16、止まらないで、熱い心を!
16、
まったくまたまた間が空きまして御座います。いつもお読みいただいて有り難く存じます。
それにしても、ふと、時どき思うのですがね。いったいこのような物をどんな方が読んでくれているのでしょうか。
読んでくださる方の頭数が少ないことだけは理解できているのですが、時どきチェックしてみると平均した数の方にお読みいただいているみたいで。
へい、それは大変有り難いことで御座います。
そしてこれも私事でまことに恐縮なのですが、
拙作『サスペンデッド執行~』の方は、またまたもう少しだけ遅くなりますことをここに告知いたします。
というのも、もうだいぶ以前から“導入(書き出し)”の部分の前に、“序章エピソード”を入れたくて仕方がなかったわけです。
その“序章”を入れたいのは山々だったのですけど、入れるのであればキチンと入れないと全体の話が崩れてしまうわけですし、もしチョボチョボ小刻みに入れてしまったら、初めて目にする方が、
「なんじゃこりゃ?」
と、惑われてしまう恐れがある。
こういう行為が、物語を少しでも面白く完璧にしたいという、作者の驕りであるのは解かっているのですが、どうしてもそうしないといられないという衝動であることもご理解戴きたいと思う次第なのであります。
好きなものはやっぱり好きなんです。
幸い、このサイトには“話数差込みシステム”が数年前から導入されておりまして、そういうことが可能なんです。
お読みいただいている希少な方々には何かとご不便をお掛け致しますが、どうかこのワガママをお許し下さるよう申し上げる次第であります。
☆☆☆
と、そんな私事の話題はさておき。
前回の最後に、『僕なりの武士道』という話題などを挙げてみようか、みたいなことを書いてしまったのですが、その話題は次回にいたしまして(※またかよ!)、
今回は『禁止語句』についてを、僕なりの視点で語ってみたいと思います。
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ここ数年の実生活の中でですね、時どきこういうことがあるんです。
僕が名も知らぬ相手や、初対面の相手とすぐさまよく喋り合ったり語り合ったりしてしまうことは、以前からのこの『小ネタワールド』や『活動報告』などにも記しておりましたが、
そういう経験の中で、ふといつも異様なことを感じてしまうのであります。
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これは数ヶ月前の記憶からなのですが、
「それにしても、今の車の運転、危ないですねぇ。見ました? あれじゃあキチガイに刃物を持たすようなものですよね」
と、僕が同意を求めます。すると、数時間前に仕事上で知り合った同年代の人が、
「あ、キ、キチ……? い、いや。そ、そうですね……。今や車のマナーもずい分と悪くなりましたからね」
などと表情を強張らせ、少しの間をおいて瞳をゆらゆらとさせたりなんかします。
「それにしても、僕も色んなところに住んだから分かるけど、あの運転の仕方はとある地域によっちゃあ、ヤクザ屋さんでもやりませんねぇ。だってあれじゃあ同業者にだって恥ずかしくって顔向けできないでしょう? まさに、お里が知れる(※今や死語かも?)という感じですかね」
「ア、ア、アハハハハ……」
そんな感じのやり取りがありました。
話した相手は、僕の話を聞くことも出来るし、自分の主張をそれとなりと持っているとても好感の持てる人でした。
それにしてもこの反応……。
仕事での延長線上の会話ですから、世間話でも柔らかめな敬語混じりの何気ない会話でした。が、それまでの内容は色々とぶっちゃけていて、震災後のありとあらゆる地元でしか語られることのない裏話やらなんやらで盛り上がっていたわけです。まあ、情報交換てやつ?
そんな打ち解けた雰囲気の最中なわけですが、
『キチガイに刃物』
という言葉を放った瞬間、いきなりその人の思考が異様なほど固まってしまった姿が飛び込んできてしまったわけです。
☆☆☆
最近、ネット上などで“キチガイ”という言葉を連発して相手を誹謗中傷する光景をよく目にします。
しかしながら、使う人によっては語彙力が乏しいからかなのか、
「おまえの母ちゃんデーベーソー!」
みたいな意味合いで使用している手合いも見受けられます。
まあ、その話題は置いといて。
昨今感じることなのですが、そういった語句にやたら過敏に反応してしまう風潮があることは皆さんもお気づきになっていることでしょう。
実は、こんなのマスコミなどの『放送コード』から始まったことでしかなく、それさえも明確な語句が禁止されているわけでもないわけです。
それなのに、
「キチガイ」
というキーワードが耳元に飛び込んできただけで一瞬でも“思考停止”してしまうというのは、かなりいただけませんねぇ。
さらに声を大にして言いたいのは、僕の使用したのは“諺”の引用なわけです。(※厳密には故事成語)
さらに言えば、“そこにいる二人だけの会話”でしかなく、放送もなにもあったものではないわけでして。
つまりは、そんなどうでも良い環境であっても、過剰に“言葉”に反応してしまう世の中が出来上がってしまっていると見ていいわけでして。
その相手の方がどうのこうのというわけではなく、言われた言葉に微妙な反応を起こし、一瞬でも思考停止に陥ってしまうという状況。これが実はぼくにとって本当に怖い。
時どき、僕はこの国の根底が社会主義国になっていることにゾッとしてしまうのですが、それにしてもこういう所でその片鱗が見えてしまうのは本当に恐ろしいことです。
あなたの側でも、あなた自身でもそういう心当たりはございませんか?
