帰還1
巣穴の底に降り立ったコルドは、雛鳥達よりも遥かに大きい頭をゆっくりとレーシェルの方へと近づけた。
『久しぶりだな、レーシェル。今回は、いや、今回もか、また世話になってしまったようだ。ありがとう』
雛鳥達程柔らかくはないものの、もこもこの頭が、レーシェルの目の前にくる。とはいえレーシェルの背丈では到底頭の上には届かない。なので、レーシェルはコルドの頬の辺りの羽に手を埋めた。
「いえ、私がもう少しうまく立ち回る事が出来ていれば、こんなに巣穴を荒らしてしまう事もなかったのでしょうが…、すみません」
『いや、こんなものは掃除をすれば済む話だ。問題ない』
「それに、ヨンフリーさんにもご迷惑をおかけしてしまいましたし…」
実際、今になって考えてみると、レーシェルがもっとうまく立ち回る事が出来ていれば、ここまで苦労する事もなかったように思えてくる。レンドローブはそれを期待して、任せてくれていたようだし、という事は、出来ない事ではなかったはずなのだ。
気落ちするレーシェルをまだ動けないヨンフリーが宥めてくる。
「私の…事なら、気に…するな。私が勝手に…した…事だ。それに…私も…ミスをした」
更にはコルドも言ってくる。
『いや、結局雛鳥達は無事だったのだから、皆、充分上手くやれたという事だろう。感謝する、ありがとう』
そう言われると、確かに全員無事に雛鳥達を守りきった訳なので、上手くやれたのだと言えない事もない。ここへ来た目的についても、無事に達成できた事になる訳だ。
と、そこへまたレンドローブの声が降ってくる。
『それはそうと、レーシェルよ、事が済んだのなら、我らは早々に主殿の元へと向かうべきだと思うのだが…』
確かにそれはその通りだ。レンドローブに言われるまでもなく、レーシェルだって早くトキトと合流したいと思っている。そして少しでもトキトの助けになるよう働きたい。それがレーシェルにとっての最大の望みだからだ。
だが、この状態のヨンフリーを残して自分だけ先に行く訳にはいかないし、巣穴を荒らしたままで放って行くのも気が引ける。しかし、だからといって、無駄に時間を使っている間に、トキトが危険な目に合っていたりしたら、それこそ一大事だ。後で酷く後悔する事は間違いない。
そうでなくとも、今は本来の任務とは違う寄り道の最中なのだ。いくら判断を任されたからと言っても、いや任されたからこそ、慎重に判断しなければならない。
考え込むレーシェルを心配したのか、アルが背中に顔を擦り付けてくる。
レーシェルは決断した。
「レン様、レン様は先にご主人様の元へと向かってください。私は、ヨンフリーさんの回復を待って、後で追いかける事にします」
『後でだと。それだと主殿と合流するのがだいぶ先になるぞ。回復したとて、今のヨンフリーの魔力では、大陸まで飛ぶのは無理だろうから、船を使うしかなくなるだろうしな』
「仕方がありません。それでもやはりヨンフリーさんを置いて行く訳にはいきません。それに、巣穴の後始末もしたいですしね。……。御主人様には謝っておいてください。それと、必ず追いかけますから待っていてくださいともお伝えください」
『巣穴の事なら構わないぞ。儂1人でも時間をかければ何とかやれる』
コルドが気を回して言ってくる。
「私も…平気だ。一晩、場所を…貸して…もらえさえすれば…回復する」
ヨンフリーもレーシェルが遠慮しない様気遣ってくれているようだ。
だが、これは遠慮などではなく、レーシェルが自ら判断した事だ。
「いえ、元々ここへ寄る事にしたのは私の判断ですし、であるならば、中途半端で帰るのではなく、最後まできちんとやらないといけない気がするのです」
この間にもアルは、ずっとレーシェルに頭を擦り付けていた。その様子は何かを主張しているようにも見えなくもない。
