なったならば
それは奴の計画で、まんまと乗せられた俺は莫迦かもしれない。
聖騎士になるなど、どうかしている。
犯した失策の責任を取り、リユの位を退くつもりでいた。
だが、負った傷の回復はともかく、後始末やら引き継ぎやらをだらだらと求められ、時間は刻々と過ぎ去った。
人生上手くいくことは稀だが、ようやく自分自身に書きあげた辞令「降格 左遷」は、いつの間にか破り捨てられた。
どいつの仕業だ、と言いかけた俺に「護衛騎士に任ずる」などと、ふざけた辞令を持ってきた。
はあ?護衛騎士だと?意味が分からん。
誰だ、こんな辞令を出した奴は。
「私に決まっているでしょう。他に誰がリユに命令できると?」
あっさり親友が白状した。
「お前だってシゲン位を退くつもりでいるだろうが」
「まあ、そのつもりだったのですが許可が下りなくて。不均衡は是正するに限りますよね」
俺を巻き添えにするな。
「それに以前からの検案も残っていますし」
「軍に〈神子〉を取り込む、あれか。あきらめたのではなかったのか」
「まさか。良い人材さえいれば可能です」
十二分に野心もあり、それを支える自信も才覚もある男はいつだって俺の意見なんて聞きやしない。
「神事部から面白い情報がありましたし、こちらにはあなたがいますしね」
「俺はあてにならんぞ」
「そんなことはありませんよ。あなたの辞意を聞いて、引き止めの依頼に何人の部下が来たと思います?あなた陰で、人たらしと言われていますよ」
「莫迦言うな」
この傷を負って以来、女性に避けられている。ああ元々好まれる容姿でないことも認めよう。
無表情が地のくせに、薄く笑う。
そんな時にはろくなことが起きない。この悪友め。
あれ、が?
奴に目をつけられた哀れな生け贄は、情報通り、確かに異国の少女だった。バター色の肌と濃い色をした瞳、そして黒いまつ毛。
おい、〈神子〉って、あれには無理だろう?
そう思うものの、上司である奴に文句を言えるはずもなく、以後、彼女を見定める任務を開始した。
そして分かったことは、彼女は理解しがたい存在だということ。
お前に限ってありえないだろうが、人選間違っていないか、シゲン?
〈神子〉候補生は、関係者以外立ち入れない寮で暮らしている。
その姿を目にする機会は限られており、集会に出席するための順路が一番近づけた。奴によって護衛騎士となった俺は、権力を行使し、その警護に就いた。
使えるものは使う主義だ。
誰もいないことを確認しているのか、きょろきょろ辺りを見回して彼女は、以外に柔らかい声で歌い出す。
「あったーらしい」
ふんふんと歌いながら、手足を伸ばしたり屈伸したり。何かの準備運動だろうか。らじお、とは何だ?
謎多き行動は、これだけではない。
床のモザイク柄に合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねているのは、足が痛いせいかと思ったのだが、違うんだな?
おい、庭に降りたから存在に気付かれたのかと焦ったが、なんだって虫を捕まえる?
ああ、この際蝶は譲ってやってもいいだろう。だが、急にしゃがみ込んでバッタを手掴みするとは、女として何か間違っていないか?
シスター服の裾を持って、くるくる回りながら歌っている時は、その、少し可愛いと思ったが。
決して人目があるところでは見せないようだったが、彼女は一人になると、全く〈神子〉らしからぬ振る舞いをする。
はっとするほどの、子どもっぽい笑顔で。
なぜもう一度と願ってしまったのか、分かりたくない。
それにしても聞いてみたいものだ。彼女の歌う曲は一度も耳にしたことの無い物だが、歌詞の「アンパン…」とは何の事だと。
そんな彼女も、聖堂に着けば表情は一変する。
誰よりも早く回廊に現れて、時間より早く聖堂に入り、神官たちに交じって椅子や蝋燭を準備し、集会が終わると片づけを手伝う。誰よりも最後に退出する。
〈神子〉候補生のお前に、誰もそんな事頼んでいないだろうに。
あの子どものような笑顔ではない笑顔で、黙々と。
警護している護衛の前を通り過ぎる度に、ベールを揺らして頭を下げる。
初めは、その仕草に勘違いしていた。俺だけにしてくれているものだと。
礼なんぞいらんから、顔を上げて俺を見ろと、言ってやりたい。俺はどうかしてきたようだ、慣れない仕事に疲れたのかもしれない。
開催される祈りの集会の度に彼女を伺っていた。その弊害で、候補生の中どこにいても姿を見つけだせるようになっていた。
「思っていたより優秀なようですね、彼女は。次の〈神子〉に決定しましたよ」
定期報告にて無表情に奴が言う。あれだけ人選を再度考慮するよう求めたが、全て却下された。
「手を回したな?」
「まあ、余計な知恵を付けられても困りますからね。そうされるだけの能力がある、と評価しているのですよ」
彼女は何も知らない。誰も知らせない。
「ということで、リユ、彼女の聖騎士になってくれますね?」
いつもの薄い笑みを刷いて言う、この確認という形の命令を、俺が断るとは思っていないのだろう。
いつ、知られた?
