盗賊
夕刻前、ラドオークの街が近づいて来ると、上で見た時よりも明らかに近くから狼煙が上がっているのが見えるようになってきた。幾つもの島を伝って、ようやく情報がこの街まで届いてきたのだろう。ヨンフリー自身はまだ街に入った訳ではないが、街中が慌ただしくなっているのは何となくわかる。ざわざわとした人の動きが感じられる様になって来たのだ。
ヨンフリーが下っている街道の先、城壁の外側にも、慌ただしい動きがみられる様になってきた。城壁の手前には、かなりごちゃごちゃしている建物の密集した場所が見えるのだが、つい先程までは何の動きも無かったその辺りさえ、今はかなりざわついているようだ。
が、更に近づいていくと、少々様子がおかしい事がわかってくる。よく見ると、ざわついていたのは建物の密集した場所ではなく、それよりもう少し手前だった様なのだ。
そしてそこから、十頭ほどの馬が街道をヨンフリーのいる方向、つまりはウルオス方向に向かってかなりのスピードで駆け登って来るのがわかる。しかも、その馬に乗っているのは皆ごつい大男ばかりで、それが全員何やら物騒な得物を手にしている。
ヨンフリーのいる場所から男達のいる場所までは一本道なので、このまま進むと彼等とすれ違う事となる。いや、普通に考えればこの先に目的地があるとは思えないので、彼等の狙いはヨンフリーだという事も充分に考えられる。
ヨンフリーは右手の腕輪に視線を落とした。
この腕輪についている八つの花はヨンフリーの魔力の残量を表している。現在、八つの花の内、赤く色づいているのは二つだけ。その中の一つは八枚の花弁の全てが、もう一つは八枚の花弁の内、三枚の花弁が赤く色づいている。
ヨンフリーの魔力の四分の三はこの腕輪を経由し常にゲランに送られている為、八つの花の内の六つの花が色づく事は基本的にはありえない。なので、残る二つの花の合計十六個の花弁が全て赤く色づいていれば、ヨンフリーは今使える魔力をフルに持っている事になる計算だ。
今は、その内の五枚の花弁から色が消えている。つまり、ヨンフリーに残っている魔力量の目安は、今使う事の出来る魔力の最大量の十六分の十一という事になる。状況から考えて、充分すぎる量の魔力が残っていると判断できる。
ヨンフリーは敢えて今までと変わらない調子で、普通に馬を進ませる事にした。
そのすぐ脇を勢いよく近づいてきた男達の一団が、通り過ぎて行く。ヨンフリーが、一瞬、気の回し過ぎだったかと思いかけたその時、まだ通り過ぎていなかった男達がヨンフリーの行く手を阻むように立ち止まり、やむなくヨンフリーがその場に止まると、既に通り過ぎて行った者達がヨンフリーの退路を塞いだ。
見事なコンビネーションだ。
男達が何やら騒ぎ立てているのが聞こえてくる。
「ほう、ドルズの奴の情報通り、こいつはかなりの上玉だぜ」
「アイツもたまには役に立つんだな」
「バカ野郎、別にアイツの手柄じゃねえだろ。この姉ちゃんがいい女なのはよ」
まあ、見るからに下品な奴らではあるのだが、言っている事も品が悪い。
なるほど、こいつらがセンテが言っていた強盗という訳か。強盗と言っても、この感じだと物取りというよりは人身売買の方に近いのかもしれないな…、等と考えながら、ヨンフリーはそれでも全く怯まなかった。堂々と、見下す様に言い放つ。
「あなた達、私に何か用かしら」
すると、男達は一斉に笑い出した。見かけで判断してはいけないのかもしれないが、概して若くて血気盛んな男達だ。
「用かしら、だとよ」
「これは思わぬ上玉か?」
「ああ、きっといいとこの出のお嬢様だぜ」
何が面白いのかわからないが、やたらと下品な笑い声をあげ、騒ぎ立てている。
そんな騒がしくはやし立てる彼等の一番後ろから、他の者よりも少しだけ年上だと思われる、沢山の宝石で飾られた煌びやかな剣を持った男が姿を現した。
「どけ、お前ら」
男は傲然とヨンフリーの正面にいた男達を除けると、そこで馬を止めた。そして、偉そうにふんぞり返りながら言ってくる。
「女、まずはその馬から降りな」
恐らくこの男がこの一団のリーダーなのだろう。だが、その偉そうな口調はもちろんの事、最後まで一番後ろに控えていて、美味しい所だけ持って行こうとするその根性も気に入らない。
「早くしろ。そして、有り金を全部おれの前に放るんだ。そうすれば、その身はいい所に流してやる。尤も、その前に少し楽しませてもらうがな」
男はヨンフリーが何も言い返さないのを、震え上がっている為だとでも思ったのか、随分と調子づいている。年長者に対する礼儀もなってない。尤も、見かけだけで判断しているとすれば、年下かせいぜい同年代だとしか思っていないのかもしれないが。
「女性に降りろというのなら、まずはそっちが先に馬から降りるべきじゃないのかしら」
なので、ヨンフリーが注意すると、ばかにされたと思ったのか、男は見る見る顔色を変えていった。
「何だと! 貴様、自分がどういう立場にあるのかわからないのか!」
そして、わかりやすい怒声を張り上げた後、腰の剣に手を掛けようとしたようなのだが、その動きはあまりにも遅かった。その前にヨンフリーは右腕を伸ばし、そのまま自分の周囲を一回りさせている。
