」・・・176,340,000Pt〉
〈2位:「ライデン商会」・・・72,450,000Pt〉
〈3位:「ゲゼルシャフト」・・・47,300,800Pt〉
〈4位:「アウァリティア」・・・35,230,150Pt〉
〈5位:「惣」・・・23,235,000Pt〉
――――
「……」
掲示板やSNSは阿鼻叫喚の嵐に包まれている。
これまで一切が謎だった回復薬の作り方が拡散されたのだ。そうなるのは当然だろう。
そして、回復薬の作り方が非常に簡単なものだったこともネットの荒れ具合に拍車をかけた。
なにせ必要なものは回復薬の空き瓶と『塩』、そして製作者のMPだけなのだから。
レシピを公開した直後現れた検証班の検証によって、《錬金術》スキルのスキルレベルを10以上にしていないとMPを注入することはできないということも明らかになった。
これまで上がってきたレベルでこっそりと《錬金術》に振っていたから、私達は回復薬を作ることができたのだろう。
だからといって回復薬作成の敷居が上がった訳では全くない。当然そんな簡単に作ることができる、なんてことが広まったからには回復薬の値段もガクッと下落する。いや、下落なんてものではない。大暴落だ。
すぐさま回復薬の価値はそれまでの値段から比べるとゴミ同然レベルにまで落ちていった。
そして、イグニスさんの危惧していたことが現実となった。
掲示板やSNSに広がる怨嗟の声。中にはきっと善良なプレイヤーもいる筈だ。
勿論騒動はそれだけでは収まらない。
……まあどういうことかというと、掲示板に私とメルク、二人をまとめた個別スレが誕生したのだ。
その個別スレの中身は怖くて私には見ることができない。
きっとメルクもそうだろう。
「…………はぁ」
私は独りでため息を吐く。今、私は今日の昼と同じように《アリア》のどこかの路地にいた。
今回の生産部門の騒動、一体なにが悪かったんだろうか。
ただの一般プレイヤーな私達が累計ランキングで1位を取れる。そのことで浮かれすぎていたのかもしれない。
……。
私は壁を拳で叩く。こういう時に痛覚がないのは良いよね。
――なんて、現実逃避している場合じゃない。
思い出せ私。そもそも、私の行動原理は何だったの?
……そうだ、私は錬金術師という職業の立場を向上させるためにずっと動いてきたんだ。こんな事件を起こして錬金術師の立場が向上するの?なんてこんな単純なことに気が付けなかったんだろう。
……いや、それは私がプランCを実行しなかったからだ。メルクは錬金術師の立場を向上させるというよりも、錬金術の謎を解き明かすことに比重を大きく持っている。
だからメルクが独断で――いや、駄目だ。そんなことを考えちゃいけない。
「はぁ……」
今日何度目かのため息をつく。
私はこの先、どうやってこのゲームを遊んでいったらいいんだろうか……。
――――
メルク▽
――――
「アリスさん……すみません」
私は決してアリスさんには届かない言葉を口にする。
あれから数時間が経った。回復薬の価値は大暴落を起こし、累計ランキングで私達のポイントを越すためにはまた何かを使ってバブルを起こさなければどう考えても不可能な域にまで達した。
あれから数時間。熱に浮かされていた私は冷静になり、自分がしでかしたことの大きさを知った。
ダイレクトメッセージやボイスチャットを使ってアリスさんに謝ることも考えたけれど、あの様子ではどうしようもないほど私に対して怒っている筈。あの時「一人になりたい」って言ったのは――アリスさんの残る優しさがそうさせた。そうに違いない。
本当だったらあの場で私を叱りつけて絶交、なんてことになってもおかしくはなかった。それをされなかっただけ幸運――そう思うべきだろうか。
……まず。まずは私がしたことの責任を取らないと。少なくとも、今回の事件の全ての責任は私が負わないと。それが唯一私にできるアリスさんへの償いだから。
「……でも、どうしたら」
絶望の言葉が私から漏れる。
だからといってこの規模の問題を、私一人でどうにかすることは無理だ。
……いや、こんな時に頼れる人は一人いる。
だけど……その人を頼る、ということはこれまで一生かけて培ってきたプライドを捨てるってことで。
「……」
私は自分の頬を叩く。
プライドが何だ。これは私がしなくてはいけないこと。義務。
それをプライドを理由にして放棄していいことにはならない。
私はフレンドリストからあの名前を探し、そしてボイスチャットの要請をそのプレイヤーに行った。
すぐさまボイスチャット申請が受理される。
『……そろそろ、どちらかからは来る頃合いだと思いましたよ。それで何か用でしょうか、私の最愛の妹――メルク』
その呼び方はやめろと言ったのに、まだするか。
……というかゲーム内ならまだしも、現実でもこうやって呼んでくるのは本当にやめて欲しい……。
『だからその呼び方はやめてください。委員長』




