次なる旅の予兆
ウルオス側の森と似たような雨の森の街道を登り始めて三日後の朝、ヨンフリーはようやく雨の森を抜けた。
こちらの街道の宿は普通に営業していた為、この二日間、ヨンフリーはその宿を利用していた。そして、三日目の早朝、まだ周りがうす暗いうちに宿を発ち、朝のうちに森を抜ける事となったのだ。
早朝に発つ事にしたのには深い意味があった訳ではない。ただ単純に、早く出た方がいい様な予感がしただけだ。何故そんな予感がしたのか、ヨンフリー自身、分かっている訳ではなかったのだが、もしかしたら心の奥深くでは、自分で考えている以上に早くトキトに会いたいと思っているのだろうか、等と分析し、しかしその分析に、どこかしっくりしないモノを感じながら、馬を進めていた。
ともあれ、別に早く進み過ぎたからと言って困る事がある訳ではない。敢えて言えばコチにトキトがいなかった場合、コチで暇を持て余す可能性がありそうだが、その時の事はその時に考えればいいだろう。トキトが帰ってきた時用に、ちょっとしたサプライズを考えておくのも面白そうだ。さもなければ、トキトの行先を誰かに聞いて、その後を追いかけてもいい。あの男の事だから、何かしら興味深い旅をしているに違いない。退屈する事はないはずだ。
ヨンフリーがそんな事を考えながら馬を進めていると、キュレ峠は意外に早く近づいてきた。もう前方に峠の姿が見えてきている。
それは少しばかり面白い光景だった。
ちょっと見にはトンネルか、洞窟の様にしか見えないその峠は、天頂部分が道と平行に割れていて、直接日の光が当たる訳ではないものの、間接光が峠の地面を照らすようになっている。峠の両側の山が峠のほぼ真上まで張り出している、という形なので、その山が崩れれば生き埋めになりそうで怖いのだが、この峠が古くからこんな形をしていた事は知っているので、恐らくは、簡単には崩れないような固い岩で出来ているものと思われる。結果、雨が降っても濡れないですむのだろうから、便利そうな峠道だ。
そんな珍しい峠道に気を惹かれ過ぎていた訳ではないのだろうが、ヨンフリーは後ろから急速に近づいてきている影に気が付かないでいた。いや、正確にはその気配は感じていたのだが、この街道に入って以降、すれ違う旅人はもちろんの事、ヨンフリーの事を慌ただしく追い越して行く商人の様な者達にも何度か遭遇していた為、その気配を見過ごしてしまっていたのだ。
追いかけて来ていたのは早馬の飛脚の体をした二人の男だった。それが其々馬を操り、二頭が横に並ぶようにして近づいて来る。しかし、ヨンフリーがその存在を気にかけた時には、その男達の乗る馬は二手に分かれ、ヨンフリーの馬を左右から抜き去ろうとしていた。
その行為に、ヨンフリーはさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。そんな抜き方をする必要は無いからだ。
ヨンフリーは道の真ん中を行っていた訳ではない。反対側から来る人達の為に常に道幅の半分程度は空けてある。つまり、後ろから追い抜いて行こうとする場合でも、わざわざ左右に分かれて抜いていく必要など無いはずなのだ。同じ方向に避けて抜いて行った方がはるかにスムースに抜いていける。実際、ヨンフリーの左側を行く為にはかなり窮屈にならざるを得ない状況だった。にもかかわらずその左側に馬を進める者がいる。
その事に気付いたヨンフリーがそちらの側を振り返ると、瞬間、視界の端にキラリと光る物が認められた。右側の男が振るった長剣の切っ先だ。
逃げようにも左側にも男はいる訳で、普通なら逃げ場がない所なのだが、ヨンフリーは咄嗟に魔法を使って上に飛び、その剣の軌跡から逃れる事に成功した。
目標を失ったその剣は、その勢いを弱める事なく、たった今までヨンフリーが乗っていた場所を素通りし、その勢いのままヨンフリーが乗っていた馬の首をも刎ね飛ばして通り過ぎる。
馬はたとたととそのまま数歩進んだところで、道から外れ、そこでどうと崩れ落ちた。
この馬はヨンフリーにとって、短い間とはいえ、共に旅してきた愛着のある馬だ。久々に怒りが込み上げてくる。