次の瞬間、ヨンフリーを中心に激しい風が巻き起こった。と同時に、男達は皆それぞれが馬ごと四方に吹き飛んだ。特に正面にいたリーダーの男には最初と最後で二度風が当たっている為と、正面は幾分下っている所為もあって、最も遠くまで飛ばされ、激しい衝撃に耐えきれなかったのだろう、あっけなくその場で気を失っている。しかし、その他の男どもは地に打ち付けられてはいるものの、気を失う所までは至っていない。まあ、だいぶ手加減しているので、当然だ。
そして、まだ体のあちこちを押さえ立ち上がれないでいる男達に、
「あなた達、悪い事は言わないわ。あなた達は若いんだから、こんな事は止めて真面目に働きなさい」
そう軽く忠告してから何事も無かったかのように馬を出した。そして、まだ気を失っているリーダーのすぐ横を悠然と通り抜け、ラドオークの街区の方へと下って行く。
この後、男達がヨンフリーを追いかけて来る事は無く、ヨンフリーは何事もなく城門を通過して、ラドオークの街に入る事となった。
その日は高台の宿に泊まり、翌日、ヨンフリーは早々にラドオークの街を発った。取り敢えず、トキトの国であるコチへと向かう事にしたのだ。トキトがいるかどうかはわからないが、仮にトキトが何処かへ出かけていなかったとしても、弟妹達にトキトの所へ行くと言って出てきた以上、少なくとも一回はコチに寄らなければならない。その為、早めにコチに入ってしまおうと考えた訳だ。
ラドオークの街やこの国にあるという沢山の離島についても興味がない事はなかったのだが、昨日の狼煙を受け、何やら慌ただしい動きのあるこんな時期に動き回っては、良くない事に巻き込まれかねない。海竜だとか、神の島だとか、魔鳥の子だとか、あまり関わりたくない単語が飛び交っているのが耳に入ってくるし、何のためなのか、慌ただしく武器の準備を進めている者も見受けられる。詳しく聞いた訳ではないが、結構血なまぐさい話になる可能性だって有りそうだ。そんな面倒くさい話に巻き込まれたくはない。
という事で、そうならない様、ラドオークではもう少しゆっくりして行くつもりだったのを取りやめにして、真っ直ぐコチに向う事にしたのだ。
ウルオスを出国する前に探ってみた感じでは、コチの辺りにトキトの気配はなかったので、真っ直ぐコチに向かってもトキトは留守の可能性が高いのだが、その場合はしばらく待たせてもらえばいい。実際、会えるのなら、会いたいと思う気持ちもない訳ではないのだ。
あの男はまだまだ成長しそうなので、その成長を見るのも興味深いし、決められた仲だと言ってからかうのも面白い。何だったら本当にそのまま娶ってもらうの有りかもしれない。見かけは少々頼りないが、なにしろ竜を従えている程の男だ。魔力もそれなりの量を持っているし、今となっては意味の無い事なのかもしれないが、先代達の決めた条件もクリア出来ている。彼には取り巻きの女達がいるようなので、彼女達が騒ぎ立てて五月蠅くするかも知れないが、それも含めて退屈しないで済みそうだし、それはそれで構わない。
そんな事を考えながら、ラドオークからキュレ峠を経てユルやコチへと続く街道をゆっくりと登っていくと、ヨンフリーはいつの間にか森との境界線へと差し掛かっていた。
此処から先は、ウルオス側の街道と同様の雨の森に突入する。ヨンフリーは、その前にもう一度ラドオークの街を目の奥に留めておこう思い、その場で街を振り返った。
高台から望むラドオークの街は、ウルオス側の森を出た時と同じ様に綺麗に見える。しかし、その先の海には灰色の雲がかかっていて、昨日は見えた遠くの海は見通せない。これでは狼煙もあまり遠くまでは伝わりそうもないので、昨日晴れていたのはラドオークにとっては幸運だったといえるだろう。そんな事は、まあ、どうでもいい事ではあるのだが…。それよりも、行くと決めたからには、コチまではとっとと行ってしまいたい。
ヨンフリーはもう一度振り返り、これから入る雨の森の中へと視線を向けた。
と、その途中、視界の端に何かが見えたような気がして、そちらの方へと目をやると、すり鉢状の大地に広がる畑と畑のすき間の様な場所から、小さな煙が立ち上っているのが見てとれた。昨日見た狼煙の煙と比べればはるかに小さな煙だが、昨日の狼煙と同様、煙はまっすぐ立ち昇っている。その様子が目に入り、それが無意識に気になってしまったのだろう。
だが、本物の狼煙ならあんなに弱々しい訳がないし、こんな所で狼煙を使う意味が有るとも思えない。恐らくは、風の具合でたき火の煙がたまたまそんな具合に上がってしまった、とでもいう所だろう。
よく見ると、その煙の遥か向こうには昨日通ったウルオスからの街道が微かに見える。こうしてみると、馬で行くには足場が心もとないが、畑の畝を伝って行けば、ラドオークの街を通らずに向こうの街道までショートカットする事も不可能な事ではなさそうだ。まあ、現実的にはそんな所を行っても疲れるだけで、そう早くも着けないだろうから、あまり意味はないのかもしれないが。
そうこうしている間に海の上にあった雲の塊が、風に流されラドオークの街の上へも差し掛かってきた。じきにラドオークの街も見えなくなりそうな勢いだ。こうなるともう景色を見ていても仕方がない。
ヨンフリーは、今度こそそんなラドオークの街に背を向けると、コチに向けて馬を出した。