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暗雲立ちこめる南の海

レーシェルは焦る気持ちを止められないでいた。目的地に近づくにつれ、嫌な気配が予想以上に濃くなっている事がわかって来たからだ。


しかも、その気配は一つではない。いくつかの気配がある一点を取り囲むように存在し、その地区全体を嫌な空気で満たしている。そしてその範囲の中心にあるのが魔鳥ワイカレスの住むアルクース島だ。


いくら近隣では神と呼ばれ崇められる彼の鳥でも、これだけの悪意に対応できるかわからない。いや、平常時ならそれでも何とかできるのかもしれないが、彼の鳥は今、特別な時期に入っている。

そう、彼の鳥は今、子育て中のはずなのだ。


沢山ある気配の主達は、恐らくはその雛鳥を狙って集まって来たものと推察される。雛鳥の情報をどうやって手に入れたのかはわからないが、雛鳥の存在に気づいたからこそ、アルクース島に狙いを定めたという事なのだろう。

ワイカレスの卵を守った経験のあるレーシェルとしては、その卵から孵ったであろう雛鳥たちの無事を心配せずにはいられない…状況なのだが、すぐ隣からは随分とお気楽な声が聞こえてくる。


「レイちゃんったら随分と心配性なのね。もうちょっと落ち着いた方がいいと思うわよ。あまり焦ると、大事な所でやらかしちゃったりするからね」

声の主は随分とくつろいだ様子で物凄い速さで後ろに流れて行く周囲の景色を楽しんでいる。その姿からは緊迫感は全く感じられない。


「どうせこれ以上の速さで行く事なんて無理なんだから、着くまではのんびりしていればいいのよ。ほら、また大きな船が近づいて来るわ。あっという間に追い越しちゃう」

そう言って眼下の風景を覗き込んでいるのは、魔法国家ウルオスの皇女、ヨンフリーだ。レーシェルがこの状況を知るきっかけになったのはこのヨンフリーのおかげでもある為、あまり文句を言う事もできないのだが、かと言ってレーシェルはヨンフリーの様にくつろぐ事などとてもできそうもなかった。


「私の事を心配してくれているのなら、大丈夫です。ヨンフリーさんと会う前までに充分休んでいますから」

「あまりそんな風には見えないんだけどな。でも、まあいいか。その分この子に頑張ってもらえば、私達は何もしなくていいのかも」


ヨンフリーは言いながら、四つん這いの状態でいる自らの手元をぺしぺしと軽く叩いた。

すぐに下から声が返ってくる。

『魔法使いの小娘よ、我を子ども扱いするとはいい度胸だな。お前の方こそ我から見れば赤子も同然、よちよち歩きの乳呑み児がいい所だぞ』


声の主は赤竜、レンドローブだ。

レーシェルとヨンフリーは、今、この赤竜の背中に乗せて貰って飛んでいる。少し身体を起こすと、凄まじい勢いで流れる空気の塊に押され、飛ばされそうになるが、それはそれだけの速度で飛んでいるという事だ。


「あら、子ども扱いをしたつもりはなかったのだけれど、気分を害したのだとしたら謝るわ。でも、それならあなたの事は何と呼べばいいの?」

ヨンフリーには赤竜を恐れる様子は見られない。友人か、せいぜい知人に話す程度の気軽さで普通に話しをしているように見える。


『我が名はレンドローブ、赤竜と呼ぶ者もいる』

「私はご主人様に倣って、レン様と呼ばせてもらっています」

レンドローブと呼ぶのでは火急の場合に時間がかかるという事で、トキトが短く「レン」と呼ぶようになった、という経緯についてもレーシェルは簡単に付け加えた。


ヨンフリーは笑みを浮かべて頷いている。

「そう、ダーリンがそう呼んでいるのなら、私もレン、と呼ばせてもらう事にするわ」


これは、ある意味レーシェルが導いた答えとも言えるものなので、レーシェルにとってはほとんど想定内の答えともいえるものであったのだが、しかし、ヨンフリーの言った言葉の中には、聞き逃す事の出来ない言葉が混じっていた。