見上げると、レンドローブが穴の底を覗き込んでいる。
『まあ、考えてみれば、まだ逃げて行った奴がいないとも限らない現状では、そいつが戻って来てもおかしくない訳だし、ある程度の戦力は残して置いた方がいいと言うのも道理だな。だが、本当にそれでいいのか。船で来るにしろ、船などそう簡単に手に入るものではないのではないか』
「大丈夫です。…何とかしますから」
『まあ、向こうには先にライールにも行ってもらっている事だし、我々が一日二日遅れたとしても大差はないのか』
レンドローブがため息まじりに言ってくる。
「え?」
『我も一緒に残った方が、結局皆の為になるのではないかという事だ』
確かに、レンドローブが残ってくれれば船を探す手間なども必要ないし、なによりも全員がコチに帰るには、そうするのが最も早くそれを達成出来る方法である事も間違いない。だが、ここはそれを重視する場合ではないはずだ。
「だめです。レン様は先に行ってください」
この状態でレンドローブに残ってもらうのはさすがに宝の持ち腐れになってしまう。万が一にもそれでトキトの窮地に遅れてしまったのでは、意味がない。一時的に全権を任されているとはいえ、レンドローブの本来の主はトキトなのだ。
『本当にそれでいいのか』
レンドローブが身を乗り出して確認してくる。レーシェルは上を見上げ、レンドローブの目をしっかり見つめた。
「構いません」
と、そのレーシェルの目の前に、突然、コルドが頭を割り込ませてきた。必然的にコルドと視線が合う事になる。コルドはその視線を僅かに動かしアルを見て、それからまたレーシェルに視線を戻した。
そしてゆっくり言ってくる。
『もしよかったら、儂の娘を使ってやってはくれまいか。さすがに大陸まで一気に飛ぶ事はまだできないかもしれないが、島々を経由するようにして飛んで行けば二人を乗せても何とか飛んで行けるはずだ。その方が船で行くよりは早いだろうし、娘自身もそれを望んでいる様だ。どうだろう、レーシェル』
「娘ってアルの事ですか? この子がそんなに飛べるとは思えません」
『いや、只飛ぶだけだったらもうそのくらいの事は出来るはずだ。心配があるとすれば、外敵に襲われたりした場合だが、その時はレーシェルとヨンフリーで、力を貸してやってほしい』
コルドに言われるまでもなく、レーシェルと回復したヨンフリーが一緒なら、大概の襲撃者には対応できる事は間違いない。
気が付けばアルもレーシェルの顔を覗き込んでいる。その目は一緒に行かせてくれと懇願しているように見える。
「でも、その場合、帰りはどうするのです? 守る人がいないのでは、アルは戻れないじゃないですか」
レーシェルが護衛に付いてもいいのだが、それでは一緒に行く意味がない。
すると、コルドは意外な事を言って来た。
『いや、戻ってくる必要は無い』
「えっ、どういう事ですか」
『レーシェルの所でしばらく預かってもらいたいのだ。どのみち雛達は大きくなれば、いずれ出て行かなければならなくなる。それが少し早まったと考えれば、悪いタイミングでもないはずだ。もしそれが無理だと言うのなら、どこかで放してもらって構わない。その場合でも、できれば、もう少し大きくなるまで面倒を見てもらえればありがたいのだがな』
「そんな無責任な事…」
『いや、儂らは人間の様に家族で暮らす習慣はないからな。雛鳥はいずれ皆自力で新たな土地を探すより仕方がない。仮に途中で力尽きようとも、その亡骸は他の誰かの糧になるはずだ』
見ると、アルはすっかり乗り気になっているように見える。そんなアルをクースは黙って見守っている。クースはアルの様にレーシェルにすり寄ってくる様な事はしてこない。
レーシェルの視線に気づいたコルドが教えてくれる。
