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17、ニュータイプって、何それおいしいの?

 17、


 どうもこんにちは。


 前回、子供のころの経験談を書いたことについて今ひとつ後悔の念を禁じえない矢暮です。


 では、なぜあれを書いたのかというと、今日の話のテーマにも関わることだからです。


 今日のお題は、


『相手に伝える』


 ということ。


 ☆☆☆


 僕がこちらのサイトをPCから覗いたとき、ときどき“新着の活動報告”というのをチェックしたりなんかします。


 その時よく目に付くのが、

「描写ってむずかしいですね」

 とか、

「どのぐらい比喩を織り交ぜたらいいんですか?」

 みたいな質問とか悩みです。


 別に僕は、これといって生まれてこの方、弁論法や文章法の特訓を受けたことがないので偉そうなことを書けません。

 ただ、あえて実生活の中で自分なりに会得したもので表現するのなら、


『伝わらなければ意味がない』


 ということですかね。


 ☆☆☆


 多分、これだけ通信機器が発達しても、

「自分の思いが、なかなか相手に伝わらないなぁ」

 なんてことがあるかと思います。


 どんなに綺麗で華麗な文章を書けてたとしても、筆者の伝えたいことが伝わらなければまるで意味がありません。


 まあ、美辞麗句でこり固め、民衆を扇動するような暗愚な政治家やカルト教団なども事実存在しますが、そういうのは得てして中身のない、言うなれば、


『ダシの効いていない見た目だけのスープ』


 のようなもの。


 しかし、どうしても人間という生き物は、そういった美辞麗句に心を惹かれてしまうものなのです。


 ☆☆☆


 つまり、文章を書くとか何かを口頭で伝えるときなどに、美辞麗句は本当はあまり必要ないんですね。


 僕も時どき、こちらのサイトで“小説指南”の著述などを拝読致したりするのですが、みなさんとても独自に研究されていて頭が下がる思いがします。

 しかしその中で、“描写”の項目を読んだ時、少し言葉足らずではないかと思うことがあります。

 

 大抵の筆者の方が書いておられるのは、

「小説だから、描写は必須である」

 ということ。

 しかし、それはとても文明的な言い回しであって、根本的な意味ではないと僕は思います。


 これでは少し伝わりにくいので、構造的なものを大まかに記すと、


 上記の言い様であれば、


【小説だから】

→【描写が必要であり】

→【描写をすることによって】

→【相手に伝える】


 というようになります。


 しかし、小説という枠を外した時、つまり口頭で何かを伝えたり、絵画や演劇、映画などで当てはめた場合、それは逆説的に物事を考えた方が理解しやすくなる。


【相手に何かを伝えるために】

→【相手の脳にイメージを湧かせることが必要】

→【相手の脳にイメージを湧かせるために】

→【それに見合うような表現や描写が欲しい】

→【だから描写をしよう】


 というふうに考えればよいと思うのですね。


 だから、【描写をしなければならない】

 のではなく、【描写をするのは、相手に物事を伝えるための手段だ】


 と解釈すれば、とても気分が楽になるではないでしょうか。


 ☆☆☆


 さて、前回なぜ僕が恥を忍びながら経験談など交えたのかと申しますと、これが基本の(※僕なりの)物事の伝え方だからです。


 物事を相手に伝えるというのは、思ったよりとても技術を必要とします。

 逆に言えば、相手からの物事を正しく理解するということはとても技術が要るということです。


 僕らがみんな『超能力者』だったとしたらそれも容易なのでしょうが、現実は厳しくて実際にはそうではありません。

 

 これをサブカルチャーで例えるなら、


『人類全体がニュータイプへの革新へ』


 とスイート・ウォーター辺りで演説したいところなのですが、どうも事実はそんな片鱗も見えないわけです。


 ☆☆☆


 話は逸れるのですが、ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞にあるような、


《国境も差別もない世界》


 というのは、僕は現時点では絵に描いた餅でしかないと思っています。

 

 確かにそれは素晴らしい理想なのだけど、僕が現実で感じるのは、


「人間はまだそこまで進化していない」

 

 ということですかね。


 時どき、

《お金は悪の元凶だから、お金のない世界がいい》

 ということを主張する方々がおられるのだけれど、僕からすれば、

《お金の使い方が悪いのであって、お金が悪いわけでなない》

 と思えることがあります。


 つまり、要点の置き換えなんですね。


 例として言えば、


【横領詐欺事件があった】

→【多額の不正が明らかになった】

→【不正の金の出所が分からない】

→【お金に目がくらんだ人々が続々と摘発】

→【だからお金なんかない方がいい】という結論。


 これ、どこかおかしいですよね。

 

 では、お金が最初からない世の中を想像してみてください。


 面倒くさいんで書きませんが、お金がなかろうと、不正が起こらないとは限らないでしょう。

 つまり、何が悪いのかといえば、【不正を起こした人】もしくは【不正自体】なんですね。

 物事の本質を転化させるのは、詐欺の常套手段ですから。


 まず、思考を止めないことですね。


 ☆☆☆


 と、描写の話をするのに詐欺の話を持ち出したのは、これには意味があって、


 昨今、巷で顕在化している通称【オレオレ詐欺】。


 みなさんも、少しこれに見習うものを見出してはいかがでしょうか。


 突然お年寄りなどの家に、

「ああ、オレオレ! 実は大変なんだよ」

 みたいに電話をかけて来るのがこの詐欺の手口だと言われていますよね。


 この手の詐欺が未だに横行している要因を考えれば、見習うべき何かが見えてくる。

 それは、

《短い言葉で、相手に途轍もないイメージが伝わっている》

 ということ。


 つまり、優れた文章を書いたり、優れた映像作家であったりするということは、裏を返せば天才的な詐欺師の才能も有しているということ。


 では、作家が皆、詐欺師の能力を有しているから悪い連中なのか、という思考法は馬鹿な話で、《お金》の話でもあったように、悪いのは【不正】であって《お金》ではないということから考えれば、自ずと答えは見えてくる。


 ☆☆☆


 すみません。

 今日は話の軸が、あっちゃこっちゃにぶれてしまって伝わりにくいですね。


 つまりですね、伝える用法としての手段が【描写】。

 要は【相手に伝える】ことが目的、なんですね。


 そのための用法として、【事実を例えとして引用】したり、【故事成語やことわざ】を用いると、相手の脳にイメージが湧きやすいので、僕はそれを使用した、という話です。


 主張するにも、物語をするにも、実生活でなにかするにも、相手に的確なイメージを湧かせるというのはとても有効な手段だと僕は実感しています。


 しかし、これは諸刃の剣なのでご注意を。


 しからばこの辺で。

 

 ありがとう御座いました。





 


 



 

 

 


 

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