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出郷

遥か頭上に生い茂る大きな葉を叩くリズミカルな雨音を聞きながら、ヨンフリーはウルオスから続く街道を、ラドオークに向けて馬を走らせていた。


雨はかなり激しく降っているはずなのだが、幾重にも重なる大きな葉が雨粒を防いでくれているおかげで、あまり濡れずに済んでいる。ラドオークまでの道中にこのような場所がある事は、知識としては知っていたが、実際に来てみるとこれがなかなか興味深い。樹上の葉の上に落ちた雨粒は、掌を広げた様な形をした葉によって集められ、U字型の枝の上を滑る様に流れて凹凸のついた幹の表面の溝を伝わり、地表へ、そして土の中へとスムースに流れ込んでいる。これが魔法によるものなどではなく、自然のものだというのだから面白い。初めて見た時は、しばらくの間、この水の流れをじっくり観察してしまったくらいだ。


が、その興味深い現象も、慣れてくると次第に普通の事のように思えてくる。この森の風景は、いくら進んでもほとんど変化が見られない。そんな森の中を、もう二日も走っているのだから、そんな風に思うようになるのも仕方がない事なのかもしれなかった。


ヨンフリーは、魔法国家ウルオスの数少ない皇族の一人だ。通常、ウルオスの皇族は滅多に国外に出る事はない。増してや、一般の旅人と同様、馬を使って国外に出た経験のある者など、少なくとも先日のベイオングの急襲を凌いで生き残った皇族の中には一人もいないし、もしかしたら先代の皇帝を含め、その一つ前の世代の者の中にもいないのかもしれなかった。当然、ヨンフリーにとっても初めての経験という事になる。


「ダーリンも、他のウルオスに来た全ての人達も、この道を通ってウルオスに来たっていう事なのよね」

ヨンフリーは気が付くと、ふと頭に思い浮かんだことを、口に出してしまっていた。

トキトも他のウルオスを訪ねてやって来た沢山の人達も、皆この道を通ってウルオスに来た事は間違いない。ウルオスに通じる()はこれしかないので当然だ。


「結構、面倒くさい場所にあるのよね、ウルオスって。まあ、わざとそう言う場所を選んだのだろうから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど…」

ウルオスの始祖、ウルダンが人との接触が制限できるこの場所を自ら切り拓いて国を作った事は、ヨンフリーも先人達から何度も聞いて知っている。そのおかげで、ウルオスという国は、ついこの間までは、長い間他国からの侵略を受けることなく、建国以来ずっとその場所に存続してきた。だが、そんなウルオスの国も、先のベイオングの侵略で打ち破られ、生き残った皇族は今やたったの四人を残すだけとなってしまっている。


皇族の血統の者達は、皆魔族の血を引いている為、膨大な魔力を持ち、強力な魔法を使える者ばかりだ。もともと寿命も長い上に、生き残った者達は総じて若い事もあり、皇位継承者が四人しか残らなかったからと言って、ウルオスという国が今すぐ滅亡するという事は考えにくくはあるのだが、かなり危うい状態にある事も確かだった。


そんな祖国を託してきた弟妹達の事を思い浮かべ、ヨンフリーは今来た道を振り返った。しかし、そこから見える景色は変わり映えのしない森だけで、祖国ウルオスの面影などもう全く感じられない。前も後ろもほぼ同じ風景は、せいぜい上りか下りかの違いがあるくらいだ。


ヨンフリーは苦笑して頭を振ると、前方へと向き直った。気が付くといつの間にか森はだいぶ暗くなってきている。この森は頭上に葉がたくさん茂っている為、夜は他の森にも増して暗くなるのが早い。もちろん、魔法で道を照らしてやれば、さらに距離を稼ぐ事も出来るのだろうが、ヨンフリーはそんな事をするつもりはなかった。なぜなら、ここ二日間の経験から、馬に任せて一定の速度で走ってさえいれば、日が落ちる少し前に、街道沿いに宿の建物が表れる事がわかっていたからだ。


「そろそろ…、なんじゃないのかな」

今日の夜もその宿に泊まるのが手っ取り早い。泊まると言っても、旅人など碌にいない現状では、この宿もまた営業はしていないのだろうが、軒先くらいは借りられる。軒先では雨露を凌ぐくらいの事しかできないが、それでも森の中で野宿するよりはずっとましだ。ヨンフリーの感覚では、そろそろその次の宿が見えて来てもおかしくない頃合いなのだ。


そして、ヨンフリーのその予想は見事に的中する事となった。その後すぐに、大きな二本の樹に割り込むようにして、宿の案内板を見つけたのだ。これまでと少し違うのは、その宿は街道沿いではなく、脇道を少し入った所にあるらしいという事だった。案内板が出ているので、きっとそういう事なのだろう。

とはいえ、それくらいは大した問題ではない。街道から大きく逸れてしまうのなら考えなければならないのだろうが、少し先に煙が見えているという事は、宿まではそんなに距離が離れていないという事だ。


ん?


煙が上がっているという事は、この宿には誰かいるという事なのか?