「あんた達、こんな事をしてタダですむとは思っていないわよね」
ふわりと地面に降り立ちながら、ヨンフリーはその男を睨みつけた。ヨンフリーの周りには、怒気を孕んだ重い空気が漂っている。が、男はそれに怯む事無く、口もとには笑みさえ浮かべている。
ヨンフリーは全身に良くない予感が駆け巡るのを感じ取ると、素早く風の魔法を発動し、身体の周りに風の層を作った。多少の攻撃なら弾き飛ばしてしまうであろう空気の流れがヨンフリーの身体をガードする。次の瞬間、ヨンフリーのすぐ後ろで、今まさにヨンフリーの身体を絡め取ろうとしていたであろう、大きな網が、風で巻かれて遥か上空へと舞い上がった。
「なるほど、そういう事ね」
ヨンフリーはその網の先におもりの他に赤い石が付いているのを見て彼等の意図を理解した。あの赤い石は魔法を封じる石だ。つまり、この男達にはヨンフリーの魔法を封じる意図があったという事になる。
とはいえ、実は、あの程度の大きさの石ではヨンフリーの魔法を押さえるには全然足りない。つまり、仮に網で捕らえたとしても、彼等の意図通りにはいかなかったという事になる。だが、そんな事より重要な事は、こんな稚拙な罠を仕掛けてくる相手など、ヨンフリーには一つしか思いつかないという事だ。
「あなた達、あの時の盗賊ね」
「ちっ、しくじりやがって。バカ野郎」
長剣の男が、馬から飛び降り、その勢いのままヨンフリーに向かって切り掛かってくる。
それを見た後ろの男も剣を抜く。この男もいつの間にか馬から降りている。こちらの男の剣は正面の男よりもだいぶ小ぶりの質素な剣だ。
ヨンフリーはそれを敢えて魔法は使わず、ひらりと避けた。
ヨンフリーを始めとしたウルオスの皇族達は、別に剣や体術も使えない訳ではない。それは、その道を究めた者には敵わないのだろうが、ある程度のレベルのものは習得出来ている。そして、この男達のレベルはそれで十分対応できるものだった。
しかし、だからと言ってヨンフリーはこの男達と遊んでやるつもりなど毛頭なかった。魔法を使わなかったのは、ある事を確かめる為だ。
そしてそれはすぐに確認できた。ヨンフリーのすぐ脇を矢が二本通り過ぎて行ったからだ。外れたのは、ヨンフリーのすぐ近くに男達がいた為だろう。彼らに当たらない様加減した為、ヨンフリーにも当てる事が出来なかったのだ。
しかし、矢が当たらなかった事を確認すると、今度は目の前の男達が次々にヨンフリーに斬りかかってきた。
「捕らえるつもりじゃなかったのかしら」
男達の剣を躱しつつ、矢の出どころも探りながら、ヨンフリーは聞いてみた。魔法を封じる網を投じて来たという事は、捕まえる意図があったという事だ。しかし、目の前の男は本気の殺気を放っていて、微妙につじつまが合っていない。
質問を投げかけたとはいえ、ヨンフリーは特別その答えを期待していた訳でもなかったのだが、その言葉に男の一人が反応した。
「へっ、どっちでもいいと言われてるもんでね」
答えたのは長剣を持った男の方だ。相変わらず卑しい笑みを浮かべている。前回の襲撃時には見かけなかった顔だ。
だが、もう一人には見覚えがある。間違いない。あの時にいた若者の一人だ。
その一人に当て身を入れて、男の剣を奪い取る。男は何とか倒れるのを堪え、そしてすぐさま引き下がった。
「あんた達程度では、私を捕まえる事も殺る事も無理だと思うけど」
ヨンフリーはその奪った剣で長剣の男と対峙した。その男と正面から向き合う格好になる。
「どうだかな。俺はあんたみたいな魔法を使えるヤツを知っているが、ソイツの魔法は確かに凄いが、連発する事は出来ねえんだよな。あんたがどれだけすごいのかは知らねえが、さっき、馬から降りる時にも魔法を使ったみたいだし、せいぜい後一回か二回使うのが限界じゃねえのか? …だとすれば、俺達でも何とかできる」
言いながら男が剣を打ち込んでくる。ヨンフリーがそれを剣で受けると、その後は激しい打ち合いになった。
「なるほど、そういう考えなのね。けど、そいつと私が同じとは限らないと思うけど?」
「強がるなって。魔法っていうヤツはそう簡単なものじゃ無いらしいじゃねえか。仮にあんたがアイツよりも魔法が使えたにしても、ここから先は知れている」