レーシェルはその言葉について、なるべく冷静を装って指摘しておく事にした。


「ご主人様はもうヨンフリーさんのダーリンではないはずですが…」

本筋とは違う事はわかっているのだが、言わずにはいられなかったのだ。

対して、ヨンフリーは軽い調子で言い返してくる。


「そんな細かい事、どうでもいいじゃない」

「細かい事ではありません!」


レーシェルは気が付くと強く言い返していた。

レーシェルのその反応に、ヨンフリーは少し驚いたようだった。

ヨンフリーにしては真面目な口調で弁明する。


「ずっとそう呼んでいたから、その方がしっくりくるのよ。他意はないわ」

「本当ですか?」

「ええ、今の所はね」

「それは、どういう…」

ヨンフリーの返事の微妙な言い回しに、レーシェルがその意図を問い直そうとしたちょうどそのタイミングで、ふたりのやり取りなど碌に聞いていなかったらしいレンドローブが、ヨンフリーの先ほどの言葉に対する返事を返してくる。


『そうか。小娘とて主殿の関係者の一人ではある様だし、我はその呼び方にもだいぶ慣れてきたからな、小娘がそう呼びたいのなら呼んでもらって構わない。…それはそうと、もうだいぶ目的地に近づいたと思うのだが、小娘よ、少し様子を見てみてくれまいか』

ヨンフリーは突然の要望に少し困惑した表情で聞き返した。


「様子って、遠見の魔法でって事?」

『そうだ。あの辺りの気配は複雑に重なっているようなのでな、気配の主が何なのか、ここまで近づいてもまだ今いちはっきりしないのだ。もっと近づけば自然とわかってくるのだろうが、折角お前がここにいるのだ。何の気配かあらかじめわかっていれば対応もしやすいだろうし、やってみてはくれまいか』


ヨンフリーは、一瞬手元に視線を落として僅かに間を開けたものの、その後すぐに顔を上げ、了承した。

「わかったわ、竜の頼みじゃ断れないしね。けど、レン、私の事は小娘とかお前とかじゃなくて、名前で呼んで。私の名前はヨンフリー、よろしくね」


ヨンフリーはそう言って最後にちゃっかり自分の主張も付け加えると、レンドローブに返事をする暇を与えずに、早速遠見の魔法を発動させた。

上体を伸ばし、真剣な表情で遠くの様子を窺い始める。


この隙にレーシェルは聞いてみる事にした。

「レン様、ワイカレスの子供達の無事って確認できますか? まさか、もう襲われた後だ、なんていう事はありませんよね」


レーシェルが心配しているのは雛鳥達の事だ。何とかして守りたいと思っている。

『ふむ、親鳥の気配ははっきりわかるのだが、雛鳥の気配はぼんやりとしかわからんな。だが、ぼんやりとでも気配があるという事は、少なくとも死んではいないという事だ。まあ、コルドのヤツが自分の子供がやられるのを黙って見ているはずがないからな。いよいよの危機が迫れば少なくともそれなりの動きはするはずだ。その気配がないという事は、恐らくは雛鳥も無事だという事だろう』


レンドローブがコルドと呼んでいるのは、周囲の島の住民から神と崇められているあのワイカレスの事だ。レーシェルの印象としては、コルドの強さはなかなかのもので、少なくともそう簡単には殺られないだけの実力は持っているものと思われるのだが、それでもレーシェルは心配だった。


「でも、油断はならないのでしょう?」

『ああ、襲って来る奴等の狙いが親鳥の方なら別に心配する事もないのだろうが、狙いが雛鳥だとすれば、雛鳥を守りながら戦わなければならない訳だからな。一時(いっとき)に複数で襲われれば、さすがに護り切れなくなるかもしれん。まあ、相手が何かにもよるのだろうが…』


「間に合うのかな…」

レーシェルははるか前方を窺うようにしながら呟いた。

レンドローブが小さく背中を震わせる。

『ギリギリ、という感じになるかもしれんが、何とか間に合いそうだと思うぞ。あの時、ヨンフリーの話を聞いていなければ、そもそもそんな事には気が付かなかったかもしれないがな』


そう、実はこの事態に気が付いたのは、ヨンフリーからラドオークの南の海で何やら騒動が起こっている、と言う情報を得たからだ。それを聞いたレンドローブがそちらの方角を調べてみると、その辺りに怪しい気配が確認できる。その気配は、少し前までレーシェルがレンドローブとライールと共に追っていた大きな気配には遠く及ばないものの、レンドローブ曰く、それでもかなり大きなモノだという。そしてその方向にはレーシェルがトキトやシオリと共に卵を守ったワイカレスの住む島がある。