ヨンフリーは少し不審に思いつつ、しかし構わずどんどん煙に近づいて行くと、そこにはやはり宿らしき建物が建っていた。これまでの宿よりも少しだけ大きな建物で、煙突からは煙が立ち上っている。この煙が街道から見えたのだ。


更に近づくと、肉を焼く香ばしい匂いがするようになってくる。どうやら建物の中では夕餉の支度をしているらしい。建物自体も昨日までの宿とは違い、窓や扉に板が打ち付けられているような事もない。宿の隣には木々の間を縫うように器用に設けられた畑もある。この宿の周辺からは明らかに人の気配が感じられるという事だ。


ヨンフリーは建物の前まで行った所で馬を降り、近くの木に馬を繋いで、入口に向かって歩き出した。すると、その気配を察したのか、入口の扉が開き、建物の中から一人の壮年の男性が姿を現した。その男がヨンフリーを見るなり言ってくる。


「あー、ウルオスへ行くつもりで来たのなら、止めた方がいいぞ。あの国は今立ち入り禁止だからな。行っても追い返されるだけだ」

「…知っているわ。私はそのウルオスからきたのだから」


男は近づいて来るヨンフリーを見て、少しだけ目を見開いた。

「ほお…、…なら、もしかして、あの国の立ち入り禁止は解けたっていう事か?」


ヨンフリーは、充分男に近づいた所で、立ち止まった。

「いいえ、私は特別よ。我がままを言って特別に出させてもらったの」


しかし、ヨンフリーはその男と目を合わせる事が出来なかった。男の視線は既に、ヨンフリーの大きな胸の上へと移動していたからだ。


しかし、そんな事は普段から身体のラインが露わになる服を身に着ける事の多いヨンフリーにとっては日常茶飯事でもあった。人間の男など、多かれ少なかれ皆そういうものだと認識している。なので、しばらくそのままの状態で男が自ら気が付くのを待っていると、少しして男は急に姿勢をただし、自分の行為を誤魔化すかのように、わざとらしい大きな声を出した。

「そ、そうなのかい。それはちょっと残念だな」

可愛らしい事に、少々言葉が上ずっている。


「残念?」

ヨンフリーが敢えて普通に聞き返すと、男は一つ咳払いをし、それでだいぶ調子が戻って来たのか、今度はきちんと目を合わせて言ってくる。


「そ、そりゃあそうさ。この街道はウルオスにだけ通じているんだ。そのウルオスに出入りする事ができないんじゃあ、この街道を通る人なんざ誰もいなくなる。当然、お客もいなくなるから、うちは商売上がったりだ」

男は両手を広げ、その両手を天に掲げた。行先の無い街道を使う者などいる訳がない、という事なのだろう。


「じゃあ、この宿は今、やっていないっていう事なのかしら?」

「いーや。うちはウルオスが閉鎖されている事を知らずに来たヤツに、無理して行ってもウルオスには入れないという事を教えてやる為に宿を続けているんだ。ここより上の宿の持ち主はは皆、ラドオークに戻っているから、先に行っても泊まる所はないからな。実際、結構いるんだぜ、そういう奴も。あんたの場合は事情がちょっと違うみたいだけど、当然、泊まってもらって構わない。上から来たって言うのなら、ここまで来る間には、特に夜は苦労したのだろうし、今、部屋は十分空いているから、ゆっくりすれば疲れも取れると思うぜ。とりあえずまあ、まずは中に入りな」


男はそう言うと、ヨンフリーの事を案内する訳でもなく、一人勝手に建物の中へと入っていってしまった。ついて来いという事なのだろう。少々自分勝手な様だが、男に悪意は感じられない。ヨンフリーは男の後を追って宿の建物の中に入る事にした。


玄関を入ると、そこは食堂になっていた。男が食堂の奥でさらにその奥にある厨房に向かって声をかけている。

「センテ、お客さんだ。夕食、一人分追加してくれ」


その声に対応し、奥から声が返ってくる。

「あいよー。一人分ねー」

「お客さんは美人のお姉さんがお一人だけだから、量はあまりいらないぞ」


すると、その言葉に反応したのだろう、パタパタという足音が近づいて来て、厨房の入口から一人の女性が現れた。

少し太めの人の良さそうなおばちゃんだ。センテと呼ばれたその女性は、ヨンフリーの姿を認めると、すぐに頭を下げてきた。かなり恐縮しているように見える。


「すみません。ウチのがあなたの事、いやらしい目で見て気持ちが悪かったでしょう? 心配しないでくださいね。コイツの事は私が家の柱に括り付けておきますから」

言い方からして、センテはこの男の嫁なのだろう。言われた男の方は決まりの悪そうな顔をして、それでも虚勢を張っている。


「バカ野郎。俺はこの女性(ひと)の事、そんな目で見ていねえよ」

「うそばっかり。あんた、この女性みたいに大きな胸の女性、好きじゃない」

「そりゃあ、まあ、嫌いじゃあねえけど…」

「ほら、やっぱり」

「ば、ばか言え。今回は少ししか見ていねえ」

「見ている事には変わりがないじゃない」


二人はヨンフリーの目の前で、言い合いを始めた。正直言って、少しくらい胸を見られたからといって、ヨンフリーにはどうという事もないのだが、目の前で言い争いをされるのは鬱陶しい。

いや、それよりも、厨房の煙の方が気にかかる。

「ちょっと。厨房は大丈夫なのでしょうね。煙が見えている様だけど」


「いけない」

案の定、センテがその言葉に反応し、慌てて厨房の方へと戻って行く。しかし、厨房に消える寸前で振り返り、にやにやしている旦那に向かって一言、

「あんたもそんな所で突っ立ってないで、こっちに来て手伝いなさい」

それだけ言って、厨房の中へと消えて行った。


男がヨンフリーの方へと向き直る。

「ははは、お見苦しい所をお見せしちまって申し訳ねえ。悪いけど、ちょっと待っていてくれよな。あれでも料理の腕は確かなんだ」


そして、男は早足でセンテの後を追いかけ厨房の中へと入っていった。少々にぎやかそうな感じだが、二人とも悪い人ではなさそうだ。ヨンフリーは一人密かに苦笑いをしながら、男の後ろ姿を見送った。


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