「そうかしら?」
「そもそも、うちのリーダーを怒らせたのがあんたの間違いだ。リーダーはしつこいからな、何処までも追いかけて行くぜ。尤も、そのおかげで俺は人が斬れる訳だけどな」
男の顔は狂気に満ちている。だが、ヨンフリーにもまだまだ余裕はあった。
「そのリーダーは何処にいるの?見当たらないようだけど」
「心配するな、あんたに止めを刺す時には現れるだろうぜ。尤も、間違えて殺っちまっても構わないって事だから、もしかしたらその時にはあんたの息は既になくなっているかもしれないけどな」
要するに、リーダーはどこかに隠れていて、最後にだけ姿を現すつもりでいるという事の様だ。もしかしたら先程の遠目から矢を放ってきた何者かが、リーダーだったのかもしれない。自分は常にどこかに隠れていて、危ない場所には出てこない。全くもって気に入らない男だ。
かと思えば、目の前の長剣の男のように自ら好んで戦っている者もいる。この男の剣には迷いがない。この殺気は本物だ。本気でヨンフリーの命を狙っている。
ヨンフリーは男と剣を合わせながら、魔法を使って周囲の様子を探ってみた。ここまで、あまり積極的に攻撃を仕掛けなかったのはその為だ。この近くに隠れているはずの、ここにいる二人以外の潜伏場所を探っていたのだ。
そしてそれは完了した。彼等は皆、上手い事ばらけて隠れているようだ。
ヨンフリーは反撃に移る事にした。選択したのは氷の魔法。目の前の二人以外は遠距離なので、氷の槍を射出させる事にする。
ヨンフリーの身体の周りに、たくさんの氷の槍が浮かび上がる。最初のターゲットは目の前にいる二人だ。
すぐに、右上の氷槍を放つ。槍は狙いたがわず、少し離れた場所にいたヨンフリーの剣の元の持ち主の肩に命中、鈍い音と共に肩の骨を打ち砕いた。
次いで左下の槍を射出。長剣の男の右足を狙って放たれたその氷の槍を、しかし男はギリギリの所で剣で弾いた。
間髪入れずに今度は左上と右下の槍を同時に放つ。男は素早い剣さばきでこの二つも何とか剣に当てた。が、弾く事が出来たのは一本だけで、もう一本は当てるのが精一杯だった。結果、槍は男の意図とは異なる角度に弾かれ、男の胸を直撃する事となった。
男はあっけなくこの槍に胸を貫かれ、事切れた。少々かわいそうな気もするが、この男の狂気は危険なのは間違いないので、同情する必要も無いだろう。
それに、そちらばかりに気を取られている状況でもない。まだ、敵はたくさん残っているのだ。現に二人がやられた事を見て、隠れていた数人が剣を振り上げ飛び出して来ている。だが、その方がヨンフリーにとってはかえって狙いが付けやすい。男達はヨンフリーに一太刀浴びせる事の出来る距離まで近づく事すら出来ぬまま、皆、腕や足を氷の槍で貫かれ、その場に崩れ落ちていった。
次いで、まだ隠れている者達にも氷の槍を浴びせかける。これは、彼等をその場所からあぶり出すためのモノだ。そして、姿を現したところを同様に撃ち抜いて行く。
ヨンフリーを狙った矢の一つ、少し遠くの枝の上にいたその射手を、氷の槍で射落とすと、残る気配はとうとう一つだけとなった。しかし、その気配は大きな岩の後ろに隠れ、なかなか姿を現さない。まず間違いなく、そこに隠れているのがリーダーだ。
これまで、基本的には命までは狙わない様にしてきたヨンフリーだが、リーダーだけは許すつもりがなかった。この様な輩の場合、頭を潰せばその集団は壊滅状態に陥るものだからだ。尤も、それには限らず、自分に対して敵意を顕わにする者には容赦をするつもりはないのだが、そう言う意味では初めの長剣の男を仕留めた事も、必然だったといえるのかもしれない。
それはともかく、ヨンフリーはリーダーの男については許すつもりはなかった。今後の街道の安全の為にも、それは必須だ。そんな男とて、ヨンフリーは一度は見逃してやったのだ。にもかかわらず、再び、しかも稚拙ながらも対策を講じて襲って来たのだから、同情の余地はない。