レーシェルがすぐに今はもうその卵から孵っているはずの雛鳥たちの事に思い至り、彼等の無事を心配していると、ヨンフリーが「そんなに心配なら行って確かめればいいじゃない」と言った為、その言葉をきっかけに、今こうしてレンドローブと共に南に向かって飛んでいる訳だ。


ちなみに、さすがに皆で寄り道する訳にはいかず、行くのはレンドローブと、レーシェル、それにレーシェルの判断を後押しした責任を感じ、ヨンフリーも一緒に来てくれる事となった為、ライールには単騎、先にトキトの元へと向かって貰っている。本来ならレーシェルもそちらに向かうべき所なのだろうから、トキトには後で謝らなければならない。


と、しばらくじっとただ海を眺めていたヨンフリーが、突然、大きな声を上げた。

「見えたわ。幻術を纏っていたみたいで、それを解くのにちょっと苦労したけど、なんだか首の長い巨大な蛇みたいなものが海の上を滑るように動いているのが見えるわね。あれは…海竜じゃないかしら」


レンドローブが首を真っ直ぐ前に向けたまま応じる。

『なるほど、海竜か。だとすれば、これだけの濃い気配も頷ける。で、他の気配はどうだ、気配は一つだけではないはずだ』

「うーん、幻術はともかく、潜っているヤツがいる可能性もあるから、はっきりとはわからないのだけれど、その辺りにいるのは海竜だけじゃないかしら。海竜の他に、それらしいものの姿なんて見えないもの」


ヨンフリーは依然遠見を続けている。たまに動きを止める事があるのは、それらしいものを見つけたという事なのかもしれない。


『いや、さすがにそれはないだろう。もしそうなら、全体の気配がもっと強い気配になっていなければおかしいはずだからな。我にもわからない位に気配を消す事の出来るヤツが混じっているのなら話は別だが、そんな輩は少なくともこの辺りにはいないはずだぞ』

「そんな事を言われても、本当に海竜だけしか見つからないのよ。大きいヤツと小さいヤツがいるみたいけど…」


その言葉を聞いた途端、レンドローブは小さく頷いた。

『なるほど、そういう事か』


ヨンフリーは、それを聞いてすっと遠見の魔法を解いた。が、特別レンドローブに聞き返すような真似はしていない。やむなくレーシェルが聞いてみる事にする。

「どういう事?」


レンドローブが落ち着いた様子で答えてくれる。

『ワイカレスの雛を狙っているのは、恐らくは海竜の親子だという事だろう。一族で雛を狙っているのかもしれない』


ヨンフリーもそれには同意の様だった。

「小さい海竜の方からはあまり迫力を感じなかったから、大きい海竜(やつ)の子供なのかもね。動きが派手で、荒々しいのが、いかにも若さっていう感じがするものね」


『小さい方の海竜の大きさはどのくらいなのだ?』

「大きなヤツが一匹だけいるんだけど、その半分くらいの大きさじゃないかな。もしかしたらもう少しだけ大きいのも混じっているかもだけど」


『なるほどな。だとすると、島の周りに集まっている小さな海竜はせいぜい三~四匹程度という所ではないのかな。全体の気配から逆算するとそのくらいの数がいい所のはずだ。だが逆に、そのくらいにまで育っているのだとすれば、連携されると少しばかり面倒くさい事になるやもしれん。いくら我とて、複数の相手を同時に追いかける訳にはいかないのでな』


ヨンフリーが意味ありげな笑みを浮かべている。

「でしょう? そんな事だろうと思ったわ。…でも、大丈夫。その為に私がついて来たのだもの」

どうやら自分が役に立つ事をアピールしているらしい。


「私だって、そこそこやれる自信はあります」

レーシェルは思わず声を張ってしまっていた。レーシェルもやれる自信はあったし、なによりヨンフリーには負けたくなかったのだ。


レンドローブが苦笑しているのがわかる。

『ふふふ、そうだったな。だが、大きいのは我が引き受けるにしても、小さいヤツでもお前達には少々荷の重い相手になるかもしれんぞ。特に海に潜られたら結構厄介な事になる。そうなればお前達では追いかける事すらできなくなるだろうし、仮に無理して追いかけたとしても、海の中はヤツのテリトリーだ。不利な戦いになる事は間違いない』