ここのポイントに対して、
「えっ、なにが問題なの?」
と思われている方。それが問題なんですね。
☆☆☆
実を言えば、こんなことは僕の少年時代からあったことでして、
以前、ここの活動報告でもその事実を記したことがあるのですが。
あれは小学一年生での教室での出来事。
僕は、授業中に先生にこんな質問をされました。
「はい、矢暮くん(仮名)。知っていることわざを言ってみなさい」
なぜその担任が小学一年生でことわざの授業をしようとしていたのか分かりませんが、以前から先生の執拗な攻撃を受けていた僕は、
「これは何かある」
と思い、唐突に、
「親が死んでも食休み」
と答えました。
すると担任は、
「キィーッ! 何をいっているのっ! そんなことわざなんかありません!」
と、(※嘘も誇張も無しな表現で)発狂致しました。
本当の話です。
事実、そのことわざは古くから存在します。僕がイヤミや酔狂で作成したことわざではありません。
本当に小さい頃から母親や、その祖母などからそういうふうに聞いて育ってきたため、自然に覚えてしまったことわざです。
にもかかわらずその担任は、
「そんなことわざはありませんたらありません! 矢暮くん(仮名)はいつもそういう事を言ってばかりいるからいやなのよ! みんな、矢暮(仮名)くんの言うことは信用しちゃダメよ!」
と、いたいけなクラスメイトたちを扇動して僕を笑いものに仕立て上げました。
信用しちゃいかんて……。
ではなぜ信用しちゃいかんヤツが、なぜクラス委員なんだ?
わけが分からん、と七歳の僕は思いました。本当に悔しくて、今でも一字一句と状況があざやかに脳裏に焼きついています。
まるで嘘のようだしドラマみたいだけど、これは実際にあった本当の話です。
今思えば、
「ああ、あの頃からコミンテルン教育は浸透していたんだなぁ」
と思います。
☆☆☆
ちょっと愚痴になってしまったかなぁ。
でも、事実その後も色々とここでは書けない教師からの攻撃はありました。事件もありました。
コップの中の嵐と言ってしまえばそれまでなのですが、現在のように通信機器が発達していれば、免職間違いなしな別の教師の異常行動もあり、友人関係はとても良好であったにもかかわらず、学校でも家庭でもストレスの絶えない少年時代だったことは確かです。
(※僕の根性がひん曲がっているのは、そこが原因と思われます)
☆☆☆
話は逸れますが、上記が僕の少年時代の妄想でないことは事実が物語っています。
これは小学校を卒業する間近のころだったでしょうか。
同学年の別のクラスの先生が、放課後、廊下を歩いていた僕の腕を急に引っ張って、小さな準備室のようなところに引きずり込みました。
僕は突然のことに驚いて言葉を失ったのですが、その引き入れた先生は、
「いきなりでゴメン! でも、お前を見るに見兼ねて……」
そう言って不憫な者を見る目で僕を見つめたのです。
どうやらその先生は、僕に対する異常ともとれる執拗な教師数人の攻撃を哀れんでくれていたのだそうです。
しかし、その先生も先生同士のイデオロギーに巻き込まれたくないために、僕に声を掛けることさえ出来なかったのだそうです。
「本当におまえ、大丈夫なのか? 卒業までまだ数ヶ月あるぞ。小学生なのに……辛いなあ」
「ううん、そんなことねぇよ先生。だいじょうぶだよ」
嬉しかったなあ。どこかで見てくれる人がちゃんといるんだなぁ、って思えたのはそんな時でした。
色んなことがあったけど、事細かに書くと他の人に迷惑がかかるので書けませんが、中学に入ってからも異常な教師の攻撃がさらにエスカレートしていったのは事実です。
なぜならその二十年後ぐらいに行われた学年全体の同窓会にて、
「今だから言える。お前に謝らなければならない。すまなかった……」
と言って来た教師が存在したからです。
そんなことをすっかり忘れていた僕は、
「え、なんだっけ?」
みたいになったのだけど、思い出してみるとおっそろしい小中学生時代だったなあと思えてなりませんね。
言っちゃあなんだけど、普通自殺に追い込まれるレベルのことを陰でやられていたからね。教師から。
(※そのかわり、友達関係は至って良好でした。それが救いだったのかも知れませんね)
でも、僕も少し可笑しなところがあって、
「やられたら絶対にやり返す。子供だからってなめるな!」
と、闘志むき出しでいきり立ってましたからね。
そう、世の中死んだら負けよ。
何度も言いますが、フィクションではござんせんよ。
これでもかなりオブラートに包んで書いておりますから。
そういう時代だったんでしょうね。
☆☆☆
とまあ、僕の暗い部分の経験をこの人生で何人かに話したことがあるのですが、とてもなかなか信じてもらえないので、それはそれで諦めているのですけど、
実際のこの世の中を見渡してみると、そういった経験が伏線となっていることが現状で理解できてしまいます。
つまりですね、自分の頭で考えない○○○○○○教育がすっかり浸透してしまっているということですよ。
キチガイ
とか、そういう言葉に思考停止したり、過剰反応してしまったり。
意味を考えずに、外見の部分に反応してしまうというのは、ある意味白痴状態に陥っているということだと思います。
これは馬鹿にしているのではなくて、事実そうなのだったらこれからをどうすべきか、みたいなことへの誘いの意味でこの話はここで終わりにしたく存じます。
ありがとう御座いました。