しかし、その男が隠れていたのは大きな岩と岩の隙間の様な空間だった。それは、少なくとも直進する事しかできない氷の槍では狙う事が出来ない場所でもある。男は、恐らくはヨンフリーの魔法を見て、いち早くその場所へと逃げ込んだのだろう。最後まで後ろに隠れていた事もそうなのだが、自分一人、そんな場所へと逃げ込んでいた事も腹立たしい。
だが、その隙間に氷の槍を当てる為には上から槍を撃つしかない。
ヨンフリーは足下に魔方陣を浮かび上がらせた。空中浮遊の魔方陣だ。少々大きな魔力を使う事になるが、多少の飛行程度なら問題ない。それよりも此処であの男を見逃すわけにはいかない。見逃せば、必ずまた襲って来る。しかもその標的はヨンフリーとは限らない。ヨンフリーにやられた腹いせを、他の旅人に向ける事だって充分考えられる。つまり、今後の事を考えても、この男は排除しておく必要があるという事だ。
ヨンフリーはその男が隠れている街道脇の大きな岩を越える高さにまで高度を上げた。そして、上空から男を見下ろすと、男は目を見開いてヨンフリーを見上げていた。
「ば、化け物か。き、貴様。一体、何者だ」
「化け物とは失礼ね。けどまあ、その化け物の命を狙ったのが、そもそもの間違いだったという訳ね」
「た、助けてくれ」
「残念、私は私の事を襲った男を二度も許すほど優しい女ではないの」
ヨンフリーの本気を知った男が、やけくそで手にしていた弓を構えようとする。恐らく、最初は岩の上からヨンフリーを狙っていたのだろう。それで弓を持っていたのだ。
が、岩の隙間には弓を引くのに十分な空間はない。
弓がつかえてもたもたしている間に、ヨンフリーが容赦なく氷の槍を射出する。大きな岩に挟まれた場所にいた所為で、リーダーの男は逃げる事さえ出来ずに、氷の槍に貫かれ、岩と岩の間に挟まった状態のままあっけなく事切れた。
「ばかな男ね。一回目で引いておけばこんな事にならずに済んだのに」
今回は狙われたのがヨンフリーだったから良かったものの、これが魔法の使えない普通の女性だったなら、その女性はどうなっていたかわからない。そう考えれば、この判断は悪いものではなかったとは思うのだが、たとえ相手が碌な男ではなかったにせよ、後味が悪い事も間違いない。ヨンフリーは空を見上げ、その後味を払拭するべく、何となくそのまま高度を上げて行った。今日はまだこの一連の戦闘以外では魔法を使っていないので、腕輪の花弁はまだ合わせて十二枚残っている。多少無駄遣いをしても問題はないだろう。
峠の上の山を越えるくらいまで高度を上げると、遠くウルオスを囲む山々を望む事が出来るようになった。それはヨンフリーにとって、懐かしい風景でもあった。自分の居るべき場所ではない、と思って出た故国だが、いざ離れてみると、懐かしい。とはいえ、戻る気がある訳でもないのだが…。
と、そのウルオスを囲む山々の北側、ベイオングとの間に広がる森の上空に、ヨンフリーは、赤と藍色、空飛ぶ二つの影を見つけた。それは、ラドオークで見つけた海鳥と比べても明らかに大きさが異なっている。遠見の魔法など使わなくても、その違いは歴然だ。しかもその影は異様な速さで近づいて来ている。このままの角度で近づいて来れば、この峠の上空を通過していきそうな勢いだ。
ヨンフリーは魔力の残量をもう一度確かめた。花弁は一枚減って残りが十一枚になっている。だが、まだまだあのくらいの高さにまで昇っていく位の魔力の余裕は充分にあるといえる。
ヨンフリーは影が峠の上空を通過するタイミングに合わせ、高度を上げる準備に入った。上昇する角度と速度を計算する。
もしかしたら、意外にあっさり旅の目的が達成できるかもしれない。自然、笑顔が込み上げてくる。
二つの影は雲の上を滑る様に近づいて来ている。もう、それが何であるのかもはっきりわかる。見覚えのある二匹の竜だ。
その竜がもうすぐ峠の上空へと差し掛かる。ヨンフリーはその軌道の先に、しっかりと狙いを定めた。
3・2・1
「行っけー」
タイミングを逃さぬよう、今できる精一杯の速度でヨンフリーは上昇を開始した。魔法陣の赤い残像を残しながら、ヨンフリーの身体が真っ直ぐ天に上って行く。その軌跡が竜の軌道と交わる事はどうやら間違いなさそうだった。