「私は大丈夫。そのくらいの相手なら、私でも充分やれる…はずよ」

ヨンフリーが初めは自信満々に、だが、最後は少し誤魔化す様にして言ってくる。その変化に少し疑問を抱きつつも、レーシェルもヨンフリーに便乗する。

「私だって、できますよ」


実際、レーシェルにもそれなりにやれる自信はあった。ついこの前まで、レーシェルはレンドローブやライールと一緒にではあるものの、もっと強大な敵と渡り合っていたという実績があったからだ。レンドローブの反応から推察すると、今回の相手はその時の相手ほどの強さはなさそうだし、であるならばレーシェルでも充分対応できるという事になる。


『いや、レーシェルがやる時はやる娘である事は我も良く知っている。だが、今回はあの時の様な戦い方はできないぞ。我の背中に乗っているのではあまり意味がないからな。我と別行動を取った場合、お前一人では海の上に出て行く事もままなるまい』

そんな風に言われてしまってはレーシェルとしては返す言葉がない。何も言えないレーシェルを横目に、ヨンフリーが言ってくる。


「私は出来るわよ。レンみたいに早くは飛べないけど、ある程度なら(・・・・・・)空を飛ぶ事も、海に潜る事だってできるもの」

確かにヨンフリーの実力なら、その程度の魔法は容易く使う事が出来るのだろう。ヨンフリー自身、それなりに自信はあるようだ。


『そうか、ならば仮に相手が搖動して来ても、我とコルド、それにヨンフリーで対応すれば三方向には対応できる事になる訳だな。ならば、レーシェルには守るべき若鶏の側にいてもらい、我々の目を掻い潜って近づいて来たヤツに対応する事にすれば、丁度いいのかもしれない』


実際、例え敵が四方から襲って来たとしても、その内の三方向に対応できているのであれば、島に残ったレーシェルにかかる負担はさほど大きくないという計算になる。一番危険な親海竜をレンドローブが確実に抑える事が出来れば、あとの子供はワイカレスの親鳥とヨンフリーで追いかけ、それを潜り抜けて島にたどり着いたヤツだけをレーシェルが陸上で迎え撃つようにすればいい、という訳だ。


レンドローブの見立てによれば、三体を外で迎え撃てば、残りは多くても二体という所のはずなので、仮にその二体が同時に襲って来た場合でも、レーシェルが時間を稼ぐ事に専念すれば、なんとかなりそうな感じがする。そして、レーシェルが時間を稼いでいる間に、レンドローブなりヨンフリーなりコルドなりが戻って来て加勢すればいいのだ。


ヨンフリーもその案に同意の様で頷いている。

「けど、それにはまず、早く目的地に着く事よ。私達が着く前に、彼らが海竜達に襲われたら、親鳥だけでは対応しきれないもの」


『わかっている。だが、たぶん大丈夫だ。海竜達の方も強い気配が近づいてきている事は感じているはずだからな。戸惑ってもいるだろうし、警戒もしているはずだ。そのまま立ち去ってくれれば一番いいのだろうが、奴らは決して賢くはないからな、まあ、その可能性は低いと思っておいた方がいいだろう。だが、逆に、早々に行動を起こす事もあるまい』


「襲うなら、私達が着く前にやった方が上手くいく確率は高いと思うけど?」

『下手に強いと言う自覚があるというのは厄介なものでな、そんな風には考えないのさ。まあ、奴らが愚かだという事もあるけどな。だが、そのおかげで、何とか間に合いそうだ。余裕はそれほどないかもしれないけどな』


眼下にはいつの間にか小さな島が見えている。レーシェルはその島に見覚えがあった。以前来た時に立ち寄ったことのある島、シュララク島だ。シュララク島まで来たという事は、目的の島、アルクース島はもう近い。

だが、そのアルクース島の方角には真っ黒な雲がかかっている。


「レン様、私達の事を気遣っているのなら構いませんので、スピードを上げてください。なんだか嫌な予感がします」

『わかった、少し飛ばすから、しっかり掴まっているのだぞ』


レンドローブは素直にレーシェルの言葉に従うと、一段階スピードを上げた。今までとは違うスピードで、周りの空気が一気に後ろに流れ始める。

レーシェルは、ヨンフリーと共にレンドローブの背中に身を沈め、派手に流れる空気の渦に飛ばされない様しがみついた。その瞳には、中央に大きな山の聳えるアルクース島の姿が次第にはっきり映る様になってきていた。

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