話しかけて欲しいと、その声を聴かせて欲しいと思っていることを。
ベールに隠された髪は、瞳と同じような濃い色をしているのか、見てみたいと思っていることを。
その、子どもみたい笑顔で、俺にだけ笑ってほしいと思ってしまったことを。
彼女を観察する時間は、ありすぎたのだった。
聖騎士になるなど、どうかしている。
「断られる、に、決まっている」
自分が断ろうなど考えもせず、彼女に断られることを恐れているなんて。この俺が。
公にしていないが、己の聖騎士を選べることを〈神子〉候補生は知っている。
彼女たちを取り巻く騎士に求められるのは、高い魔力と能力、そして容姿。
俺のような外見は〈神子〉が望むものとかけ離れていると分かっている。それでも、この顔の傷さえなければという浅ましい感情は捨てきれない。
「おや人たらしの台詞とは思えませんね。あなたなら大丈夫ですよ、亀だって受け取ってもらえたでしょう?」
「おま…っ」
立ち上がった拍子に椅子が後ろに倒れ、大きな音が部屋に響く。奴の執務室には誰の姿も見えなかったが、この様子では外に控える者が入室して来ても、おかしくない。
唇を噛んで、声を潜めた。
「…どこで見ていた」
聖堂に向かう回廊を彼女は歩いていた。
そして、いつものように回廊を外れ庭に出て、木々を見ていたが「あ」と小さく言ってしゃがみ込んだ。またバッタでも見つけたのか。
彼女が見ていたのは、丸くて黄色の大カエルで、それに向き合っていた。
大カエルは高い声でくくくと鳴いて、次に彼女が、ちちちと舌を鳴らした。
なぜ。
ネコでも呼ぶのか?大カエルだがな?
その仕草に、自分が隠れて見ていたことも忘れ、思わず吹き出していた。
「あ」
あ、しまった。逃げて行ってしまった。
だが、やっとその目を自分に向けたのかと、ようやく自分の存在が分かったのかという苛立ちを含んだ苦々しい思いが沸き上がった。
ここ最近では気配を殺してはいなかっただろう。早く気が付けよ。
そんな莫迦な思いは、任務に反するというのに。
しかし、どうしても自分を意識して欲しくなり、聖堂からの帰路中の彼女に声をかけた。騎士から声をかけることは許されないと知っていたが。
「おい」
「はい?え、私?」
指を動かしてみると、素直に従い庭に降りてくる。
急に声をかけられたことに怒る様子はない。俺の傷を見ても、怯えていないことにほっとするが、おい警戒心はどこにあるんだ。こんな暗がりに連れ込まれるなよ。
ぽかんとした顔で見上げられ、とにかく、その小さい手に目的のものを乗せた。指が触れないよう注意しすぎた、別に当たっても良かったのに。
「受け取れ」
「は?亀…?えーっと、なぜ?ありがとう、ございます?」
甲羅を捕まえられて、亀は、彼女の手の中でじたばたしていた。
「女性への贈り物に亀を選ぶとは、私には思いもつきません。あなたが女性に贈り物をするのも、初めて見ましたしね」
うるさい。大カエルよりましだろう。
「聞くが、お前なら何を贈る?」
「そうですね、生き物に限定するなら、鳥のヒナはどうでしょう。女性は可愛いものがお好きでしょうし」
…考え付かなかった。
聞くんじゃなかった、己の愚かさが露見しただけだった。
「あなただけに任せるのも心配ですし、聖騎士は2人ですし、ねえ。彼女を思い通り動かすには、私も聖騎士になった方がいいでしょうね」
見た目だけは聖騎士にふさわしいが、その無表情さや辛辣な物言いは決して万人向けとは言えない。ましてや、人に仕えるなど、あり得ないことだ。
「シゲン位はどうする?」
「ようやく休暇を頂きましたよ。ああ、あなたは出張扱いになっていますからね」
「彼女を主と認めるのか?」
「認めるかどうかは、彼女次第でしょう。お互い主君を失った者同士ではないですか、あなただけは分かってくれますよね?」
奴が、聖騎士になったところで、誓いに縛られるとは思えない。
奴の主は決まっている。もう、いないが。
彼女に心許す日は、こないだろう。
第一、他の男と彼女を共有だなんて、まっぴらだ。
何度も言うが、奴は俺の意見なんて聞きやしないのだから。
そして、奴が笑う時には決していいことは起こらない。が、時にはいいことも起こるかもしれない。時には。
聖騎士になったならば、指に触らぬよう注意しなくてもいい。
好きな時に、好きなだけ声をかけていい。
聖騎士と〈神子〉は深い絆を結ばれるというが、では、誰にその役を譲れよう?
彼女を俺の〈神子〉に。
俺の主に。
後日、聖騎士の件を彼女が了解した旨、報告を受けた。
贈り物の効果を確信する、亀に「良くやった」と感謝せざるを得ない。
あの日俺を認識し、受け入れてくれたのだと高揚した。
間違いだった。
幾日かあとに、彼女が〈血の交換〉を拒否していると聞いた時には、やはり俺を受け入れないのかと落ち込んだ。
「従順だと聞いていたんですがね」
奴が舌打ちして言った内容の黒さに、俺は頭を抱え込んだ。
「まあ無理矢理するという手もありますしね」
なにを?
…まあそれもいいか。
なったら覚悟しておくことだな、主。
つたない文章をお読みいただいて、ありがとうございます。
お気に入り登録、本当に嬉しく励みになります。少しでも楽しんでいただけますように。