9、こんなの書いていていいの?
もうね、肉体的にも精神的にも創作どころではなかったんですね。今まで。
活動報告も、こういった適当な文章も書ける状態でなくて、気分がクサクサしていたのでした。
☆☆☆
そういえば、近頃特に、
『コミュニケーションの取り方』
とかのタイトルやら何やらを市販本などに見かけますが、そんなのあんまり読まない方がいいですよ。
こんなの現実で数をこなして覚えるほかないですからね。
はたまた、自らのそれなりの才能に起因するか、子供時代にどんな環境にいたか、なんてことが大きく関わるものでね。
変てこな本やセミナーなどのアドバイス商法に惑わされるぐらいなら、自分のスタンスで楽しみながら(時どき悩み苦しみ、失敗を重ねながら)独自の理論を習得していった方が、それなりに視界が広がり易くなりますからね。
☆☆☆
昨今の社会は、
『価値観が多様化した』
なんて言葉が容易に出回っていますがね。
話す相手の『価値観』をある程度容易に汲み取ることが出来なければ、話にならないんですよ。
なぜなら、『価値観』というのは、その話す相手の“テーマ”みたいなものですからね。よくケンカをして最後に平行線で終わってしまう原因の最大要因は、
『物の見方』
が、『価値観』という尺度によって統一されていないからなんですね。
別に全ての人の価値観を統一する必要はありませんよ。そんなの気持ち悪いですから。
だからね、コミュニケーションのことを真摯に考えるのなら、
『どの人の価値観にも柔軟に対応することの出来る価値観』
を持つことが大事だと思うんですね。
ただここで誤解されたくないのは、八方美人であるとかお調子者なんかになれ、とか寓話に出てくるようなコウモリの感覚を持て、という単純なことではないんですよ。
というのも、上記のような感じで相手に解釈されてしまうと、信用を失うことになり兼ねないですから。
時どきいるんですよ。お調子者になることが最高のコミュニケーションであると勘違いしてしまっている人が。
そういう人は、相手に信念やアイデンティティを感じさせないから、いざという時に印象に残らない場合が多いんです。
自分自身に強い信念を抱きつつ、柔軟に他人の意見に対応できる。
そういうのが理想なんですよ。
☆☆☆
それはそうと、創作の話なんですがね。
ここ数回、自らにその力量がないのにもかかわらず、生意気にも小手先の技術の話を書いてしまいました。
そこで、恥かきついでにこちらのサイトで何人かの作品をいくつか拝読した感想を述べさせていただきとうございます。
実を言えば、みなさんとてもお上手であると感じております。
ストーリーも文章もそれなりだと思うのですが、しかしですね、これだけは言わせてください。
「登場人物がみなロボットです」
と。
つまりですね、みな棒読みなんですよ。台詞にも地の文にも抑揚がないし、元気が無い。その人の息遣いも感情も伝わって来ない。
だけど、エッセイやノンフィクションなんかの分類を読むと、その辺りが伝わってくる。
そこなんだと思うんですよ。
ライトノベルであろうが文学であろうが、登場人物に魂を入れなければね。
“仏像作って魂入れず”
てなところでせうか?
若い人が書いたにもかかわらず、若さも活気も感じられないのでは本当に勿体無い。
☆☆☆
エロであるとか、荒唐無稽であるとかの作品というのは、そういうエネルギーが自然と作品に反映しやすいから、ある程度の妄想も活気として読者に伝わりやすい。
けどね、何もない所から世界観を生み出す作業は、やっぱりかなりのエネルギーを費やすものなんですよ。どんな創作でもね。
だからね、それまでの理論を突き破るぐらいの力を見てみたいね。
既存概念の向こう側というやつを。
☆☆☆
ああ、今回もご都合主義についての考察を書き損ねた。