『悪いが、息子にはまだ教えなければならない事が残っているから、一緒に行かせるわけにはいかない。それに一緒に行って共に育てばいずれ争いが怒る事も間違いないからな。そういう意味でも一緒に行かせる訳にはいかないのだ。儂の目の届かない所でそんな事になれば、共に命を落とす事だって考えられない事ではない。そんな事になってしまってはお前達にも迷惑をかける事になる』
「そういう事ですか」
だから、コルドはアルだけを指名したのだ。アルはまたレーシェルの背中に顔を擦り付け始めた。どうやらアルはレーシェルに甘えている様だ。そう思うと、レーシェルとしても愛しさが増してくる。考えてみればここの雛鳥達とは卵の時からの付き合いだ。愛おしく思わない訳がない。そう思うからこそ、遠回りになるのにも関わらずわざわざこうして駆けつけくらいなのだ。
『なるほど。その娘なら船よりは速く飛べそうだし、レーシェルとヨンフリーで補助すれば、もしかしたら一気にコチまで帰れるやもしれん。それにその娘は何よりレーシェルに御執心の様だ。レーシェルの言う事を聞くように言いつけておいて貰えれば、後はレーシェルが躾ければ、街で暴れるような事もなかろうし、主殿も追い返したりはしないに違いない』
「レン様…」
どうやらレンドローブもその気になってしまったようだ。
同様にヨンフリーも前向きに考えているように見える。
「私も…明日には…回復する。回復…すれば、充分…手伝う事は…可能だ」
ヨンフリーにも手助けする気持ちはあるらしい。
それを聞いたレンドローブが声のトーンを一段明るくする。
『決まりだな。それならば我は一足先に帰るとしよう。なあに、万が一主殿がまだ戻って来ていなかったとしても、我が行って連れて帰ってきておいてやる。だからそっちの方は心配しなくていい』
言い終わるなり強い風が吹き下ろして来て、レンドローブが空へ飛び立ったことが伝わってくる。
レンドローブは上空で旋回しながらレーシェルに言った。
『レーシェル、我に指示をくれ』
トキトと別れて以降、レンドローブは基本的にレーシェルの指示に従ってきた。トキトからレーシェルに従う様、指示されていたからだ。
だから、今もその指示を待っている。最後の指示を待っているのだ。
レーシェルはレンドローブのいる天頂を真っ直ぐ見上げた。
「では、指示します。レン様は先にご主人様の元へと向かってください。私も出来るだけ早く戻る様頑張りますから、ご主人様にはよろしく言っておいてくださいね」
『了解した。任せておけ』
レンドローブはそう言うと、島の上空を旋回する軌道から外れ、と同時にレーシェルの視界から消えて見えなくなった。
アルがレーシェルの前へと回り込んでくる。心なしか胸を張り、任せてくれ、とでも言いたいらしい。レーシェルはアルの目を正面から見つめた。
「アル、それならあなたに最初のお仕事をおねがいします。ヨンフリーさんを安全な所まで連れて行って回復するまで見守ってあげてください」
そして、まだ瓦礫の上で動けずにいるヨンフリーの身体を起こし、その場で小さく蹲ったアルの背中の上に乗せてあげた。
アルは少し考えた後立ち上がり、もうだいぶ数が少なくなってしまった岩棚の下の、瓦礫の少ない場所まで移動すると、ヨンフリーを背中に乗せたまま、その場に腰を落ち着かせる。
「アル、ヨンフリーさんの事はよろしく頼みますね。コルドさん、クース、残った私達は巣穴の掃除をするようにしましょう」
その声に応じるようにして、コルドとクースが集まってくる。
ふたりともいつの間にかすっかりレーシェルの指示に従っている。
『すまんな、こんな事まで手伝わせてしまって』
「いえ、瓦礫は私が魔法で軽くすれば、だいぶ早く片付くはずです。頑張りましょう」
レーシェルはそう言うと、まずは一番大きな瓦礫の前へと進み出て、早速そいつに魔法をかけた。




