6、会話の効用(※今回は真面目です)
ここ数年、あらゆる創作物を読んだり見たりしたときどうも、
『会話文』
が、おざなりなような気がしてならない。というか、あまり工夫が見られないと思うのですよ。
仕事の合間に、こちらのサイトなんかを少し開いたりしても、
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
なんていうのをよく見かけますね。
いやあ、それはその人の持ち味の文章なら良いのですが、これだけ沢山見かけると、工夫の無さもあるのではないか、と感じちゃったりするわけです。
ボクなんかが、創作の指南など到底おこがましい限りなのですが、《流れ》のない文章や会話というものは、それなりの工夫で改善できるんですよ。
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例えば、
「おはよー」
良江は早百合に挨拶した。
「おはよー」
早百合は良江に挨拶した。
なんて場面があったとして、こんなのかったるくて読んでいられないですよね。
それならば、
「おっはよー、サユりん!」
「おっ、おはよう、ヨッシィ。びっくりするじゃない、いきなり抱きついてきたりなんかしてぇ、もう!」
というように、会話だけで状況も雰囲気も二人の女の子の関係も説明出来ちゃうんですね。
実際、ボクの勝手にご尊敬申し上げる池波正太郎先生ですとか、その池波先生の師匠である長谷川伸先生の本などを拝読すると、一番に感じるのが、
《会話が活き活きしている》
ということなんです。
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それをするに当たっては、日ごろからの、
《どれだけ私生活で会話というものを意識しているか》
が大切だとボクは思います。
ボク自身は、日ごろから会話を楽しむ性質です。
他人の話を聞くのも好きだし、話すのも好き。
だけどその時、相手の話を聞いて一瞬一瞬を瞬間的に反芻しているし、また、自分の喋った言葉も瞬間的に反芻して、話の内容や、相手の意識などの軌道を確認しながら会話を楽しんでいます。
(※しかし、タイムラグは決して存在しません)
会話とは、自分ばかりが話しては会話とは言わないし、相手の話す情報を右から左に流してしまったら、成立していないも同然です。
そこでボクの場合は、
《どれだけ相手の情報を自然の流れから引き出せるか》
《自分の言うことを正確に伝えられるか》
の二点を強く心掛けたりなんかしています。
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「だからどうした」
と言われてしまえばそれまでなんですがね。
たった今帰ってきて、どうしても書きたかったのですよ。それだけなんです。